応報、一歩前。
「……コルディア伯爵令息様は、本日授業に出てきていないようです」
「そうか……」
翌日。学園の渡り廊下を歩きながら左斜め後ろに控えるギュンターが報告すれば、ジークフリートも沈鬱な表情で頷く。
医務室の医師から、治療効果が十分でなかった可能性があるという報告は受けていた。
ただ、あくまでも治療一回目の結果であり、今後継続的な治療を行うことで十分に回復は可能だ、とも言われている。
「彼自身も状態は聞いているはずだし、今日は大事を取ったのかも知れない。後で見舞いの手配をしてくれ」
「はっ、では後程そのように手配をいたします」
ジークフリートの指示に、ギュンターも頷く。
昨日の立ち会いの裁決においては割り切った態度を取ってはいたが、ジークフリートとて徒に伯爵令息を傷つけたいわけではないし、使い物にならなくしたいわけではない。
むしろ復帰をして欲しいと願っているくらいだ。
その願いは、最悪の形で裏切られるのだが。
「……殿下、お止まりください」
後ろに控えていたギュンターが唐突に前へと進み出て、かばうように右手でジークフリートを制する。
ついで周囲を守っていた護衛の騎士達が集まり、驚いたように足を止めたジークフリートが視線を前へと向ければ、そこに立つのは。
「……コルディア?」
まさに今話をしていた、彼だった。
茫洋とした表情、あちらへ、こちらへと揺らぐ視線。
その様子は昨日立ち去る時に見せた表情よりもさらに悪化しているかのよう。
これはまずい、と心配したのは一瞬のこと。
ザワリ、とギュンターの、そしてジークフリートの背筋に悪寒が走る。
「見ぃつけたぁ……」
ギロリ。
そんな擬音が付きそうな勢いで。禍々しさで。
見開かれた令息の目が、二人を捉えた。
その瞬間、ギュンターは肩に背負っていた盾を左手に装着し、右手を剣の柄にかける。
彼は、正気を失っている。むしろ、こちらへの攻撃意思を持っている。
言われるまでも無く、直感的にギュンターは、そしてジークフリートは理解していた。
「何のつもりだ、コルディア!」
「何の、つもりぃ……?」
問いかけに、返ってきたのはヌラリとした笑み。
悍ましくすらあるそれに、ジークフリートは己を叱咤して踏みとどまる。
ここで、ひるんではいけない。
それはギュンターの、そして護衛の者達の士気に関わるのだから。
ひいてはそれは、彼らの生命をも左右するのだから。
そんな決意を込めたジークフリートの視線を、コルディア令息は平然と受け止めた。
いや、受け止めたと言っていいのだろうか。
彼は、ジークフリートを見ているようで見ていない。
恨みを持つであろうギュンターをも、見ているようで見ていないような、そんな気配。
ただ、彼らを見ている。
まるで、道端に落ちているゴミでも見るかのように。
「決まってるじゃぁないか……邪魔だから、どかすんだよぉ!」
その声に、護衛騎士が二人反応して、前に出た。
ギュンターにも劣らぬ反応速度、堅実な位置取り。いずれを見ても、よく鍛えられた騎士だとわかる動き、だったのだが。
「ほんっと邪魔だぁぁぁぁ!!」
文字通り、蹴散らされた。
粗雑な、ただの蹴り。
その一閃で、第二王子の護衛として選抜された騎士が二人、吹き飛ばされた。
あまりの出来事に、騎士達の動きが止まったのは一瞬のこと。
令息が地面へと唾を吐きつけただけの時間で、すぐに陣形を組み直している。
「どういうつもりだ、コルディア! 何をしているのか、わかっているのか!」
「どういう、つもりぃ……?」
守られていることに内心で歯噛みをしながらも、ジークフリートは決然とした目で彼を睨みつける。
だが、それに返ってくるのはやはり、どこか常軌を逸した視線と、表情。
これはもう、だめだ。
少なくとも、今はもう、彼に言葉は届かない。
わかってはいたけれど、改めてそう理解してしまう。
「邪魔だからぁ、目障りだからぁ!! どけるだけなんだよぉぉ!!」
「総員、防御姿勢! 来るぞ!!」
令息の叫びを切り裂くように、ジークフリートの声が響く。
指示通りに防御の態勢を固めたそこへ、令息が襲いかかった。
仕掛けてくるタイミングを捉え切れていなかった騎士達も、ジークフリートの指揮により不意を打たれることはなかった。
だというのに。
この距離すらも邪魔だとばかりに跳躍した令息の放った跳び蹴りに、騎士がまた一人吹き飛ばされた。
その規格外の威力を前に。しかし、騎士達は即座に動き、欠けた部分を補うように体勢を立て直す。
「うっぜぇ……ほんっとうっぜぇぇ!!!」
「ひるむな、囲い込め! 溜めてからの瞬発力が強い、発揮させないよう小刻みにしかけろ!」
「はっ!」
ジークフリートの声に従い、騎士達が波状攻撃を仕掛けると、それは確かに有効だったらしく、少なくとも一撃で吹き飛ばされるような攻撃は来なくなった。
更には、いくつか攻撃も当たるようにすらなっていく。
……同時に、彼を知るギュンターとジークフリートは、普段の彼ならばとっくに打ち倒されているはずの攻撃を、彼が防いでいることに背筋を冷やしていた。
明らかに、普通ではない。
それが何かは、次の瞬間明らかになった。
「あああああ!!! 邪魔だぁぁぁぁ!!!」
叫びと共に彼が腕を振るえば、その腕から闇色の炎、としか表現出来ないモノが吹き出し、騎士達の振るった剣を薙ぎ払った。
文字通りに。
「なっ、け、剣が!?」
腕を振るっただけ、のはずなのに、剣が折れ、あるいは叩き斬られ。
いずれにせよ、使用できない状態にされてしまった。
流石に動きが止まった騎士達へと容赦なく闇色の腕が、脚が襲いかかり、弾き飛ばす。
「くっ、剣と盾に魔力を籠めろ、何もしなければ叩き折られる! あれは、魔力強化されている、それも、闇属性だ!」
伝えるかどうか一瞬だけ迷い、ジークフリートは告げる。
魔力を剣や盾に籠めると、それだけで消耗が激しくなる上に、相手取る属性が悪い。
闇属性。
クララの持つ光属性と対を為す希少属性であり、光以外の属性全ての攻撃を弱体化させる力を持つ。
反面、攻撃をした際に威力が増加する属性もないのだが……ということは、この攻撃力は彼の素の攻撃力ということになる。
つまり、こちらからの有効な攻撃はなく、そのくせあちらの攻撃は一撃必殺。
令息の攻撃を凌ぐには必要な、しかし心を折られるような情報を、苦渋の決断でジークフリートは告げた。
「なるほど、それは厄介ですな!!」
その苦悩を吹き飛ばす程に快活な声が響き渡る。
ずい、と怯むこと無く、むしろ挑みかかるような表情で進み出たのは、ギュンターだ。
左手に盾を構え、やや後ろに右手に握った剣を構えるその姿勢は、鉄壁でありながらカウンターを狙う姿勢。
相手が格上であることを認めた上でなお、勝利を狙う構え。
その背中は、これ以上なく頼もしい。
「ああ、厄介だ! だが、君達ならば、やれる!」
「もちろんですとも!!」
鼓舞する声に、騎士達も応じる。
やれる、負けるわけにはいかない、負けはしない。
「うっぜぇぇ!! 何変な根性出してんだ、騎士風情がぁぁぁぁぁ!!!」
思ったようにいかない、蹴散らせない。
苛立つ令息の攻撃は苛烈で、しかし雑で。
丁寧に、慎重に対応する騎士達を、簡単には崩せなくなってきた。
「フレイムランス!」
そして、もたつく所へと、ジークフリートの攻撃魔術が打ち込まれる。
闇属性相手では相当に減衰させられるだろうが、牽制にはなるだろう、と放たれたそれは。
「ぐあぁぁぁ!?」
「……何?」
それは、直撃した。
王族であるジークフリートの魔力は確かに並みの人間よりも高く、まだ十分な訓練を経ていない現時点でも学生の中では突出した威力を持ってはいた。
だが、あくまでも学生としては。
少なくとも、伝え聞く闇属性の減衰能力を考えれば、これだけのダメージは与えられないはずなのだが。
「総員、なんとか持ちこたえろ! 私の攻撃魔術は有効だ!」
「はいっ!!」
原因はわからない。だが、有効であることは間違いない。
すぐに考えを切り替えたジークフリートは指示を飛ばし、騎士達も即座に対応する。
微かではあるが、勝機が見えた。
それは、騎士達の士気を否応なく押し上げる。
「ふざけるな、ふざけるなぁぁぁ!! なんで、なんで火属性ごときがぁぁぁぁ!!!」
令息からすれば理不尽とも思える痛みに、彼は荒れ狂う。
魂に刻まれた闇から溢れる魔力を手足に纏わせ、身体に纏わせ、もはや傍目には魔物か魔族かという姿になりながらの一撃は、まさに人外のもの。
怒りに任せたそれらは、熟練の騎士達には読みやすい攻撃となり、凌がれる。
そしてそこに挟まれるジークフリートの攻撃魔術。
少しずつ、少しずつ彼は削られていく。
ただそれは、騎士達も同じで。
「ぐはっ!」
耐えに耐え、消耗に消耗を重ねたところに一撃が加えられ、また一人騎士が倒れ伏した。
一人倒れれば一人当たりが払う防御への負担は跳ね上がり、それがダメージを加速する。
もう一人、さらに一人。
気がつけば、もはや立って居るのはギュンター一人となり。
「く、ぬぅぅっ!!」
令息の蹴りを盾で受け止めたギュンターが、勢いを殺しきれずに後ずさる。
その背後、すぐ傍にジークフリートが居るほどに押し込まれてしまった。
幾度も攻撃を受けた盾は既にボロボロで、後一撃耐えられるかどうか。
手にした剣にも、魔力をほとんど纏わせることはできないでいる。
「はっ、ははっ!! 男爵風情の雑魚にしちゃぁ頑張ったじゃねぇか! それも、これまでだがなぁ!」
令息の嘲りに、ギュンターもジークフリートも悲壮な顔を見せた。
「……どうやら、覚悟を決める時みたいだな、ギュンター」
「ええ、闇属性を相手取った折角の大一番だというのに、残念ながらそのようです」
ジークフリートの言葉に、ギュンターも重々しく頷く。
装備はぼろぼろ、残る護衛はギュンターのみ、ジークフリートの魔力も残り僅かという最早後がない状況。
流石に彼らも覚悟を決めたか、と令息の口角がいやらしくつり上がる。
「あっはははははは!! やっと諦めたかよぉ!! だったら、さっさと殺されなぁぁ!!」
令息が、その闇を纏った拳を振り上げて。
しかし、ジークフリートの視線は真っ直ぐ彼を射貫く。
「何を勘違いしている? 私達は、命を諦めてはいない」
「は?」
予想外に強い言葉と視線に、令息の拳が止まる。
それを見たジークフリートは、にやりと唇の端を上げて。
「諦めたのは、主役の座だ」
その言葉が理解できず、呆気に取られた瞬間。
令息の身体が、吹き飛ばされた。
「なぁぁぁぁ!?」
何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
だが、腹部に感じる痛み、その範囲。何よりも、その視界に映った人影。
彼女は、脚を横へと突き出していた。
さながら、彼を蹴り飛ばしたかのように。
いや、まさに見たまま、彼を蹴り飛ばしたのだ、彼女は。
「まったく、長閑な午後にティータイムをと洒落込んでいたところで、この騒ぎ。
いくら退屈が嫌いなわたくしでも、こんな騒ぎは遠慮したいところですわよ?」
脚を戻し裾をゆるりと払って直しながらそんなことを言う、首を突っ込んできた、むしろ突撃してきた彼女。
相変わらずの漆黒に鮮やかな緋色のドレス。
その背中は、申し訳ないがギュンターよりも頼もしい。
「すまないね、メルツェデス嬢。どうにも彼がしつこくて」
「あら殿下、勿体ないお言葉ですわ。そもそも詫びは、あちらの彼から頂かねばならないものですし」
疲労を隠して朗らかに告げるジークフリートの言葉に一つ頷くと、メルツェデスはすぃ、と視線を蹴り飛ばした令息へと向ける。
何が起こったのかわからない、といった顔でへたり込んでいた彼は、その視線を受けて我に返ったか、慌てて立ち上がった。
「きっ、貴様っ、女の分際で俺を蹴飛ばすなどと!!」
顔を怒りで真っ赤に染めた彼へと向けられたのは、ふん、と軽くも冷たい鼻で笑う音。
その語気にも纏う闇の魔力にも気圧されることなく、ずい、と彼女は一歩前に出る。
「でしたら、男の分際で簡単に蹴飛ばされる己の未熟を恥じなさいな。
それだけの力がありながら、こうもあっさりとわたくしに踏み込まれるなど……ああ、所詮借り物の力、紛い物の限界ということでしょうか」
優雅な口調で煽り、カラカラと快活に笑う。
その姿はそこ抜けに明るく、それだけに令息の怒りを誘った。
……恐らくは、意図的に。
「ふざっ、ふざけるなぁぁぁぁ!! 何が紛い物だ、この力は、俺のものだ!!
殺してやる、殺してやるぅぅぅぅ!!!」
猛り狂う令息へと、向けるはやはり冷たい目。
冷ややかで、彼の全てを見通すような、落ち着いたそれの意味するところは彼にはわからない。
「殺す? あなたが、わたくしを?
オ~~~ッホッホッホ! ちゃんちゃらおかしくて、おへそでお湯が沸きそうですわね!
よろしい、折角のこの機会、役者の違いというものをお教えいたしましょう!」
口元に手を当てながらの高笑いに、気勢を削がれたかあるいは気圧されたか。
止まり、知らぬ間に一歩後退った令息へと向かい、ずい、とメルツェデスは一歩踏み出して。
それから、一度ジークフリート達を振り返る。
「皆様が鎬を削って凌ぎ、耐えに耐えて繋いだこの大一番、トリを務めますはこの『天下御免』の向こう傷!
異論も不満もございましょうが、『勝手振る舞い』にてお許しくださいまし!」
さらりと軽やかに払われたメルツェデスの前髪、その緑為す黒髪の向こうに見えたのは『天下御免』の向こう傷。
これだけの相手を前に揺るがぬ不適な笑みを彩るそれに、異を唱える者などいるはずもない。
彼女を知る知らぬに関わらず向けられる信頼の眼差しを受け、千両役者は魔に堕ちた令息へと向かって一歩を踏み出した。




