虎に蹴散らされた男。
気勢を削がれたゴルディア令息とは対照的に、ギュンターの心は猛っていた。
意図的ではなかったにせよ、主であるジークフリートを、尊敬する武人であるメルツェデスを貶めるような言動を許す隙を作ってしまった己を責めて。
寛大なことに、ジークフリートは己の失態を返上する機会を与えてくれた。
であれば、これに応えぬわけにはいかぬ。
「さあ、ゴルディア様、準備はよろしいか!」
「お、おうとも」
いつものごとく快活な声に滲む、どこか危険な色。
普段から彼の声を聞くジークフリートにはもちろん、同級生である見学者達にもそれは伝わってきた。
ましてそれを正面から受け止める令息などは尚のこと。
ゴクリ、と喉を鳴らして唾を飲み込みながら、彼は訓練場の中央へと進み出る。
その後を追うように歩くギュンターは、一つ、二つ、ゆっくりと大きく呼吸をする。
猛る心、闘争心が溢れそうになってくるのを、抑えるように。
ゴルディア伯爵令息は軽率な発言もあったが、それでも名だたる武門の者。
怒りに、感情に任せてしまっては、足下を掬われてしまうだろう。
ありがたく頂いたこの機会、決して疎かにはできない。そう、決して。
であれば。
深く大きく息を吸い、吸い込んだ空気へと己の熱を溶かしていく。
息を止めることしばし、今度はゆっくりと、その熱を己の外に押し出すように、頭から逃がしていくように、吐き出す。
心は、猛っている。
しかし、頭に余計な熱はなく、体に不要な強ばりもなく。
手にした盾と剣をふわふわと覚束ない感覚でもなく、重すぎるわけでもなく、自然に構える。
「……なんだ盾なんぞ使うのか、臆病なことだ」
「どうとでも仰っていただいて結構。我が道がこの先に見えましたゆえ」
挑発の言葉は、全く響いてこない。
そう、己はいくら侮られても構わない。むしろ相手が侮って油断してくれればもうけものだとすら思う。
大事なことは、そこにはないのだから。
「それでは、両者ともよろしいか。……ならば、始めっ!」
ゴルディア令息が両手剣をお手本のような綺麗さで構え、対峙するギュンターは左手の盾を突き出すように構える。
教官が掲げた手を振り下ろし、始まりを告げた。
途端。
「ぬぉぉぉおおおおお!!!」
雄叫びを上げながら、ギュンターが突撃した。
「う、うわぁ!?」
盾を前に突き出しての、盾ごと体当たりするかのような突進に、令息は思わず悲鳴を上げる。
猛烈な勢いでギュンターが迫ってくるが、その前面は盾で守られ、打ち込む隙間がない。
脚を払おうにも、カイトシールドの形状では脚もそれなりに守られているし、何より切っ先が脚に届いた瞬間には体当たりを食らってしまうことが、わかってしまった。
シールドチャージと呼ばれる技法。
文字通り盾を構えながらの突撃であり、間合いこそ極めて短いものの、攻防一体の攻撃は中々対処が難しい。
これがメルツェデスであれば足を使って回避するところだが、剣で打ち合うことしか頭になかった彼の頭に浮かぶ選択肢は、この状況をどうにも出来ない。
まあ、彼の歩法の習熟度であれば、かわしきれずに追いつかれてしまっただろうが。
「ぬぅんっ!!!」
「がはぁっ!?」
結局、逡巡している間にギュンターの体当たりが裂帛の気合いと共に炸裂していまい、令息は吹き飛ばされた。
糸の切れた人形のように手足をあらぬ方向へと振り回されながら数mばかり転がり、ぐったり、力無く地面へとうつ伏せになってピクリとも動かない。
「あらあら、これは……教官殿、勝負ありですわね?」
「はい、言うまでもなく。申し訳ありません、プレヴァルゴ様、お手伝いいただいても?」
「ええ、もちろんです」
申し出に頷けば、メルツェデスは教官と共に吹き飛ばされたゴルディア伯爵令息へと駆け寄った。
と、あまりに呆気なく、しかし壮絶な幕切れを見て呆気に取られていた見学者達の中から、クララが飛び出してくる。
「あ、あの、メルツェデス様、回復魔術でしたら、私が!」
「ありがとう、クララさん。でも、その前に骨を接いでおかないと、変なくっつき方をすることがあるのよ」
そう言いながらメルツェデスは、教官と手分けしながら、あるいは協力しながら手早く添え木をあてて骨接ぎを含む応急処置をしていく。
ぶつかった時の衝撃一発で気絶してしまったのか、受け身を取ることもできなかった令息の腕や足は、中々にエグいことになっていた。
だが、手練れ二人によってその手足は人間の形を瞬く間に取り戻していく。
「さ、これならいいでしょう。クララさん、お願いします」
「はっ、はいっ、では、いきますっ!
『光よ集え、今ここに。損なわれし身体を在るべき姿に戻し給え』」
令息の傍に跪いてクララが呪文を唱えれば、言葉通りに光が彼へと集まり、その身体を満たしていく。
折れていた骨が次々と復元し、ものの数秒でしっかりと元の姿を取り戻していく様が、服の上からでもメルツェデスにはわかってしまった。
「……これは……想像以上ですわね、光の回復魔術は」
傍で見ていたメルツェデスは、思わずぽつりとそう零してしまう。
彼女とて水の魔術としての回復魔術は使えるが、折れた骨をあっというまに治してしまうような真似はできない。
目を見開いて驚いたような顔をしているヘルミーナを見るに、比類無き魔力を持つ彼女を以てしても、ここまでのことはできないのであろう。
そんな奇跡にも見える魔術を使っておきながら、クララはほとんど疲れた様子もないときている。
光の聖女とは、一体どれだけの力を秘めているのか。
ゲームでは知っていたメルツェデスも、現実として目の当たりにすれば畏怖にも似た感情を覚えてしまう。
「これで、多分治ったと思いますっ」
「……そうみたいね、お疲れ様、ありがとう」
意気込んで言った後クララは、ふぅ、と大きく息を吐き出した。
漏れ出したその疲労感は、しかしメルツェデスの目には、精神的なものが大半のようにしか見えない。
やはり、ヒロインたるクララの魔力は、ヘルミーナにも匹敵するものがあるのだろう。
いや、それ以上に。
彼女は、令息の惨状を見ても尚、逃げ出すことも、まして意識を手放すこともなかった。
「ガッツがありますわね、クララさん」
「はい? そ、そうですか?」
メルツェデスの言葉に、クララはびっくりしたような顔を見せる。
いくら平民出身とは言え、刃傷沙汰が日常茶飯事な地域に住んでいたわけではないだろうに、この落ち着きよう。
かすり傷一つで気絶してしまうようなご令嬢もいる中で見せた肝の据わり方は、やはりただ者ではない。
……いや、メルツェデスは勿論、ヘルミーナやフランツィスカも、なんならエレーナも気絶などしないだろうけれども。
ともあれ、やはりクララには主人公たる何かが備わっているのだろう。
メルツェデスには、そう思えてならなかった。




