退屈令嬢の矜持。
※本日二回目の更新となります。
前回のお話をお読みになっていない方は、是非お読みになってからこちらをお読みください。
メルツェデスが己の傷痕に向き合っている間、ガイウスやハンナは顔を手で覆い、涙や声を抑えるのがやっと。
ジークフリートは呆然とその様子を眺めるしかなく、クラレンスも、一瞬言葉を失っていた。
「……ありがとう、メルツェデス嬢。おかげで、私達が犯した失態の重さが、よくわかったよ」
静かに、震えないよう慎重に出されたクラレンスの声が響く。
それ以外誰も言葉を発することができない数秒の後、またクラレンスが口を開いた。
「先生、この傷痕を消すことは?」
「はっ、畏れながら申し上げます。
誠に申し訳ございません、私の知識と技術では、どうにもなりませぬ……」
問いかけに、控えていた侍医は首を横に振った。
王宮に勤める侍医となれば、当然この国で最高峰の知識と技術を持つ医者だ。
その彼がどうにもならないと言うのであれば、どうにもならないのだろう。
ふぅ、とクラレンスは小さくため息を吐いた。
「すまないメルツェデス嬢。聞いての通りだ。
もちろん、今でも治癒魔術の使える宮廷魔術師達には治療方法を検討させているが……厳しい、と言わざるを得ない」
その言葉に、もう一度だけ、手鏡で自身の傷痕を確認する。
火傷によって生じたかのような、ケロイド状の縁取り。
毒の作用でタンパク質が凝固してしまったのか、明らかに普通の皮膚とは違う何かになってしまっている。
外科手術など発達しておらず、麻酔も無いこの国では、切除して皮膚を移植するなど出来るわけもない。
何某か奇跡とも言える高度な治癒魔術でもあれば別だろうが、残念ながらそんな魔術もないようだ。
「だからね、メルツェデス嬢。こんなことで代わりになるとは思わないが、私達に償いをさせて欲しい。
君が望むことを、出来る限り叶えよう」
言われて、ずくん、と胸の奥が疼いた。
原作通りに言ってしまいたいような、一瞬の衝動。
しかしそれを押さえ込んだメルツェデスは、ゆるりと首を横に振った。
「陛下がそのようなお心配りをしてくださっている、それだけで十分でございます」
だが、恐らくその返答は想定していたのだろう。
メルツェデスの遠慮を、しかしクラレンスは受け入れない。
「流石、ガイウスの娘なだけあって、よく躾けられているね。
しかし、それでわかったと引き下がるわけにもいかないんだ。
どうだろう、私達のためにも、何か思い浮かばないだろうか」
その言葉に、メルツェデスはふと腑に落ちた気持ちになった。
ゲームでのあの婚約は、決してメルツェデスの我が儘ばかりではなかったのだ、と。
国王に招かれ要請に応じた令嬢が、王子暗殺に巻き込まれ酷い額の傷という社会的な致命傷を負った。
それに対して何の補償もなかったとしたら、王家に対する貴族からの信頼が下がってしまうのは否めない。
おまけに相手は、軍の最高指揮官の娘。軍部にまで反感を買ってしまう可能性すらあった。
そこで、結婚など望めなくなった令嬢に対して、王太子ではない第二王子をあてがう。
上級貴族への調整さえ上手くやれば、各方面を丸く収めるベターな手と言えよう。
今の、メルツェデスと日本人の感覚が溶け混ざった状態でも思い至ったのだ、幼いといえども生粋の貴族であるメルツェデスが、考えついた可能性は低くない。
周囲の反応や空気を読みながら、自分の保身も交えて国王クラレンスの考えていた望みを言ったのだとしたら。少々、彼女の結末に割り切れないものも感じてしまう。
そんな結末を変えてしまいたいのであれば、ジークフリートとの婚約以外で各方面を丸く収めるような望みは。願いは。
必死に考えたメルツェデスの脳裏に、ある閃きが走った。
「それでは陛下、お言葉に甘えまして、願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
「うん、なんだい? 何でも言って構わないよ」
クラレンスの返答に、ジークフリートが一瞬身を固くした。
もしかしたら、ここに来るまでの間に打ち合わせがなされていたのかも知れない。
その時に、先程考えたようなことを言われた可能性はもちろんある。
この願いは、そんな彼の心を少しは軽くできるだろうか。
「では、申し上げます。……どうか、わたくしのこの傷を、哀れに思わないでくださいませ」
「……何? 何だって?」
あまりに予想外な言葉だったためか、クラレンスは普段よりもどこか間の抜けた声を思わず出してしまった。
後ろに控えるジークフリートなどは、ぽかんと大きく口を開けてしまっている。
そんな反応に触れること無く、メルツェデスは言葉を重ねた。
「剣を習うと決めた時に、お父様……もとい、父から言われました。『剣を手にする以上は、これより男も女もない』と。
プレヴァルゴの者が剣を持つ以上、女であろうと、命を賭けるべき時に賭ける覚悟を持てということでございましょう」
そこまで言うと、その言葉を告げた父ガイウスへと目を向ける。
「お父様。もしもお父様が、手傷を負いながらも陛下を狼藉者からお守りできたとしたら、お父様はその傷を誇りに思いこそすれ、きっと悔やまないと思うのですが、いかがでしょうか」
「……ああ、そうだな。間違いなくそれは、私の勲章となろう」
陛下の御前だからだろうか、普段と違って改まった一人称に、くすりと小さく笑ってしまう。
臣下として振る舞うべきように振る舞える。そんな父に、改めて尊敬の念が浮かんで仕方ない。
「お父様ならきっと、そうおっしゃると思っていました。
だってあの時お父様は、わたくしよりも先に殿下を心配なさいましたから。
わたくしにはそれが、とても誇らしかったのです。武の者としての、臣下としてのお手本のように見えて」
「メ、メルティ……」
きっと、ガイウスの心の中にしこりとして残っていただろう、あの瞬間。
それが溶けていくような感覚に、ガイウスは滲みだした涙を止めることができない。
「そんなお父様に、わたくしは少しでも近づきたい。ですからこの傷は、わたくしにとっても、勲章なのです」
泣き叫ぶのを必死に堪えるガイウスは、もはや返事も相づちすらも口に出来ず、歯を食いしばり天井を見上げている。
そんな姿を見て、ちょっと言い過ぎたかなと思いつつも、メルツェデスは視線をクラレンスへと戻した。
「ですから陛下。わたくしのこの傷を、どうか哀れとお思いにならないでくださいませ。
そして、叶うならば……よくやったとお褒めいただければ、これ以上のことはございません」
そう言ってメルツェデスが頭を下げれば、部屋に沈黙が訪れた。
おや? と思って顔を上げれば、ガイウスは元よりハンナも口に手を当て、必死に涙を堪えようとして堪えられていない。
ジークフリートは泣きそうな怒りそうな複雑な顔でぎゅっと唇を引き結び、クラレンスは額に手を当て目を伏せていた。
思っても見なかった光景に、どうしたものかとメルツェデスが狼狽していると、クラレンスが顔を上げ、口を開く。
「ガイウス。事前に打ち合わせていたとかじゃないだろうね?」
問われてガイウスは、色々なものを必死に飲み込んで、声が震えそうになるのを堪えながら答えた。
「とんでもございません。心情的にも時間的にも、そんな余裕はございませんでした。
まして、私ではこのような考えに至るなど、とてもできません」
「それもそうか……君の子煩悩は嫌という程知っているしね。
となれば、これはメルツェデス嬢一人で考えたこと、か」
『実に惜しいな』と口の中だけで呟かれたクラレンスの言葉は、誰にも届かない。
打算だけで無く、純粋に人材として王族に迎え入れられたらと今更思ってしまうが、それも後の祭り。
少なくともまた次の機会を待たねばならないだろう、と結論づけたクラレンスは、ではどうすべきかと考える。
もうこの時点でガイウスは問題ない気もするが、貴族達へ、そして軍部へと向けて彼女の功績を認めて報いなければならない。
であれば、出来る限りの名誉を。
そう思い至れば、クラレンスは微笑みを見せた。
「わかった、ではメルツェデス嬢の希望通り、もうその傷を哀れとは思わない。
そしてその献身を称え、褒美として『勝手振る舞い』の許可を与えよう」
「……はい?」
恭しく頭を下げてクラレンスの言葉を聞いていたメルツェデスは、聞こえてきた言葉に、思わず間抜けな声を上げてしまった。
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更新時間は18時前後を予定しております。
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