第1部 第一章
前回、文章の指摘を受けましたので、序章を少々編集しました。
眼が覚めると、僕は背もたれが心地よく傾いた椅子型VR機器の上にいた。
仮想世界を縦横無尽に駆け回っていたの僕の肉体は消え失せ、今ここには現実世界の僕、三谷要石の細身な肉体だけが残っていた。
ちなみによく呼ばれるアダ名はサイダー。
「っ………」
起き上がろうとすると、固まっていた身体が小さく悲鳴を上げ、僕の筋肉に負荷がかかっていたことを知らせる。
それもそのはずだ。なんせ3時間近くも仮想空間にいたのだから疲れるに決まっている。
しかも寝返りなんか出来ない椅子の上だ。健康上はあまりよろしくはないだろう。
それでもなんとか立ち上がり、僕は伸びをする。背中の骨がパキパキと鳴って、その音が少し心地よい。
伸びを終え脱力をしながらチラリと横を見ると、彼女はまだ仮想空間の中にいた。
肘掛に腕を置き、僕よりも深く背もたれを倒している彼女は、長い黒髪を纏めることなく背中の方まで伸ばし、何とも無防備な格好でスースーと寝息を立てていた。
「顔立ちは同じなのに、全然別人に思えてくるよ、アロウ。」
僕は寝たままの彼女のアバターネームを呼んでみる。当然の如く返事はない。
完全にまだあっちにいる。多分もう少しかかるんだろう。
僕は彼女の椅子に当たらないように気を付けながらその場を後にし、台所へと向かった。
棚の上にあるティーパック入れからダージリンを選ぶと、それをカップに入れ、ポットに入ったお湯を注ぐ。まだ温かいことを証明するかのように湯気が立ち、紅茶の匂いが僕の鼻に届いた。
VRゲームをした後はやはり現実のティータイムに限る。
というのも、僕は寝て起きたら紅茶を絶対に飲みたくなるというある種の中毒者なのである。それは睡眠時の脳波を利用したVRゲームにも適用された。
お茶が入るまでまだ時間があるので、VRゲームの歴史について、少し振り返ってみよう。
時は遡ること12年前の2007年。
とあるアメリカの天才技術者が、睡眠中の人間の脳波を捉え、夢を夢と認識ができるシステムを開発した。そのシステムの名は〈スリープキャッチシステム〉。
これはノンレム睡眠時の思考がまとまらない不安定な脳波を糸と考え、それを瞬時に束ねることで、眠っている状態でありながらも意識をハッキリと保つことができるというシステムである。これを使用した科学者達は、このシステムが生まれたことを地球上の新たなる特異点であると絶賛した。
その理由は、このシステムを発動時に起きた出来事は、目が覚めた後も鮮明に覚えていられるからである。この鮮明に、という度合いは、現実世界での記憶とは比べ物にならないほどであった。
ある実験では、スリープキャッチシステムを使用して勉強をした子供と、現実で勉強をした子供では、スリープキャッチシステムを使用した子供の方が圧倒的に学力が向上したという結果を出すほどであった。
これにより人類の科学技術は飛躍的に向上。
今まで不可能とされた空想科学は現実のものとなり、様々な発明がされていった。
VRゲームもその一つだ。
ゴーグルをかけ、現実にいながら別の場所にいるような感覚を味わえる2.5次元のVRゲームはもう古い。
スリープキャッチシステムを使った脳への刺激によって、擬似的五感をフルに活動させた没入型のVRゲーム。それこそが今流行りの真のVRゲームなのである。
だがしかし。この世にスリープキャッチシステムを使用したVRゲームは一つしかない。
その理由は単純。スリープキャッチシステムを開発した技術者が所属する〈サターンインダストリー〉が、このVRゲームのシステム自体に特許申請をし、第三者が使用することを認めなかったからである。
これには世の中が大いに騒いだ。特にゲーマー達が。
これから真のVRゲームにより、新たな面白いゲームが多く出ようとしている中で、その芽が出ない内に土をコンクリートで固めるとは何事だ!と。
しかし、このゲーマー達は直ぐに手のひらを返すことになった。何故か?
それは、サターンインダストリーが制作したVRゲームの完成度が、あまりに高かった為である。この完成度の高さには、再び全世界が驚くこととなった。
圧倒的なグラフィックと、現実としか思えない感触、それに痛み。
現実で出来ることはこの世界では何でも出来るし、出来ないことも出来る。
正にこのゲームのタイトルである〈セカンド・ユニバース〉、第二の宇宙そのものであった。
どうにか新たなVRゲームを生み出そうとした他社も、この圧倒的なクオリティに意気消沈し、開発は完全に中止。
総プレイ人口は日本国内だけで1億人を超え、老若男女問わずに日夜第二の宇宙にドップリ浸かる結果となった。この時は皆が希望と期待に満ち溢れ、常にハッピーな生活を送っていた。
しかしこれにより、社会は現実を捨てた人間で溢れかえりそうになり、かなりまずいことになりかけた。これは後にダメ人間社会アポカリプスと呼ばれる。
だがそこは流石に〈サターンインダストリー〉が手を打った。
長時間のプレイをやめさせるために、脳波による個人特定と強制シャットダウンシステム、バイタル管理による適性検査を追加。更に、一ヶ月に何日かはサーバーが完全に停止し、定期メンテナンスという名目のお休み期間が入るようになった。
これによって、ゲームのし過ぎで不健康になった人間は、システムにより、規定値以上の健康状態になるまで体調管理が命じられ、プレイし過ぎのプレイヤーは、例えアカウントや機器を変えても決められた時間が過ぎるまでプレイが不可能となって現実に帰らざるを得なくなった。
寝過ぎはいけないというけれど、確かにこうなってはダメだ。
更に厳密に言うならば、このスリープキャッチシステムはレム睡眠状態をずっと起こしているため、確実な睡眠がとれているわけではない。
だから僕達はプレイ中、半分起きていて半分寝ているのだ。
つまりプレイ後は寝起きと同じ感覚に陥る。だから僕にはティータイムが必要なのだ。
おっと、ついついVR伝記の振り返りに夢中になってしまった。
僕は既に抜いていたティーパックをシンクの中の三角コーナーに入れ、ティータイムの準備を完了させる。
「さてと。頂きますか。」
僕はカップを口に近づけ、ささやかな楽しみを実行しようとする。直後、横から声が聞こえた。
「何をさっきから一人でブツブツ言っているの?病気?」
「うわっと!」
驚き、僕は危うくカップを手から落としそうになった。だがギリギリセーフ。
「ととと……危ない危ない。」
「ごめんなさい。あなたを驚かすつもりは無かったのだけれど。」
「あ、ああ……大丈夫大丈夫、ははは…おはようアロ…未羽!」
僕はびっくりした時の心臓のバクバク音を引きずったまま、声の主である未羽に目をやった。未羽は、なんだか眠たそうに目を擦っている。
「うん。おはよう、要石。ふあぁぁ……」
僕の名前を呼びそのまま欠伸をする彼女を見て、僕の口元は少し緩んでしまった。なんていうか、現実は平和だ。
セカンド・ユニバースとは違う長い黒髪に、深いブルーの瞳を煌めかせる彼女。身長は169センチと、女性の中では高い方であり、アロウより未羽の方が明らかに高い。全くの別人にも思えるが、その顔立ちと声は仮想のモノと全くの同じで、それが彼女が彼女であることを証明する証拠のようなものでもあった。
いやぁそれにしても、さっきまで人を殺して笑っていたアロウとは違い、全く狂気を感じない。なんて平和なんだ!
まあ僕はどっちの世界の彼女も好きなんだけれど。
あ、そうそう。ちなみにだが、僕と未羽は去年から上京して2人で東京の大学に通い、同じ屋根の下で暮らしている。
まあ察した方は御察しの通り、理由は付き合っているからだ。
付き合い始めたのは高校3年生の修学旅行から。僕が一方的に惚れて告白し、何故かオッケーをもらえたので今に至る。
なんでオッケーをもらえたのかは未だに分からないけど、幸せな今を崩したく無いから、理由は聞いてない。要するに臆病なのだ。
ちなみに住んでいる家の権利は未羽が所持しているので、僕は頭が上がらない。
「紅茶淹れたからさ、はいこれ。」
僕は未羽にカップを差し出す。
「いいの?この紅茶はあなたが淹れたものなのに。」
「いいっていいって。また淹れればいいんだから、先に飲んでてよ」
「……そう。ありがとう。」
カップを受け取った未羽は、フーフーと息で紅茶を少し冷ましてから、口に運んだ。表情はあまり変わらないが、僕には分かる。あれは至福の顔だ。
ほぼ居候のような僕にとって、これくらいは当たり前のことであり、未羽も僕の気遣いをちゃんと受け取ってくれる。
受け取られない気遣いというのは、中々苦しいものだと彼女も分かっているのだろう。
まあ、淹れた紅茶を譲るなんてのは序の口で、僕は掃除、洗濯、料理などの家事全般を請け負い……というか請け負おうとしていたのだが、「それはやりすぎ。少し重い。」とまあ真っ二つに一刀両断され、それからは日で分けて家事は行なうこととなった。
常に、何かやらなければと臆病になる僕に比べて、彼女は実にハキハキとしていて頼もしい。僕が惚れた要因の一つでもある。
ただ、何かやらなければという気持ちを除いたとしても、僕は未羽のために尽くすだろう。何故って?そりゃあ……
「うん、美味しい。ありがとね。」
こうやって、彼女が喜んでくれるのを見るのが、僕はたまらなく好きだからだ。
まあ紅茶はインスタントなんだけど。
と、そんなことを思いながら二杯目のインスタント紅茶を淹れていると、未羽がカップをテーブルに置き、テーブルと一体化している液晶ディスプレイを指でいじり始めた。何かを検索しているようだ。
「どうかした?テーブルで検索ってことは、何か僕に見せたいことがあるのかな?」
「そう。あなたがログアウトしたちょっと後に開示された運営からの情報。それを見せたい。……あった。」
その言葉と同時に未羽はテーブルに映し出されたネットニュースをワンタップし、そのまま立体化させた。
ホログラムになった画面を見ると、そこには〈セカンド・ユニバースの新たなるバトルロイヤル、フィールドスキルバトルロイヤルが今月第2日曜に開幕!〉と太字で表示されていた。
「フィールドスキルバトルロイヤル?一体それって……」
僕はホログラム画面に顔を近づけ、記事の内容を読んでいく。
「なになに?5月12日に新たなる試みであるフィールドに能力があるバトルロイヤルを開催。参加人数は無制限で、参加人数によってフィールドの面積は変わっていく。最初の5分間はフィールドの能力は発動せず、準備期間とされる。なお、ゲーム開始時はプレイヤーはソロで行動することになるが、他プレイヤーとチームを組むことは可能。チームの最大人数は4人。えっと……気になる参加方法は、1人5千万Gを支払うこと、以上。勝者は参加費を総取りすることができる。更なる詳細はこの下をクリック。……ん?って、え!ご、5千万G!」
僕は驚きに思わず画面から一歩身を引いた。
5千万Gと言えば、オープンフィールド内にデッカい家を建てられる金額だ。そんな金額を払わせるバトルロイヤルなんて今までには存在しなかった。
んでもって、5千万Gがデカすぎて若干霞んでいるが、5月12日……つまりは第2日曜日というのはもうそこに迫っている今週の日曜日である。破格な上に期間も無さすぎる!
「とても面白そう。これは参加をするべき。」
画面をスライドさせながら淡々とそう言う未羽を見て、僕は思わず「えっ……」と声を漏らした。
この人は臆するということを知らないのか?
「どうしたの?まさか参加しない気?」
「い、いや……面白そうだとは思うし、総取りっていうのは魅力的だから参加はしたいよ。けど……」
だからって即決できるか?普通。
「何を言ってるの?別に私はお金が欲しくて参加するんじゃない。」
「えっ?じゃあ何のために……」
「大金を失いながら殺されていくプレイヤー達の表情が見たい。ただそれだけ。」
「………………」
嗚呼。そうだったね、君はそういう女性だ。
戦闘狂というか、ドSというか。とにかく誰かを殺したくてたまらないんだよね。
そんな人間を友に持ってしまったら、人はどんな反応をするんだろうか?どういう選択をすれば正しいのか。
彼女であればなおさら、その選択は慎重にしなければならない。
ただ、僕は知っている。
僕がどんな反応をしても、彼女は揺るがないということを。
だから僕が未羽に言うセリフなんてのは決まっている。
「よし分かった、参加しよう。好きなだけ殺そう。ゲームなんだから。」
我ながらセリフがサイコパス。
「ええ、流石は要石。それでこそ私の彼氏。それじゃあ早速装備を整えましょう。今日のバトルロイヤルの戦利品もあることだし。」
「……ああ。仰せのままに。」
僕は少し笑うと、熱い紅茶をズズッと飲み干し、再び夢の世界に戻る準備をした。
どうやらティータイムにはまだ早かったらしい。
「行ける?」
「ああ、いつでも。時間制限か健康が損なわれるまでは行けるよ。」
「そんな軟弱な身体になるような料理はお互い作ってないから大丈夫。時間制限まで装備を吟味するから。」
「ははは……了解です……」
どうやら、長い夢になりそうだ……。
僕は心の中でも空笑いをすると、椅子型VR機器の上に乗り、先程よりも背もたれを倒してから肘掛にあるスイッチを押した。
電子の声が、僕の骨髄に直接音を届けてくる。
『——スリープキャッチシステム起動。
——セカンド・ユニバースにアクセスしますか?』
僕はその声の問い掛けに、一度深呼吸をしてから静かに答えた。
「Yes。」
その瞬間、視界は急激に変化し、まるで星の光が伸びていくような映像と共に、僕の意識は椅子ごと移動した。毎回思うが、これは宇宙船がジャンプするのによく似ている。
移動が止まると、目の前にアバター選択画面が現れたので、僕は椅子から立ち上がった。立つのと同時に椅子は原子へと消滅する。
もう既に仮想空間にいるわけなのだが、現実から仮想空間に来た感覚は一切ない。
それほどにリアルなのだ、この世界は。
僕は慣れた手つきでアバター01〈エリヤ〉を選択。すると、目の前の何もない空間から突如として、アバターであるエリヤが出現した。
金色の髪に、今は閉じているが瞳はブルー。
日焼けなど全くしていないが、程よく健康的な肌色に、身長は178センチもある。
その身には、所々に青い線が入っている白がメインのバイクスーツのような戦闘服を纏っており、履かれた靴は青雷色の金属繊維が使われたスニーカーで、強度はかなり高いものとなっていた。
拳から前腕部にかけては、メイン武器である白銀色のガントレットがはめられており、その武器は僕が長年使ってきた相棒でもあった。
僕はそのガントレットとの思い出が感慨深く、ひと撫でした。
「今までありがとう。君のおかげで生き残ってこれたよ。」
僕はそう言って微笑むと、アバターの頭部に手をやり、エリヤとのリンクを開始した。
身体はたちまち光の粒子へと変換されていき、僕はそれに身をまかせるように目を閉じた。
再び目を開いた時、僕は要石ではなく、エリヤへと変わっていた。準備完了を証明するように眩い光のゲートが現れ、僕を第二の宇宙へと誘う。
「さて、行こうか。」
僕は呟くようにそう言うと、光のゲートに足を踏み込んでいった——。