#6 DEMIURGOS(or False Creater)
#6 DEMIURGOS(or False Creater)
作業台の上に、半ば分解された自動人形の部品が整然と並んでいる。
かなりの量だがこれでもほんのごく一部だ。この、人間の嬰児ほどの大きさの人形のどこに、これだけの機械が詰まっているのかと思える。それらは一つ一つではなんの役にも立たないクセに、一個でも欠けると、目的のものは組み上がらない。
その膨大なミクロコスモスを前に、僕はさっきから椅子に馬乗りになったまま動けないでいた。
この人形は、朝方、(珍しいことに)ウィスプが持ってきたものだ。とある縁から手に入れたのだが、動かないので修理をして欲しいと。どうせろくな経緯で手に入れたものではないことは察しがついた。
一目みて僕は奇妙な感じに襲われた。分解するにつれてそれがいっそう強まった。
一言でいうなら、この人形は、梟都一の人形匠であり僕の師匠でもあったマイスター・タゾーラの作品によく似ている。プロポーション、スタイル、細部の技術……どれをとっても僕には懐かしい。
しかし、なにかが違うのだ。それに、この人形にはサインがない。タゾーラはいつも、ボディの外側、尻の部分に〝タゾーラ〟のサインを入れていたのだが。それに、タゾーラのものだとしても、これは相当古そうだ。二〇年かそれ以上前に作られたのだろう。
だけどもこの人形に注ぎ込まれた技術は、他人がそう易々とマネできるとは思えないのだ。
「ねぇプアゾちゃん、〝エロア〟って知ってるかしら」
恰幅のいい老婦人が尋ねた。
注文の品を届けに、瑠璃区の高級住宅街へ赴いたのだが、御用の後、豪奢なティールームでティータイムにつきあわされていた。
注文主は帝国のさる貴族で、といってもかなり年配の御婦人だ。大仰な帝国様式の服を着て、まるでクッションのような印象を与える。
「エロア? さあ」
「最近、売り出し中の人形匠なのよ。都の外で修行してきたとか」
「そうですか」
オートマトンの作り手は数が少ない。ごくごく限定された工芸品《arte》なのだ。作家同士のつながりもない。それは、職人風情が購入できるような代物ではないから、ほとんど、自分の工房以外の作品は目にすることもない。
「まだ若いけど、とてもいい腕だそうだわ。プアゾちゃんのライバルになりそうね」
「僕なんて、まだまだ」
「今度の〝サロン〟には彼も呼ぶことにしてるの。今度こそプアゾちゃんも来なくてはダメ。いいわね」
「はあ……」
僕は気のない返事をした。
それでも彼女の主催する寄り合いに出る気になったのは、ちょっとした好奇心に駆られたからだ。
〝サロン〟というのは、彼女が贔屓にしている様々な芸術家を集めた親睦会という名のカクテルパーティだ。彼女は〝芸術の守護者〟を標榜しているし、その会に呼ばれることをステータスシンボルだと思っている者もいるらしい。僕はあまり興味がなかったが、タゾーラはよく出かけていた。僕やルアナを留守番にして。
燦々と輝くシャンデリアの下、人々が行き交う。盛会だった。
――だけれど、僕はパーティの雰囲気には馴染めなかった。あてもなく時間を潰すことも、〝美の神の使徒〟を気取ったヤツからお節介な議論を吹っ掛けられることも、遠巻きにされて噂されることも、僕の趣味ではない。どうせなら――
「マイスター・プアゾだね? 人形匠の」
急に声をかけられて顔を向けると、若い男が唇の端に薄い笑みを貼り付けてこちらを見ていた。目だけは笑っていない。
「オレはエロア。あんたと同業者だ」
ああ……彼が、そうなのか。予想以上に若い男だ。僕と同じくらいの。
彼は両手に一つづつ持っていたグラスの片方を僕に差しだした。薄紅色のカクテルが注がれている。
「まあまずいっぱいどうだい?」
僕は軽く会釈をして受け取った。
「ありがとう。名前は聞いてるよ」
「それは光栄だ。梟都屈指のマイスターまで聞き及びとは。よろしく」
今度は空の右手を差し出してきた。
一瞬ためらったがその手を取って握手した。指は神経質に細いが関節は太い。あちこち小さな傷がついて、まるで長年現役でいる機械の部品のような手だ。なるほど、職人の手らしい。
エロアはエロアで、意外そうな顔をして僕の手を離した。
「驚いたな。こんな手であんな作品を造れるのか――一度会ってみたいと思っていたんだ。〝マイスター・プアゾ〟の名は有名だからね」
「僕なんてまだまだ駆け出しさ」
「かのマイスター・タゾーラが生涯唯一取った弟子だ。それだけでも相当なものだ」
「タゾーラは死んだ――つまらないやつらに殺されてね」
「ああ、聞いている。もう一度会いたかった。生きているうちに」
「前にも会ったことが?」
するとエロアは短く鼻で笑って、「ま、ね。なんたってあいつはオレの父親だからな」
エロアは僕の顔色をじっと見ていた。
「オレは母親似だからな。あんたは今もあの工房にいるんだろ。オレもあそこで育ったも同然だ。……といってももう大分前に家出しちまったんだが」
「なぜ?」それだけいうのがやっとだった。
「あんただってわかるだろ、少しでも付き合ったんだ。オヤジは……タゾーラは、人の親になれるような男じゃない。ハッキリいって、オレは大嫌いだった」
「じゃあ、なんであんたも人形を造ってるんだ?」
「他になにができるってんだ? 物心つく前から人形造りを手伝わされてきたんだぞ。学校へ通わせてくれたのも上質の知能ユニットを組み上げるための教養を身につけるため。贅沢も上流階級の嗜好を知るため――ま、結局、やつの教育方針は間違っちゃなかったわけだがな」
一瞬、彼の皮膚に包み隠されたものを垣間見た気がした――しかしすぐに隙間は閉ざされた。
「……やつは人形と同じように自分のガキも組立てようとしたのさ。それに失敗して、どこからか出来合い品を拾ってきたんだ」
「……僕のことか?」
「あんたのことは少し調べさせてもらったよ。当然だろ? ……だけどなにもわからねぇ。全てが謎だ。数年前、タゾーラの工房に居つくまで、どこでなにやってたのか――どこで基礎を学んだのか――この梟都の出身なのか、それとも都外からきたのかさえもな」
「僕も憶えちゃいない」
エロアは鼻先で笑ったが、本当だ。僕には以前の記憶がない。高度な自動人形匠の職業病なのだと聞いた。人形の知能ユニットはあまりに精巧なので、それと付き合っているうちに自分の脳にも影響を受けるという。希ではあるらしいが。僕は、自分の過去を代償に、人形を造る術を手にした。
「そんな得体の知れないやつが、オレの父親に取入って、まんまと後継者におさまってるなんてな。本来の正当な後継ぎはオレなんだぜ」
一瞬、彼がなにをいおうとしているのか、判断に迷った。
「だけど、オレは、別に、あんたをあそこから追い出すつもりはないね。この梟都に長く留まる気も。いずれまた、クロノポリスに戻るつもりさ」
「クロノポリス? そこにいたのか」
帝国周辺域で、この梟都と並ぶ大都市だ。ただし、梟都が学問と商業中心なのに対し、クロノポリスは工業・機械技術の都だが。
「オレはクロノポリスで修行してたのさ。梟都のオートマトン技術のルーツはクロノポリスにある。もっとも、大分昔のことだがな。梟都のオートマトンは独自の進化をしてきた。クロノポリスのオートマトンは、ここのものより遥かに高度だ。マイスター・タゾーラのタゾーラ・ドールなんてメじゃない」
エロアが薄笑いを浮かべた。
「ルアナとかいったろう、あのコマッしゃくれたガキはどうした? まだ元気に動いてるか? 〝マイスター・タゾーラの最高傑作〟っていわれてるらしいがな。あの程度で。マイスター・タゾーラが当代一といっても、所詮は梟都の中での話さ。無邪気な金持ち連中相手に、愛敬振りまいてるには最適かもしれんけどね。クロノポリスのホンモノのオートマトンを見たことあるか? あれはもう――!!」
僕はグラスに残っていた酒を、彼の顔にぶちまけていた。周囲の人間たちの視線が集中する。
そのまま無言で踵を返した。
「……ほんとの話さ。タゾーラ・ドールなんて、ただのオモチャに過ぎないのさ」
エロアの声が背に当たった。だけど僕には聞こえない。
工房に戻ったのは、まだ真夜中も過ぎていない頃だったが、まるで一晩中、散歩してたみたいに疲れを感じていた。
「お帰り~どうだったぁ? ……訊くまでもないか。こんな早く帰ってくるんじゃ」
ルアナが棚の上から飛び降りて、迎えに出た。
「ダメだよ、プアゾ、もっと人付き合いよくしなきゃあ」
「うるさい。人形に説教されたくない」
ルアナがクスクス笑った。
「ボクは万能に造られてるからね。お説教だってできますよぉだ」
「どれも満足にできないくせに。人一倍なのは刃物振り回すだけか」
「そっくりそのままプアゾに返すよ」
「……訂正する。悪態つくのも一人前だな」
それから僕は重っ苦しいパーティ用のスーツから部屋着に着替え、ソファに身を沈めた。
この一人掛けはタゾーラが生きてたときは専用の特等席だった。大分古びて、ほころびを修復した跡だらけだ。塗も剥げかけている。それでも買い替える気になれなかった。ようやく僕が座ることができるようになったのだから。
「なんだよ、プアゾ?」
ルアナが僕の視線に気付いて訊いた。
「……ルアナ、君はただのオモチャなのか?」
「オモチャだって? 超高性能汎用人型機械といってよね」
「タゾーラは、君をなんらかの目的のために作ったわけじゃない。ま、ガーディアンとしての機能を強化はしてあるけど。他の人形はまだ、お客を楽しませるって用途がある」
「それがどうかした? 理由がなんであれ、ボクはここにいるんだからね。他の人形なんかと一緒にしないでよ。あんな、歌ったり踊ったりするしか能のないヤツラ! アレこそタダのオモチャだよ」
ルアナは怒ったようにいうと、急に心配そうな声色になって、僕の膝の上に飛び乗って、顔を覗き込んだ。
「……プアゾ、なんかあったの? シリアスじゃん」
「……タゾーラの息子に会った――本人がそういっただけだけど。君のこともよく知っているみたいだったな」ふと、エロアの台詞を思い出して笑みがこぼれた。
「タゾーラの息子だって?」ルアナはほんのわずか動きを止めた。記憶野の参照を最優先にするためだ。「――う~ん……憶えてないな~。そんな人、いたようないなかったような……」
「僕と同い年くらいだった。十代の頃に家出したらしい」
「タゾーラはねー。ヒトの親には向いてないからねー。プアゾだって……?」
「彼も全くおんなじこといったよ。なるほど、タゾーラをよく知ってるらしいな」
「で、そいつは今なにやってるの?」
「人形匠さ。笑っちまうことにね。最近売り出し中のエロアってやつ。なんのために家出したんだろうね」
「……ま、そういうこともあるんじゃない? 嫌いだから逃げるわけじゃないし、嫌いだからって逃げきれるとも限んないよ」
僕はルアナの知能ユニットのデキに、ひそかに舌をまいた。確かにこいつは高級なオモチャだ。
「お前な、仕事はどうしたんだよ。こんな真っ昼間っから街うろつきやがって」
会いにいくとウィスプが不機嫌そうにいった。不機嫌の原因は、もしかしたら、僕と入れ違いにそそくさと彼の事務所を出ていった女と関係あるのかも知れないけれど、よくわからない。
「スケジュールは余裕がある。ウィスプ、君に調べて欲しいんだ。君の依頼は割引する」
「オレから金とるつもりか。情報だってタダじゃねぇんだ」
「オートマトンのメンテナンスにいくらかかると思ってるんだ? 主要な部品の交換にでもなったらそれこそ君の店の一軒くらいは買い取れるんだぞ」
「ああわかったよ、んとにフザケたオモチャだよな! クソ高ぇくせに、なんの役にも立ちゃしねぇ」
ウィスプが苛立ったようにぼやいた。僕は既視感を覚えた。タイムリーな話だ。つい唇の端で笑う。
「故障の原因はわかったのかよ」
「知能ユニット中枢部の故障じゃないことはね。入出力《IO》、饋還、クロック、全て安定している。きっとシステムコントロールか、アクチュエータのメインコントロールに……」
「ちょちょちょ待った。さっぱりわかんねぇ、オレに専門用語並べられても」
「……つまり、頭は正気なんだけど、全身麻痺で動けないってことさ。人間でいうと脊髄か小脳に問題がある」
「ふうん、で、治るのかよ」
「さして難しくはないさ。あれはタゾーラの人形にそっくりだ」
「なに? マイスター・タゾーラの作品なのか? それならもっと高値が付けられるな」
「断定できないんだ。サインもないしね」
「ち。――で、お前の頼みってのは」
「ああ――」
僕はエロアのこと、彼が本当にタゾーラの息子なのか、今までどこでなにをしていたのか、彼に聞いたことなどを話した。
「そういや、あそこにゃガキがいたような気がするな……オレと同い年くらいで……ああ、そうか、あれはお前じゃなかったんだな。髪の色だって違うのによ」
「憶えているのか? どんなやつだった? 名前は?」
「詳しいことは知らねぇよ。お前の相棒はどうしたよ? あの人形は」
「ルアナもよく憶えてないそうだ。アテにならない」
「ハ、よくできた人形だな! 機械のくせに、忘れただぁ?」
「ルアナはなんども手を加えられている。記憶野だってそっくりそのまま保存されてるわけじゃない。それに、タゾーラが故意に消したかも知れない。もともと人形の記憶野は人間より容量が少ないんだ」ただし精度は高い。憶えてることは正確に憶えている。だが、容量が少ないので、なんらかの基準で不要な記憶野は漸次、解放される。つまり、忘れる。
「……そう、問題は、解放される記憶野の選択基準なんだよな。参照頻度の高い記憶野が、絶対に必要というわけでもないし――」かねてからの研究課題だ。
ウィスプが慌てて手を振った。
「わかったよ、わかった。すぐに調べてやるって。お前の頼みだしな」 彼の言葉は嘘ではなかった。
その日の夜には、僕は彼の事務所に呼び出された。
ウィスプは封筒に入った書類を一通よこした。表紙には 『波乱万丈、愛と友情の感動巨編、二十七枚一挙掲載! 』……などと書いてある。彼のセンスにはどうもついていけない。
「詳しいことはそこにあるけどよ」ウィスプは今僕の手によこしたばかりの封筒を指した。妙に落着きがない。部屋の中を行ったり来たりしている。
僕は青と緑とオレンジの水玉模様のソファ(どこで見付けてくるんだ! )に腰を下ろして彼の方をじっと見つめた。次の言葉を待つ。
「ま、まず、そいつのいったことは大方事実だ。マイスター・タゾーラには息子が一人いた。名前はハッキリしねぇが。そいつは一〇年ほど前に家出して行方不明になってる。死んだか、都外へでたか、だ。タゾーラはもともと瑠璃区の辺りに住んでたんだが、家族はほったらかしにしていたみたいだな。現に女房の死に目にも会えねえでいる。ガキの家出の原因もそんなとこだろうな。それからエロアの方だが、クロノポリスから来たってのはどうやらホントだ。タゾーラのガキかどうかはあっちの方まで調べてみんとわからんが。言葉からして梟都生まれってのは確かだがな。新進気鋭の若手ホープだ。梟都に戻ってきたのは半年ばかり前のことだが」
ウィスプは一気にまくしたてると、デスクの端に腰掛けて煙草に火を点けた。今度は僕が口を開く番だ。
「そうか……不思議だな。タゾーラは昔からずっと僕の知ってるタゾーラのような気がしてた。彼にも過去があったんだ」
当然の話だ。彼の数十年の人生のうち、僕が知ってるのは、最後の何年間かだけなのだから。だけどその数年間は、僕にとっては人生の全てなんだ。
「あとひとつ……エロアに気になることがある。なぜこの梟都に戻ってきたのか。わざわざ工作用具一式連れて、だ。噂じゃ、クロノポリスでヤバいことに関って、ほとぼりが醒めるまでこっちへ逃げてるってこった」
「ヤバいこと?」
「詳しくはまだわからんが――そういや、タゾーラも生まれたのはクロノポリスの方なんだってな」
「ああ、そう聞いたことがある。大分昔にこの梟都に移ってきたらしいけど」
梟都は、工業技術に関しては、抜群に優れているわけではないから、多くの職人がクロノポリスで修行している。珍しい話ではない。僕は行ったことはない……と思う。忘れているのでなければ。一度くらいは行ってみたいと思う。もっとも、真っ当な職人の稼ぎでは、そう簡単に行けるような距離ではないのだけど。
タゾーラの夢を見た。
石畳の道の真ん中に立っていた。目の前を、見憶えのある小柄な老人の後ろ姿が、とぼとぼと歩いている。しかしその足取りはたしかだ。
「タゾーラさん?」
僕はつい声をかけた。しかし老人は聞こえないのか、まるで無視して歩み去ろうとした。
僕は追いかけて肩に手をかけた。
老人が振り向いた。
その顔は、人形のそれだった。カバーが外されて内部機構が露出していた。眼球や唇を動かす動力系、センサー類……。
僕は唖然として手を離した。ふと気付くと、自分の手も、人形のそれになっているのだ。武骨な、醜い機械。皮膚の下には、こんな――
僕もタゾーラも自動人形だったのか――目が覚めてからも、ボンヤリとした幻が脳裏から消えようとしなかった。
なんて夢だ。
慌てて飛び起きた――が、夢の残滓がベッドから離れて僕についてきた。
作業に入ってからも奇妙な違和感が拭いきれなかった。見慣れた工房の風景からの疎外感――
あの男のせいだ、と気付いた。タゾーラの息子だという。話を疑う点はない。ウィスプの情報とも一致する。だけど、僕は認めたくないのだ。自分のまるで知らないタゾーラを、知っている人物が急に目の前に現れてしまったことを。そして……彼は僕に似ているのだ。
「まだ落ち込んでるの?」
ルアナが声を掛けてきた。
「そうみえるか? ――おや?」
例の人形のボディを閉じようとしたとき、内側のごく目立たない所に、文字が刻まれていることに気付いた。光に照らしてみる。『FD』とあった。
……『FD』?
なんの略だろう――だけどそれは間違いなくタゾーラの字だった。タゾーラはボディの内側に人形の種類を刻んでいた。踊り子なら『DD』、楽器奏者なら『PD』というように。普通ならもっと目につくところにだが。
「ルアナ、『FD』って知ってるかい?」
「知らない」
ルアナには『J』――〝JOKER〟と刻まれている。つまり万能のワイルドカードというわけだ。
しかし――『FD』だって?
「ルアナ、これを支えててくれ」
「うん」
ルアナが、自分とほぼ同じ大きさの人形を抱きかかえる。道化師が、貴族の令嬢と踊っているような光景だ。その間に人形の最終調整をして、服装を整えた。
「結構重いんだね」
「失礼ね、レディに向かって!」
「わ」突然、腕の中の人形が喋りだしたのでルアナが慌てた。
「どうだい? 動けるかい?」
「ええ……ちょっと、あなた、離れて下さらない? 不躾だわ」
声をかけると、人形はルアナを突き放して、僕に向かって一礼した。どうやら問題ないようだ。動きもかなりいい。ルアナには及ばないにしても、『人形らしい』不自然さがあまり感じられない。
「あなたは誰? ワタシはベティよ」
「僕はプアゾ」礼儀正しい人形だ。「君は、いつ、誰が造ったの?」
「レディに歳を訊くの? 憶えてないわ、そんなの」
「君にはなにができる?」
「なんでもできるわよ! 踊ったり、歌ったり、飛んだり跳ねたり」
「へぇ、ホントに? ボクと踊ってくんない?」
ルアナがからかうように口を挟んだ。
ベティはくるりと振り向いて、じろじろとルアナを見回した。
「ホントに失礼ね。あなたこそなにができるっていうのよ。ヘンなかっこして」
「なんだってできるよ。タゾーラはボクに出来る限りの技術を注ぎ込んでくれたのさ! なんかのため、じゃなくってね。君はなんのために造られたんだい?」
「ええとね……なにかあったはずなんだけど……忘れちゃった」ベティはさして考えこむでもなくいった。
「やっぱり知能ユニットに問題があるのかな……」僕はベティの顔を見つめながら逡巡した。
知能ユニットを徹底的に解析するとなると、一仕事だ。しかもタゾーラの作品だと決ったわけじゃない。知能ユニットは人形匠の個性が一番強く出る部分だ。まるで知らない人間の組んだ知能ユニットなんて……。
どうするか迷っていたとき、呼び鈴が鳴った。来客だ。
しかし、半分ほど抱いた期待は裏切られた。奥から出てきて扉を開けると、ウィスプがいた。
「……なんだ、あんたか」
「なんだとは御挨拶だな」
「例の人形、なんとか動くようにはなったよ。まだ細部の調整は済んでないけど」
「そうかい。こっちもだ。やっぱり、あのエロアってやつはタゾーラの実の息子に間違いなさそうだな。タゾーラの息子はルイってったんだが、クロノポリスのギルドに訊いたら、やつはルイ・エロアっつーんだそうだ。記録の数字もぴったり一致する」
ウィスプがそういいながら封筒を差し出した。『謎が謎を呼ぶ天才のミステリ、完結編』……だそうだ。
「そうか……」
なんか、もう、どうでもいいという気になってきた。過去がどうあれ、タゾーラはタゾーラだし、僕にはここしかないんだ。
「人形、見るかい?」
「ああ――そうだ、あとな、やつがクロノポリスから逃げてきた理由もわかったぞ」
「へえ――おい、ルアナ、ベティをつれてきてくれ」
「〝ファングドール〟だ」
「――え?」
「〝FangDoll〟、クロノポリスじゃ製造・販売が禁止されてる。れっきとした暗殺用の武器さ」
「あら、お客様ですの?」
ベティが姿を現わした。
「あなたのお名前は? ワタシ、ベティよ」
「へ~ぇこいつはカワイイな。オレはウィスプってんだ、よろしくな」
「ウィスプですって? あなたが? お会いしたかったわ!」
止める間もない。ベティが軽々とウィスプに向かって跳んだ。
時間がひどくのろくなったようだ。
ベティの服の袖が破れる。腕がはじけるように開いた。その縁が刃のように光るのを見た。
ウィスプのあっけにとられた顔。僕はベティを捕まえようとしたが間に合わない。繊細なレースが、指の間を滑って逃げた。
ウィスプが上着の胸の内側に手を突っ込んですぐに引き出した。黒っぽい金属塊を握っている。
軽い爆竹のような音が数発と、セラミックの砕ける音。
それが、僕には、ベティの悲鳴にも聞こえた――
ほんの一瞬、僕は気を失ったらしい。よろめくようにして床の上に落ちた人形に近付いた。ウィスプが腕で制止して、さらに二発、ベティの頭部に撃ち込んだ。人形の顔をつくっていたビスクが砕け散る。
僕は床に膝をついた。
もう、ベティは動かない。
ウィスプは足の先でベティの死骸を小突くと、小さく呟いた。「……アブねぇな」
「――大丈夫だよ、ウィスプ」
僕は力なくいった。
最初の数発は、確実にベティの胴の中の知能ユニットを撃ち抜いていた。その時点でベティは死んでいる。
「今度は、修理じゃすまねぇだろうな」ウィスプがいった。
僕はベティを拾い上げた。完全に動かない。腕の外骨格が大きく開いて、その縁が鋭利なエッジになっていた。大型のナイフのようだ。修理しているときはまるで気付かなかった……こんな機能があるなんて。
「……〝ファングドール〟、か……」
「せっかく高値がつくと思ったのによ」
ウィスプがつまらなそうにいった。
夜の街を歩く。彼が人気のない通りに差しかかるのを辛抱強く待った。
周囲が石の壁に挟まれた狭い路地になったとき、僕は足早に彼に追い付いた。
「あ……あんたか。今晩……わっ」
いきなり石壁に押し付けられてエロアが慌てた。
「なにを……」
喉元にナイフを突きつけると、彼は静かになった。
「あんただな。あの人形を……ベティを造ったのは。ウィスプを殺すように」
「なんの話だ」
「ファングドール、そういうんだろ。あんな下らないもの――どこの誰に依頼されたか知らないが」
エロアがニヤリと笑った。
「傑作だろ? あれこそ最高級のオートマトンじゃないか。踊ることも歌うこともお喋りもできる。おまけに人を殺すことだって」
「ベティは死んだよ、失敗したんだ。ウィスプに殺された。ベティは普通の人形でだっていられたはずなのに。あんたがファングドールなんかに仕立てたから……」
エロアが低い声で笑いだした。さもおかしそうに。
「おやおや、あんたは気付かなかったのかい? ベティを造ったのはタゾーラだよ」
「な……」まさか――?
「オレだってファングドールは造れるさ。それでクロノポリスにちと居づらくなったんだがな。だけどあそこまで精巧なのは、ね。分解してみりゃわかるだろ」
「……違う! あれはあんたが造ったんだ、タゾーラの人形に見せかけて」
「ウィスプとかいうやつを狙わせたのは確かにオレだけどな。とある筋からの依頼でね。だけど、人形自体は随分昔にタゾーラが造ったんだ。タゾーラはあれのせいでクロノポリスにいられなくなって、この梟都に来たんだ――オレと同じにね」
「違う! ベティを造ったのはあんただ!」
「イヤだね。信じないなら、ベティの知能ユニットを隅から隅まで調べてみろよ。どっかにタゾーラの名が書いてあるさ」
ベティの知能ユニット《あたま》はウィスプに破壊された。再現はできない。
「ベティはタゾーラが造ったんだ。タゾーラだって昔は――! !」
僕はナイフをふるった。エロアが呻く。左手で右腕をかばった。指の間から血が、滴り落ちた。
斬り付けたのは一度だけだ。しかし充分だった。確かに手応えを感じた。
「腕が……指が動かない……クソっ」
エロアが激しい目付きでこっちを睨んだ。
「貴様……きさま……きさま……」
まるで呪詛のように繰り返す。あの目障りな笑みは消えていた。
僕は彼に背を向けた。もう、用はない。
「やつが今どうしたか、知りたくないのかよ?」
ウィスプが戸惑ったような顔つきで訊いた。
「別に……僕には関係ない」
「将来有望視されてたんだがなあ。ケガの原因については本人も口をつぐんじまったが。ありゃもう二度と人形は造れんだろうな」
「つまらない事件さ。贋作師が一人いたというだけの」
そう、たったそれだけのことだ。
fin.