#1 Fang Doll
これも、20年以上前に同人誌に書いたものですね。
初めてキャラクター主体の、いわゆるライトノベルに近い作品を書きました。
正直、ジャンル分に困るんですが。大きくいうとSFなんでしょうけど。
いろいろと粗も多いんですが、多少は進歩してるといいなあ。
文章は当時のままです。(いまさら直す気ない)
固有名詞も当時のまま。
#1 をまず最初に読んで欲しいので、一作にまとめてありますが、各部分はそれぞれ独立した作品です。
■ FangDoll
床の上にできた血溜まり。薄汚れた作務衣を朱に染めて静かに横たわった老人。
その身体は活動を停止している。周囲に並んだ彼の人形達と同様に。彼らは眼窩にはまったガラス玉でその光景を見つめている。どれも不完全な体躯のまま。その瞳は澄み過ぎて、そこに魂の宿る余地はない。
僕は独りでタゾーラを弔った。
タゾーラは人形造りのマイスターだった。工房ったってこの自宅を兼ねた小さな家だけだ。弟子はプアゾという青年、つまりこの僕、独りだけ。タゾーラに拾われて以来ずっと助手をやっていた。
だが、僕は間違いなくタゾーラは当代、どころか前代未聞といってもいいほど最高の人形匠だと確信している。
人形といってもタゾーラが造るのは、〝自動人形〟というやつだ。それも単に文字を書くとかピアノを弾くとかというだけではない。自前の知能ユニットを持ち、自律行動もする。想造科学と理力工学の双方の技術の結晶した、至高の工芸品だ。
タゾーラの作品は、この梟都の上流階級の一部ではとても有名だった。それは、都の普通の労働者が五年間飲まず食わずに働いてようやく最下級のグレードの人形が買えるということでもあるのだが。それでも熱心なコレクターはいるし、僕でさえ信じ難いようなプレミアがついて取り引きされることもある。
僕も、タゾーラにはまだ遠く及ばないまでも、そこそこの評価を得られるようになってきた。一日でも早くタゾーラに追い付きたかった。タゾーラはそんな僕の熱心さと、上達のスピードを優しく見守っていてくれた。
そんな時、突然、タゾーラは死んでしまった。
いや、死んだのではない。殺されたんだ。
あの朝、僕が趣味の夜歩きから帰ってくると、既に事件は起きた後だった。
タゾーラはまだ息があった。なにかいいたげに唇を動かしたけれど、僕には何も聞こえなかった。そしてじきに生命は消えた。
何があったかは一目瞭然だ。それが最初から目的に入っていたのかも知れないけれど、とにかく賊は、工房で遭遇したタゾーラを殺し、お目当ての人形達を持ち去った。その中には、タゾーラの最高傑作、というより子供のように大切にしていた〈ルアナ〉という人形も含まれていた。それは、タゾーラが殺された事に匹敵するくらいショックだった。ルアナは、僕の親友といってもよかったので。
タゾーラは、僕が夜の散歩にいくことに、いつもいい顔をしなかった。それでも渋々認めてくれた。僕を心配してくれていたのだ。だが、そのタゾーラ自身があんなことになるなんて。僕はひどく悔やんだ。もしかすると、賊は、僕が散歩に出るのを見届けて押し入ったのかも知れない。わかっていたら絶対に出なかったのに!だけど、ああ、過去を変えることはできやしない。
ケーサツ?
そんなモノは無駄だ。
この辺は梟都の翆玉区の中でも治安の最悪なことで有名で、警察もまず手を出そうとはしない。強盗・殺人は日常茶飯事で、〈Dawnmare〉なんて殺人鬼までうろついてる始末だ。事件が起きる度にCPは形式的な捜査をして、すぐに迷宮に放り込んでしまう。さもなければこの地域の事件ファイルを納めるためだけに図書館を建てる必要があるだろう。
ある朝、工房に客が一人やってきた。珍しくはない。物珍しげに近所の人が覗きにくることがある。ただの冷やかしだが。タゾーラの大方のお得意さんはこんな地域には絶対に足を向けようとはしない。ごくたまに、裏の上流社会のお客が訪れることはあるが。
なんにせよ、当分工房は休むつもりでいた。完成した人形はみんな盗られてしまったし、未完成品でも、僕でも仕上げられない事はないけれど、まだショックから立ち直れないでいて、仕事をする気にはなれなかった。
だが、その客というのは、16・7の少女で、かなり痛んだ人形を携えていた。にも関らず、僕はその人形がタゾーラの作だと一目でわかった。顔つきからして随分古い作だろう。僕がタゾーラと会う以前の。
少女の話によると、これは祖母の形見だという。つい先日、住んでいたアパートが火事で焼けて、その時に祖母は亡くなったのだそうだ。この人形だけを遺して。その祖母というのは、昔はかなりの資産家の未亡人だったが、今はすっかりおちぶれてこんな所にひっそくしていたのだ。
その火事騒ぎは僕も憶えている。ここからそう遠くはない。タゾーラの殺された直後だ。この町では放火なんて珍しくなくて、その火事もやはり放火が原因だったらしい。その放火の原因はわからないけれども。
この近所にタゾーラの作品のオーナーが住んでいたとは意外だった。少女があまりに不安そうに僕を見るし、第一、タゾーラの作品のこんな有り様を見たらほっておくわけにはいかない。僕は正式にタゾーラの後を継ぐ決心をした。
「あなたが"マイスター・タゾーラ"なの?」ララと名乗った少女が、意外そうな顔でいった。「もっとお爺さんかと思った。こんなハンサムな人だなんて」
「マイスター・タゾーラは亡くなりました」僕は努めて冷静にいった。
「え?いつ?どうして?」
「この前、殺されたんです」
「なんで……」少女は言葉を失った。
それから僕は作業に入った。
見ててもいい? と少女が訊ねたので、静かにしていてくれるなら、と答えた。工房には危険な工具もいっぱい転がっているから、あんまりあちこち触って欲しくない。
ハッキリいって、人形の状態は最悪だ。これはただ音楽に合わせて踊るだけの〈ダンシング・ドール〉というタイプだ。あまり高級なものではない。もちろん、タゾーラの他の作品に比べたら、の話だが。セラミックのボディは焦げ目がついたくらいだが、内部の機構は全て失われていた。これでは修理というより造り直しだ。
「それね、〈ロロ〉っていうの」
不意に少女が声をかけてきて、僕は工具を取り落としそうになった。あまりに集中していて僕は彼女の存在を忘れかけていた。彼女は適当な箱のうえに腰掛けて、作業代の上と工房内を交互に見つめていた。
「……悪いけど、やっぱり帰ってくれないか?」
僕は慇懃無礼に聞こえないように気をつけながら、気さくな口調で彼女に宣告した。
「え、でも、あたしの人形は?」
「今すぐこの場でってわけにはいかないよ。時間がかかるんだ」
「そうなの? じゃ、預けるね。でも、ときどき見に来ていい?」
僕は少し考えた。「邪魔をしないでくれるならね。じゃないとなおるのがもっと遅くなるよ」
そんなのヤだ、といって少女は帰っていった。町はもう午後も半ばをすぎていた。陽が落ちれば老若男女を問わず独り歩きするには危険すぎる。もっとも、昼間にしても、どれ程マシかというくらいだけど。なんせこの地域は、強盗すら独りではうろつかないほどだから。
「ボスが会いたいとよ」
まるで前歯を鳴らしてるような笑いを付け足して、グルカがいった。ネズミを髣髴とさせるチンピラだ。身のこなしは人形のようにすばしっこいが、まるで品がない。
そいつは気に喰わなかったが、僕は否応無しにコートを羽織ってボスの元へ出向いた。
ボスというのはタゾーラの贔屓筋の一人で、ちょっとした組織の首領だ。やはりこの街区に、デカイ屋敷を構えて住んでいる。
もう老齢に近い歳のはずだが、いつも快活で精力絶倫という感じの男だ。
「タゾーラがあんな目に遭ったのは実に遺憾だ。ワシも出来る限りお前に協力しよう。なんでも望みをいうがいい」
「ありがとうございます」僕は慎重に返事を選んだ。彼の親切が決してタダではないことを充分に知っていたので。
「工房はどうするのかね?」
「僕が継ぐことにしました。タゾーラさんにはまだ及びませんが」
「タゾーラほどの人形匠は、後世現れんだろう。お前とて彼の域に達するにはどれ程かかるか。いっそ畳んでワシの下で働かんかね」
「いいえ、少なくともタゾーラさんの人形がこの世にある限りは。それにいずれ、僕はタゾーラさんを超えてみせますとも」僕ははっきりといった。
するとボスは僕の顎に触って、
「惜しいな。お前ほどの腕前と器量なら、いくらでも仕事を任せられるんだが。幹部にだってしてやるぞ。ワシのバカ息子に比べたら……」
「僕は生涯一人形匠で満足していますとも」
僕が部屋を出て行こうとすると、ボスは溜め息を一つ吐いて、それから呼び止めた。
「待ちなさい。やはりあいつの弟子だな。強情っぱりで気が早い。まだ用は終わっちゃおらん。そろそろ、タゾーラの人形が〈マーケット〉に出始めたんでな」
ボスがその言葉を使う時は、もちろん、闇市場の方だ。
「もともとマーケットではタゾーラ・ドールの人気は高い。今までにも時たま出ていたが、どうも今回は出所が怪しくてな。ワシにも詳しくはわからん」
「その中に〈ルアナ〉はありますか?」
「幻のタゾーラ・ドールかね。出てきたらそれこそ大騒ぎだ。タゾーラが絶対に手放そうとしなかったことは、コレクターなら誰でも知っている」
それは僕がいちばんよく知っている。ところが、
「だが、噂では、ルアナをも凌ぐ、〝真の〟最高のタゾーラ・ドールが存在するとのことだが、それは本当かね?」
「いいえ?」
ルアナ以上のだって? そんなのは知らない。タゾーラはなにも言わなかったし、僕も見たことがない。
「どこでそんな」
「いやなに、コレクター仲間の噂に過ぎんが。ルアナは傑作とはいえもうかなり前の作品だ。それ以降、あれ以上の人形が造られていないとは思えんのでね」
これだからコレクターというやつは。
「タゾーラさんは、なにか新しい技術を見つける度にルアナに改良を加えてきました。ルアナは常に最新作なんです。元々売るために作った物ではありませんし」
タゾーラは我が子のように可愛がっていた。僕にとっては親友だ。
「ふむぅ……お前がいうのなら確かかも知れんが……しかし世のコレクターは納得しないだろうな」
「信じるも信じないも、無い物は無いんです」
工房の作業代の上、大分きれいになった人形が載っている。まだ四肢はバラバラだし、服も着ていないが。
乳白色のセラミックの塊。不完全な人体の部品の模型。指先で胴体の腹の曲面をなぞってみる。石と同じで固く冷たい。だが、これはやがて生命を内包する。機械仕掛けの仮初めの生命とはいえ。
タゾーラの作品の中ではけして高級な物ではない。僕にも造れないことはない。関節数は少ないし、支持体も単にセラミックの外骨格だ。それでもタゾーラの造ったものなのだ。小さな部品の細部にさえ、タゾーラの手が、それを通じた想いがこもっている。一時、僕の目の前にタゾーラが蘇った。
僕は人形の胴を取り上げ、背と腹に割った。外に比べると内部は無粋だ。
ダンシング・ドールは、他の人形よりも激しい動きを要するので、ほとんどの内部ユニットを胴体の中央によせて納めるようになっている。四肢も頭部もアクチュエーターやセンサーユニットぐらいしか入っていない。
僕は作業台のそばの部品棚から、ダンシング・ドール用の知能中枢ユニットを一つ選んだ。これはタゾーラがのこしてくれた物だ。他の部品はともかく、知能ユニットに関しては僕はまだまだタゾーラの足元にも及ばない。オートマトンの工房は数あれど、これほどの知能ユニットを組み上げられるマイスターはまずいない。
強盗どもは単なる部品としてしかみなさずに、この棚には手をつけなかったのだろう。だが、実は、タゾーラの人形の真価は知能ユニットにあるといってもいい。この小さな部品が、与えられた命令を解釈し、身体の各所のセンサーユニットからの感覚情報をフィードバックし、アクチュエーターを制御する。
こんな簡単なオートマトンでさえ、かなり複雑な構造をしている。それから、人間の身体のことを思いやると気が遠くなりそうだ。いったいどれ程の部品がどんな構造でつながって動いているのだろう。
――ん?
おや? 知能ユニットが入らない。
この年代のダンシング・ドールなんだから、このユニットでいいはずだが。微妙に、知能ユニットとそれを納めるべき空隙の形が合わないのだ。
……知能ユニットが、違う?
酒場のドアを開けると、ムワっとした臭気が押し寄せてきた。いつきてもいい感じはしない。アルコール、紫煙、ドラッグ、獣じみた体臭に脂粉に嬌声。そんな物の入り交じった空気だ。
「これはこれは珍客だ。マイスター・プアゾのおなりだぞぉ」
カウンターにいた筋肉質の大男が下卑た笑いを浮かべていった。いくつかの顔がこっちを見、品のないジョークや口笛が飛んだ。
僕はすっかり無視してカウンターに向かい、バーテンに訊いた。
「〝ウィスパー〟ウィスプはいるかい?」
いつもしかめっ面のバーテンは、ギロっと僕を睨んだ。
「ウィスプさんはお忙しい」
「僕も急いでるんだ」
「よぉプアゾ、久しぶりだってのに俺達に何の挨拶もナシかぁ」
「悪いが、あんた達の相手をしてる暇はない」
「ケッ、ボスのお気に入りだからって調子こきやって。第一ここはおめぇみてぇなカタギのモンのくるとこじゃねぇぜ」
肩をムンズとつかまれた。……痛、なんてバカ力だ。
「放してくれ。ほんとに暇はないんだ」あったとしてもコイツラの相手なんてゴメンだが。
「ウィスプさんに会いてえってんなら、まずは俺にナシつけな。条件しだいですぐにでも会わしてやるよ」
「……そうだね」
大男の手を取るのと隣の男が腰に差してたナイフを引っ掴むのとは同時だった。
次の瞬間には大男の手がカウンターの上に打ち付けられている。
大男が聞くに耐えない悲鳴をあげた。反対側の手で必死になってナイフを抜こうとする。
「無理だ。あんた達の力じゃ」
「や……野郎っっ……」
周囲にいた男達が総立ちになる。
その時、店の奥から声がした。
「やれやれ、アポはもっと穏やかに頼むよ」
奥の部屋は、店内とはまるで打って変わった雰囲気だ。金のかかり方も。本当に同じ建物内の、廊下と扉二枚と隔てているだけかと疑いたくなるほどに。
その、上等のソファにふんぞり返っているのはウィスプだ。ボスにここの店を任されている。といってもまだ若い。僕と大差ない。それにしても彼の服装センスは最悪だ。友人として忠告するべきかどうか、いつも迷う。
「あいつをそう苛めんでくれ。せっかく用心棒として雇ったんだ」
「あいつが? ずいぶん人手不足なんだな」
「それは嫌味か? やつだって拳闘の元チャンプなんだからな。君相手じゃ勝手が違うだろうが。相変わらずだな」
「見てたのか?」
「バーテンが合図してくれたんでね」
「なら――」
「おまえの腕が見たかった。おまえこそウチの用心棒にならんか? 人形造ってるよかよほど割に合うぜ」
「遠慮するよ」
「やれやれ、オレもフられちまったか。ボスが残念がってるぜ。殊のほか君をお気に入りのようだから」
「僕ほどのやつなら他にもいるだろう」
「だが、君みたいに才色兼備ってやつぁそうはいない。しかもどっちもかなりの線だ」
「僕が?」
「ハッキリいって、君は男好きがするよ。女にだってもてるだろうが。一見軟弱そうで、そのくせ骨がある。陵辱して隷従させたくなるのさ」
誉め言葉だとしても嬉しくない。「僕はどっちも興味ないね」いや、少し違う。あるといえばある。
「それで、用ってのは? 人形か、それとも犯人か?」
「ある女について教えて欲しい。タダとはいわんさ」
「ウヒョ。雪でも降るのか? おまえが特定の女性に関心持つなんて。彼女には災難だな」
僕は薄く笑った。
帰り際に店の中を通ると、未だに例の用心棒がカウンターから動けないでいる。仲間が上腕を縛って止血したり、ナイフを抜こうとしているが、既に顔が蒼い。カウンターの上とは正反対だ。
「おぉいプアゾぉ……助けてやってくれよぉ」
グルカが今にも泣きそうな顔でいった。トレードマークの笑顔はない。
「いいとも」
僕はにこやかに歩み寄ると、ナイフの柄に手を掛けた。
そのままエッジの方へ押し下げる。
用心棒は声を出す気力もなかった。ただ二つに裂けた手を抱えてうずくまるだけだった。
工房の玄関の前の階段に、例のララという少女が腰掛けて僕を待っていた。
「おそーい。どこいってたんだよー」
「ちょっとね」
「早くあたしの人形、なおしてよ」
少女は責めるような口調でいった。
「わかってる――そんなに待ち遠しいかい?」
「あたりまえじゃない。あれが踊るのをまた見たいの」
「素敵だった?」
「すンごく! おばあちゃんは暇があると見せてくれたんだ」
それから少女は建物の方を振返って、
「……この家って、地下があるんだね。それ、明かり採りでしょ。地下室ってなにがあるの?」
「大した物じゃない。作業所の一部と物置と――」
「ね、見せてよ。面白そう」
「だめだ」
「秘密なの?」
「そう。だから誰にも見せない。特に君みたいなオシャベリなお嬢さんにはね」
「ちぇ」
「君が地下室にこだわるんだったら、二度と工房に入れないからな」
「わかったわよぉ」
少女はふくれっ面をして立ち上がった。
「今日はもう帰る。遅くなっちゃったし。ここんとこ物騒じゃん?ま、いつもそうだけど。でも最近また〈Dawnmare〉が出没してるって話だしさ」
「〈Dawnmare〉?」
「知らないの? キョーフの殺人鬼」
「まさか」
殺人事件なんて本当に珍しくもない界隈だけど、〈Dawnmare〉――「暁の悪夢」というあだ名の付けられた奴は別格だ。
「あたし、なにがあっても絶対にあんな殺されかたしたくないもん。じゃあね」
少女は一人で言いたいだけ言ってしまうとさっさと帰っていった。
僕は深く溜め息を吐く。
扉を細めに開くと、グルカの貧相な顔があった。いつになく神妙だ。
「なんだ?」
「ウィスプさんからこれを」
グルカは厳重に閉じられた封筒をよこした。「プアゾ君の愛しの尋ね人について」などと書いてある。
「あんたも隅に置けないねぇ。どういうゴ関係だって?」
「あんたにゃ関係ない」
「――って訊いてこいとね。ウィスプさんが」
「カタが着いたら教えてやるって伝えとけ。用はそれだけか?」
「あと……ちょっと出てこいよ」
扉を開けて既に暗い街路にでる。
と、いきなり扉の陰にいた男が鉄パイプを手に襲いかかってきた。頭は外したが肩をしたたかに殴られて転倒する――寸前に跳ね起きて腕を振るった。
そいつの脚の腱を斬って転がすと、グルカに飛び掛かってナイフを喉元に突きつけた。
「なんのマネだ」
「お……お前のせいでアニキは……」
あの用心棒か。
「今度から相手を選ぶんだな。ウィスプは知ってるのか?」
「あ・ああ……アニキのカタキとりてェってったら……ウソじゃない、ホントです、や、やめ……ヒッ」
僕は彼の頬に軽く線を描くだけで許してやることにした。
グルカは自分の頬を押さえながら、倒れた男を助け起こして、二人してほうほうの体で逃げていった。
――ああウィスプ、なに考えてやがる!
錠の外されるかすかな音に気付いた。続いて扉が開き、ガタガタと家捜しの音がする。極力抑えようとしているが。四人……プロか。
僕はそっと暗がりから抜け出した。彼らが持ってきた携帯用のランプがテーブルの上にのっている。それにむかってナイフを投げた。
突然の暗闇に賊が戸惑う。短い悲鳴と何かの倒れる音が続いた。
あっという間に最後の一人を捕まえる。
「やはり君だね」
僕は腕の中の人物の耳元で囁いた。
「ようこそ、レディ……ララだっけ?」
「く……苦しい……放して」
「おっとごめん。でもおとなしくするんだよ」
そう忠告したのに、僕が喉にまわした腕を少しゆるめると、彼女は逃れようと暴れた。その喉に冷たいエッジが触れるまで。
「熱っ……」
「いったろう? なるべく傷つけたくないんだ」
ララは静かになった。震える声で尋ねる。
「ど……どうしてあたしが……」
「君はあの〈ロロ〉が踊るのを見たっていったね。だけどあれの頭脳は特別製なんだ。ダンシング・ドールには違いないんだけど、あるメーカーのグランドピアノにしか反応しない。そこんじょそこらのアパートに置いてあるような物じゃない」
「あたしは命令されただけ……」
「タゾーラさんを殺したのは?」
「バーガーだよ! そこにいるでしょ! あんな夜中に工房にいるなんて……」
「ああ、あの夜は僕が散歩に出かけたんで、タゾーラは心配で眠れなかったんだ。いつもそうだった」
「とっさに……あれは事故……」
「でも、結果として、タゾーラを殺したね?」
「あたしじゃない! ただ人形を……」
「で、今度は幻の人形を探しに?」
「……そう。こないだは見当たらなくて、後でそんな物があるって聞いて、そしたらまた行けっていわれて……地下室なんて知らなかったし……」
「――いいよ、秘密なんだけど、君には特別に見せてあげる」
「なにを……」
「地下室だよ。見たがってただろう?」
僕は彼女を抱えたまま、暗闇の中、巧妙に隠された仕掛けを足で作動させた。音はしなくても、隠し扉が開くのがわかる。信頼できるカラクリだ。
「暗いから気をつけるんだよ」
細心の注意を払って階段を降りる。作業室に彼女を案内して手を離した。
「なに……なにも見えない……」
「今明かりを点ける」
僕はライトのスイッチを入れた。
数瞬の間があって、彼女は自分がなにに囲まれているのかを理解した途端、短い悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
「どう? 僕のコレクションさ。まだ集め始めたばかりなんだけどね」タゾーラが生きてたうちはさすがに持ち帰るわけにはいかなかった。「みんな、タゾーラや僕の作品を賞賛するけど、ホンモノに比べたら雲泥の差だよ。部品一つを取ってもこんなに美しいんだ。まさに至高の芸術品じゃないか。人形匠なんて、所詮はサルマネに過ぎないのかもね」
僕は彼女にゆっくり近付いて手を取った。
「君はただうるさくて鬱陶しかったけど、今はたまらなく好きだよ」
「あ……あたしを、どうするの」彼女は目をいっぱいに見開いて、だが身動きできない。ただ全身を震わすだけだ。
「もちろん」
僕は彼女を抱きしめたいくらいに嬉しかった。目の前の彼女が最愛の人に思えた。いや、この瞬間、僕は心底彼女を愛していたんだ。
あまりに急に書斎の扉が開いたので、ボスはひどく驚いていた。手にした人形を隠す間もなく。愛らしい道化師の姿をした、懐かしい人形を。
「プアゾ!?」一瞬間を置いて、「これをみたまえ! ルアナだ。ようやく手に入れたんだ!」声がうわずっている。
「こんな夜更けにすみません。ですが、ボス、僕はあなたに失望しました。あんなセコいことするなんて」
「なにをいってるんだ。さあ、お前に返そう」
「あなたが、あのララって女と仲間に命じて盗ませたものでしょう?」
「知らんよそんな女のことは!」
「なにをいうの」
僕の後ろから彼女が入ってきた。
「あなたの命令じゃない。タゾーラの人形を奪えって」
「知らんといったら知らん!」
「ボス、あたしを見捨てる気!?」
ボスがギクリとして彼女を見、それから僕の方を見た。
「その女は誰だ! ワシをボスなどと――」
「やっぱり御存知だ」
「あいつを……どうした……お前の工房に行ったろう」
「ええ、ですからここに。ただし外側だけです」
僕は手にしたナイフで彼女の喉元からまっすぐ垂直に切り裂いた。表面がめくれて内部の構造がむき出しになる。彼女の革をかぶった人形の。
「きさまあっ!」
ボスが信じ難い声で咆哮した刹那、武器を手にしているのを目にする。しまった。
ドスッ
鈍い音と打撲痛。ボウガンの矢をギリギリでかわしたが、コートの右の袖が壁に釘付けにされた。続けざまに左。
ボスは荒い息を吐いて、僕をものすごい目で睨みつける。
「……ナイフを使わせるわけにはいかん。お前の腕は知っている。よくもララを。すぐには殺さんぞ」
ボウガンがゆっくりと僕に向かって照準される。僕は相棒に向かって叫んだ。
「ルアナ!」
それを聞くや否や、ルアナが跳ね起きた。その背負っていた銀ピカのわざとらしいほど大袈裟なナイフが一閃する。刃は的確にボスの喉笛を切り裂いていた。
鮮血。ボスが白目を剥いてゆっくりと崩れ落ちた。
僕は安堵して、それからもがいた。だがボウガンはえらく強力で、下手に動くとお気に入りのコートに大穴を開けてしまいそうだ。
「――やれやれ、ひどい騒ぎだな。猛獣でも通ったみたいだ」
廊下から声がして、ウィスプがヒョイと顔を出した。
「なんだ、もう終わっちまったのか。残念だな。お前の――なにやってんだ?」
「いい所へ来た。助けてくれ」
「まるで虫の標本だな。ふむ、店の壁飾りによさそうだ」
「冗談はいいから早く」
「オレは本気だとも」
うげ。
「――はおいといて」
どうにかウィスプは僕を助けてくれた。どうも彼は本気と冗句の境目がない。
「もちろんタダとはいわんだろうな」
「グルカ達に僕を襲わせただろう」
「どうせ成功するとは思わんさ。もし万が一そうなったら、お前に快諾させるいいチャンスだ」
「お前な……」ドッと疲れが出た。コートの袖に穴が開いているのを見て、余計に哀しくなる。
「ところであれはなんだ」
ウィスプは、床の上に転がった少女の人形を指した。
「僕の新作さ。君が教えてくれた彼女だよ――ああルアナ!」
ルアナが僕の懐に飛び込んできた。僕は力いっぱいに抱きしめる。離れていたのは実際、ほんの十日ほどだけど、まるで百年ぶりに逢ったような気分だ。僕の親友、相棒、兄弟……
「ボスに見せに来たのか?」
「なにを……ああ。是非とも見て欲しくてね」ウィスプはやけにあの人形にこだわる。即席だからあまり評価して欲しくないんだけど。
「怒り狂ったろう」
「ああ」
「当たり前だ。ララはボスの娘だ」
ええ?
「それは知らな……」
僕は言葉を止めてマジマジとウィスプの顔を見つめた。
「……って、それじゃあ彼女は君の」
「はらちがいだがな」
僕はとっさに身構えた。
だがウィスプは身じろぎ一つしなかった。
「よせやい。お前と争う気はない。玄関からここまで歩いてくりゃいっぺんでそんな気失せるさ。オレはお前の腕に感服してるんだ。それに、おかげで早々とオレはボスになれるしな」
「僕を恨まないと? 妹まで殺したってのに?」
「それはさすがに賞賛するわけにはいかんな」
「どうする気だ」
「そうだな――」
不意に彼の手が視界の隅で素早く動いた。反射的にナイフを振るってしまう。
「つっ……」
ウィスプが鼻を押さえた。血が指の間から染みだす。
「すっ、すまない、つい」
僕は慌てて、ひどく後悔した。今まで誰を斬ったときでも感じたことなかったというのに!
「……いや……いい。いったろう、オレはお前の――〈Dawnmare〉のファンだって。行けよ。もう朝だぜ」
「だが……」
「もたもたしてると組織の連中がくる。これ以上、オレの部下予定者を減らされちゃかなわん」
「それじゃ……ホントに悪かった。ボスの持ってった人形は好きにしていい……このルアナは別だけど。後で埋め合わせする。絶対に!」
「ああ、楽しみにしてるぜ」
ウィスプの奇妙な笑みを少し気にしながら、僕は、ルアナを肩に乗せてボスの屋敷を後にする。
薔薇色の朝焼けが眩しくて、ふと手をかざした。
fin.
1996/10