喫茶店
「こんな時間に珍しいね。今日の塾はお休みなかな?」
男の問いにわたしはグッと言葉を詰まらせた。生まれて初めてのサボり・・・その後ろめたさがここまでのモノだとは正直思ってもいなかった。そして自分がこんなにも素直な反応を示してしまうのも以外である。
適当にはぐらかしてしまえばいい。
この男にわたしの言葉を確認するすべなどない・・・今日は塾は休みであったとそう言ってサラリと受け流せばいいのに・・・何故かわたしは目の前の初老の男に対して軽々しく嘘をつくことができなかったのだ。
男はしばらく何も言わないわたしの様子を不思議そうに見ていたが、やがて何かを納得したかのように頷くとニヤリと笑いかけてきた。
「ははぁーん・・・君もなかなかの悪だねリトル・レディ。ならばこの悪い男とそこいらで少しお茶でもどうかね?」
「邪魔するよマスター、二人席は空いているかね?」
男の案内でやってきたのは街の中心部から少し外れた場所にある古いカフェだった。シックな色合いの落ちついた店内、小さく流れてくる音楽はジャズのようだった。
店主は緑のエプロンを身につけた中年の男性で、フレディ・マーキュリーのように口元に蓄えた髭が特徴的だった。
「・・・なんだいタナカさん、一人じゃ無いとは珍しいな。孫でも連れてきたのかい?」
わたしをちらりと見ると店主は男に話しかけた。どうやら男の名字はタナカというらしいという事がわかった。
「はっは、そう見えるかい? まあそんなところだよ」
「・・・まったく、適当なじいさんだ。はいよ、二人席ね」
ため息をついて案内をする店主。
案内された席に座って周りをぐるりと見回すと、どうやら自分たちの他に客はいないようだった。
そんあわたしの視線に気がついたのか、男がいたずらっ子のようないつもの笑みを浮かべるとわたしに話しかけてくる。
「寂れているだろう? この店は何で営業が続けられているのかが不思議なくらい客がこないんだ・・・まあコーヒーと料理の味は保証するよ」
「余計なお世話だよ・・・ったく。ご注文は?」
苦笑いしながら注文を聞く店主に男はすました顔で手慣れたように注文を始めた。
「ホットコーヒーとサンドイッチのセットを一つパンはカリカリに焼いてくれ。リトル・レディは何を食べるかね?」
そう言われてわたしは慌てて席に備え付けのメニュー表を見た。どれもこれもわたしのお小遣いからしたら高級で、ギリギリソフトドリンクくらいしか手が出そうに無い。
そんな心の動きが顔に出ていたのか男が優しく微笑んだ。
「なに、好きなモノを頼むと良い。もちろんここは俺のおごりだ」
「・・・でも」
いいのだろうか? 最近少し親しくなったとはいえ、名前も知らぬ大人だ。ここで奢って貰うのも悪いような気もする。
「気にすること無いよお嬢ちゃん。タナカさんとどういう関係なのかは知らないけど、このじいさんは金だけはたくさん持ってんだから気楽に奢られるといい。悪い人間じゃないのはオレが保証する」
店主の言葉に男は笑った。
「ありがとうマスター。だが一つ間違っているよ」
「ほう? 何か間違っていたかな?」
男はニヤリと笑った。
「俺はとびきり悪い大人なのさ。そこのところを間違えないでくれたまえ」