学び
◇
「ごめーん赤城さん。わたし宿題忘れちゃってー、今度何か奢るからさ宿題写させてくれない?」
ごめんと言いながらも全く悪びれている様子はないクラスメートの女の子。
面倒くさい。毎回私に宿題を写させて欲しいと頼みに来るこの女子は、自分の頼みを私が断るなんてするはずがないという自分勝手な思い込みを絶対だと信じている。
そして私が断ると友達の頼みを無碍にするなんてひどいと騒ぎ立てるのだ。
断る事が面倒だった私は無言で宿題のノートを差し出した。
「ありがとう赤城さん、流石わたしの親友」
彼女と親友になった覚えはないし、今度何か奢るという約束は今まで何度かされたが未だに彼女に何か奢られた事は無い。(そもそも一緒に遊びに行ったことがない)
はりきって宿題を写す彼女を、私は冷めた目で見ていた。
「新島さんが言っていたことは本当ですか赤木さん?」
放課後担任の先生に呼び出された。
呼び出された職員室には先客がいて、私が宿題のノートを貸した女子がむくれた様子で担任にしかられていた。
「赤木さん、新島さんに宿題を写させたというのは本当ですか?」
「・・・はい」
「それが悪いことだとわかっていますね? 何故そんなことをしたのです」
担任の問いかけに、私は素直に答えた。隠すような事でも無い。
「新島さんが宿題を忘れたので写させてと私に頼みに来ましたのでノートを貸しました」
私がそう言うと、隣で聞いていた新島が「わたしそんな事言ってないもん」と大きな声で反論してきた。
「わたしそんな事言ってない。昨日宿題しようとしたら赤木さんが宿題なら私の写させてあげるから遊ぼうって、無理矢理誘ってきたんだもん」
なんという・・・一から十まで全部デタラメだった。
新島のあまりの厚顔さに私は唖然としてしまう。
「新島さんの言っていることは本当ですか赤木さん?」
「・・・いいえ。そもそも私、放課後は塾があるんで新島さんと遊ぶ時間はありません」
冷静にそう答えると、横にいた新島が頬を膨らませて怒った。
「赤木さんの馬鹿! 親友だと思ったのに、もう知らない!」
そう言い残して職員室から脱兎のごとく逃げ出す新島。
「新島さん待ちなさい! まだ話は終わってません!」
脱走した新島を追って担任の先生は職員室から出て行った。
一人取り残された私は、やることもないし塾の時間に遅れそうだったので先生がいないうちに帰ることにしたのだった。
なんとも気分が悪い事だ。
◇
「おや、また会ったねリトル・レディ」
昨日と同じように、塾帰りに公園に寄る。
もしかしたら昨日会った奇妙な男にまた会えることを期待したのかもしれないし、それとも昼間の事で疲れていて家に帰りたくなくなったのかも。
どちらにせよ彼はまた同じ時間にやってきた。
昨日はファンキーな革ジャンをつけていたのだが、今日はフォーマルなブラックスーツに身を包んでおり、その色と相まって夜の闇に溶け込んでしまいそうな非現実感があった。
「今日はスーツなのね」
「その通り。いかしているだろう? 悪い男にはファッションが最重要なんだ」
そう言ってニヤリと笑う男。
確かにそのフォーマルなブラックスーツは、彼の為にデザインされたかのように似合っていたのだが。
「リトル・レディはおしゃれをしないのかね?」
男の問いに、私は自信の服装を見下ろした。
明るめの黄色のTシャツに、赤色のシンプルなスカート。お母さんが買ってきた服を組み合わせなどまったく意識せず適当につけてきたファッションのフの字も見当たらないような服に、何故だか顔が赤くなるのを感じた。
「・・・服はお母さんが買ってくるから」
言い訳のようにそう言う私を、男はおもしろそうな様子で観察した。
「ふむ、お母さんが買ってくるからこの服装は自分のセンスでは無くて、自分で服を選んで買ったのならもっとセンスの良い服を着こなすと?」
「・・・そうじゃないわね」
もし自分がファッションに興味があったのなら、お母さんが買ってくる服に頼り切りになどならないだろう。
つまるところ興味が無いのだ。
ファッションというやつに。つまり自分を着飾るという行為に。
黙り込むわたしに、男はおどけたような声音で発言した。
「おっと意地悪な言い方をしてしまったようだね。気を悪くしないでおくれレディ。別に君のことを馬鹿に為た訳じゃ無いんだ。それに、ファッションに興味が無いというのも悪いことじゃない。興味が無くてそんなに可愛らしいのならファッションの勉強をしたらもっと可愛くなるということだろう? 知らないのはこれから知る楽しみがあるという事なのだよ」
「これから知る事が楽しみなの?」
「そうともさ。勉強とは楽しいものだ。今まで全く知らなかったものを新たに身につける。何も算数や理科だけが勉強じゃ無い。生きること、楽しむこと。この世のすべてが学びであり喜びだ」
よほどわたしは変な表情を浮かべていたのだろうか。男はニヤリと笑うと革の手袋に包まれた人差し指でわたしの鼻の頭をちょんとつついた。
「納得ができないという顔をしているねレディ。君はまだ若い。学びの楽しさを知らないのだろう。塾に行っていると話してくれたね? 塾での勉強は楽しいかい?」
そんなの決まっている。
「楽しくなんかない。お母さんに言われたから仕方なく行っているだけよ」
「まあそれが面白くないのは至極当然だな。他人から強要された勉強なんて真の勉強じゃ無い。それは学びのまねごとをさせて大人達が勝手に満足しているだけだからだ」
男はそう言うと懐に手を入れて一輪の花を取り出した。
紫色の花弁を持つ美しい花が電灯の頼りない光りに照らされて揺れている。
「花は好きかねリトル・レディ?」
そう言ってわたしの右手に紫の花を握らせる。
「さて、私はそろそろ帰るとするよ。グッドラック、リトル・レディ」
一人になった夜の公園で、右手に咲いた一輪の花だけが確かな存在感を持ってそこにあるのだった。