恐怖
シンと静まりかえった夜の街を無言で歩く二人。
すぐ隣を歩いている男の存在を肌で感じながら、わたしは先ほどの出来事を思い出していた。
薄暗い公園。
暗闇からこちらに向かって歩いてくる大柄な人影。
頼りない街灯の明かりに照らされた小太りの男。
こちらをジッと見つめる気持ちの悪い瞳とねっとりと粘り着くような不快な声。
掴まれた肩から伝わる圧倒的な力の差。
自分の無力感・・・。
わたしはぶるりと身を震わせた。今更ながら怖くなったのだ。
いつも通っている道だから。
普段もよく利用している公園だから・・・だから安全だと思っていた。
夜中に現れる不審者なんて先生が話すおとぎ話の住人で、決して現実の世界で生きている人間だなんて思っていなかった。理論の上では理解していてもどこか遠い世界の出来事だと勝手に思い込んでいたのだ。
今ようやく実感を伴って理解した。
夜中に出歩いている不審者は実在の人間で・・・そして自分は無力な小学生でしかないんだという現実を。
怖い。
怖い。
いつも何も考えずに歩いていた帰り道すら恐怖しか感じない。
あの建物の影に先ほどの不審者が潜んでいて、ジッとわたしを狙っているのでは無いか。そんな幻想に取り付かれている。
隣で一緒に歩いている男がいなければ不安のあまり発狂してしまっていただろう。
わたしはソッと男の横顔を見上げた。
思えばこんなにまじまじと男の顔を見たのは初めてかもしれない。道に点々と存在する街灯の明かりに照らされた男の横顔はどこか疲れているようにも見えた。
視線に気がついた男がわたしに顔を向ける。フッと疲れ切った顔に優しい笑みを浮かべ、そっと口を開いた。
「・・・しばらくは夜に出歩かない方がいいかもしれないねリトル・レディ。塾の帰り道も親に頼んで迎えに来て貰うといい」
もっともな言葉だ。わたしは無言で頷いた。
「よかったらオレが君のお母さんに今夜の事を話そうか? もう一度言葉にするのもつらいだろう?」
男の申し出は正直ありがたかった・・・しかし名も知らぬこの初老の男にそこまで世話になってしまうのも悪いような気もしたのだ。
わたしはソッと首を横に振る。
「・・・いい。自分で話せるから・・・」
「・・・そうか。ちゃんと警察にも届け出た方がいい。アイツが他の子を襲わないとも限らないからね」
意外なほどあっさりと男は引き下がる。
少し拍子抜けしてしまった。あれだけの事があったのだ。是が非でも親と話しがしたいと言い出すものだと勝手に予想していた。
そんなわたしの視線に気がついたのか、男はフッと疲れたような表情で笑った。
「本当はオレがちゃんと君の親と話した方がいいのだろうな・・・しかし名も知らぬ君にそこまで干渉するのも正しいのかどうかわからない・・・オレはちゃんとした大人じゃないから、立派な大人の立ち回りってものがわからないんだ」
暗い声音でそう呟いた男の顔は、どうにもわたしには泣いているかのように見えたんだ。
「お休みリトル・レディ。もう会うことも無いかも知れないね」
◇