人殺しの勇者
さて、この馬車は一体どこへ向かっているのか。城下町に向かってはいないことは確かだった。そして先程から同乗している兵士達から隠す気のない明らかな敵意を感じる。「お前は知りすぎたから殺す」と言われる程国の機密に触れた記憶はないし、この懐にある金目当てといったところだろうか。ならばこの金を渡して命乞いでもすれば助かるだろうか。この世界に来てからというもの本当に良いこと無しだ。
「はあ......」
思わずついてしまった溜め息に兵士達は反対に違和感がある程無反応を貫いている。城から40分は走っただろうか。助けを呼んでも誰も来ないであろう森の真ん中で馬車が止まった。
「降りろ」
隣に座っていた兵士が口を開く。
「でもここ城下町じゃないですよね?」
「いいから降りろ」
「.....っ......!」
無駄とは分かっているが一応ごねてみたが兵士は何の躊躇もなく剣を抜き此方を向ける。冷や汗をかきながら大人しく馬車を降りる。
「歩け」
背中に剣を向けられ、馬車を操縦していたもう一人の兵士に誘導されるまま、道を外れた森の方に歩く。このまま誰にも見つからないような場所で殺されてしまうのか。何処か現実味のない想像が確かに現実だということを至近距離で向けられている剣が物語っていた。
「あの......このお金なら全部お渡しします......」
「ほう?」
命乞いをする日がやってくるとは思わなかったな、なんて冷静な頭とは裏腹に震えた声が出た。前を歩いていた兵士がニヤついた顔で振り返る。
「物分かりの良い奴は嫌いじゃないが、金だけ渡してその後言いつけられない保証は何処にもないんでなァ」
悪く思うなよ、そう言いながら兵士は笑みを深くした。それは全く予想した通りの答えだった。次の瞬間、私はなけなしの魔力を使って水の魔法を発動しその不快な笑顔に目掛けて噴射した。
「ぶぁ!?」
それは所詮水鉄砲程度の威力しかない魔法だが、一瞬の隙は作れた。この隙に逃げるしか術はない。
「動くな」
しかしそれが出来る確率が相当低いことも理解していた。私が走り出そうとした瞬間首筋に感じたのは冷ややかな剣の感触だった。
敵が二人いる時点で、私の勝率は0に近かった。
「クソてめぇ!無駄なことしやがって!」
顔面に水を浴びた男はかなり憤慨している。己の剣を抜くと容赦なく切りかかって来る。後ろの兵士も同様に剣を振り上げる。己の最後を覚悟し、瞳を閉じる。
その瞬間はあまりにも長く感じた。これが走馬灯というものだろうか。私はこんな知らない世界の知らない場所で人生を終えるのか。不思議と悔いや後悔といったものは浮かんで来ない。それどころか恐怖や悲しみといった感情も湧かない。ただ一つ感じるのは、兵士達の確かな”殺意”だけだーーー。
「殺意?」
ハッと目を開けるとそこに剣で斬りかかる二人の兵士は存在していなかった。いや、兵士”だったもの”は存在していた。残されていたのは放り捨てられた剣とまるで中身だけが突然消滅したような防具、そしてさらさらと風に流される灰だけだった。
落ちこぼれな分勉強熱心だった私は人間が灰になる現象には心当たりがあった。
”魔力喪失”
魔法に使うことが出来る貯蔵された魔力だけでなく、生命活動を維持する為の魔力までもを使い切った時に起きる現象だ。魔力喪失が起こると人間はその形を維持することが出来ず灰になってしまうという。しかしこれは余程力のある魔法使いが自らの命を引き換えに魔法を行使したという前例が数回だけある現象で、早々起こせることではない筈だ。それもこのタイミングで起きる意味が分からない。頭ではそう冷静に分析するが、感覚的な所でこの現象が起きた原因をほぼほぼ確信していた。
兵士達の殺意を感じ、そしてその殺意が消失したと同時に水鉄砲で底をついていた筈の私の魔力が急激に回復するのを確かに感じたのだ。そしてその回復した魔力量はこれまでの私の魔力より明らかに多く、質の違う魔力であると感じとることができる。疑問は多く残るが、私が彼らの魔力を奪い取ったと考えるのが一番自然だった。
「私が殺した......?」
もうほとんど風に流されてしまった足元の灰を呆然と眺める。
状況に追いつかない感情とは裏腹に、脳は一周回って冷静さを取り戻す。
考えるべきはこれからのことだ。もしも私を城下町に届ける役目をもった兵士二人が何の音沙汰も無く帰らないなんてことがあれば......間違いなく疑われるのは私だ。力が目覚めたことを含めて正直に話したとしても、追い出されたその日に国に仕える兵士二人を殺していては信用しろと言う方が難しいだろう。ならば、
「私を含めて全員死んだことにするのが最善か......」
私の記憶が正しければこの森の更に奥へ行けば多くの魔物が出没するという魔の森がある。更にその奥には魔物すら寄り付かない霧に包まれた不毛の地があると言う。そしてそこに足を踏み入れる唯一の人間は......自殺志願者。
落ちこぼれの勇者として精神をボロボロにされた挙句城を追い出された人間が、その後の生活を憂い城下町ではなく魔の森へ自殺を図りに向かう。多少の無理はあるが辻褄が合わないことはない。
不幸な兵士二人は勇者の意思を聞きそこへ送り届ける途中、遭遇した魔物と馬車を降り果敢に戦うも丸呑みにされてしまう。馬車に閉じこもっていた私は魔物には見逃されたものの、兵士二人の悲惨な最期を見届け更に自殺の意思を固め魔の森へ入る。そしてそのことを今ここで馬車の中に遺書として残す。
我ながら完璧な作戦のように思う。
馬車に戻ると許可を貰い城から数冊持ち出していた薄い紙の本を一冊とペンを取り出し、裏表紙に多少荒っぽい文字で遺書を書き出す。遺書の最後には私の名前では無く11人目の勇者と書き残した。もしかすると私の名前を誰も覚えていない可能性を考えてのことだ。
書き終えた遺書を馬車の中に乱雑に放り投げる。後は腹が空いた馬が城に帰り、誰かが異変に気づくのを期待するだけだ。
そして私はここから城下町とは反対方向にある隣国に歩いて向かい、そこから更に海でも渡って何処かの国で仕事でも見つけてのんびり暮らそう。幸いにも一時は生き延びられるだろう額の金はある。それは最高の考えのように思えた。
そんな緩い空想は、人を殺したという事実からの現実逃避だとハッキリと自覚していた。