仕事と、笑顔
午前二時半
茜と涼香は都心から離れた人気のないオフィス街にいた。
『仕事』の時、茜はいつもセーラー服に大きなキャンディーを携える。
涼香は白衣を着て、クーラーボックスを持っていく。
「りょかちゃ~ん。今回はどんな人なの?」
「このオフィス街で最も大きいビルの社長よ。」
涼香の視線の先には大きなビルが建っている。二人はその向かい側のビルの物陰に潜んだ。
「えっ⁉ しゃちょーさん⁉ あそこの? すごーーいねーー! ……でももう遅いし帰っちゃってるんじゃない?」
「大丈夫。彼は今会社に残っているらしいわ。あと五分で出てくる。」
「ふーん……しゃちょーさんって大変なんだね~。こんな遅くまで残って仕事なんて。」
「……大変なのは社長だけじゃないわ。「働く」っていうのは誰にとっても大変なものなのよ。……それに残ってるからと言って仕事をしているとも限らない。」
「ふ~~ん? よくわかんないけどとりあえず大変なんだね!」
「でも『大変だから』何をしても許されるわけじゃない……」
「え? なんて言ったの?」
「……なんでもないわ。気にしないで。」
涼香がそう言った時、ビルから一人の男性が出てきた。
歳は五十代くらいだろうか。少し白髪が混じっている髪はしっかりセットされており、高そうなスーツを着こなしている。
「来たわ。あの人よ。歳は五十一歳、いたって健康。禁煙者だから色々とギリギリセーフ。行くわよ茜。」
「うんっ!」
涼香の合図と共に茜が男性の前に飛び出していった。
「こんばんは! おじさん!」
「なっ、なんだ君は!」
「私? 私は茜だよ! 私とプロレスごっこしよー! 場外乱闘編ね!」
そう言って茜が男性に向かってキャンディーを振り下ろす。しかし男性は間一髪のところでそれをかわした。
「な、何をするんだいきなり!」
「あれぇ~! 避けれるの? 凄いね!」
「けっ、警察に……」
男性は慌てて携帯を取り出す。
コールしようとした時、茜のキャンディーが携帯を持っている手ごと殴って阻止した。弾かれた携帯は地面を滑り、後から歩いてきた涼香の足に当って止まる。
男性は青紫色に染まった手を庇いながら涼香に言った。
「そ、そこの君! その携帯で警察に電話してくれないか! 人を殺そうとしているな少女がいるって!」
しかし涼香は携帯を足で踏みつけて言った。
「残念ね。私はその子の仲間なの。でも……」
涼香は液晶がボロボロに割れて、既に携帯としての機能を果たさなくなってしまった携帯を拾って言った。
「この携帯で良かったら電話しましょうか? えっと……どこに、でしたっけ?」
男性は涼香を見て血の気が引いた。
「゛うあっ!」
涼香に気を取られていた男性の肩に茜が打ち込む。肩から赤いものが流れ出した。
「君たちは……っ、何、が、したんいんだ……金か……?」
「お金? お金なんかどうだっていいわ。私たちは貴方よりも生きるべき命のことを考えてしているの。」
「何っ……⁉ 俺、が……何をしたというんだ……っ」
「……先日、貴方のとこの女性社員が亡くなったそうじゃない。」
「ど、どうしてそれを……公表、していないはず……」
「そうね。きっと会社側も警察の指示で「退職」として扱ったでしょうね。でも社長の貴方は死亡したと知っていた筈……なのに何故遺族に死亡退職金を払わなかったのかしら?」
「そ、れは……」
「それに貴方、女性に生前、残業代なしで残業させていたそうじゃない。今の社員では何人違法労働させられている人がいるのかしら?」
「君たちは、彼女の、遺族か……私、に、復讐しにきたのだな……」
茜が口を開く。
「違うよ! 『協力』してもらいに来たんだよ!」
「『協力』?」
「うん! だから動かないで!」
「ま、待ってくれ! 私には家族が……!」
言い終わる前にキャンディーが男性の頭にめり込む。
ドサッ
男性は倒れて動かなくなった。涼香が静かに男性に近寄る。
「……誰にだって家族はいるわ……」
そう呟いて涼香は手袋をすると、メスを取り出し、男性の体から手際よく丁寧に臓器を摘出する。
心臓を取り出した時だった。作業をしている涼香の隣に車が停車し、黒いスーツにサングラスをした男が二人降りてきた。
「りょかちゃん!」
茜が警戒して男にキャンディーを構える。しかし涼香は茜を制して言った。
「茜。大丈夫よ。」
「え?」
涼香は血に染まった手袋を外して、男に心臓と腎臓の入った瓶を渡した。
「急いで。一時間よ。」
涼香の言葉に男は頷き、瓶を受け取ると車に乗って走り去っていった。
「ええ⁉ 誰今の⁉ 何⁉」
動揺する茜に涼香は冷静に言った。
「あの人たちは臓器をあるべき場所に持って行ったのよ。だから心配いらないわ。」
「知り合い? みかた?」
「そうね……味方……ではないかもしれないわね。」
「どういうこと……?」
「気にしなくていいわ。あの人たちは私たちを脅かす人じゃないから。あの人たちは私たちの仕事の後処理をしている人よ。」
「あっ、そーなんだ! だから私たちが残骸の後片付けしなくていーんだね!」
「そういうこと。ほらもう行きましょう。ここを片付けに来る人が来るわ。」
「うん!」
二人の廃墟への最短ルートは南西に向かって斜め一直線に進むと到着する。
住宅街まで行った二人は、地面を蹴って民家の屋根の上にジャンプし、そのまま屋根から屋根へと移り進んだ。
進みながら、茜は涼香に話しかける。
「ねぇねぇりょかちゃん。さっき言ってた亡くなった女性社員って、この前『協力してくれた』人?」
「そうよ。」
「あの人は、何か悪いことしちゃったの?」
「どうして?」
先を行っていた涼香が止まって振り返る。
「だってりょかちゃん。『協力』してもらう人っていっつも何か悪いことしてるよね? だから……」
「……あの人はしてないわ。」
涼香は空を見上げた。少し雲のある空には満月が輝いている。それを見てふと満月の夜には犯罪や事故が多発することを思い出した。確かあの時も……
「りょかちゃん?」
心配そうな茜の声で我に返る。涼香は昔のことを思い出しそうになり、息を深く吐いて言葉を続けた。
「……でも、私たちを見たことが罪だったのよ。」
「罪。」
茜が呟く。
「そう。あまりに一方的で、理不尽な、罪。」
「りょかちゃん。私たちのしていることは、罪?」
涼香は驚いた。驚いて、茜の純粋な問いをすぐに答えられなかった。
まさかそんなことを聞いてくるとは思いもしなかった。
茜は殺人を罪と認識していない。臓器の行方も知らない。だから、驚いた。
自分たちのしていることは罪か否か。涼香の答えは一つだった。
「違うわ。犠牲あって成り立つ正義。私たちのしていることは、そういうことよ。そういう正義も、あるの。」
「そうなんだ~……」
涼香はなんとなく、どことなく、いつもの茜と違う気がした。涼香を追い越していった茜の背中を見て、そう思った。
「茜! お菓子食べる?」
「食べる!」
茜は即答して目を輝かせながら涼香の所まで戻ってきた。
「え? ああ……いや、ないんだけど……」
「えーーー⁉ 何それ⁉ なんで言ったの⁉」
「茜が迷子にならないように呼び戻そうと思って。」
「もーーーーっ! ならないよーーーっ!」
茜が頬を膨らませて怒る。正直涼香は何故自分があんなことを言ったのかわからなかった。気づいたら口が勝手に動いていた。
「今日のりょかちゃんやばいよ! さっきもしゃちょーさんに笑ったときとかやばかったよ!」
「笑った? 私が? あの人に?」
「うん! あの電話しましょうかーって言ったとき!」
涼香は社長の壊れた携帯を持ってそう言ったことを思い出した。
「ああ……私、笑ってたかしら?」
「うん。でもなんていうか……」
茜は言いづらそうにもぞもぞしながら言った。
「歪んでた。」
「歪んでた? 顔が?」
涼香に怒られると思った茜は急いで取り繕う。
「違うの! 笑顔が、笑顔がね! でもいつもは歪んでないよ! いつもは可愛いよ!」
「別に怒ってないから大丈夫よ。いいの。笑顔は元からあまり得意じゃないから……」
「えっ、でもいつものりょかちゃんは可愛いよ。」
「いいのよ。気を使わなくて。」
しかし茜は真剣な顔で否定する。
「ううん。本当に、一緒におやつ食べてるときとか、私が美味しいって言ったときのりょかちゃんの笑顔、可愛いよ。」
「……そう。ありがとう。」
思わず微笑んだ涼香の笑顔は柔らかくて天使のようだ。
「そう! それだよー!」
茜が涼香に飛びつく。そのまま勢い余って二人は倒れこんだ。
「ちょっ、茜⁉」
「えへへ~」
「もう。何してるの。危ないでしょ。帰るわよ。」
まるでスイーツのように甘い関係の二人。二人の関係に消費期限があるとしたらそれはもっと先の話。