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記憶

 大気が質量をもって、四肢に絡みついているかのようだった。

 油の中を泳ぐかの如き心地に、魔女の王は小さく舌打ちする。

 この陽光降り注ぐ地では、発揮できる己の力は、さて、十分の一か、百分の一か。

 心地よい闇が支配する故郷であらば、かの小娘など、とうに(ほふ)ってくれていたものを。

 魔女の長い足が、廊下を蹴る。

 あたりに人気はない。

 右手には、上部に数字のプレートが取り付けられたドアが無数に並んでいる。画一的な、無機質なその眺めは、女に古い記憶を思い起こさせた。

 原初の記憶は、牢であった。

 刺すように冷たい水が、乳房の下をたゆたっていた。水は毒を含んでいた。腰から下は、溶け落ちて久しい。

 吊り上げられた両の手首に、枷。時折、青白い燐光とともに浮かび上がる文字は、太古の呪詛。絶えることなく腕を、体を、伝い落ちる血は、朱い。

 自分をこのように戒めているのが、同じ朱を持つ兄姉であるとわかった時も、魔女は叫ばなかった。嘆かなかった。

 むしろ、ようやったものだと感心すらしてみせた。

 奴らは――恐れているのだ。

 魔王の末子の己を。

 己が育つことを。

 なにゆえか。

 圧倒的な才を持つゆえに。

 彼らを滅ぼしうる存在になるがゆえに。

 くつりと笑うと同時に、枷が発した青白い光が身を包んだ。魔女の目が見開かれ、白濁する。頭が力なく垂れ、赤い髪の一房が、毒水に触れて臭気をあげた。

 数刻の後、魔女の王は何回目かの、あるいは何百回目かの死から蘇った。再生した下肢が瞬く間に毒に溶ける激痛は、馴染んだものだった。狂気に似た(けい)(れん)を抑えられはしなかったが。

 純然たる憎悪を込めて、魔女は彼らを思う。

 兄。

 姉。

 きょうだい。

 この手で滅ぼすべき者ども。

 笑っておるがよい、安んじておればよい、年嵩という一点においてのみしか、我に勝らぬ愚者どもめ――。

 真横を呼ぶ鴉が鋭く鳴いて、懐かしくも忌まわしい想念は破られた。

 獲物の気配を過たず手繰り、魔女は階段を駆け上がる。

 小さな扉を開け放つと、忌々しい青空が頭上に広がった。

 獲物は、広く開けた空間のすみに、いた。

「おおお、落ち着きましょう、話し合いましょう!」

 ずいぶんと心地よい悲鳴をあげてくれる。

 己が唯一、勝機を見いだせぬ相手――父が目をかけた娘。

 白い鉄柵を背に、罠に捕らえられた獣が如き無様な姿は、哀れを誘った。

 しかし、魔女は許さない。娘を決して許さない。

 なぜなら、彼女は自分のきょうだいだからだ。

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