守り刀
一般的に、女子高生という生き物は、刃物に慣れていない。握る機会がある刃物といえば、包丁がせいぜいだろう。刃という物質が内包せざるえない、危険、血、権力、暴力などなどに、女子高生はそぐわないのだ。
そして、女子高生の中でもヘタレな方に分類される真帆は、義理の父から贈られた――押しつけられた宝剣を、鞘も払わず魔女の眼前に突きつけた。
一瞬だけ刮目した魔女は、すぐに憎々しげに真帆をにらみつけた。
「やはり、貴様が盗んでおったか」
違う。
違うが、今は誤解を解いている暇はない。
「離し、て……」
苦しい息の下から、ようやく真帆は言った。
「離して、くれないと、コレ、抜いちゃいます、よ」
魔王は言っていた。
危険が迫ったら、これを抜けと。
必ず真帆を守ってくれると。
正直、抜いたところで何が起きるのか真帆は知らなかったし予想もつかなかったが、なんかこう、すっごい、魔力的なアレコレでなんとかしてくれるのだろう。そのはずだ。そうでなければ困る。
魔女が花弁の唇をかんだ。艶やかな美貌に、いくばくかの逡巡が通り過ぎたようだった。
ややあって、魔女は低い声音を絞り出した。
「……やるがよい」
魔女の王を名乗る女の中で、矜持が勝った。
「ひとたび抜かば、五族を滅ぼすとまでうたわれるその剣。無論、我とて無事では済むまい。だが、貴様に相応の力なくば、呪われし刃が貴様の精気をも食らい尽くすぞ!」
(マジか――!)
「抜けい、小娘! 貴様の真の力を、この魔女王に披露して見せよ!」
(ヤダ――!)
出荷中のカニよろしく顔中泡だらけにしながらも、真帆は迷った。
象眼された目玉は、伺うように真帆に虹彩を向けている。
しびれを切らしたのは、烈火の気性を持つ魔女の方だった。
「死ね――」
真帆を吊り上げているのと逆の手が、ひらめいた。大きく振りかぶられたそれは、真帆の視界の隅で、炎をまとう。太陽の紅炎にも似た灼熱の舌が、長い腕を舐め上げている。
一切の躊躇なく振り下ろされた手が、四肢を引き裂く直前、
(チクショーーーーっ!)
半ばやけくそで、刃は抜かれた。
――閃光。
抜き放たれた剣先からほとばしったものの表現としては、それは控えめに過ぎた。
光は、圧すら持って広がった。
真帆の指を、腕を、肩を、全身を、光輝が包んだ。
世界は、ただ、苛烈で純粋な白に満たされた。
まばゆさに閉じたまぶたを再び開くまで、どれほどの時間がたったことか。
ゆっくりと開いた目に、まず飛び込んできたのは魔女王の姿だった。白の奔流を前に、とっさに、後ろに飛びすさったのだろう。地に片手と片膝をついた彼女は、間抜けな尻餅をついた真帆を――正確には、真帆の右手の先にあるものを凝視していた。
その視線の先をたどる前に、真帆の耳に飛び込んできた音があった。
(……こ、れは)
――壮絶に、嫌な予感がしてきた。
五族だか六族だかが滅びた様子はない。
精気だかなんだかを食らい尽くされた気配はない。
それ自体は喜ばしい。喜ばしいのだが――
『♪はーぴばーすでー マーホチャーン はーぴばーすで マーホチャー』
真帆が握りしめる柄の先から延びていたのは、予想していたような代物ではなかった。と言うか、刃ですらなかった。
ひまわり。
夏を代表するご陽気な花。
ご機嫌なオレンジの花弁をリズミカルにゆらしている。
ぎっしり詰まった種の中央に、人形。
金の髪と、長い角をふりふり振って歌う人形は、背から生やした横長の旗を棚引かせていた。旗に描かれたやたらとポップな書体は、真帆に告げる。
「16歳おめでとう」と。
くしくも、同時刻。
おやつタイムを最愛の女性と過ごしていた魔王は、ひまわりに負けぬ上機嫌だった。
「モモコさん、シシュンキの娘にとって一番の敵がなにか知っておるか?」
「そうねえ……」
修羅場明けの漫画家は、寝ぼけ眼で首をかしげた。その両肩では、魔王の長い指が、覚えたてのマッサージをご披露している。
「テキとはちょっと違うかも知れないけど、年頃の子の悩みって言ったら、進学とかお友達のこととかかしら」
ち、ち、ち、と、魔王は顔の前で人差し指を振った。ちなみに、両手は伴侶の肩を離れてはいない。この仕草がしたいがためだけに、魔王は脇の下から三本目の手を生やしていた。
「か弱い子どもにとって一番の敵……。それは、孤独感なのだ」
「孤独感?」
「左様。世界にとって自分は不要な存在なのではないか、自分を気にかけてくれる者は誰一人おらぬのではないか――そういった感情こそが、でりけーとな心を深く傷つけるのだよ」
「なるほどねえ」
感心したような妻の言葉に、魔王はさらに気を良くする。
「つまり、親たるものは、我が子をその最大の敵から守ってやらねばならぬのだ。そして、教えてやらねばならぬ。常にお前を見守り、気にかけ、慈しんでいる存在があるのだと。片時も忘れることなどないのだと」
己が贈った宝剣に加えた<調整>を思い起こし、魔王は頬を緩めた。もちろん、元来込められていた取るに足らぬ呪法など、血煙に曇った刃ごとたたき折っておいた。
呪いなど、刃など、年頃の娘には似つかわしくない。
我が娘にふさわしきは、歌と、花と、祝福だ。
「すごいのね、マオさん。驚いちゃった」
「うむ。手に入る限りの育児書は熟読しておるからな」
妻から向けられた尊敬の眼差しに、魔王は得意の絶頂を駆け上がる。
そして、柔らかな声音で告げられた一言に、魔王の幸福は頂点を極めた。
「……すっかり、パパね」
娘が早くあの剣を抜けば良いのに――。
魔王は、そればかりを希った。
『♪はああああっぴ ばあああぅす でえええ でぃいいいああ マーホチャアァアァ』
高らかに、人形が歌い上げる。
『♪はあああ っぴ ばあああんす んでいぃえいぇ とおぅう ゆ――』
「あの野郎ーーーーーー!」
ついに音になった絶叫が、空気を震わせた。