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プロローグ

「あのね、()()に紹介したい人がいるの。……男の人」

 夕食の後、頬を心持ち染めた母がそう言い出したとき、(ささ)(ぐま) ()()は、

「ついにこのときが!」

 と、心の中で喝采をあげた。

 父が亡くなったのは十年前。真帆が六歳のときだった。

 漫画家なんて変わった商売をしつつ、女手ひとつで育ててくれた母・(もも)()。感謝してもしきれるものではない。

 その母が、紹介したい人がいる、と。

 少し気まずそうな、でも何かを期待するような目で。

 ああ、ならばもう言うことは決まっている。

 会った瞬間言ってごらんにいれましょう、「お父さんって呼んでもいいですか」!

 真帆が首がもげんばかりにうなずくと、桃子はほっとしたように頬に手を当てた。

「よかった。ほんとはね、ずっと悩んでたの。あんた、いやがるんじゃないかなって」

「そんなわけないよ!」

「でもね、お母さんとその人、少し年が離れてるから、気になって」

 年? そんなもの、母がいいならどうだっていい。

 ハゲていようがデブだろうが臭かろうがかまわない。

 寒いギャグにだって、満面の笑みで答えよう。

 どうかまだ見ぬ暫定お父さん! お母さんを幸せにしてあげて!

「実はね、今日、呼んであるの。真帆さえよければ、すぐにでも会いたいって、あの人、近くで待ってるのよ」

「今日? 急なんだね。あ、でもわたしなら全然、大丈――」

 ぶ、と言いかけた真帆は、はっとして自分の首から下を見下ろした。

 いいかげん着たおしたTシャツに、下は中学生の時のジャージ。真帆の標準的なルームウェアだ。Tシャツに描かれた目が死んだようなウサギの耳にはびこる醤油のシミは、さっきの夕食の時についたもの。

 いかん。

 こんな格好じゃ、推定お父さんに嫌われてしまうかもしれない。

 母がだらしない親だと思われてしまうかもしれない。

「待って、お母さん。今、着替えて――」

 立ち上がろうとした真帆の言葉は悲鳴に変わった。

 突っ込んできたからだ。

 築三十五年の中古住宅の壁をぶち破って、黒いダックスフントみたいな車が。

「ぎゃああああああああ!?」

 この下町の細い道を、リムジンがどうやって曲がったんだ、とか。

 マリカーのスターもぶっちぎるトップスピードはどういうことだ、とか。

 今はそんなことはどうでもよろしい。

 大事なのは、自分と母が無事だったことだ。

 それ以外は些末なこと。

 そう、例えば、ハリウッドヒーローよろしく後部座席から飛び降りてきた人が、自分を抱きしめていることなど、大したことではない。

「マホチャン……」

 その人は、そっと、壊れ物にでも触れるような手つきで、白目をむく真帆の両肩に手を置いた。

 スーツを着てる。胸板は逞しい。高い香水みたいな――麝香――濃い、いい匂いがする。

 と、いったことに気づくのに、どれほどの時間が必要だっただろうか。

 いつの間にか、彼は母の隣の座布団に収まって、ニコニコ笑っている。デレデレ、と言った方が近いかも知れない。

「紹介するわね、真帆。こちら、マオさん。ママの……その、恋人」

 中華系っぽい名前のわりに、マオさんの顔立ちは純アジアではなさそうだった。じゃあ何系か、と問われても、答えるのがちょっと難しい。白人だと言われればそうかもしれないし、ヒスパニックと言われても、アラブ系と言われても、インド人だと言われても信じてしまいそうだ。国籍不明のハーフ顔。しかし、後ろになでつけた見事な金の髪の毛からして、どこか外国の血は混じっているのだろうけれど。

 そんなことより、気になることが真帆にはあった。

 いや違う。突っ込んだリムジンが空けた大穴から吹き込んでくる、隙間風の話ではない。それはそれで大問題だが別問題だ

 ――マオさんは、若かった。

 確実に、二十代。真帆と兄妹と言っても通用する年齢だろう。

 母は四十路である。見た目は、どこにでもいる普通のおばちゃんだ。真帆と兄妹に見える男の隣に座っていれば、二人の関係は親子に勘違いされそうだ。

 いくらなんでも、年が離れすぎではないだろうか。

(……まさか、お母さん、だまされてるんじゃ)

 真帆の向けた疑惑の目をどう思ったのか、マオさんは、はっとしたように懐から小さな紙を取り出した。

「マホチャン、我、かようなる者である」

 日本語がおかしいのは、ガイジンさんだからだろう。

 真帆が目玉をひん向いたのは、だから、彼の珍妙な言葉遣いのせいではない。

 <MM ソリューションズ 会長 マオ・タスマニアデビル>

 タスマニアデビル!? 本当の名字ですか? 覆面レスラー時のリングネームとかではなく? お国では一般的な名前なの、それ? すごい国ですね!

 と、普段なら突っ込んでいただろうが、真帆の目玉を転がり落ちさせたのは、名刺上部に麗々しく並ぶ会社名だった。

 <快適と快楽、信頼と隷属をお届けする ホテルMM>

 <クイーンMM号で行く、豪華クルーズ ~アラスカ―南極四日間の旅~>

 <夏休みははMMランドで! エレクトリカル邪神パレードがみんなを待ってるよ!>

 わずか数年で日本の観光業に覇をなしたMMソリューションズ。その真っ赤なピーチ型の企業ロゴを、CMで見ない日はない。

(そこの会長さん――?)

 ……やっぱり、お母さん、だまされてるんだ。

 どうやって母に真実を告げよう。こんなに幸せそうに、隣の彼と無意識に手までつないじゃってる母に。

 それにしても、憎むべきはこの詐欺師だ。

 真面目に一生懸命生きてきた母を、その毒牙にかけるとは!

 涙目でにらみつけてやると、マオさんはごくりと生唾を飲み、すっと目を細めた。

「……さすがはモモコさんの娘御、といったところか。騙されてはくれぬようだな」

 マオさんの目が、ちかりと瞬いた。

 彼の目は、金。

 黄金(くがね)よりも冷たく、月よりも禍々しい色彩が炎を噴き上げる。

「なればこそ、今こそ真実を告げる(とき)

 漆黒の羽が舞う。

 闇の翼が、真帆を抱く。

「我が名は凶兆、我が名は災厄。暗き淵を支配する者」

 翼の根元は、マオさんの背に――スーツ、だったはずだ。彼は。こんな長いマントなんて着ていなかったはず――続いていた。

「我は、魔王なり」

 金色の髪から湧いて出たよじれた角が二本、天を刺していた。

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