想像の桜を想う
唐突ではありますが、僕は桜を見るのが好きです。正確に言えば、好きかと聞かれれば迷わず好きだと答える人間です。秋冬には桜が咲き誇る一面ピンクの景色を夢想し、春の到来を待ち焦がれます。
しかしながら、最近僕は本当に桜が好きなのかと思い悩む次第でございます。
好きな方には申し訳ないのですが、読書、行楽。そして食欲の季節などと持て囃される秋という季節が、僕は大嫌いです。紅葉に染まった山々は確かに美しい物であります。幼少の頃等は、清掃員の方がせっかく路肩に集めた落ち葉を踏みつけ、散らして遊ぶという畜生のような行いをしていた時期もあります。今思えば、清掃員の方の労働の成果を台無しにしていたなと、ああ僕は何て事をしでかしたのだろうと申し訳ない気持ちになります。
少しばかり脱線してしまいました。嫌いな理由としますと、どうしても美しい景色の後に来る終わり。つまり冬を意識せずにはいられないのです。
春の桜は咲き誇ったのち、新緑を芽吹かせます。温かい命溢れる夏の到来です。しかしながら秋はその逆。
裸になった木々の茶色のなんと物悲しく、寂しい事か。それに気温が一日、また一日と下がっていきます。寒いのは嫌いなのです。
桜への衝動は冬にピークを迎えます。秋への悪口を言った上記の通り、寒くて殺風景で、空もなんだか色合いが白っぽくて低く感じます。山を見れば緑色なのは杉くらいなものです。
それに服装も厚着を強いられます。いえ、厚着に対しての抵抗は無いのです。しかし難点が一つ。
僕は寒がりな性質でして、ついつい厚着をし過ぎてしまうのです。すると暑くなる。しかし一枚減らせば寒い。すると地獄が始まります。汗をかき始めるのです。するともう駄目です。
冬だから気温は低い。体は汗をかいている。本人は暑さに耐えかねて脱ぐ。汗が冷えて寒い。着る。濡れたシャツが寒い。更に着る。
ほうら。極寒の無限ループが始まります。皆が温かいねー。なんて言っているなか、一人ガタガタ震えて凍えている変人の誕生です。中々にきつい体験です。これを毎年。冬場はほぼ毎日です。嫌になる事請け合いです。
暑いなどと言えば、ならなんで震えているんだ。服脱げよ等と言われます。言うとおりに脱ぎますと滅茶苦茶寒いです。風呂に入るときに服を脱ぎますよね。まさか着衣で入る人はいないと思います。洗濯機に放り込む時に持たねばならぬ、ぐっしょりと濡れたシャツ。げんなりします。
殺風景な景色の中、極寒の寒さに震え、脳裏に浮かぶのは春よ来い! この一言です。頭の中は桜色で染まり切っています。花粉症とは縁がない性質ですので、春すなわち快適な季節。
くしゃみやら鼻水やら、目が痒すぎて抉り出して水で洗いたいなどと周囲が苦しむのをよそに、なんと哀れな連中だとケラケラ笑う季節なのです。
曇りがちな期間に、珍しく訪れた快晴の日の爽やかさ。青空に桜が映えて美しいったらありゃしません。
さて、秋冬ときたら次は春のパートに移らねばなりませんが、ここは少し型破りに行きます。夏について少々語りたいと思います。
夏のパートは少し短いです。それと言うのも、僕は夏が二番めに好きな季節だからです。
夏は良いですよね。ヤングで綺麗なお姉さん方が薄着で街中歩き回ります。ホットパンツなんか最高ですよね。裸よりエロいんじゃないかと思います。見えないからこそ脳裏に浮かぶ物がある。
果物も美味しい季節です。スイカ一玉食べたいなと常々思っております。実行した事はありませんが。
夏。つまり薄着です。僕は汗かきです。汗をめちゃくちゃかきます。多分臭いです。僕では臭いかどうか分かりませんけど、多分臭いと思います。
昔、とある運動部に所属していた時期があります。もっとも多感であった中学の頃です。
朝、選択したばかりの練習着を持っていきまして、昼まで練習しました。十二時半に練習が終了だったのです。
忘れもしません。十一時三十分の時です。あれ? 十時だったかな? すいません。やっぱりあやふやでした。
そんな事はどうでも良いので話を続けます。後ろの先輩に指摘されたのです。背中、なんか白い筋入ってるよと。
手鏡で確認しましたところ、塩の筋でした。ああ、人って本当に塩を吹くんだなとその時初めて知りました。愕然としましたよ。洗濯したばかりなのに……と。
そんな時、脳裏に浮かぶのはやはり春です。快適の象徴である春。過ぎ去りしあの季節を懐かしく、そして寂しく思うのです。
やっとこさ春のパートです。
春を想い、桜に焦がれ、やっとこさ季節は周回し春の到来です。脳裏に浮かぶのは満開の桜。美しくも儚い桜の景色です。昼の桜も良いが、たまには夜桜も見ようかしらん。遠出して隅田川の桜でも見たいなあ。などと脳みその中は春一色のピンク野郎です。
そしてようやく桜を肉眼で見つめます。桜の名所の写真を眺め、期待に胸膨らませた一年間。その思いがようやく叶うのです。
ここ最近の感想は、おおー。良く咲いてるなあ。これだけです。それ以外ありません。わあ、綺麗とは思いましても、心底美しいとは思えなくなってきたのです。
中学の頃の話になります。三年生の時の教室は中庭に面していました。三年生だからかどうか知りませんが、階も三階です。中庭には大きな桜の樹が一本立っていました。今思い出しても見事な桜です。
きっと中学校が出来る前から生えていたのだと思われます。
席替えで窓際の席に配された時がありました。二年のクラス編成のまま繰り上がりので、名前も顔も全員覚えていた当時の担任が言ったのです。席替えしようと。
そうして僕は、桜の季節に窓際という最高の席を獲得しました。
良いですよね窓際。窓を開ければ涼しいですし、廊下側とは違って直射日光が入ってきます。眩しい時もあれば暑い時もあります。しかし、やはり人工の光とは違って気分も晴れやかになりますし、爽やかです。
一週間程度でしょうか。桜が満開の状態から葉桜になっていくのに要した時間は。
僕はその期間中、狂ったように桜を見続けました。勿体ないと思ったのです。一色に染まった枝に緑が混じり、小汚い色合いに変化していく様が。今、まだ花が残ってるこの光景を目に焼き付けようとしていたのかもしれません。
いえ、葉桜も良いものです。しかし、花が残っている期間中は話は別です。完全に葉に切り替わるまでは、花が主役だと考えているので、葉はただのおじゃま虫です。
それからです。桜が心底美しい物だと思ったのは。
しかし現在、あの時の感動を味わう事が出来なくなったのです。桜を想い、桜に焦がれ、そして目にした桜に対して感動しない。想像が一人歩きしているのでしょう。
先日、偶然母校の近くを通りました。その時柵の間から桜を見る事が出来たのです。満開の桜でした。抱いた感想はやはり、ああ、咲いてるな。だけでした。
最早当時と同じ感動を感じる事は難しいのだと知りました。脳内の桜。想像した美しい桜の景色。それに焦がれ、それを思うしかないのでしょう。
夏のパートで言いましたが、見えないからこそ惹かれるものがある。きっとこれに尽きるのでしょう。
見えない桜を想いつつ一年を過ごし、本物の桜を見て喜んでいる様に見えて、実際は自分の思い描いた『見えない桜』をその景色に重ねる。
今年もそんな春でした。




