第32話 そして動き出す
「……まさか湊さんがアイドルだったとは」
湊さんの姿が見えなくなるのを見計らって、俺はぽつりとつぶやいた。
「お兄ちゃ……っあ、お、お館様は、テレビはご覧になられないので?」
……今、とんでもないミスをしかけたな。
うん、俺は何も聞かなかったことにするからな。安心してくれ、織江ちゃん。何も聞かなかったから。マジで。
「んー、バイトとかあったし、あんま見なかったな。スポーツ実況なんかは結構見てたけど……」
「……ですか」
「彼女、どんな感じだったんだ?」
「知性を売りにしていた二人組のアイドルユニット、ジーニアスの一人ですよ。
元々は子役で芸能界入りしていたんですが、ご覧の通りの美人ですし、子役の頃から博識で機転が利く、おまけに言うことはビシッと言うということで人気を集めまして」
「へあー、すげー。やっぱすごい人は小さい時からすごいんだな。凡人とは格がちげえや」
っつーか、子供のころからあんなだったのか。家族からしたらさぞかし自慢の娘だっただろうな。
「……実は拙者が歴史に興味を持ったのは、湊殿……いえ、あえて水奈月殿と呼ばせていただきますが、彼女のおかげでして」
「へえ?」
「七年前の大河ドラマで、彼女が帰蝶……信長の妻の幼少期を演じておられたのです。それが実に凛々しくて、また美しくて……今思い出してもほれぼれとする見事な演技でした。
それを見て、大河ドラマを見るようになって、そこから歴史にハマり……今はこの有様でござる」
はは、と自嘲気味に笑う織江ちゃんに、俺も思わず笑みが漏れた。
意外と、人生を決めるきっかけってそういう些細なものだったりするよな。
しかしこの有様、って言うってことは自分でも少しどうかと思ってるってことなんじゃないだろうか。わかってるなら無理しなくてもいいのに……。
いや、俺は何も言うまい。うん、なんとなく気持ちはわかるからさ……。
……それはともかく。
遂に、と言うべきか、湊さんが動き出しているようだ。確証があるわけではないが、参加者でもない何者か(前回言い忘れたけど、頭上に輪っかがなかったから間違いない)と密会しているくらいなんだから、ほぼ確定と見ていいだろう。
どういう手段を使ってくるかはわからないものの、彼女がトーナメントをつぶしにくるというのであればそれは止めたい。
具体的にどうするのか、とか、止めてどうするのか、とか、そういう小難しいことは今の俺にはわからねーが、ともかく止めないといけないような気はする。それは、湊さんが言うように俺がいい人だからなのかもまた、わからねーけど。
「……とりあえず、このことは空さんにも伝えよう」
「左様でございますな。……悔しいですが、我々の中で一番敏いのは、水奈月殿を除けば彼でしょうから」
織江ちゃんと話が一致したところで、俺たちは空さんともう一度合流することにした。
だが動こうとした瞬間、突然イメちゃんが血相を変えて現れた。
「亮様、伊月様! ご無事ですか!?」
表情豊かではあるが、決して慌てたことのないイメちゃんがそんな風に言って来たので、俺たちは思わず面食らった。
「お、おおう? み、見ての通りなんともねーぞ、なんだどうした?」
「先ほどから、お二人の存在を感知できなくなっていたのです! 今々元通り感知できるようになったので、慌てて出てきたのですが……一体何があったんですかっ?」
「何がって言われても……なあ?」
「はあ……みなづ、……湊殿と話していただけですが……」
織江ちゃんと顔を合わせながら答える。
「涼様と?……あの、その際彼女に何かありませんでしたか? たとえば、……そう、妙な力が働いていたとか」
「いや……そういうのは特には……」
「そうですね。強いて言うなら、直前何者かと話をしていたくらいでしょうか」
「本当ですか!?」
イメちゃんが、目をくわっと見開いて迫ってくる。まったく彼女らしからぬ行動に、俺たちは頷くだけだ。
「そ、それはどのような方でしたか?」
「どんなって言われても……とりあえず、人間ではなさそうだったけど」
「はい。かなり大柄で、全身黒づくめでした。こう……つばの広い帽子をかぶっていて……」
「な……ッ」
今度は、絶句するイメちゃん。
俺たちが目撃したあの人物に、心当たりでもあるんだろうか。あったとしたら、あれがどういう人なのか教えてもらいたいところだが……。
「……報告しなきゃ」
イメちゃんは表情を引き締めてそれだけ言うと、出てきたときと同じく忽然と消える。
嵐のような彼女の来訪に、俺たちはしばらく放心して立ち尽くしていた。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
「と……とりあえず、空さんと再合流だ」
「は、はい、お館様」
メッセージ画面を出して空さんにメッセージを送りながら、俺たちは元来た道を戻り始めた。
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「なにそれこわい」
説明を受けて、開口一番空さんはそう言った。
俺の足りない頭で、どうにかこうにか湊さんの考えを告げようとした結果なわけだが、この場合それがうまくいかなかったのではなく、正確に伝わったからこその反応と言えるだろう。
それから少しの間、空さんは腕を組んで黙っていた。視線は俺でも織江ちゃんでもなく、三人がはさんでいるテーブルの真ん中あたりに向けられている。
きっと、色々なことを考えているんだろう。彼の思考を妨げるわけにはいかないと、俺たちは無言で彼の言葉を待つ。
「……それで、今後どうするつもりー?」
数分の沈黙を破って空さんが投げかけてきたのは、問いだった。
「どう、っていうと……」
「スズちゃんの謀反疑惑に対して、どう行動するのかってことー。そもそも、彼女が何かやろうとするなら、リョー君は全力で反対でしょ?」
その言葉に、俺は頷く。すぐに、ぼくもだよ、と返ってくる。
「だからといって、彼女を放置するわけにもいかないよね。何かをたくらんでるわけだから、みすみす相手の準備を進めさせることになる。黙って見過ごすのは、下策だよ」
「……つまり、今のうちに何か対策をするべきということっすか?」
「イグザクトリー、その通りでございます。
……孫子曰く、彼を知り己を知れば、百戦危うからず。相手の強さ、こちらの強さ、双方をはっきりと知ったうえで戦うならば、何度戦っても負けることはない。
……もちろん現実はそううまくはないんだけど、それでも戦ううえで『正確な情報』は何よりも大事だよ。これの多寡が勝敗を分けると言ってもいい。
さて、ここで問題です。この場合、ぼくたちの『勝ち』とはどういうことでしょーか?」
一通り難しいことを話し終えた空さんは、そう言って俺たちを順繰りに見た。
俺たちの、勝ち?
「えっと……湊殿を、止める?」
「んー、正解っちゃ正解なんだけど、百点満点ってわけじゃないと思うなー。リョー君はどう思うー?」
「いや、俺こういう話本当に苦手で……」
「うーん……そこはもうちょっと考えようよー」
苦笑を向けて、空さんが首を振る。
言わんとしていることはわかる。けど、考えたところで土台俺の頭じゃ名案なんて出てくるはずがない。
俺が考えていることを見透かしているのかいないのか、空さんはしばらく深く息を吸って、深くため息をつくという行為を繰り返していた。
「……しょうがないなあ。このままいてもとりあえず時間がもったいないし」
が、そう言って座りなおした。
「勝利とはすなわち、いかに相手の目的を阻むこととぼくは考えてるよ。この場合で言えば、スズちゃんの『トーナメントを妨害する』という目的を阻むこと。つまり、何もスズちゃんを止める必要はない」
「おお、なるほど」
「でもこれは、逆に向こうにも言えること。向こうにしてみれば、スズちゃんの無事は必須じゃない。リアリストのスズちゃんはこの辺りわきまえてるだろうから、自分がどうなろうと、トーナメントの妨害そのものに注力してくるんじゃないかな」
「では、それをすべて阻止することを我々の目的にする、それが我々の勝利と……」
「って、感じでいいと思うよ。で、そのためにはやっぱり、さっきも言ったけど『正確な情報』が必要だよね。
『トーナメントを妨害されないようにする』ために必要な情報は何か? そのためには、何をすればいいか? これが、ぼくが考える『今必要なこと』。
ってわけで……リョー君、今後どうするつもりー?」
織江ちゃんに答えた空さんが、にまっと笑う。その顔は、「ここまで言えばわかるよね?」と言っているようだった。
……オーケー、わかったよ空さん。
彼が求めているのは、これからどういう行動を起こすか、ということか。湊さんを止めるために、何が必要になるのか。
ってことを考えると……えーっとー……、まずトーナメント妨害には百パー来るとして、それがどういう風に……。
「……どういうやり方を使うのかを調べる?」
「おっ、だいぶ具体的になってきたね。うん、それは絶対に調べないといけないと思う。方法がわかれば、対策が立つからね」
「あとは、えっと、何人で来るか、というのも知りたいですね? 協力者が一人とは限りますまい」
「いーちゃん鋭い、それも大事だね! ぼくたち三人で対抗できるのかどうかは、知っておかないと。ぼくとしては、仲間を増やすことも必要だと思うよ!」
「仲間……そうか、必ずしも俺たちだけでなんとかする必要はないんだな」
「そういうことー! トーナメントを妨害されて困る人は、少なくとも敵ではないだろうからね。敵の敵は味方、ってことさ」
こうして、少しずつだが意見を出し合った俺たちは、いくつかの案をまとめてそれに従うことになった。
まず一つ。湊さんの協力者が何者なのか、どれくらいいるのかを調べること。このために、顔を合わせる機会があるなら積極的に湊さんと行動を共にするのがいいだろう、ということになった。
これはもちろん、一緒に行動することで彼女から情報を得ることもあるが、彼女が協力者と連携を深める機会を奪う意味もある。……空さんの受け売りだ。
次に、イメちゃんとより接触する機会を増やし、運営側との関係を深めておく。イメちゃん自身は運営のやり方を完全に認めているわけではないような雰囲気もあったが、彼女が運営の人間であることは間違いない。となると、俺たちと同じか、もしくはそれよりももっと、トーナメントを妨害されたくないだろう。
どういう組織になっていて、どういう人間関係が彼女たちにあるのかはわからないが、少なくとも警備を増やしたりしてもらうなど、あちらでなければできないこともあるはずだ。……うん、これも空さんの受け売り。
あとは、できる限り俺たち個人の戦闘力を上げておくべき、ということか。最悪の場合、俺たちはあの湊さんと戦わなくてはならない。彼女の強さは、予選で同じリーグだった俺たちが一番知っていると言ってもいい。そのうえで、本気で手段を選ばずかかってくる湊さんには、勝てるとは思えない。
その時のために、彼女がどれだけ考えても勝つ……力づくで止めることができるくらいの地力が必要になるのだ。ああうん、もちろん空さん。
「……こんなところっすかね?」
「うん、現状ではたぶん。もうちょっと情報があればだいぶ変わってくるんだろうけどね」
「何事もなければ一番ですが……」
織江ちゃんの言葉に、俺たちはそろって頷く。
だが、それはきっとないだろう。
湊さんの様子からは、決意のようなものが感じ取れた。そして彼女は、冷静に感情を抑えることができるタイプ。躊躇なく、動くと思われる。
それまでに、どれだけの時間があるのか。状況が、少しでも俺たちに有利になるようにするには、時間が必要だ。
まだ、始まっていない。けれど、始まっていないわけでもない。
少しずつだけど確実に、事態は動き始めているのだ……。
当作品を読んでいただきありがとうございます。
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おおむね永治回。う、うーん、なかなか本選が始まりません。
次は……次は、ちょっと一旦主人公たちから離れて、運営側の「一方そのころ」を予定しています。
バトルは、もう少しだけ……もう2話か3話くらい待っていただけると……!




