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悠馬はいつものようにラドリオでの時間を満喫して店を後にした。しかし店を出てから少し行ったところで、すぐに忘れ物に気づいて店に引き返すことにした。
店の前まで戻ってきて窓からチラリと店内をのぞくと、今まで悠馬が座っていた一人掛け用のテーブルに座っている人影が見える。目を凝らすとテーブルになにやら書きこみをしているようでハッとした。
高鳴る胸を抑えて、そっとドアノブに手をかけた。
音をたてないように静かに扉を開くと店主がこちらに気づき、彼の口から言葉が発せられそうになって、慌ててそれを手で制した。それで悠馬の言わんとするところを察してくれたようで、店主は小さくため息をついて仕事に戻った。勘のいい彼に感謝しつつ、例の席に目を移すと相手はこちらに気づいていない。テーブルに向かうその人は柔らかな笑みを浮かべ、テーブルに軽やかなタッチで文字を記している。
テーブルを走る筆はまるで踊るようだ。
悠馬は足音を消してテーブルに歩み寄る。集中しているのか、こちらには全く気付く様子はない。必死に文字を記している背中にできるだけ平静を装って声をかけた。
「こんにちは。〝結加〟さんですよね?」
彼女がビクッと肩を震わせて、ゆっくりこちらを振り返る。髪をおろしていたためにわかりにくかったが、そこに座っていたのはいつも接客をしてくれている女性の店員であった。
いつもの営業スマイルは見る影もなく、こわばった表情で答えた。
「えっと……何のこと、ですか?」
そして言葉と共に向けられる無理やり作った引きつった笑顔。悠馬はにっこりと微笑んで、彼女の言葉を一蹴した。
「もうバレてますよ」
「……ですよね?」
「少しお話する時間をいただけないでしょうか?」
そのまま笑顔で尋ねると、彼女は視線を泳がせる。逃げる口実でも考えているのかもしれないが、念願叶って彼女に会えたのだから、例え何を言われても逃がすつもりはない。もっと多くを語りたい。もっと彼女を知りたい。彼女の声を、言葉を、聞きたくて仕方がない。
彼女も悠馬の気持ちを察したのか、諦めたようで小さく頷いた。
悠馬は隣にある4人掛けになっているテーブルに座り、自分の正面の席を勧める。そして彼女はためらいながらそっと椅子を引いて静かに腰掛けた。
〝結加〟は上原さつきと名乗り、悠馬の通う大学の1年生ということがわかった。
さつきは店主に淹れてもらったコーヒーを飲んで大きく息を吐くと、意を決したようにゆっくりと話し始めた。
「私、あのテーブルが何となく好きで、バイト終わった後はいつもあの席で一休みしてから帰るんです」
そのまま呟くように続ける。
「あのとき書いてあった詩は、いつも思いついた時に書き留めるメモ帳が手元になくて、後で書き写して消すつもりで書いて。そうしたら……」
「俺がその前に気づいたってことか」
「はい」
彼女がそこまで話し終えたところで、カウンターから独り言のような言葉が聞こえてきた。
「本当のこと言えばいいのに……」
「え……?」
「店長!」
聞き返そうとしたそれは、さつきの声に遮られた。
「……上原さん?」
「っ、あ、いえ、気にしないでください!」
見ると彼女は俯いて耳まで真っ赤にして俯いていた。その姿がなんだか可愛らしく、思わず口元が緩む。もう少しその姿を見たい気持ちもあったが、あまりにも必死なので話題を変えて助け舟を出す。
「あのさ、会うの嫌がってたのに、声かけてごめん。だけど、どうしても君と会って話してみたかったんだ。だから……」
「いえ、そのことなら気にしないでください」
やわらかく微笑んだ表情が、言葉に偽りのないことを教えてくれる。
「そっか……よかった」
安堵のため息をつくと、突然さつきはぺこりと頭を下げた。
「こちらこそ、会いたいと言ってくださっていたのにあの時はお断りしてしまってごめんなさい」
「あぁ。気にしなくていいんだ。今はこうやって会えたんだし」
「はい。私も、お会いできてよかったです」
返事と共に向けられる、はにかむような笑顔に胸が高鳴るのを感じた。ごまかすように一つ息を吐いて、静かに心を落ち着ける。
「あ、あのさ、もしよかったら、これからもいろんな話しようよ。今度はあのテーブルじゃなくて、お互いの顔を見て。どうかな?」
それを聞いたさつきは驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに微笑んだ。
「はい。喜んで!」
きっかけは窓辺のテーブル
ゆっくりと回りだした運命の歯車
交わった二つの道が寄り添って進むのはもう少し先の話
<了>
最後までお付き合いくださってありがとうございました。
たくさんの作品がある中で、私の作品に目を留めていただいたことに感謝しております。
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