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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

双眸

作者: 芹沢 忍

企画ものです。『夏のホラー2013』参加作品になります。

 夜道だった。夏の暑い、茹だる様な夜。程々人通りの絶えた、街頭だけが嫌に目立つそんな道に、男が一人覚束ない足取りで歩いている。近寄れば酒の匂いがするであろう。夏の重い空気と等しく、男は澱んだ瞳で漂うように進んでいた。

 いつもは男が車で通る道である。通い慣れた場所。見通しは悪くない。真っ直ぐで、両側にはまだ青々とした田圃と、その合間に民家が点在している。街中から離れたやや田舎がかった場所と言った風情だ。ぽつんぽつんと間を空けてスポットを当てるように街頭が道を照らしている。

 光を求めるようにスポットを渡り歩いていた男が、ふと足を止めた。街頭の柱に凭れると、体を折り曲げて嘔吐く。吐瀉物が草むらに沈んだ。男は肩に掛けていたワンショルダー・リュックから機械的にペットボトルを取り出すと、透明な液体を口に含んだ後、残りを勢い良く頭から注ぐ。水が滴る髪を手で無造作に払い手櫛で前髪を後方へ撫で付けると、一つ先の電信柱へ渡り、そこで柱を背に崩れるように座り込んだ。右膝を立て、両手はだらしなく地に落とし、喘ぎ、天空を見上げる。水を浴びたせいか、瞳がやや澄んだ光を得ていた。

「飲み過ぎた」

 宙を仰いだまま誰にともなく闇に呟く。応えるのは蛙と虫の声。耳にわーんと唸るように響くそれらの大合唱。そこに男自身の喘ぎが混ざる。

「そういや、この道って歩いた事は殆どねぇなぁ――」

 繁華街や職場から男の自宅までの道程は遠い。学生時代の足は自転車であったが、現在では自動車が主である。酒を飲む予定があればバスやタクシーを使うのだが、今日は終バスを逃し、また、週末だった為に、気まぐれで歩く事にしたのだった。しこたま酒を飲んだため、判断力が鈍っていたことも、現状に大きく加担していた。

 思考は酔いで空回り、昔の事が男の内にチラついていた。

 学生時代に友人達とはしゃぎながら自転車を飛ばしたことが懐かしい。途中、田圃の畦に降り、様々な生き物と戯れた。田圃の合間にある畑から実りを失敬し空腹を満たすこともあった。

 車の免許を取った頃は、毎晩のように練習と称して夜中にこの道を車で流したものだった。脱輪こそしなかったが、スポットや落下物を目安に、乗っている車のタイヤ位置や、スピード変化の把握をしようと、かなり無茶をしたものである。

「――あれは何だったっけか」 

 無造作に浮かんでいた記憶の一点に引っかかりを覚え、男は小さく呟いていた。


 光る点。道路に浮かんだ光は白に近い金。どことなく寒々とした輝きだった気がする。周囲は闇が支配しており、その光は小さいながらも異様な存在感を醸していた。自分が感じた高揚とした気分だけは何となく覚えている。


 気になり始めると、思い出せないもどかしさと、酒に犯された為に生じる靄にいらつく。それらをどうにかしようと頭を振るうが、思惑と反対に、粘着くように、重さが纏わり付く。すっきりとしない様にイライラしながら男は立ち上がった。

 酔いはまだ醒めていない。それでも帰巣本能とでも呼べるものが家路へと向かわせる。足取りはマシになったようであるが、まだ少し覚束なさが残る。俯き眉間に皺を寄せながら男は歩き始めた。

 途中、ふと顔を上げる。何かが近くにいる。そんな気配を感じたのだ。立ち止まり、周囲をゆっくりと見回す。人影も無ければ、小動物の影が過ぎることもない。足音が聞こえるわけでもない。首を傾げて再び歩き出す。そこでまた同様のものを感じた。改めて同じ事を繰り返すが、結果は変わらなかった。

 歩き出すと付かず離れずで気配も動く。気にしているからだろうか。確実に何かがいる。そんな気持ちが強くなり、男は身震いした。得体の知れない気配を祓うように、流行歌を口ずさむ。自分の声で気配を消そうと躍起になる。一曲歌い終えたところで、息を吐いた。

 

――音が無い?


 耳がキーンとする程の静寂。いつの間にか煩かった大合唱が止んでおり、静けさが周囲を満たしていた。蛙や虫が自分の歌声の大きさに反応して静まり返ったのだろうか。いや、そんな事は無いであろう。離れた場所の彼らまでが完全に沈黙する筈がない。


――じゃあ何でだ?


 男の酔いは急速に醒めた。それに伴い、先程から感じている気配が強くなる。

 大きなものではないようだ。犬や猫の類の大きさ。足元付近に、それくらいのサイズの気配を感じる。気付かないフリをして、歩幅を大きくし、鼻歌を歌う。気配はぴったりと追随してくる。


 歩調は自然と早足に変わる。

 歌う声が震える。

 暑い筈なのに、身震いがする。

 汗が――冷たい。


 振り向いたら、そこには小動物がいるかもしれない。だが、もし、何もいなかったらと思うと、気配の元を確認する事が出来ない。

 気のせいだと自分に言い聞かせるが、静けさがそれを否定している。生き物を黙らせるものが、恐らく、自分の傍にあるのだ。


 ヒタ、ヒタ、ヒタ――


 そんな音が聞こえた気がした。後をつけて、密かに歩く音。これでは、尚更、確認出来ない。


 ふわりと右の肩に何かが掛かった。男はゆっくりと手を伸べる。

 

 伸ばす指が震える。

 指先が微かに触れた。

 それから思い切って指を這わす。

 やや硬質な、毛皮のような触感だ。

 

 脳裏に何かが浮かんだ。

 夜道の端に横たわる獣。  

 寒々とした、小さな光。


 生唾を飲む喉が鳴る。その音に心臓が跳ねる。

 

 とさりと再び右の肩に何かが掛かった。 

 

 生温かい――

 

 そう感じた直ぐ後に、ずるりとそれが自分の前へ下がる。


 ぬめぬめとした輝き。

 ピンク味を帯びた何か。

 鉄の臭い。


 目の端に映ったそれに思い至り、男はきつく目を閉じた。


 幻だ。そんなモノが頭上から落ちてくる筈がない。


 男は嫌々をするように頭を左右に振り回した。

 だが、肩に感じる感覚は消えない。

 

 そう、これは水だ。滴った水だ。

 さっき被った水が温かくなっているんだ。

 酔いが醒めかけて、体がそれに気付いたんだ。


 苦しい言い訳で自分を諭す。不自然に感じる右肩から胸にかけての重みは、しがみつき、離れる気は無いようだ。

 体は恐慌をきたし、音を発てそうな程に震える。払っても払っても消えて行かない記憶。

 

 男は思い出したのだ。この道で自分が何をしたのか。


 夜のことだ。車だった。

 跳ねられたな。そう思った。

 躰は伸びきって、口元には微かな赤。

 道端に横たわるのは猫だった。

 道の左脇に、不自然に横たわっていた。

 動く気配は無く、どうやら死んでいるらしい。

 

 だったら――


 免許を取ったのは最近で、まだ、車と自分の感覚にズレを感じていた男は、気まぐれを起こした。


 運転中の車の前輪で、獣の頭を狙い、後輪で腹を狙った。

 頭部を乗り越えた際に感じた違和感は、後悔よりも興奮を高めた。直ぐにスピードを落とし、バックミラーで状況を確認する。

 車輪で潰された頭部からは脳髄がはじけ、腹部からは臓器が押し出されたようにして飛び出していた。臓器が潰れていないからだろうか。血は思ったよりも広がってはいなかった。案外、内蔵は丈夫なんだなと漠然と思っていた。

 そのまま興味深く生き物の残滓をバックミラーで確認しながら夜道を進んだ。

 少し離れると、小さな光が見えた。道の両端に一つずつ、ぽつんと金色の輝きがミラーに映る。金色なのに、どこか寒々しい気がしたのは、それが生きていたものの目であったからであろう。


 頭蓋から押し出された猫の眼球。


 変な快感が男の中に生じた。背に感じる震えは、快楽時に感じるそれと似ている。

 腹の底から笑いが漏れる。

 思った通りに上手く行った。

 残虐な喜びに、殺人者はこんな心境なのだろうかと思う。

 高揚した気持ちは、自宅に帰って後も薄れなかった。

 

 翌朝、同じ道を車で行くと、烏がそこにいて、残骸を貪っていた。近付くと、大きめの欠片を咥え、飛び発つ。

 残っているのは中身を殆ど空にした躰。

 茶虎の毛皮は、敷物の虎を連想するように平たくなっており、既に生き物としての名残が殆ど感じられない。


 あっけないものだ。


 冷めた気持ちで男はそれを見ていた。

 昨夜感じた高揚感や快楽は、射精後のように冷め切ってしまっていた。

 その後も数日間は現場に毛皮が残っていたが、近くを通っても男は何も感じなかった。

 

 あの時、烏が咥えていたものは、今、自分の目の端に映ったものと似てはいないだろうか。


 恐る恐る目を開ける。

 そこへ飛び込んできたのは金色の小さな光――


 記憶にあるバックミラーの小さな輝き。

 それは前方のあの光に酷似していないだろうか。


 ここはどこだ?


 判りきった事実であったが、認めることは出来なかった。

 薄めを開け、霞んだ視界で前方へ進む。

 早くこの場所から去りたかった。

 

 光は左右に大きく開いている。道の真ん中を通れば近付かなくて済む。

 殆ど走るようにして男は道を進んだ。

 息が上がり、胸が痛む。その痛みは、罪悪感から出る痛みでは無かった。


 男の耳に、みゃぁと小さな鳴き声が響いた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 信じられなくらい大きな声で、男は絶叫していた。

 目を瞑り、闇雲に走る。

 しかし、脳裏には、自分が押しつぶした獣の躰が、そのパーツが、詳細に浮かぶ。

 冴えた金色の双眸が、問いかけるように、自分を見つめている気がした。


 運ぶ足が縺れ、男は倒れ込んだ。

 手元に濡れた感触。

 弾力のある何か――


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」


 朝は、まだ、大分先である。それまで、金色の光は消える事はないであろう。

 男は唱えるように同じ言葉を繰り返し続けた。

 今年に入ってから3回も猫の轢死体を見てしまいました。それまで20年間に2~3回しか見なかったのに(ノД`)

 ということで、その状態を思い出して書いてみました。烏の描写とか状況描写とか割とそのまんまです。

 そのせいか、見直しをしようと思っていた週末に、激しい頭痛で2日間寝込みました。

 

 この話し、怖いのは、実は翌日からだと思います。だって、田舎のああいった道って、他に回避できる道が無いんですもん。つまり、通勤でこれからも毎日使わないといけないんですよ。


 どうするんでしょうね、主人公の男性。特に夜――

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― 新着の感想 ―
[良い点] ゆ~くりゆ~くり、ひたひたひたひた、じんわりと怖くなる感じが好かったです。なんと言いますか、一生懸命に走ってるのになぜかゆっくり歩いてくる相手に追いつかれてぎゃーっ! みたいな感じがあって…
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