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私は白馬の王子様

作者: h5w

 残暑の厳しい十月の夜。

 私は狭い部屋内で背を丸めて胡坐をかき、安さから買った種類不明のそこそこ美味い肉の塊を肴にして、同じく安さで選んだ少ない酒を舐めるようにちびりちびりと飲んでいた。

 一人で酒盛りは非常に虚しい。友人と呼べる者は一人いるが、今日は連絡がつかなかった。仕方なくこうして一人で飲んでいる訳だが、やはり一人は寂しい。湿気と熱気で部屋内は蒸し暑いというのに、無性に温もりが恋しくてたまらない。

 ふと、とある迷信が思い浮かんだ。『夜口笛を吹けば蛇が来る』子供の頃によく聞かされたものである。当時の私なら怯えと畏怖でこの迷信に縛られたであろうが、今は違う。

 私は颯爽と立ち上がると、大きく息を吸い込み口笛を吹き始める。珍妙な旋律と呼吸による緩急、様々な要素が絡み合った結果、聞くに堪えない下手糞な口笛が部屋中を這いずり回る。

 すると、一分も経たずに玄関を叩く音が聞こえてきた。口笛を止めてふらふらと歩き、玄関の覗き穴に目を当てる。硝子を挟んで見えたのは、胡散臭さを絵に描いたような男のにやけ面であった。



 男の名は海月。本名らしいが本当かどうか定かではない。私の唯一と言っていい友人である。初対面は居酒屋、二度目は朝起きたら隣に寝ていた。もちろん蹴り起こした。

 外見は、牛乳瓶の底を連想させる眼鏡をかけ、派手なアロハシャツと薄黄色の半ズボンを年中着込み、首から古風なカメラを下げている。彼が何を思ってこのファッションなのかは謎である。

 私と海月は酒を囲んで腰を下ろし、話し始めた。

「今日はなぜ電話にでなかった?」

「用事があったからだ」

「私より大事な用とはなんなのだ?」

「お前を基準にすると、爪きりさえ用事になるぞ」

 その会話を境に、くだらないやり取りが始まる。海月が犬嫌いを告白し、私は犬が好きだと豪語、最後にはなぜか乳尻脚と下の話。

 くだらない話を肴にすると、これが不思議と酒が進む。すぐに肉の塊と安酒が底を尽きた。

「海月、麦酒を買って来い。なんなら発泡酒でもいい」

「金があるなら行ってやる。さあ、どうだ?」

「今は無い。偶には奢れ」

「馬鹿を言うな、俺だって無い」

 なんとこの男、金も無いくせに私の酒を飲んだのか。

「貴様! それならせめて女子を紹介しろ」

「俺に紹介できるような女子などいない」

 海月が誇れもできないことに胸を張る。しかし「いや、一人いるか」と呟くように続けた。私はそれを聞き逃さない。

「なんだ、いるのか?」

「いや、うん。いる――と言っていいもんか」

「やけに歯切れ悪いな。はっきりとしろ」

 海月は散々に唸った後、渋々と言った。

「俺には妹がいる」

「なに、貴様に妹! 初耳だぞ」

「言う気も無かったからな」

「……もしかして、その妹が紹介できる女子か?」

「ああ、そうだ。そうじゃなきゃ妹の話など、絶対にせん」 

 海月からすれば妹の話はしたくなかったのか、どうにも苦い面持ちだ。だが、海月がここまで語りたくない妹とはどんな奇人変人なのか。私は非常に興味をもった。

「その妹とは、どのような人なのだ?」

「蜜柑が好きで年中通して食べる奴だ。痛んでいようが凍っていようが、それが蜜柑ならば平気な顔をして食べる」

「単なる重度の蜜柑好きではないか」

「まだあるぞ。あいつは白馬の王子様に憧れている。子供の頃ならまだしも、今年で十六歳の奴がだ。痛々しいだろ?」

「それは確かに痛々しいな」

「そのくせ品が無い。女ということを自覚していないのか、と疑問を持つくらいにだ」

「確かに、女子は上品な方が良いな」

 その後も海月は、妹のことを語り続けた。その表情は苦々しくもどこか嬉しそうであった。そして、私もその妹とやらに会ってみたくなった。

 私が妹を紹介してほしいと海月に告げると、海月はまた云々と唸り始める。時折、「しかし妹がこいつを……」などと聞こえてきた。私は一人桃色の想像を始め、それが終幕へ向かった所で海月は不意に拍手を打つ。

「明日、俺とお前で卓球をしよう。それで俺に勝てたら、妹を紹介してやる」

 さも名案が如く、海月はそう提案した。



 酒盛りの翌日。残暑が終わったのか涼しい気候の中、私と海月は近所の卓球場に来ていた。

 一時間百円で卓球台とラケットを貸し出してくれるこの場所は、休日の時こそ家族連れと自主練習に精をだす卓球少年達で溢れかえるものの、今日は平日である。人は疎らでまともに卓球をしている者の姿も少ない。

 そんな最中、私と海月は卓球台を挟みお互いに迫力があると思っているポーズをとって、睨み合っていた。私の片手にはラバーの剥げかけたラケットが握られており、同様に海月もラケット握っている。

「海月よ、我が友よ。今日こそ決着を着けようぞ!」

「望むところだ。お前の阿呆面には飽き飽きしていた所だ!」

 雄大かつ壮大な口調で前口上を述べ、私と海月の決戦が開始された。

 とはいえ、お互いに卓球などしたこともない。長いもので六回ほど、ピンポン玉が両陣地を行き来するが、酷いときはラリーすら起きない。サーブで空振りピンポン玉が地に落ちる。

 しばらく卓球を続け、私は痺れを切らせて言った。

「貴様、かけれもしない横回転をかけようとするな! いやらしい!」

「お前こそ、打てもしないスマッシュをするな! 不恰好だ!」

 自然と言葉の応酬が始まり、ピンポン玉も両陣地を駆ける。ところが罵り合いは続くくせに、ラリーは全く続かない。その内ピンポン玉は飛ばなくなり、言葉だけが飛び交うことになった。これが卓球と言えるのか。もちろん言えないだろう。

 周りの暇人達の視線など意にも介さず、私と海月は罵り合いという名の口論を続けた。そんな熱い口論に冷や水代わりと一声割り込んで来る。

「兄さん。みっともないことをしないで下さい」

 私と海月の口論に、すんなりと割り込めるほどによく通る声だった。それこそ澄んだ声とでも言うのだろうか。その声に海月はピタリと口を止め、全身を緊張させる。

 私は海月の反応に疑問を持ちながら、澄んだ声の持ち主に目を向けた。

 声の主は小柄な少女。フード付きのパーカーを羽織り、下はホットパンツ穿いている。頭には帽子のようにバンダナを被り、そこからはみ出た短めの髪は栗色に染まっていた。顔は化粧ッ気が無く、頬に薄っすらと朱が差している。

 体は細身で肉付きが悪い。バランスこそ良いが、貧相で色気が無い。肌は白いが不健康な印象は受けない程度だ。

 その少女の姿が私の視界に入った瞬間、頭の中が真っ白になった。

 そして――友達、告白、恋人、結納、挙式といった一連の単語が真っ白な頭の中を駆け巡った。それこそ雷のように。

 呆けている私を少女は訝しげに一瞥し、海月に言った。

「兄さん。この人が以前に話したお友達ですね?」

 問われた海月は肩を落とした後に「そうだ」と覇気の無い声で答えた。答えを聞いた少女は訝しげな表情を崩し、柔和な笑みを浮かべて私に向き直り一礼。顔を上げて少女が言う。

「初めまして。私は不肖の兄を持つ妹こと、星子です」

 言葉を一旦切り、星子は先ほど見せた柔和な笑みとは打って変わって意地の悪い――まるで海月がいつも浮かべるような笑みをつくり「よろしくお願いします」と続けた。

「う、うむ。よろしく」

 星子の挨拶で我に返り、私はぎこちなく返事をした。

 我に返った頭により、私は一つ理解する。頭の中を駆け巡った一連の単語、今も治まらない心臓の高鳴り。

 ……これが、一目惚れなのか。


 

 星子は海月に公共の場でのマナーを淡々と言い聞かせると、用は終わったとばかりに「それでは」と一言言い残し、海月を引きずるように連れて卓球場から去ってしまった。私はと言えば、初めての一目惚れに戸惑いを隠せず、結局その光景をぼんやりと眺めているばかりであった。

 一人でアパートに帰り、桃色の想像に浸る気も起こらず横になっていると、携帯電話が震えて着信を知らせた。着信相手は海月である。

「よう、今日は悪かったな」

 開口一番に「もしもし」を言わず、海月はそう言った。

「全くだ。まあ、貴様の妹に会えたから良かったが」

「俺としては良くないがね」

「そうか。それよりも、話が違うぞ海月。あの子のどこが下品なのだ」

「あいつは初対面にだけ外面を良くするんだよ。次会ったら、初対面との落差で驚くと思うぞ」

「そうは思えんな。私からすれば、貴様の方がよっぽど変人だし品が無い」

「どうだろうな。まあ、また星子と会えば判る」

「会えることに期待しよう」

「なんだ? あいつに惚れたか?」

 探るような海月は問いかけに、私は素直に答える。

「ああ。そんなところだ」

「そうかよ。頑張れ。せいぜい愛想を尽かさないようにな」

 海月は含み笑いを混ぜながらそう言って、通話を切った。どうやら、海月は私の恋路を邪魔も応援もしないらしい。

 釈然としない気のまま、私はその日眠りについた。



 玄関から聞こえてくる、ノックの音で私は目覚めた。時刻を確認するために携帯電話を手に取る。現在時刻、午前五時三十分。いつもならこの五時間は後に目覚めるはずだ。

 ふらつきながら立ち上がり、下がってくる瞼を腕で押し上げ玄関へ向かう。朝の冷気で冷たくなったドアノブを回し、扉を押し開いたが外には誰もいない。

「みぃさぁげてごらん」

 間延びした声で指示され、寝惚けた私は素直に首を下へと傾けた。小さな七輪が一つ、足元に置かれている。中には真っ赤な炭も入っており、暖をとることもできそうだ。

 いや、実際に暖をとっている人物がいる。七輪から立ち上る熱気に手を当て、気持ち良さそうに目を細めている少女。私が昨日、一目惚れした星子その人であった。服装も昨日と全く同じで、見間違えている訳でもない。

 寝起きの頭を襲った大きな驚きで声を出せずにいると、星子が口を開いた。

「おはようございます。どうです? 一緒に暖まります?」

 呆気からんとした物言いである。

「いや、えっと、星子さんだよな?」

「嫌ですねぇ。私で暖まりたいなんて、朝から大胆過ぎますよ」

「そんなことは言っておらん!」

「照れなくて良いですよ。朝からお盛んなのは分かってます」

 私の下半身に視線をやりながら、星子は言う。私は起きたばかりということを思い出し、とっさに手で隠しながら後ろに飛び退いた。

「ああ、どうも。寒かったんですよ。お邪魔しますね」

 飛び退いた私の横を擦り抜け、玄関へずかずかと上がり込む星子。靴を乱雑に脱ぎ散らかし、さっさと部屋の中へ入って行く。そして部屋の中央を陣取り、どっかりと腰を下ろした。

 私はその一連の図々しく品の無い行為に呆気を取られた。海月の言っていたことは、本当だったようである。

「どうしたんですか? そんなとこでぼーっとして」

 悪びれもせずに星子は言う。しかし、その言葉に従い私は星子の対面に座った。とりあえず、言いたいことが多い。ところが、先に声を出したのは星子だった。

「いや、やっぱり朝は冷えますね。つい七輪を持ってきちゃいました」

「なぜそこで七輪なのだ……。それよりも、星子さん――」

「さん付けは止めてください。こっちは年下なんですから。親しみを込めて星子様と呼んでください」

「親しみより、畏怖と敬意が込められそうだが。ともかく、星子ちゃん。朝っぱらなんの用だ?」

「ちゃん付けですか。あと、それが素の口調ですね。なんだが偉そうです」

「茶化すな。なんの用かと訊いている」

「特にありませんよ。ちょっと暇だったので、サプライズをと思いまして」

 飄々とした口調で星子は言い、笑みを浮かべた。私はそれに苦笑で返す。

 海月の言葉通り確かに驚いた。昨日と違い星子は品が無さ過ぎる。まるで別人だ。しかし、星子の笑みを見ると胸が高鳴るので、惚れていることは間違いないらしい。

 星子が「お茶貰えます?」と催促してきたので、立ち上がり台所に向かう。コップ二つに薬缶からお茶を注ぎ、両手に一つずつ持って部屋へ戻った。すると、星子が私の敷いた布団をなにやら弄っていた。

「なにをしている?」

 コップを置き、背に向かって声をかける。星子は背を向けたまま返事をする。

「ちょっと、ベッドメイキングを」

「ホテルマンか貴様は」 

「人は皆、生きるためのホテルマンですよ」

「馬鹿を言ってないで、茶を飲め」

「お茶よりも水の気分なんですが」

「貴様がお茶と言ったのだろう!」

「だからって、馬鹿正直に持ってこないでください」

「無茶苦茶言うな!」

「まあ、頂きますけど」

 ベッドメイキングを止め、星子は黙ってお茶を飲み始める。静寂が訪れ、私はようやく惚れた女子と二人きりだと自覚した。途端、一つの考えが浮かぶ。これは好機だと。

 普段働かずに惰眠を貪ってばかりの脳が、今回ばかりは策を練る為に隅々までを使い働きだす。結果、本来なら記憶の片隅にすら置かれない一つの情報が引っ張り出された。それは、行き着けの喫茶店に季節限定の蜜柑ケーキがある、というものだ。

 海月の話によれば、星子は重度の蜜柑好きである。これを餌にデートに誘えるのではなかろうか。私は一つ、策を思いついた。

 まず、星子に好物を訊く。星子は蜜柑と答えるはずなので、すかさず『蜜柑を使った美味いケーキを知ってる。食べに行こう』と誘う。我ながら上手い流れだ。

 星子はお茶を飲み終え、ぼんやりと宙を眺めている。私は早速、策を実行に移した。

「星子ちゃん、好きな食べ物とかあるのか?」

「およ、唐突ですね。食べ物ですか……」

 星子はしばしの間を置き、答える。

「面白みの無い回答ですが、ケーキですね」

「そうか。ケーキを使った美味いケーキを知ってる。食べに行こう」

「食べるより見たいですね。そのケーキ」

 星子はそう言って私に背を向け、そのまま肩を震わせる。どうやら笑いを堪えているらしい。出来るなら私も笑いたい。その笑いはきっと、自分への嘲笑だろうが。



 慣れないデートへの誘いを見事に失敗し、もう一度誘おうにも好奇を見出せず、結局デートの『デ』の字も出ないままお開きとなってしまった。

「それでは、また来ます」

 玄関で靴を履きながら星子は言った。本心では来てほしいが、それを口に出すのはあまりに女々しい。

「もう来るな」

「収まりがつかないんですよ。そっちが誘ってきたんでしょう?」

「そんな、私には妻と子供が!」

「……このやり取り、普通男女が逆ですよね」

「いきなり貴様が始めたのだろう」

「とっさにノってくれる、あなたもどうかと思いますが」

 ニヤりと微笑み、星子は「ノリが良い人は好きですよ」と呟いた。不意を突かれ、私は小さく呻く。照れ隠しに「さっさと帰れ」と思っても無いことを言った。

「それでは」

 星子は昨日と同じくそう言って帰った。扉が閉まり、星子の姿が見えなくなると足の力が抜け、その場に座り込む。立とうとはせず、床を這って部屋へと向かう。落ちていた携帯電話を手に取り時刻を確認すると、まだ午前七時を過ぎる頃であった。

 緊張が解け、早起きした分の眠気が襲ってくる。迷わずに私は敷きっぱなしの布団へ体を預けた。

 枕の位置を調整しようと持ち上げると、見覚えの無い四つ折の紙を見つけた。気になり開いてみると、男気すら感じる達筆で『突然来てごめんなさい』と書かれている。恐らく、星子が布団を弄っていたときに仕込まれた物だろう。……可愛い所もある、と言えるのか。

 私は紙を枕元に置き、瞼を閉じた。



 目が覚めたら昼飯時だったので、私は空いた腹を抱えアパートを飛び出した。気の向くままに歩を進め、目に入った食事処で飯を済ませようと、当ても無く街中をうろつく。ところが、私の足は自然と行き慣れた喫茶店へと導いた。

 喫茶店の入り口には『期間限定蜜柑ケーキ』と書かれた立て看板が置いてある。この喫茶店こそ、星子をデートに誘うネタにした喫茶店だ。まあ、結果としては誘えなかったが。

 今朝の情けない自分を思い出し、苦い想いを胸に喫茶店の扉を押す。来客を知らせる小さな鐘が鳴り、男性店員が営業用の微笑を顔に貼り付け近づいて来た。お一人様ですか、と店員に訊かれ私は当然だろうと思いながら答える。

「一人だ」「二人です」

 私の答えに被せて、隣から今朝聞いたばかりの声が聞こえた。ゆっくりと首を声の主に向ける。やはり、今朝見たばかりの姿があった。店員は不思議そうに私と星子を交互一瞥し、もう一度同じ質問を繰り返した。私の返答は変わらない。

「だから一人だ」「もちろん二人です」

 また隣に首を向ける。今度はしっかりと目が合った。目が合うと星子は、不満そうに片頬を膨らませ目を細めてくる。店員は微笑を崩し、困り顔で私の方を見つめてくる。

「……二人だ」

 私は渋々、そう答えた。



「いやぁ、助かりました。蜜柑ケーキが食べたいな、でもお金ないな。そう思ってふらふらしてたら、今朝見たばかりの不健康そうな人が阿呆面を晒して歩いてる。これはチャンスと思いましたね。いやぁ、良かった」

 テーブルに置かれた白い洒落た皿。それに盛られた蜜柑ケーキを、フォークで口に運びながら饒舌に語る星子。私は星子の対面に座り、呆れながらその語りを聞いていた。

「このケーキ美味しいですね。クリームも甘いし、蜜柑も程よく酸味があります。なにより他人のお金で食べるというのが良いです。気兼ね無く食べれますし」

 図々しくも、星子が食べている蜜柑ケーキは私の奢りである。癪に障ることを星子はべらべらと言うが、なぜだか私は嫌な気を持たない。むしろ、ケーキを頬張り笑顔を見せる星子に愛らしさすら感じる。これが惚れた弱みというものか。

 星子が食べ終わるのを待つ間、私は熱いラザニアに悪戦苦闘する。死闘の末ラザニアを余すことなく腹に入れたが、代償に舌が軽い火傷を負った。テーブルの上から皿が無くなり、水滴を身に付けるコップが二つあるのみとなった。

「ごちそうさまでした」

 星子が手を合わせて私に言う。律儀なものだ。海月なら当然とばかりに、ここから真っ先に去るだろう。星子は海月と似た人間かと思いきや、所々違う部分がある。兄妹だからか。 

「海月とは似て非なる、か」

 どうでもよい思考が呟きとなって口から漏れた。呟きに星子が答える。

「似てるとは言われますけど」

「ああ、笑い方がよく似ている」

「……あの卑しい笑い方と?」

 なんとも言えない、複雑な表情で星子は言った。

「卑しいと言うより、貴様の場合はいやらしいがな」

「つまり私といやらしいことがしたいと?」

「一言も言っとらん! 会話を部分で聞き取るな」

「ごめんなさい。ついつい」

 続けて「反省してます」と白々しく言葉を繋げた。

「どうだかな」

「反省してますよ。なんなら神に誓っても良いです。アーメン」

「易々と神に誓うな。それは結婚するまで取っておけ」

「結婚するなら王子様ですね。白馬の王子様」

 そうえば、星子は年に合わず王子様に憧憬を抱いてると聞いていた。聞いたときは痛々しいと感じたが、今はどうにも悪い風に感じない。

「王子様、か」

「ええ、王子様です。それも白馬の」

 白馬が重要らしい。この時代に、道端で白馬に跨る王子様がいるとはとても思えんが。

 会話が途切れ、居心地の悪さから水を飲む。星子も倣うようにコップへ口付けた。喫茶店は今の時間、お世辞にも盛り上がっているとは言えない。それゆえ、私と星子の会話が無くなると小さな静寂が起きる。

 先に沈黙を破ったのは星子であった。

「改めて、ごちそうさまでした」

「ん、ああ。気にするな」

「それでは。また奢ってもらいに来ますね」

「来るな。阿呆が」

「まあそう言わず……。これはお礼です」

 星子は紙片を懐から取り出し、テーブルの上を滑らせ私に渡す。紙片には十一桁の数字が並んでいた。意味が分からず、紙片を凝視する私に星子は

「携帯電話の番号です。もちろん私の」

 ――と言って、席を立った。喫茶店から出て行く星子を見送り、私は一度紙片に視線を戻す。電話番号。頬が意思と関係なく緩み、それを手の平で覆い隠す。歓喜で肩が小刻みに揺れ、今すぐにでも諸手を上げて喜びを示したい衝動に駆られた。

 今朝の情けなさなからくる気持ちなど、とうに残ってはいなかった。



 その日から、私の部屋に来る人物が一人増えた。言わずと知れた星子である。いつも同じ格好で昼夜問わず押しかけ、お茶を催促してくる迷惑な奴だ。ちなみに、着ている服は同じ物を数着持っているらしい。

 時には海月と二人で来襲し、迷惑にも酒とお茶で宴を始める。その場で星子はまるでお茶にアルコールでも混ぜてあるのかと、疑い問い詰めたくなるような行動をとりだす。海月がそれを茶化し、さらに悪化したこともあった。その行動は星子の名誉の為、私が描写することはない。しかし、一文で表現するなら――服の上からとは言え、女子の体は細く柔らかいものだ。



 星子と卓球場での出会いから、一ヶ月が経とうとしていた。

 自室の隅で正座し、私は一つの決心をする。星子に気持ちを伝えようと。少々早いのではなかろうか、もっと仲良くなってからでも、などと囁く弱気な自分を追いやり、私は携帯電話を手に取り星子の携帯電話へ発信した。

 電子音が四度鳴り、携帯電話越しに「はいはい」と聞こえてくる。

「星子ちゃんか?」

「残念、違います。正解は『体の火照った女』です」

「それに正解出来るほど、私の頭は受信していない」

「まるで私が電波でも受信してるような言い草ですね」

 そこから私は本来の目的を忘れ、雑談に興じた。二十分を費やし、ようやく本題に入る。

「今、どこに居るのだ?」

「えっとですね……。今は街中をぶらぶらしてます」

「そ、そうか。すまん。まだ電話する」

「はい。そうですか。何か用事が?」

「いや、少しな」

「ふーん。それでは」

 最後は歯切れ悪くなったが、通話は流暢に進めれた。星子は外に出てるようだ。今から外に出れば、狭い町だし出会えるだろう。最悪会えなくても電話で呼び出せば良い。

 そう思っていると、携帯電話が着信を知らせた。着信相手は海月。こんな時になんの用かと軽い憤慨を覚えつつ、私は携帯電話を耳に当てた。

「なんだ、なんの用だ?」

「えらくピリピリしてるな。どうした?」

 訝し気な海月に、私は今から告白をしに行くことを伝えた。考えると、兄に対し妹に告白をしに行くことを伝えるのは、如何なものかと思う。 

 伝え終えると、海月はいつもの軽い口調ではなく、似合わない真剣な口調で言った。

「星子は、俺から見ても変人だ」

「急になんだ?」

「聞け。前言った通り、星子は初対面での外面だけは良い。そのせいで初対面との落差であいつに人が寄ることが少なかった」

 確かに、一目惚れした私でも初対面との違いには驚いた。惚れてない者なら尚更だろう。当然、近寄り難くなる。

「しかし、お前は違った。愛想を尽かさなかった。それどころか、惚れたとさえ言う始末だ」

「悪いのか」

「いや、俺としては嬉しい限りだ。星子を任せても良いと思う。お前は居酒屋で意気投合しただけで、家に他人を上げるようなお人好しだしな」

「……あれは酔っていたからだ」

 反論すると、海月は真剣な口調から一転して、愉快そうに大きく笑った。

「どうだかな。ま、ともかくだ。俺はお前の告白に反対しない」

「ああ、そうか。それなら応援してくれ」

「嫌だ」

「なぜだ!」

「兄として、可愛い妹に簡単に告白されては困るからだ」

「このシスコンが……!」

「なんとでも言え! 俺は今日、お前の告白を邪魔してみせる!」

 呆れる他無い宣言であった。惚れた相手の兄だろうが、私の告白を止める権利などないだろうに。

「貴様は私の友人だろう? 今日くらい友情を見せたらどうだ!」

「俺は星子の兄として行動する。せいぜい覚悟をするんだな!」

 海月の高笑いが聞こえ、一方的に通話を切られる。

 なんて奴だ。友人の恋路を邪魔しようなどと。私は断じて、奴にだけは屈せんぞ。邪魔など華麗に避わして、告白を行ってやろうではないか。

 拳を強く握り、私は決心を固めた。

 


 甘く見ていた。

 私は人混みを搔き分けながら思った。携帯電話での会話。私はせいぜい海月が星子に根回しでもして、今日だけ私から遠ざけるという程度の邪魔だろうと踏んでいた。

 しかし、海月はそんな姑息だが有効な策は取らなかった。

「そこかぁ!」

 背後から声が響いてきた。海月の声だ。内心で舌打ちをし、私は動きを早める。周りから迷惑そうな視線を感じるが、いちいち気にしていては仕方が無い。

「待てぇええええい!」

 また背に声がぶつかった。声の大きさから、海月が近づいて来ていることが分かる。私は人混みを進むのを諦め、近くにあった百貨店の入り口へ駆け込んだ。勢いそのままに偶然開いていたエレベーターへと飛び込む。ようやく一息つける。

 私の告白を邪魔する為に、海月が取った策は実に単純なものだった。私が告白しないよう、今日一日中付き纏うことである。家を出て海月と出会い、その策を見破った私は、一目散に逃げ出した。

 その延長がこの、さながらルパンと銭形を彷彿とさせる鬼ごっこである。

 エレベーターの扉が開き、私は百貨店の五階に足を踏み入れた。辺りを見回し、海月の姿を探す。胡散臭いアロハ姿は見当たらなかった。どうやら追って来なかったようだ。裏を返せば、ここに星子はいないのだろう。いたならば、百貨店に入ることすら邪魔されたはずだ。

 星子に連絡ができれば楽なのだが、携帯電話の電源を切っているのか、通話が出来ない。だからこうして、童心に帰れない鬼ごっこをする羽目になったのだ。

 どうしたものかと思案しながら百貨店内を歩いていると、玩具売り場に置いてある一つの玩具が目に止まる。そして、我ながら阿呆な策を思いついた。私は藁にも縋る思いでその玩具を手に取る。それが、光明の道を開いてくれると信じて。



 外に出ると雨が降っていた。たぶん、通り雨なので待てば止むのだろうが、時間が惜しい私は雨粒に当たりながら走りだした。

 雨を鬱陶しそうにする人々が、通り過ぎる度私に対して奇異の視線を寄こしてくる。しかし気にしてはいられない。海月に見つかるやもしれんのだ。早く星子を見つけねば。 

 ずぶ濡れになりながら走り続け、海月らしき人物を見かければどうにかしてやり過ごす。そしてまた走り出す。それらを繰り返し、私がたどり着いたのは卓球場であった。

 卓球場の入り口。小さな屋根の下に身を寄せ、空を眺める少女がいた。星子である。身格好は初めて会ったときと寸分の違いもない。

 私は延々と走っていたこともあり、ともかく高揚していた。早足で近づいていくと、星子は怪訝そうに首を傾けた。どうやら、私と気づいていないようだ。無理もない。今の私は玩具によって変装しているのだから。

「奇遇だな」

「へ? あ、ああ。あなたですか!」

 私が声を発し、ようやく星子は気づいたらしい。驚きながら挨拶を返してくる。

 息を整える。頭の中で台詞を反復する。高揚に身を任せ、私は喉を震わせた。

「星子、私と恋仲になってくれ!」

 言って、雨音だけが聞こえてきた。私は力むあまり目を瞑ってしまい、星子の表情が伺えない。どんな表情だろうか。笑みか、それとも嫌悪か。もしくは困惑だろうか。分からない。確かめなければ。

 目を開ける。そこには――必死で笑いを堪える星子が見えた。

「……おい」

 声をかける。なぜここで笑えるのだ。

「ちょ、ちょっと、待ってきゅだしゃ、ぷはっ!」

 とうとう堪えきれなくなったのか、星子は今まで見たことがないくらいに笑い始めた。二分かけてしっかりと笑いを収め、星子は言う。

「白馬の王子様って、そういう意味じゃないですよ」

 星子は私の被っている物を指差し、また笑い始める。その言葉を理解し、私は変装代わりの被り物を脱いで、蒸れて汗塗れの頭部を露出した。

 被り物を両手で抱え、胸の前に持ってくる。それは、白馬の頭部を模した被り物であった。困り果てた私が変装代わりに買った物である。まさか、こんな言葉遊びになるとは、思いもしなかったが。

 それよりも、私には気になることがある。

「星子ちゃん。返事が欲しいのだが」

 女々しいかもしれないが、私からすれば早く返事が欲しいのは当然だ。

 星子は笑って乱した息を整え、先ほどとは違う上品な微笑を浮かべる。

「私からもお願いします」

 星子はそう言って、頭を下げた。ここで抱きしめたりするのが良い男なのだろうが、私はただただ呆然自失の状態に陥った。告白しておいて返事を信じないとは、情けないの一言しか頂けない。

「良い……のか?」

 口から漏れる、確認の言葉。

「らしくないですね。いつも自信満々の口調なくせに」

「しかしだな――」

「あなたみたいに面白くてからかいがいのある人、他に渡しませんよ」

 喫茶店の時のように静寂が訪れる。ところが、居心地は全く悪くない。いつまでも、こうしていたいくらいだ。

 雨がしだいに弱くなり、日が差してくる。それが星子の赤くなった頬を照らし、そこでやっと分かった。

 私はどうやら、白馬の王子様になれたらしい。



 朝。目を開けると星子の愛らしい寝顔があった。驚いて反対側に寝返りをうつと、海月のむかっ腹の立つ寝顔があった。躊躇なく叩き起こした。 

 海月を起こすとその騒ぎで星子も目を覚まし、三人で星子の持って来た七輪を囲む。いつものように雑談が始まった。

「おい、なぜ私の部屋に入れたのだ?」

「愛の力ですけど」

「愛に負ける防犯設備などあるか!」

「おうおう、惚れ気かよ。お熱いこって」

「どこか惚れ気に聞こえる!」

「私との関係は遊びだったんですね。兄さんと話すなんて浮気です」

「男と話してなにが浮気だ。この阿呆」

「そうだ。浮気じゃないぞ、本命だ」

「気色の悪いことを言うな!」

 早朝から品の無い笑い声が部屋に響く。

 王子様になれても、この時間は変わらないようだった。 



コンテストの期限ギリギリに投稿した記憶がある作品

文字数規定に何とか達成させようと奮闘し、結果的に読み辛くなった

しかし奮闘しただけに思い入れは・・・、やっぱり他作品とあまり変わらない。ところどころ、手直しはしてあるけどね

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