第10話 安全な距離
最初に気づいたのは、
話しかけられる回数が減ったことだった。
急激ではない。
数日で分かるほどでもない。
ただ、
以前なら自然に挟まれていた会話が、
私のところで一拍、止まる。
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雑談が、
流れを変える。
私を避ける、
というほどではない。
けれど、
含めなくても成立する話題に、
静かに移行していく。
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それは、
排除ではなかった。
むしろ、
配慮に近い。
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「この人は、
ここまで踏み込まない方がいい」
そんな無言の了解。
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昼休み、
数人が集まって何かを話している。
笑い声が出る。
私も、
少し離れた席にいる。
聞こえないわけではない。
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でも、
声はかからない。
それが、
自然な配置になっている。
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理由は、
分かっていた。
私が、
問題を起こさないから。
不用意な発言をしない。
誰かを巻き込まない。
安全。
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安全な人間は、
距離を取られる。
それは、
逆説ではない。
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誰かが、
小さな愚痴をこぼす。
別の誰かが、
それに同調する。
私は、
参加しない。
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参加しない、
というより、
参加しても、
場の温度が変わる。
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以前、
一度だけあった。
軽い愚痴に対して、
私は整理した言葉を返した。
否定ではない。
助言でもない。
ただ、
構造を説明した。
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その瞬間、
空気が静かになった。
誰も怒らなかった。
誰も否定しなかった。
ただ、
話題が終わった。
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それ以降、
同じ種類の話は、
私の前では出なくなった。
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私は、
正しいことを言った。
少なくとも、
制度的には。
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けれど、
その正しさは、
会話の継続には向いていなかった。
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放課後、
クラスメイトに声をかけられる。
「このプリント、
どう思う?」
判断を求める質問。
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私は、
内容を確認する。
制度上の問題点。
実施時の影響。
短くまとめて答える。
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「助かる」
そう言って、
相手は去っていく。
会話は、
それで終わりだ。
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感謝はある。
親しさは、ない。
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私は、
その関係を
悪いとは思っていない。
むしろ、
安定している。
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掲示板を見る。
《あの人、
相談すると冷静すぎる》
《正論なんだけどさ》
続きは、
書かれていない。
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冷静。
それは、
評価だ。
同時に、
距離を生む言葉でもある。
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私は、
感情的にならない。
少なくとも、
表に出さない。
それが、
模範生としての振る舞いだ。
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けれど、
感情がないわけではない。
ただ、
処理を後回しにしている。
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帰宅後、
ノートを開く。
今日の記録。
相談対応:二件。
判断補助:一件。
問題発生:なし。
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人間関係の欄は、
簡潔だ。
変化なし。
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本当だろうか。
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変化は、
数値には出ない。
距離は、
減点されない。
だから、
記録には残らない。
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私は、
そのことを
分かっている。
分かった上で、
修正しない。
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距離は、
管理できる。
感情より、
予測しやすい。
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夜、
ふと考える。
もし、
模範でなかったら。
もっと、
雑な返しをしたら。
空気を壊しても、
笑って済ませたら。
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想像は、
すぐに打ち切る。
それは、
今の役割ではない。
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私は、
安全な距離にいる。
誰かを傷つけない。
誰かに深入りしない。
それは、
選んだ結果だ。
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布団に横になり、
天井を見る。
静かだ。
騒ぎはない。
問題もない。
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ただ、
呼ばれなくなった名前が、
いくつかあるだけだ。
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それを、
寂しいとは書かない。
そう書いた瞬間、
処理が必要になるから。
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私は、
今日も記録を閉じる。
模範生として、
正しい一日だった。




