第8話 検知項目
変化は、通知ではなく、確認から始まった。
担任が、ノートを見る時間が少し長くなった。
それだけだ。
ページをめくる速度が、
以前よりも遅い。
数値を追う目から、
配置を見る目に変わっている。
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「……ここ」
そう言って、
指先が止まる。
色の付いていない欄。
空白。
「これは?」
問いは、穏やかだった。
責める調子でも、
疑う声色でもない。
単なる確認。
そういう体裁だった。
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私は、
一瞬だけ考えた。
どう説明するか。
どこまで言うか。
「判断保留です」
出てきたのは、
簡潔な答えだった。
嘘ではない。
でも、十分でもない。
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担任は、
少し考える。
「件数は少ないね」
「でも、増えてる」
増えている、という言い方は、
評価に近かった。
減っているか、
増えているか。
制度は、
まずそこを見る。
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「悪いことじゃないよ」
すぐに、そう付け加えられる。
「むしろ、慎重でいいと思う」
「ただ……」
ただ、
という言葉の後には、
必ず何かが続く。
「全体を見るときに、
少しだけ見えづらい」
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見えづらい。
問題がある、とは言われなかった。
間違っている、とも言われていない。
ただ、
見えづらい。
それは、
制度にとって、
十分な理由になる。
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「色を付けない理由を、
一言だけメモしておくのはどうかな」
提案、という形だった。
義務ではない。
命令でもない。
「判断基準が共有できるから」
共有。
その言葉で、
話は終わった。
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私は、うなずいた。
断る理由は、
やはり見つからなかった。
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その日の帰り道、
頭の中で整理を始める。
色を付けない理由。
一言のメモ。
難しくはない。
むしろ、楽だ。
理由があれば、
空白ではなくなる。
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家でノートを開く。
空白の欄の横に、
小さく書き足す。
「判断材料不足」
「当事者間未整理」
「継続観察」
どれも、
間違ってはいない。
言葉にすると、
安心する。
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翌日、
学年主任が声をかけてきた。
「新しい項目、いいね」
項目。
そう呼ばれた。
「分類としては、
“未確定”かな」
未確定。
空白ではない。
でも、確定でもない。
中間。
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「今後は、
この枠も集計に入れようか」
集計。
その瞬間、
私の中で何かが定まった。
空白は、
もう空白ではいられない。
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未確定は、
数字になる。
数えられる。
比較される。
傾向として、
評価される。
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掲示板を開くと、
新しい書き込みがあった。
《最近、あのクラス、
静かすぎない?》
すぐ下に、
返信が付いている。
《問題がないなら、
それでよくない?》
そのやり取りを見て、
画面を閉じた。
外側からは、
何も変わっていない。
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職員室では、
新しい表が回っていた。
項目が一つ、
増えている。
「未確定案件数」
私のノートの書式が、
そのまま反映されていた。
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誰も、
私を責めていない。
誰も、
問題視していない。
むしろ、
評価は上がっている。
「気づける人」
「丁寧な人」
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それでも、
ノートを見る手が、
少し重くなった。
空白は、
もう隠れられない。
未確定は、
処理を待つ状態だ。
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夜、ノートを閉じる。
今日も、
赤はない。
青と黄と、
そして未確定。
すべて、
把握可能な状態だ。
制度的には、
理想的だった。
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私は、
空白を失った。
代わりに、
新しい枠を得た。
それが、
進歩なのかどうかは、
まだ分からない。
ただ一つ分かるのは、
見えないままでは、
いられなくなった
ということだけだった。




