表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

第7話 無視の手順


 空白は、一つだけなら問題にならない。

 少なくとも、私はそう判断していた。


 ノートの一角に色が付いていない欄があること自体は、誰にも気づかれない。

 週の集計を見るとき、人はまず全体を見る。

 赤がないか。

 黄が多すぎないか。

 青が極端に少なくなっていないか。


 そこを通過したあとで、ようやく細部を見る。

 そして多くの場合、細部までは見ない。


 空白は、そのどれにも当てはまらない。

 強調もされず、警告にもならない。


 だから、見落とされる。


 見落とされるということは、

 存在しないのと、ほとんど同じだ。



 例外は、その性質上、数が増えやすい。


 最初は、深い相談だった。

 分類しようとすると、どこにも収まらなかった。

 感情は強いが、衝突ではない。

 不満はあるが、対象が定まらない。


 次は、感情の整理がつかないまま終わった会話。

 話している途中で、本人が自分の言葉に迷い始めた。

 私は待ったが、結論は出なかった。


 その次は、結論を出す前に時間切れになった件。

 チャイムが鳴って、席に戻るしかなかった。


 どれも、赤ではない。

 でも、青にしてしまうと、

 自分の中で何かが噛み合わない。


 黄にするには、理由が曖昧すぎる。

 保留という言葉を使うには、

 保留する対象がはっきりしていない。


 結果として、

 空白が増えた。



 私は、それに気づいていた。

 気づいた上で、

 何もしなかった。


 「後で処理すればいい」


 そう思うことで、

 今は見ない、という判断を正当化する。


 後で、という言葉は便利だ。

 期限がない。

 責任の所在も曖昧になる。


 それが、

 無視の最初の手順だった。



 相談の場でも、

 変化は少しずつ出ていた。


 相手が言葉を探しているとき、

 以前なら待っていた間を、

 少し早めに切るようになった。


 沈黙が長くなる前に、

 こちらから言葉を差し出す。


 「それは、今すぐ答えを出さなくてもいいかも」


 便利な言葉だ。

 否定しない。

 結論も出さない。


 でも、

 深入りもしない。


 相手は納得したような顔をする。

 少なくとも、そう見える。


 その顔を見ると、

 これでよかったのだと思える。


 私は、それ以上踏み込まない。



 踏み込まない、という選択は、

 驚くほど楽だった。


 感情を受け止めなくていい。

 分類に悩まなくていい。

 色を選ばなくていい。


 ただ、

 「今は扱わない」

 という箱に入れる。


 箱の中身を、

 確認しないまま。


 箱がどこに置かれているのかも、

 考えない。



 職員室では、

 相変わらず評価は安定していた。


 「最近も、落ち着いてるね」

 「数値も、問題ない」


 それは事実だった。

 数字は揃っている。

 報告も減っている。


 その言葉を聞くたび、

 私は空白のことを思い出す。


 でも、

 何も言わない。


 言わなければ、

 問題は存在しない。


 存在しないものについて、

 説明を求められることはない。



 掲示板を、久しぶりに覗いた。


 新しい書き込みは少ない。

 ほとんどが、過去ログの延長だ。


 《あのクラス、静かすぎて逆に怖い》

 《何も起きないのが一番》


 その二つの意見が、

 並んで表示されている。


 どちらも否定されていない。

 どちらも、正しい扱いだ。


 最後の一文を読んで、

 画面を閉じた。


 正しい。

 制度的には。



 家でノートを開く。

 空白は、三つに増えていた。


 色の付いていない欄が、

 目立つようになってきている。


 指でなぞって、

 止める。


 処理しないと、

 いずれ溢れる。


 それは分かっている。

 理屈としては、理解している。


 でも、

 今は溢れていない。


 だから、

 無視できる。



 無視は、

 意識的な拒否じゃない。


 強く目を逸らすことでも、

 否定することでもない。


 ただ、

 見ないことを選ぶだけだ。


 選び続ければ、

 それは習慣になる。


 私は、

 その習慣を

 すでに身につけ始めていた。



 ノートを閉じる。


 今日も、

 赤はない。


 模範生としては、

 完璧だった。


 空白の数だけ、

 何かを残したまま。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ