第15話 編集不能領域
異変は、
警告としては現れなかった。
数値の乱れでも、
注意喚起の文言でもない。
ただ、
引っかかりとして残った。
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いつものように、
昼休みの相談記録を整理していた。
内容は軽い。
友人関係。
進路の不安。
家庭の愚痴。
赤にするほどではない。
黄にするには薄い。
空白に回す。
その判断が、
途中で止まった。
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止まった理由は、
明確ではない。
文章のどこかに、
判断不能な余白があった。
でも、
それは感情ではない。
もっと、
構造的なもの。
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書かれていたのは、
ただの一文だった。
「自分が何を考えているのか、
分からなくなった」
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よくある言い回しだ。
今までも、
何度も見てきた。
だから本来なら、
迷わず空白に回せる。
――関与不要。
――処理コスト高。
それで終わるはずだった。
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でも、
指が動かなかった。
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理由を探す。
文章が短すぎる?
背景が不明?
具体性がない?
どれも、
今さらだ。
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それでも、
この一文だけが、
ノートの上で浮いている。
色が、
決まらない。
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編集不能。
その言葉が、
頭をよぎる。
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今までの自己編集は、
すべて「選別」だった。
扱うか、
扱わないか。
踏み込むか、
距離を取るか。
どちらかを選べば、
必ず整理できた。
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でもこれは違う。
選択肢が、
成立しない。
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扱えば、
自分の基準が崩れる。
無視すれば、
何かを捨てることになる。
その「何か」が、
言語化できない。
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私はノートを閉じた。
閉じる、
という行為自体が、
判断の先送りだと分かっていながら。
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午後の授業。
板書を写しながら、
さっきの一文が
頭から離れない。
自分が何を考えているのか、
分からなくなった。
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それは、
相談者の言葉だった。
でも、
どこかで重なっている。
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私は、
何を考えている?
今、
何を優先している?
自己編集は、
本当に自分の選択だったか。
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思考が、
内側に向き始める。
これは危険だ。
内省は、
処理コストが高い。
しかも、
結論が出ない。
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自己編集プロトコルに従えば、
即座に破棄すべき思考だ。
だから、
止めようとする。
でも、
止まらない。
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放課後、
職員室の前を通る。
誰かが名前を呼ぶ。
振り返ると、
担当の教員だった。
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「最近、
相談対応のログが減ってるね」
声は穏やかだ。
責める調子ではない。
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私は、
即座に答えを用意する。
「大きな案件がなくて」
それは、
事実でもある。
そして、
編集済みの返答だ。
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教員は頷き、
それ以上は聞かない。
制度は、
私を信頼している。
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その信頼が、
今は重い。
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家に帰り、
ノートを開く。
例の一文は、
まだ空白のままだ。
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ここに色をつければ、
楽になる。
どの色でもいい。
間違っていても、
制度は許容する。
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でも、
私が許容できない。
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これは、
処理の問題じゃない。
分類の問題でもない。
自分が、
どこまで削ってきたか
という問題だ。
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編集不能領域。
それは、
制度の外にあるものではない。
私の中に、
まだ残っている
未編集の部分。
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残っている、
という事実が、
怖い。
同時に、
どこか安堵もある。
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完全に編集済みではない。
まだ、
余白がある。
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ノートを閉じる。
今日は、
結論を出さない。
それ自体が、
プロトコル違反だと
分かっていながら。
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自己編集は、
万能ではない。
その事実だけが、
静かに残った。




