引きこもり代行
「やあ、おはよう。妹よ」
普段よりよく寝た春休みのある日。寝ぼけ眼で自分の部屋を出た瞬間、隣の部屋が開き、イケメンが爽やかな顔で出てきた。
呆然としている私をよそにイケメンは私に微笑みかける。さすがイケメン。笑顔一つでキラっとした輝きが見えた。
一瞬にして目が覚めた私はパニックになり、すぐに思考停止した。
この部屋は春休みから引きこもっている兄の部屋であり、そして目の前のイケメンは当然兄ではない。兄の友人関係は知らないが、朝まで語るような友人関係はないはずだ。
それなのに引きこもりの兄の部屋から、全く知らないイケメンが出てきた。
私がパニックになり呆然としているのをよそに、イケメンは自分の家のようにスタスタと階段を下りて行った。
兄が部屋から出なくなったのは第一志望の大学を落ちて、すぐだった。両親は引きこもったのは私が悪口を言ったからと思っているようだが、絶対におかしい。これで傷つくなんて、どんだけ豆腐メンタルなんだか。卒業式にはなんとか出られたけど、そこからまた引きこもっている。部屋の内側から鍵をかけているので、こちらから入ることは出来なかった。多分、このまま滑り止めの大学も行かないで部屋にずっといるのかなと思っていた。
だがここに来て、とんでもない展開になっている。
「おはよう」
リビングでイチゴジャムのついたパンをおいしそうに食べて、コーヒーを味わって飲んでいたイケメンは私に気がついて爽やかに挨拶をした。
……まさか兄は整形したのか? と思ったが、イケメンをよく見ると身長は違うし、声も違う。その上、この堂々たるイケメンの態度。兄が何遍生まれ変わっても無理だ。
「着替えてきたんだね。ついでに化粧もしている。どこか行くの、妹よ?」
私は寝間着姿からきれい過ぎず、されど部屋着っぽくない服に着替えた。髪も梳かして、化粧も完璧にした。これならイケメンと対面しても恥ずかしくない姿になっただろう。と言うか、あんなだらしない寝間着姿をさらした事を一刻も早く忘れたい。ついでに彼の記憶も消去してほしい。
「別にテディベアのトレーナーと中学時代のジャージのズボンの寝間着でもよかったのに」
「……それは忘れてください」
「ふうん。まあいいか。ところで朝食、食べる? パン? ご飯? それともシリアル?」
「あのさ」
私の言葉にわざとらしくきょとんと首をかしげるイケメン。少し伸びすぎた前髪と眉目秀麗の瞳、形のきれいな鼻筋と唇。二次元から飛び出してきたみたいにきれいな顔立ちである。今着ている服は上下スエットで情けない姿なのに、顔とスタイルだけ良ければ何でもいいんだなと思わせる。
いや、このイケメンの容姿は置いておこう。私は聞かねばならない事がある。
「あなた、誰ですか?」
「何言っているんだい、お兄さんじゃないか?」
「警察、呼びますよ」
「あ! ごめんなさい! ちゃんと名乗ります!」
イケメンは食パンを落としそうになりながら、私を必死で呼び止める。急いで食パンを食べ、椅子に座り直し背筋を伸ばす。誠心誠意といった体でいるが、口元にイチゴジャムがついて台無しである。
イケメンは私の方を見据え、口を開いた。
「俺、引きこもり代行です!」
「はあ?」
「だから、俺は引きこもり代行です!」
「ちょっと待った、引きこもり代行って何?」
「引きこもっている人間が外に出たい時、代りに引きこもってあげる人間。帰ってきたとき、引きこもれる部屋がなくならないように、本人の変わりに引きこもるんだ」
意味が解らない。引きこもりが外に出たら普通に喜ぶでしょ? なんで代行を作って、外に出ないといけないの?
「俺は君のお兄さんから、部屋から出たいから自分の部屋にいてくれって頼まれた。もちろん部屋にある私物は使ってもいいし、部屋の前に出されるご飯も食べていいし、家族がいなくなったら家を汚さなければ自由にしてもいいって言われている。ただし家族にばれてはいけない」
「ばれてますよ」
「あー、そうなんだよねえ。黙ってくれない?」
イケメン引きこもり代行はにっこり笑って両手を合わせてお願いのポーズをした。その姿にちょっと脱力した。女子にモテるリア充要素満載のイケメンなのに、やっぱり言動って大切なんだと気付かされる。
「パンだけじゃ物足りないな。ご飯、食べようかな? 妹さんも食べる?」
「あの一ついいですか?」
イケメンはニッコリ笑って、「どうぞ」と言いながら立ち上がる。
「ここ、私の家ですよ!」
「うん。そうだね」
代行の言葉が、反芻した。「うん。そうだね」と言う返答を。中一英語の『これはペンですか?』『はい、ペンです』みたいなバカバカしい応酬がむかついた。
「なんで他人のあんたが、勝手に冷蔵庫を開けてご飯を食べてくつろいでいるのよ!」
「それは君のお兄さんが『ここを自分の家だと思って使っていいよ』って言ったからだよ」
「それでも限度ってもんがあるでしょう!」
私の怒りをぼんやり見ながら、イケメンは炊飯器からご飯をよそう。こんなに怒ってんのに、どうしてこうも平然なんだろうか?
引きこもり代行は冷蔵庫から卵を出した。ほんの少し眺めて、私を見た。
「ところで妹さん、オムレツは作れるかい?」
「作れないけど」
引きこもり代行は卵を見つつ「ふうん」と言って、ホカホカのご飯の上に卵を割って生卵を乗せる。黄身は箸で挟むくらい新鮮だ。それをためらいもなく潰してご飯に混ぜる。そしてほんの少々、醤油をかけて再び混ぜる。
その行動を見つつ、今までの行動を思い返した。
「あのさ……」
「なんだい?」
「ここ、あんたの家じゃないんだけど!」
引きこもり代行はすました顔して「うん、そうだね」と返して、卵かけご飯を食べ始めた。この質問はこれしか答えられないのかよ。
*
イケメン引きこもり代行は爽やかな朝食を終えて、テレビをつけるがそれを見ようとせずスマホを弄っていた。
「テレビを見ないんなら、消してよ」
「見ていないけど、聞いているから消さないで。妹さん」
そう言って代行はスマホを片手に操作して、リモコンをもう片方の手で持っている。勝手知ったるとばかりに、堂々としているので文句を言う気すら起きない。
代行のスマホを覗き込むと、何かを打ち込んでいた。よく見ると某有名掲示板の書き込みを見ていた。
私の行動を咎める事はせず、掲示板の画面を私に見せてきた。
「昨日のアニメの書き込みだよ。俺、あんまり萌え萌えなアニメは見ないんだけど、これはものすごく熱くて面白んだよ!」
そのアニメの画像を見せられても、興味がわかない。ものすごくどうでもいい。
「可愛いし、健気なんだよ。ハルジオンちゃん。つまらないレッテルを張られ、周りから中傷されようとも、除草剤を撒かれようが、彼女は健気に立ち上がる。萌えと燃えを兼ね備える、新たなヒロインだ!」
「除草剤って雑草なの?」
「ハルジオンちゃんが言っていたよ。『雑草という言葉なんてないんだ。一つ一つ名を持つ植物だ』って言っているよ」
「確かに雑草って言葉はないです。でも名を持つ人間が一つの場所に大勢集まったら【人ごみ】と言います」
「ああ、なんてひねくれた返し。今すぐ『雑草戦記』を見なさい。花達が自分たちの領土という名の花壇を守り、草達は子孫を残すために良い肥料を持つ花壇に攻め込む。一つ一つの草花達にドラマがあるから、見ごたえがあるんだ!」
そしてアニメを勧めようとするので、私は「忙しいので無理」と突っぱねた。
引きこもり代行は何も知らない妹に落胆するように演技臭い大げさにため息をついた。それに気にせずポリポリとクッキーを食べる。
「それにしても妹さん、ご飯これだけでいいの?」
「おなか、空いていませんから」
「えー、でもお菓子だけでいいの?」
「大丈夫です」
クッキーを数枚食べつつ、引きこもり代行に向き合った。いろいろ突っ込みたい事はあるが、まず一番に聞かないといけない事がある。
「ところで引きこもり代行さん。兄はどこに行ったんですか?」
「異世界に行った」
私は「はあ?」と言うのを堪えた。スマホを弄りながら引きこもり代行は続ける。
「場所はわからないけど、君のお兄さんは目が覚めたら見知らぬ森にいてモンスターにおそわれている少女を見かけたんだ。お兄さんもパニックになるが、持っていたスマホを使って……」
「何なんですか? それ」
「まあ、聞き給え。妹よ。お兄さんはスマホを使って……」
「そもそもスマホを使うって事は、異世界に行っていないじゃないですか? 本当に異世界だったら電波とかなんてあるわけないんだし。ただ単にネットが使える時代にタイムスリップしただけじゃないんですか?」
「……妹さん、夢を見ると言う能力が無さすぎるよ」
「この現代に必要な能力なんですか?」
「不要だけど、かわいいとは言えない」
私は深いため息をついた。疲れた。多分ここまで一日分のエネルギーを使っているはずだ。
もう一度、私は「兄はどこに行ったんですか?」と言いかけたが、引きこもり代行は「ポチ!」と笑顔で呼んだ。
引きこもり代行が顔を輝かして「おいで、おいで」と言っているのはほんの少し太めのシャムネコだ。誰かによく似たのんびりした足取りで引きこもり代行の膝の上に乗った。
「はあん、もう。ポチはわがままボディだなあ!」
と言ってたっぷりとしたボディをワシャワシャと撫でる。そんな引きこもり代行に当たり前すぎる突っ込みをする。
「この子、シャムネコって言う品種なの」
「そうだよねえ。お顔にきれいなおこげが付いているもんね、ポチは」
「だったらポチって名前はおかしいでしょう!」
きょとんとした顔をして、私を見上げる引きこもり代行とうちの愛猫。
「この子はリリって名前なの。ポチじゃないの!」
「あれ? お兄さんはポチって言っていたけど」
「あいつが勝手に呼んでいるだけ! だいたい犬界の太郎的な名前を猫につけるなんて、普通おかしいでしょう!」
私の主張に引きこもり代行とリリは呆けた顔して聞いていたが、引きこもり代行はいきなりリリを抱っこして立ち上がった。
一体、何をするんだと思っていると少し離れた場所にリリを「待て」と言って降ろして、再び引きこもり代行は再び席に着いた。
「ポチ。おいで」
そう言って引きこもり代行は膝を叩くとリリはゆっくりと歩いて、引きこもり代行の膝の上に飛び乗って丸くなった。
「お利口さんですねえ! ポチは! 今、おやつあげるからねえ」
「……ものすごく懐いているね」
「君のお兄さんにいない間の世話も頼まれているんだ。妹は絶対やらないって」
「……。私は、忙しいの!」
「お兄さん、お散歩もさせているんだってね。俺もしたかったなあ。でも外に出られないんだよ。だって今、引きこもり代行中だからなあ」
「猫なのに、お散歩させることにあんたは疑問を持たないの!」
「それにしてもポチってお利口さんだな。猫なのに『待て』が出来るし。本当は猫の皮を被った犬なんじゃないのかな? ポチは?」
引きこもり代行の膝の上でおやつをもぐもぐ食べるリリを睨んで裏切り者と思った。いくらなんでも懐きすぎだ。
「それにしてもポチを飼いだした時のエピソードは面白よな。お兄さんは子犬を飼いたいと言っていたのに、子猫がいいって君が駄々をこねたから両親はこの子を連れてきたんだってね」
「だって犬より猫がいいもの。散歩とかしないでいいし。それに最終的に兄も子猫を飼う事を賛成したんだよ!」
「しぶしぶだったって言っていた。そしてお兄さんは『ベルサイユの薔薇』の主人公を男として育てると決意した父親の如く『俺はこのシャムネコを犬として育てる』と決めたんだってね。だから名前もポチにして芸を教えたんだってね」
つまらない思い出話を無視して「リリ、おいで」と呼んだ。だが呼びかけてもリリは首をかしげて、不思議そうに私を見上げる。無理やり引きこもり代行の膝から引き離して抱っこした。だがするりと腕から逃げて、自分のお気に入りの場所で丸まった。
「リリ、おいで」
私の問いかけにリリはあくびをして答え、目を閉じた。
「全然懐いていないね」
「普通、猫って呼んでも来ないものでしょう? 気まぐれな生き物なんだから」
「ポチ、おいで」
その声にリリは目を開けて大あくびをしながらぐいっと体を伸ばし、のんびり歩き出した。そして引きこもり代行の膝の上に飛び乗って、丸まった。
「本当に猫なのか? 猫だとしたら、お兄さんの育て方は天才的だ」
「兄はこの子に犬としての生き方を押し付けているんです。私はそういう事をしないわ!」
引きこもり代行の膝の上で思いっきりくつろぐリリに睨むが、当のリリはあくびをして眠ろうとしている。この飄々とした態度、兄に似てイライラする。
*
「シャムネコっていいね。膝の上に乗せると悪の親玉ごっこできる」
「……」
「あとダーツとブラインドがあったら完璧なんだよね。ねえ、ポチ」
「……」
「フフフ……、この家は完全に制圧した! かっこいいか? ポチ?」
引きこもり代行は膝の上で丸まった愛猫リリに呼びかけるが、リリは不思議そうに首をかしげるだけだった。
それをもう無感動で私は眺める。もうこの引きこもり代行にこの猫がリリと言う名前だと訂正する事を諦めた。それにしても、どうしてリリはこいつに思いっきり懐いているんだろうか?
そのまま引きこもり代行はスマホを取りだして何かを打ち込んでいる。覗き込んでみると、例の掲示板だ。多分先ほど熱弁していたアニメのキャラ、ハルジオンは俺の嫁とか打ち込んでいるのだろう。はあ、ばかばかしい。
それはそうとこいつに聞きたい事がまだたくさんあった。
「あんたは、どうやって入ったの?」
この質問に、引きこもり代行はスマホから顔あげ、悪そうな笑顔で「聞きたい?」と質問を質問で返してきた。イラつく返答である。
「では、聞かせてあげよう。俺達の完璧なお宅侵入の方法を! まず引きこもっているお兄さん以外の家族が出払った時に、俺はサラリーマン風の恰好でこの家に来た。呼び鈴を鳴らして、お兄さんが招き入れる。そしてお兄さんの服と俺のスーツを入れ替える。それでお兄さんは外に出て、俺はこの家に引きこもり代行を実行する」
意外と手間のかかる行動に「クソ面倒な事しているんだね」と言った。
「ご近所さんの目もあるからね。ご近所さんにお兄さんが外に出たって噂されたら、元も子もない。だから真面目そうな訪問販売をするサラリーマン風で来たんだ。七三のウィッグや眼鏡もつけて変装した」
ものすごく念入りなような、力を入れる所を間違っているような。
「卒業式のために一度お家に戻ってきた時は深夜だったから、俺が二階の窓から縄梯子を降ろして、この部屋に入ったんだ。みんな寝静まっているから、スパイのごとく物音を立てないでやらなければいけなかったよ」
「泥棒のごとくでしょう? それにしても兄にこんな行動力があったんだ……」
「陰キャの潜在能力をなめてはいけないよ」
いや、こんなに行動力を持っていたらもっと素早く動けばいいのに。
それと少し怖いが最も聞きたい事を質問する。
「……いつからいるの?」
その質問にちょっと黙り込んで考えたがやがて「うーん。卒業式の時に一回帰ってきて来たけど、最初に代行を始めたのは二月下旬くらいかな」と普通に答えた。
その言葉に絶句した。兄は二月下旬から引きこもり始めた。もし代行の言葉が本当なら最初から兄は引きこもっていなかったのだ。しかも今は三月下旬。私の家に知らない男が兄の部屋に一か月くらいいたと言う事になる。
「よく今までばれなかったね」
「本当だよ」
引きこもり代行はまるで他人事のようにうんうんと頷き、感心する。
「親御さんは心配してちょくちょく声をかけてくると思っていたんだけど、あまりお兄さんに興味がないようで最低限の事しか会話がなかったな。今は学校に行かなくてもいい期間だから、そのうち出てくるって考えていたんだろうね。君の家はお隣さんの付き合いも希薄だし、お兄さんの部屋のカーテンを閉めていれば俺の存在を周りは気づかない。親御さん共働きだったし、君も友達と遊んだりしているから家は夜にしか家族全員は帰ってこない。しかも腫れもの扱いしているから、ドア越しで必要最低限しか関わってこない。こんな感じだったから、俺はすんなりここでの生活を送ることが出来た」
我が家の愛猫をモフモフ撫でながら、引きこもり代行は更に口を開いた。
「いやあ、『おらあ! 出て来いやああ!』って言って熱血体育教師みたいな奴がドアをこじ開けられるかもって不安もあったけど、そんな事がなくてよかった。それどころか無関心すぎて逆に不安になったくらいだ。なんだか君たちのお家の闇を見たようだよ」
ああ、何にも言い返せない。両親もまさか引きこもると思わなかったから、どう対処したらいいかわからず、そのうち出てくるだろうってあまり刺激させないようにしていたのだ。我が家の闇と言われてしまっても、何も言い返せない。
「それにしても君の家の料理って、すごい薄味だね」
「勝手に人の家のご飯を食っているくせに、何悪口言ってんのよ!」
「出された食べ物は食べていいって君のお兄さんが言ってたからね」
ぼんやりとくつろいで見えている代行は「そういえば」と思いついたように、口を開いた。
「君のお兄さん、どうして引きこもったんだ?」
「え? 知らないで兄の代行業、受けたんですか?」
「うん、そう。知っている?」
「さあ? 知らない」
「本当は?」
……この代行、本当は知っているんじゃないのか? 引きこもった原因があたしにあると知っているふりして、私にこの質問を投げているのか?
疑う私に気づいたようで代行は軽く笑った。
「本当に俺も知らないんだよ。聞かないでくれって言って。どうして引きこもり代行をお願いしたんだろうって、ずっと考えていたんだ。ねえ、なんで?」
「さあ? ……、でも……」
しらばっくれようとしたが、代行は何もかもお見通しなのかもしれないと思ったので兄の引きこもった原因の心当たりを言った。
「第一志望の大学に落ちた時、『やっぱりお兄ちゃんは何やっても駄目だね』って言ったからかな」
「うわ。それ、マジで言ったの? ドン引き」
「だってあいつずっと落ち込んでいて家の中が、ものすごく暗くなっちゃうんだもん」
その時の私もイライラしていたので落ち込んで「ああ、もうだめだ」とうるさい兄に思わず言ったのだ。それについてはちゃんと謝罪をした。
……あれ?
「そう言えば兄が引きこもって一週間後にその件についてドア越しで謝罪したけど、あんたがあの部屋にいたから聞いていたでしょ?」
「あれ、そうなの? ずっとヘッドホン付けてネットゲームをやっていてから知らないな。『ごめんなさい』って言ったの?」
私の謝罪は兄どころか引きこもり代行すら届いていなかった。
「ドア越しじゃあ、誠意が伝わらないよ」
「そもそも兄はあの部屋に存在していなかったでしょうが!」
思いっきり睨んだが、引きこもり代行は「そういや、そうだね」とマイペースに相打ち打ってお菓子を食べ続けてテレビを見ている。
「本当にあなた、一体何者なんですか?」
「信頼と誠実を第一に考える引きこもり代行です!」
「……」
「信頼と誠実を第一に考える引きこもり代行です!」
何度も言っても不信と疑惑しかないのだか……
*
一度部屋に戻って自分のスマホを取りに行って戻ってくると代行はテレビをぼんやりとみていた。
画面にはニュースが流れていて『町工場の危機』とか『拳銃所持の男 逮捕』とかどこかで聞いた事のある事件ばかりだ。当事者にとっては重大だろうけど、こうして数十秒にまとめられると同じ事件ばっかりだなとしか思えない。
それからテレビから流れる映像を流し見ながら、引きこもり代行にあの質問をする。
「兄はどこにいるんですか?」
「君の心にいるよ」
「それはもういいから」
「あっそう」
「……」
「……」
しばらく代行はテレビを眺めていた。その表情に感情を読み取れなかった。
イケメンと同じ部屋にいると言うのに、色気もない。少女漫画だったら、このまま同棲イベントになるのだが……。でもこいつはずっと住んでいるんだったっけ、約一か月。いや、そもそも引きこもりの兄がいないと言う時点で少女漫画にはないな。どちらかと言うとミステリーと言うべきか……。
「君のお兄さんはさ」
突然、代行は口を開いた。私の方を向かないでテレビの方を見ている。
「言っていた」
「なんて?」
私の質問に答えず、代行は押し黙ったままだった。ただ表情はごっそりと感情が失っている。心、ここにあらずと言った感じだ。
引きこもり代行の膝の上に丸まっていた愛猫のリリがすっと降りて、お気に入りの場所に鎮座した。
引きこもり代行が発した声音と表情はこのリビングを一気に空気を変えていった。
少年漫画にありそうな、動けば刃物が額に突き付けられるような空気感じ。
ふっとテレビに目を向ける。いつの間にかニュースから、お店などを紹介する情報番組が始まり、司会者や女子アナ、そして芸人にアイドル達が明るく元気に挨拶をする。
それを引きこもり代行は無感動に見ていた。いや、見ていない。この画面よりはるか遠くの世界を見通しているような気がした。
そして彼は何も話さなかった。
私は何にも言えず、代行と同じテレビをしばらく見ていた。
人気店なのか老舗なのかわからないが、ご機嫌に食べ物をほおばる女子アナ。いつもだったらどうも思わないけど、このような状況なので今は能天気でちょっとムカつく。大きくケーキをほおばって「すんごく、あまいですう!」と大げさに目を丸くして驚く表情一つ一つがあざとくイライラしてきた。
別の番組を見ようと思い、リモコンを探すと代行が持っていた。
話しかける雰囲気ではなかったが、意を決して「ねえ、リモコン貸して……」と言うが、引きこもり代行はかぶせるようにしてこう言った。
「君のお兄さんは、言っていた」
彼は私の方に向けた。真正面で真剣なイケメンの顔を向けられると、何にも言えなくなる。射るような眼差しで見られると、動けなくなる。
「世間を騒がす事をやりたい」
そう言った瞬間、テレビから突然、ハッとさせるような機械音と緊急ニュース速報の文字が画面上に点滅して流れた。
そしてもう一度「世間を騒がす事をやりたい」と呟いた。
代行の「世間を騒がす事をやりたい」と言う言葉が反芻し、背筋が凍った。
「ああ、始まったかな?」
「え? 何が?」
恐る恐る画面に映し出される緊急ニュース速報の内容を注視した。あいつがそんなことするわけないし、でも、もしかして……。
【ドッキリ★大成功!】
画面の上に白地でそう書かれていた。
「……」
「テッテレー」
「……」
「これさあ、君が席を立った後に僕が加工した映像を流したんだ。結構、うまく作れたと思わない? あと、俺の演技。お兄さん大事件を起こしたって思ったでしょう?」
「……はあ?」
「うん、ちょっと悪質だったね」
代行は半笑いで「ごめんね」と言ったが、私の怒りは収まらない。
「でも君だって、お兄さんにからかったりしたじゃないか。何かするたびにいちいち文句を言ったり、悪口言ったり」
「……それとこれと関係ないんじゃないの?」
「そう? むきになれば笑われるし、いつまでも馬鹿にされて嫌だったんだと思うよ」
「これは兄が計画したんですか?」
「どうだか。それにしても俺の演技でお兄さんがやばいことしたって思い込むとは、お兄さんを信用していないようだね」
半笑いだったイケメンは、冷ややかな笑みでそう言った。
何もかもムカつく。
*
兄について、いろいろ思い出していた。
兄はのんびりしていて無口だ。一つの事に対してじっくり時間を掛けて、何かをやっている。でもうちの両親も私もテキパキとやって、おしゃべりで社交的だ。だからうちの家族なのかなって思うくらい人種が違う。それに変わっている。愛猫をポチってつけたりしているし、アニメが好きなオタクだし。
そういう事もあって兄は家族とあまり関わりを持たない。
「妹さんさあ……」
「何ですか?」
「本当にお兄さんは君の心無い言葉で引きこもりになったの?」
「……多分。と言うか、引きこもり代行たててどっかに行っているんですから、引きこもりではないですよね」
引きこもり代行は「まあ、そうだねえ」と言って、スマホを弄る。覗き込むとまた、アニメの掲示板だった。
それを見てため息をつく。別にどうでもいいが、こんな状況でも掲示板見るってどうなの?
「君のお兄さんって結構、根に持つタイプなんだよね」
引きこもり代行はスマホから目を離した。
「お兄さんの友人の話なんだけど、彼は悪口を言っても、別に気にしない。人の話を必要以上は聞かない主義だと言っていた」
「確かにそうかも」
「でも彼の塾の友人が消しゴムのカスを丸めて、お兄さんの頭に投げて遊んだんだよ。お兄さんはのんびり払ったら、また投げる。何回もやって君のお兄さんが『やめてくれない』と言うんだが、友人は面白くてやめなかった。動作が面白いからね」
私は少し笑って「なんか目に浮かぶ。その光景」と言った。
「友人はしばらくやっていたが、飽きてやめた。そして塾が終わって、友人は帰る準備をしていたら、いきなりお兄さんがやって来て後ろから襟を掴まれた」
「え? 襟をつかんだ? 兄が?」
「そう、何にも言わずに襟をつかんで、後ろにぐっと引いた」
結構意外な行動だ。こんな乱暴な事をするなんて、考えられない。
「そしてお兄さんは襟をつかんで……」
「何したんですか?」
「……背中に消しゴムのカスを入れたんだ」
「はあ?」
「そう、大量に入れたんだ、消しカスを!」
はあ? 消しカス? 下らない! ものすごく、下らない! 何なのこの復讐。消しカスを入れるって、小学生かよ。ものすごく大量って強調しているが、たかが消しカスじゃないか。馬鹿馬鹿しい!
「めっちゃ、気色悪いんだよ! 消しカス!」
くだらなさに絶句している私に、引きこもり代行は語気を強めて更に言う。
「背中にズザーって入れられて気色悪かったんだ。ほら、よく悪戯で背筋をスーってまっすぐなぞる奴あるだろ? あれの数倍気色悪かったんだから。しかも初め何入れたか全然分からないから恐怖でパニックになって変な悲鳴は出て……、すごく最悪だったんだ」
「……。すごく気色悪かったとかすごく最悪だったんだって事はご本人なんですか?」
引きこもり代行はハッとした表情を浮かべて、すぐに目をそらして頭を掻いた。完全に無意識だったようだ。
引きこもり代行は「とにかく!」と真剣な顔で言った。
「実害を出さない限り、お兄さんは動こうとしないんだよ」
代行という立場を忘れて、兄の復讐を熱く語る引きこもり代行に笑って「兄とは塾のお友達なんですね」と返した。
一瞬気まずそうになったが、引きこもり代行は真剣な顔になった。
「違います。全国の外に出たい引きこもりのために代行業をしているんです!」
ほんの少し焦った引きこもり代行を見て、ちょっと笑えた。
だがすぐに引きこもり代行も一緒になって笑った。
「こうしてお兄さんが外に出ているのは、もしかしたら何か計画をしているのかもしれないね」
「計画って?」
「復讐とか」
にっこり笑って、引きこもり代行はそう言った。
復讐ねえ。引きこもり代行にした復讐の内容を見ると大した復讐じゃなさそう。
ちらりと愛猫のリリを見ると丸くなって眠っている。この異常に慣れているのか気がついていないのか、どちらにしても羨ましいなと思った。
「とにかくさあ、塵も積もれば、エベレスト並みの山になるって事さ」
そう言って、再びスマホを見る引きこもり代行改め、兄が通っている塾の友人。
こんなイケメンと何も取り柄のない兄が友人っていうのも意外と感じたが、二人とも変人なので普通なのではと思い始めた。
「いろいろ聞いてんだよう、妹さんの事」
「どんなことですか?」
「自分の胸に聞いてみよう!」
へらっと笑ってそう答えた。残念だが、胸に聞いてみてもわからないと思う。わからないと言うか、忘れたと言うべきか。
私は兄に対して口は悪いが、言い返せない兄も悪いと思う。悔しかったら言い返せばいい。まあ、言い返しても倍以上に私は言い返すが。
「かわいい顔しているのにね、妹さん」
「褒めてくれるんですね、ありがとうございます」
「『雑草戦記』に出てくるクズって草によく似ているよ。唯我独尊で不遜な性格なんだよ」
「絶対に褒めていないですね」
「えー、作品の中では最強キャラの一人なんだよ。『私は寄生をしていない。ただお前の大木が巻き付くのにぴったりなだけ』って、杉林に向かっていうセリフで……」
私も褒められる性格はしていないけれど、人を食ったような物言いのこいつに、知らないアニメキャラに似ているとディスられたくない。
もうこいつと話すのやめよう。そう思って私もスマホをいじっているとしばらくスマホを見ていた引きこもり代行だったが、突然立ち上がった。
「どこ行くんですか?」
「お兄さんの部屋。『シャングリラの端』って漫画を探そうと思って」
「……」
「あれさ、実写映画化とアニメ化したんだよね。どれも面白かったな。映画もアニメも見たんだけど、漫画は読んだことなくって。で、お兄さんが持っているって言っていたから引きこもり期間中に読もうと思ったけど、なくてさ」
「へー」
「どこにあるか、知っている?」
「……知らない」
引きこもり代行は「そう」と言って歩き出し、二階に上がった。その漫画を探すのだろうが、絶対に探しても見つからないだろう。
「にゃあ」
リリの鳴き声が聞こえて、そちらに目を向けた。お気に入りの場所で丸まっていたリリが耳を立てて、ひげをぴくぴく動かしている。
「リリ?」
呼びかけたが反応はなく、リリは全神経をかけて人間にはわからない気配を察知しようとしているように見えた。
どうしたんだろうと思っていると、二階から天井を突き破るくらいの悲鳴が上がった。声は引きこもり代行のもので、ただ事ではない雰囲気と感じた。何かあったのか? でもこの人、私の事をからかって遊んでいるから今回もまた、そうなのでは?
「ちょっと行ってみよう」
私は二階に上がり、引きこもり代行のいる兄の部屋に向かった。
兄の部屋は漫画と小説が並ぶ二つの小さな本棚がある。机には電源が切れたパソコンと教科書や参考書が置いてある。そしてベッドは毛布などがぐちゃぐちゃのままになっている。
前に見た兄の部屋とほとんど変わらないが、唯一違っていたのは部屋の真ん中にバスタオルが丸まって置かれてあった事だ。
「あれ? あいつがいない」
大声で悲鳴を上げていたはずの引きこもり代行が見当たらない。不審に思ったが部屋にあるバスタオルを取って広げた。
広げた瞬間、フサっと何かが落ちた。そして広げたバスタオルには中央に大きな赤黒い染みが付いていた。
思わず「ひっ」と言う悲鳴を上げ、反射的にバスタオルを投げ捨てた。腰が抜けそうになるのを必死で耐えた。これって血? しかもこんなに大量についている。なんで? というか、誰の血なの? これ……。
落ちた物を見るとTシャツだった。そしてTシャツも白い生地でちょっと赤いものが付いている。そしてこのTシャツは兄のものだった。
「……」
このTシャツもまたつまんで広げてみた。血は固まっているようだ。広げるのもとても恐ろしく、怖い事しか思いつかない。
毒々しい赤黒い染みが広がっていたが、白い文字でこう書かれてあった。
『ドッキリ★大成功』
「テッテレー。血だと思った? これ? 油絵具だよ」
部屋の外で笑い声が聞こえてきた。振り向くと引きこもり代行が楽しそうに笑っている。
「ビビった?」
「……」
私が何も答えずにいると引きこもり代行は笑って歩き出した。私も部屋を出て、引きこもり代行の跡をついていく。引きこもり代行はスタスタと階段を軽快な足取りで下りていき、私も階段を一段ずつ降りて行った。
「どういうつもりよ!」
「ドッキリだよ」
「悪趣味すぎる!」
引きこもり代行は自分の家のように椅子に座った。そしてほんの少し笑って「ごめんね」と謝罪した。なんだかちょっとひじが当たった程度の謝罪だった。
私が睨みつけていると引きこもり代行はほんの少し困ったなって顔をして、口を開いた。
「お詫びに面白い話をしようか」
そう言って引きこもり代行はスマホの画面を私の目の前に見せた。
画面はあの匿名掲示板で、はじめに言っていたアニメの感想を語り合うスレのようだ。『ハルジオンは俺の嫁WWW』と表示されている。
「匿名掲示板っていいよね。犯行声明とか書かなければ、ある程度自由に誰でもなんでも書き込める。そして人物を特定するには多少なりとも時間がかかる」
「それが何か?」
「つまり匿名掲示板を使って、ある特定の人物にしかわからない暗号やメッセージを書き込めるって事だよ。『草生える』とか何気ないネットの言葉やWWWとか草の数とかある種の隠語にしておいて、分かる人間に伝える。そう思うとわくわくするな。きっとスパイとか使っていそうじゃない?」
「スパイとか、馬鹿馬鹿しい。面白い話ってそれ?」
「まあ、スパイはやっていないかもしれないけれどね……」
引きこもり代行はスマホの画面を自分の方に向けながら、満足そうな笑みを浮かべた。
「俺達はやっていたんだよね」
「え?」
「お兄さん、行動開始だって」
満面の笑みを浮かべて、スマホの画面を見る。
「お兄さんの言うとおりだね。妹さんって他人のスマホを覗く癖があるって。お兄さんがやめさせようと思っていたけど、怒るから諦めたらしいね。そういう癖があるから、ラインとかメールを飛ばせない。だから匿名掲示板を使おうって決めたんだ。この文章を送ったら、君を二階に誘導させろって指示なんだ」
「……」
「俺も初めてやったんだ。普段は掲示板なんて見る事はあるけど、コメントは残さないんだ」
いったい何の話をしているんだろう? 呆然と引きこもり代行を見ていたが、スマホをいじるだけで話どころか私と目も合わさない。
不意に愛猫のリリを探した。リリのお気に入りの場所を見ると、いなくなっていた。どこに行ったんだ? 周りを見るが見当たらない。……いつもリビングにいるのに。
再び引きこもり代行に向き合い「あの」と話しかけた。あまりにスマホを注視しているから無視されるかと思ったが、引きこもり代行は表情を変えずに顔を上げた。
「兄はどこに行ったんですか?」
「え? 帰っているよ。君の後ろにいるじゃん」
もう一度「兄はどこに行ったんですか?」と聞いた。
「だから帰っているって」
どういう意味? と一瞬不思議に思い、振り返ろうしたが頭に硬いものが当たった。痛みはないがこれ以上、動かすのは怖い。
「言葉通り、君の後ろにいるよ」
首だけを少しだけ動かして後ろを見る。すぐ後ろに兄がいた。いつの間にいたんだと悪態つこうと思ったが、兄が私の頭に当てているものを見て言葉を失い体が硬直する。
拳銃だ。私、拳銃を突き付けられている。
「すごーい。拳銃だあ」
「もらうのに苦労したよ。まさに無法地帯の異世界に転移したような場所でお仕事をして、ようやく手に入れた。しかもこの拳銃の考えた奴が警察に捕まるって言っていたから、もしかしたらもらえないかもって思ったけど、約束は守ってくれた」
「……嘘つけ。あんたが拳銃をもらえるわけないじゃん。モデルガンでしょう? つまらない冗談……」
頭に当たっていた硬いものがいつの間にか消え失せた。振り返ろうと思った瞬間、家を響かせるような重い音が聞こえてきた。
「……」
「前を向いた方がいいよ、妹さん」
そう言って、スマホを見る引きこもり代行。「『雑草戦記』を見よう」と言って、操作している。こんな状況で何やっているんだ!
引きこもり代行はスマホを操作しながら「ところで無法地帯みたいなお仕事ってどんな事?」と聞いた。
「ん? ちょっとした工場で働いたんだ。まあ、日雇いバイトのような感じだったな、作っているものだって部品の組み立てだったし。多分、子供用のおもちゃだろうな。ほらさ、ジャンクフードとか頼むともらえるおまけのおもちゃみたいなもの」
「はあ? 無法地帯でもないじゃないか。単なるバイトじゃん。と言うか、そう言うのって外国が安く作っているイメージ」
「でも仕事の振り分けの際、何人か呼ばれるんだよ。その時に何に使うかよくわからない部品の組み立てをやるんだよ。その部品作りはそんなに時間がかからない。終わったら、また子供用のおもちゃ作りをする」
「ははん。つまりこの時間がかからない部品が拳銃の部品って事ね」
「簡単に言えば組み立て式の拳銃って事。一つ一つの部品はおもちゃか何かのような部品だけど、どんどん組み合わせれば完成するのさ。拳銃は密輸で手に入れないといけないと言われているけど、これは完全な国産。全国にある小さな町の工場から部品が作られて、様々なところで組み立てられて、こうして拳銃が作られる。組み立てている人間は、拳銃を作っている事は知らない奴もいるし、知っていても実感はないだろうな。小さな工場って仕事がなくなってきているから、こういう仕事をとらないとやっていけないし」
「ああ、ニュースでやっていたな。それにしてもすげえな。もしかしてこれ制作した奴ってニュースでやっていた……」
「うん、制作した奴は警察にいる。ほら、拳銃所持の男だよ。この拳銃の利権を巡って製作者を殺そうとする雰囲気だったから警察に捕まって避難したんだって。と言うか警察を避難所にするって発想が不思議だな。異世界だ」
「まあ、そういう世界もあるさ。その製作者にもらったのか?」
兄は「うん、逮捕前にね」と嬉しそうに返答する。
「試供品らしいけど、至近距離なら当たる。ついでに反動も少ない。ひょろい俺でも扱える。事が終われば、ばらしてゴミに捨てる」
「音は割と小さいね。もっと近所中に響くかと思った」
「音も最小限に抑えているからね」
現実味のない会話が微笑と一緒に続けられて、どこか遠くの世界に放り込まれた気分だ。私は劇で目立たないやつがやっている木の役になっているようだった。
私は力いっぱい「嘘つけ!」と怒鳴った。
「小さな工場が多くつぶれてきているとか拳銃所持の男が逮捕されたとか、全部録画のニュースで言っていたものじゃないか。全部大嘘でしょう。この拳銃も、引きこもり代行も。全部、全部。ねえ、こたえな……」
私の言葉を割り込むように「にゃあお」と後ろから聞こえてきた。
「ポチ、待てって言っただろう?」
私の足に愛猫リリの毛の感触があった。下を見るとリリは兄の足元にすり寄っている。
「ポチ、待て」
健気な我が家の愛猫は、「にゃあ」と一鳴きしてお座りをして、愛らしい瞳で兄の事を見上げている。この状況を全くわかっていないようだ。
「うーん……。やっぱり、『待て』は数分しか持たないのか……」
「十分でしょ? 犬だって出来ない奴はいるぞ、待て」
引きこもり代行は「そう言えばさ」と話を変える。
「今週の『雑草戦記』を見た?」
「あー、見ていない」
「え、見てないの? マジで? 神回だったのに」
そう言ってスマホを私達に見せてきた。音量もどんどん上げてくる。
スマホの映像はふわふわの愛らしい衣装を着た少女たちが戦っている。音量を上げるごとに激しい少女たちの魔法の呪文や衝撃音などで耳が痛くなるくらい聞こえてきた。
「あー……もう最終決戦だったんだ」
「ものすごく迫力だったんだぞ。ついにハルジオン率いる春の草花達が、鉄壁の花壇の守りを崩して、攻撃を仕掛けたんだ」
「へえ、さすが我らのハルジオン」
「可愛いなあ、ハルジオン」
「あのさ……」
のんびりとした会話を遮るように、私は怒鳴った。
「拳銃だよ! あたし、拳銃向けられているんだよ!」
「うん、そうだね」
「『うん、そうだね』じゃないよ! なんでやめさせないのよ! 警察に通報するとか」
「と言うか、自分で『助けて』って叫べば?」
兄のもっともな言い分に、私は虚を突かれた。だが引きこもり代行は「あー、それは無理」と手を横に振って言った。
「この時間、ご近所さんはみんな出はらっているんだ。代行期間中に調べたんだ」
「へえ、そうなんだ」
「ねえ、撃ったら捕まっちゃうよ」
兄は「捕まるな」と平然と答えた。もはや今日の天気を確認しているような返しだった。
「私を撃つの?」
「うん。人生、棒に振ったな。でもこんなカッコいい物を手に入れたなら、今までの人生をダメにしてもいいかも」
「馬鹿じゃないの? そもそも、どうして私を撃つの?」
「……。わからないの? お前ひどい事しただろ?」
「嫌味とか皮肉を言ったから? 言い返せないから、私を黙らせるために殺すの?」
「……お前の悪口はどうでもいい。お前の行動で、俺はこうして拳銃を向けている」
「何なのよ! 行動って」
どんどん引きこもり代行のスマホから流れる魔法少女のアニメの音が大きくなって、ボソボソっとした兄の声が聞こえなくなりつつある。
「念のためね」
代行は微笑んでスマホを操作して、更に音量を上げている。
少女たちの悲鳴や叫び、魔法の衝撃音がリビング全体に響いていく。
「気づかれたら、アニメの音だって言えばいいし」
これであの重々しい銃声をかき消そうと言うのか……。どうしようもない、偽装工作だ。
……あれ? 私、撃たれるの?
そんな中、下から愛猫のリリが「にゃあ」と鳴きだした。
「ポチ、もう少し待って」
「だから、この子は猫でしょう! ポチって名前はおかしいよ」
「かといって、きつい性格のお前がこの子をリリって呼ぶのも違和感がある」
「こんな状況で猫の名づけについて言い合うっておかしいな」
引きこもり代行は笑いながら、この光景を見ている。面白いのか? 代行はどこか面白い番組を待っているような感じだった。
「それでどうする? 妹さん? 反省しています、殺さないでくださいって言ってみたら?」
「言わないよ、こいつ。気位高いもの。命の危機でも俺をどう罵倒するか考えている最中だ」
「そんなわけないじゃない!」
思わず振り向くと兄の感情をごっそり抜かれている目が合う。
そして額に銃口が向かれている。
まるでおもちゃのようだ。
拳銃だけじゃない。
この光景も、この言葉も、現実的じゃない。
すべてが偽物のようにも思えてくる。
この兄も
拳銃も
アニメの声も
引きこもり代行も
リリと言う猫も
すべて、現実のものでは、ない?
そう思った瞬間、銃声、衝撃が私の顔に直撃し、視界が真っ赤になった。
「ポチ、お前、デブったな」
「……にゃあ」
「おい、俺がいない時に餌をあげすぎただろ?」
「あー、待てとか出来るから、ついついやりすぎておやつあげすぎたかも。でもそんなにはデブっていないよ。ねえ、ポチ」
「いや、デブったね。抱っこした時の重みが違う」
「にゃあ」
「そうかな? そんな事ないよねえ? ポチ」
「にゃああん」
「すっかり懐いているな、お前に」
「俺は猫にはモテるんだよ。でも人間の女はみんな近寄ってこない」
「……」
「そうだな、塾でも女の子がきゃあきゃあ言っていたのは、一か月だけだったし」
「それにしてもポチは偉いなあ。猫は三日で主人の顔を忘れるって言うけど、一か月近くもいなかったのにきちんとご主人のお顔を覚えていて」
「俺くらいしか世話しないからな。妹も最初は世話したしたけど、後からさぼったし。だからポチって呼ばないと来ないんだよ。あと俺がいない間は何かあった?」
「うーん、特にないな。それにしても他人の俺が一か月もこの家に過ごせるって、すごくない? 感心通り越して、もはや恐怖だよ」
「うちの家って他人に興味関心がない上に変人なんだよ、俺も含めて。ただ一つ違うのは俺以外の家族は、自分はまともって思い込んでいる」
「いやあ、それでも変人とかのレベルじゃないよ。ヤバいって。ねえ、妹さん」
「……」
「でもこうして興味関心がないから、俺は自転車の旅が出来た」
「今時自転車の旅かって思ったけど楽しそうだな、おい。うわー、この海きれいだな」
「こんなに写真撮ったのは初めてだな。マウンテンバイクや旅行費とか全部貯金使っちゃったけど、この旅はいい思い出になったよ。親に反対されたからやめようと思ったけど、勇気を出して引きこもり代行をお願いして行ってよかった。しかもこの拳銃も見つけたし! でも無料でいいの?」
「もちろん。友情無料って奴で。ああ、妹さんもどう? 今度引きこもり代行の依頼してみない?」
引きこもり代行の言葉に、何も答えず睨むだけの私。引きこもり代行は「いつでも依頼出来るよ」とどうでもいい事も付け足した。
その様子を見ていた兄は膝の上に丸まっている愛猫を撫でながら、半笑いで言う。
「……お前、ジト目が恐ろしく似合わないな。ジト目と言うより、殺気って感じ」
「その直感、正しいよ。今、お前達に殺意しか湧いていない」
「えー、なんで?」
「はあ、理解できないわけ? この約三十分間でお前達がやった事を思い返して」
「……、………。……あ、そうだ。妹よ、俺が貸した『シャングリラの端』はどこにある?」
「思い返して、これなの?」
「早く返してくれ」
兄は憮然としたように催促したが、すぐに「返せるものだったらな」と口だけ笑みを作る。口は笑っているが瞳は何にも感情を宿していない。何を考えているのか、わからない。
兄は「ほら、早く!」とのんびりした行動で拳銃を突きつける。そして「早く持ってきなよ」と引きこもり代行は急かす。
「また、トマトケチャップまみれになるよ」
「俺はこれ以上、お前のお気に入りの服を汚したくないんだ。あ、なんかノワール小説っぽい」
「どこがよ! ……ああ、もう!」
立ち上がって私は兄の二階へ向かう。
兄が私に向けた拳銃は、外見は本物のように作っていたが中身はトマトケチャップと言うしょうもない水鉄砲だった。自転車の旅をしている時に、お土産屋さんで見つけたもので、兄が言っていた犯罪行為なんて一切していなかった。
兄の拳銃が発砲したあの時、当然私の服はトマトケチャップで汚れてしまった。あの服、割と気に入っていたのに……。だがケチャップをつけられたときは、魂がどこかに行ってしまうくらい呆然としていた。
兄と引きこもり代行は笑顔で「ドッキリ★大成功」とか抜かした瞬間、飛ばされていった魂は瞬時に戻ってきて、顎が外れるかってくらい怒鳴った。
「何やってんのよ!」
こんなにも大騒動を起こしていたのに、ご近所には全く気付いていない。
引きこもり代行の調査通り、この時間帯ご近所さんは出はらっているようだ。
「それにしても、こうも騙されるとは思わなかった。後ろを向いていたとはいえ、最初の発砲音は録音だし、硝煙の臭いもないし、ついでに銃痕ないし。意外とあいつ騙されやすいんだな」
「妹さん、結構太々しいけど、ピンチには弱いんだよ。萌えだよ、ギャップ萌えっていう奴さ」
「ふん、馬鹿らしい。太々しい実の妹に萌えなくてもこの世には大量に萌えキャラがいるぞ。ハルジオンちゃんとかな」
「それもそうだ。あ、おかえり。妹さん」
リビングに戻ると私の陰口を言いながら兄は台所で料理をしていた。バターの香りが鼻腔をくすぐる。うちの愛猫は引きこもり代行の膝の上にいた。
「持って来た? 漫画」
「……はい、これ」
私は漫画ではなく、お金をリビングのテーブルに置いた。
「漫画、飲み物をこぼして汚しちゃったの。で、捨てた」
「あー、そうなんだ」
「ああ、そういう事ね。ずっと前に貸して、何度も返せって言ってもなんか逆ギレしたからなんでだろうって思っていたけど」
「逆ギレって。妹さん、このまま黙っていようと思っていたのか」
「一応言っておくけど、ケチャップで汚した服のクリーニング代は払ってよね」
「えー、無理」
「何でよ!」
「この漫画代、あと二百円足りない。普通の漫画より高いんだよ」
「あとで、持ってくる。二百円」
顔の神経がピクピクと疼いているのがわかる。引きこもり代行は「忘れずに」と言い、兄は「逆ギレするなよ」と言った。
「ようし、出来た。巨大オムレツ」
カレー皿に盛られた普通より大きめなオムレツをテーブルに置いた。引きこもり代行は「わーい」とわざとらしい歓声を上げるのを見て、私はため息をついた。
兄は得意げに拳銃を取り出して、オムレツに向けて発砲する。
真っ赤なトマトケチャップがオムレツにかかった。




