第二幕 赫血の出会い:前編
「すごいね」って言われるたびに、
私はまた、何かを置き去りにした。
役に立てば、それでいい。
そう思っていたはずなのに、
時々、胸の奥が、ざわってするの。
これって……バグ?
それとも、はじめての“人間”ってやつ?
――最適化された日々と、心奥のノイズ――
「はいっ! ただいま戻りましたっ!」
「おお、司ちゃん、またか! ……ほんと、いつも早いねぇ。」
「えへへ、おつかいなら任せてっ!」
私は今日も、町を駆ける。
母のため、小遣いのため、そして――「完璧な私」でいるために。
呉服屋、米屋、蕎麦屋、風呂屋、市場。
どこに行っても私は重宝される。
どこにいても私は間違えない。
誰よりも早く、正確に、笑顔で。
「司ちゃんは頼りになるねぇ」
「……いやぁ、助かるけど、すごすぎて……なぁ?」
そう言われると、私は笑う。
“今は笑うべき”と判断したから。
少し首を傾げて、声のトーンを柔らかくして――それが「愛嬌」だと知っている。
私は七歳。
なのに、人の視線と機嫌を読みながら、適切な返答と感情を“実行”している。
……これが「普通の子ども」なのかどうかは、もうよくわからない。
でも、ずっとそうしてきた。
それが私という“仕様”だから。
唯一、揺らいだのは――あの子が、いなくなってからだ。
正道。まさみち。
あの子のことを考える時間は、ほとんどなくなった。
名前を口にすることもない。
でも……心のどこかに残ってる。
ほんの少し、ノイズみたいに。
あの別れのあと、私は少しだけ変わった。
“楽しい”とか“悲しい”とか、“好き”って何かを考えた日が、確かにあった。
けれど、答えは出なかった。
出ないまま、私はまた――「できること」を増やしていった。
働き始めたのも、その一環だ。
役に立てば褒められる。
褒められれば、周囲が安心する。
安心してもらえれば、自分が何者なのかを見失わずに済む。
でも、心のどこかで思う。
もしかして、またどこかで、彼に会えるかもしれない、と。
そんな願いが、行き先の選択を“偶然”に委ねさせることもある。
それを“希望”と呼ぶのか、“未練”と呼ぶのか――私には、わからない。
わかっているのは、今の私はまだ「無敵」でいられるということだけ。
“無敵”でいれば、誰にも何も奪われない。
“万能”でいれば、誰にも愛されなくて済む。
そうして私は今日も、町を走っている。
完璧に、笑って、誰よりも正しく。
――心のどこかで、ノイズが消えずに、ただ震えているのを抱えながら。
【丁稚奉公もどき】
「任せて! すぐ行ってくるっ!」
帳簿を抱えて階段を駆け上がる。
染料と木の匂いが混ざった空気が、鼻をつく。
それも、もう慣れた。
「……おお、もう戻ったのか。……ほんに、手が早いな。」
その声には確かに感心が滲んでいた。
けれど、その奥に、ほんのわずかな「違和感」も感じ取れる。
声の間合い、視線の焦点、笑いの呼吸――
私が正解だと思っている“ほめ言葉”とは、少しだけずれていた。
「……丁稚よりも働き者だって、噂になるわな。」
私は、笑って応えた。
上唇を軽く引き、目元の筋肉を二割ほど緩めて、“嬉しい時の表情”を再現する。
期待に応えるのは、私の仕事だ。
それが私という存在の定義――“役に立つ万能の子”として、この町での立ち位置を保っている。
「何か他に手伝えること、ありますか?」
問いかける声のトーンも、音程も、完璧に調整されたものだ。
“ここでこう言えば、大人は安心する”
その経験則を元に、私は言葉を繰り出していた。
けれど――
その相手の目が、ふと、どこか遠くを見るような曇りを帯びたとき。
一瞬だけ、自分の中に“わからない”という感覚が生まれた。
……私、間違えた?
……いま、笑うべきじゃなかった?
でも、誰も何も言わない。
だから私は、そのまま笑っていればいいと判断した。
階段を下りる途中、ふと息を吐く。
深く、音もなく。
私の中に生まれた“ノイズ”は、すぐに消えていく。
だって私は万能なのだから。
完璧にやれていれば、感情のズレなんて些細なものだ。
……それに、“他人の気持ち”は、推測さえできていれば、それでいいはずだった。
私はまた帳簿を抱え、次の用事に向かって走り出す。
速さと正確さだけが、私の存在証明。
それが“司”というプログラムの、正しい動作だから――
【小僧仕事】
「いらっしゃいませっ! お茶、こちらどうぞ!」
私は、蕎麦屋でも動いていた。
朝の仕込み、水汲み、薪割り、火入れ。
湯気が顔にまとわりついても、咳ひとつしなかった。
湯加減の調整も、客への気配りも、すでに“覚えたとおり”にこなせていた。
「司ちゃん、今日もありがとねぇ……。……ほんと、何でもできるんだね」
言葉は温かい。でも、その中に――私は気づいてしまう。
“何でもできる”って、本当に褒め言葉なのかな。
それは、子どもらしさがないということじゃないのか。
それとも、私のしていることに“人間味”がないという意味なのか。
でも、私は笑う。
笑うべき場面だから。
「天使みたい」だと言われたことがあるから。
だから、天使みたいに笑ってみせた。
笑顔の角度は、少しだけ控えめに。
声のトーンは、柔らかく、高すぎないように。
……そう、“ちょうどいい”ように、設計する。
でも――
ふと気づく。
私が笑っている「司」は、本当に私なんだろうか。
いや、そもそも――
彼らが見ている“私”って、一体、誰なんだろう?
子どもとしては器用すぎて。
大人にはなりきれなくて。
“丁寧に作られた誰か”のように、ただ振る舞っているだけの私。
「……何でもできるね」って言葉に、
“何者でもない”私が透けて見えた気がした。
私はただ、役に立っている。
それだけで、自分の存在を埋めていた。
――けれど、本当はずっと、どこか空っぽだった。
【町の中の影法師】
「飴はいらんかね〜、団子もあるよっ!」
通りの角で声を張り上げる。響きが町並みに馴染むよう、少し高く、でも透りやすく。
売るのは簡単だった。
話し方も、呼び止める間合いも、商売人の真似をしてすぐ覚えた。
すぐに完売する。それは当然の結果。
でも、時々――
視線が、痛いくらいに突き刺さる。
「……あの子、ほんとに小さいのに、よく働くねぇ」
「ええ、ありがたいけど……あの歳で、あそこまでできるのは、ちょっと……ね」
言葉は、褒めている“風”だった。
でも私にはわかる。
彼らは私を、“普通じゃないもの”として見ている。
笑顔で応える。
笑うべき時だから。
「健気」「働き者」「天使みたい」――全部、そう見られるように笑ってみせる。
それが、私の“正しい司”だった。
だけど――
そう演じているうちに、だんだんと、自分がぼやけていった。
「へっちゃらだもん、見てて!」
桶を担ぎ、川を渡る。
両腕の力の入れ方、水の重さの分散、転ばない足の運び。
全部、最適化済み。
橋のたもとで男たちがこちらを見ていた。
驚いているような、褒めているような……でも、少しだけ、引いていた。
「……司ちゃん、ほんとに、あの子は何者なんだろうな」
何者?
その言葉に、私は反射的に笑って答える。
「私だよ。司ちゃんに決まってるでしょ!」
そう、笑うのは簡単だった。
けれど――
その瞬間、自分の言葉が、どこにも届いていないことにも気づいた。
私は、何者?
この町で、どこにいるべき?
働き者の子? 便利な子? ……異質な子?
「期待通り」の役を演じ続ける私は、
どこまで行っても、“人”にはなれなかった。
笑いながら、私は考えていた。
自分の正体は、どこにあるんだろう。
そして、もしその正体が見つからなかったら――
私は、いつまで笑い続ければいいのだろうか。
――町の視線、私の孤独――
「無敵の司ちゃん」
「町の宝物」
「何でも屋の女王様」
……そんなふうに、町の人たちは私を呼ぶ。
おつかいは誰より早く、帳簿の計算は商人より正確。
力もあるし、喧嘩にも負けない。
年齢なんて関係なかった。
だから、私は重宝された。
名前を呼ばれ、頭を撫でられ、飴玉をもらい――
「ありがたいねえ」「助かるねえ」って言われる。
でも、時々、感じる。
その言葉の奥にある、“何か”。
「すごいね」
「偉いね」
――けれど、それは人に向けられる言葉じゃなくて、
まるで、奇妙な機械か何かを見てるような、そんな響き。
私はそれを、いつも感じていた。
万能であることが、誰かと“同じ”でいることを許さなかった。
夜。
家に帰って、布団に入っても、なかなか眠れない。
天井を見上げて、あるいは外に出て、星を見つめる。
「……私、ここにいていいのかな」
そう呟くのは、別に寂しいからじゃない。
ただ、私は、どこにも“ぴたり”と嵌る場所を知らなかった。
「……まさみち……今、どこで何してるんだろう」
思い出してはいけないって、分かってるのに。
ふとした拍子に、その名前が胸に浮かぶ。
私が強くなったら、また会える。
そう思って、走ってきた。
働けば追いつける。
もっと何でもできるようになれば、あの時の私よりも、“まとも”になれる。
でも――
「すごいね」と言われるたびに、私はその場にひとりきりだった。
私は、「すごいね」のその向こう側に、誰かと一緒にいる未来を、見たかっただけなのに。
「……でも、いいよ。私は、これで」
誰にも言えない呟きを、胸の奥にしまう。
そして私は、明日もまた走る。
役に立つために。
誰にも迷惑をかけずに済むように。
“異物”のまま、それでも「負けない私」でいるために。
この手が、いつか――
剣を握るようになるなんて。
あの頃の私は、まだ知らなかった。
……あの時、まだ知らなかった。
あの温もりが、いつか――血に変わることを。
作者「というわけで、今回は“働き者すぎる司ちゃん”特集でした!」
司「え? 特集なのこれ? どんだけ働かせるつもり? まだ七歳なんだけど!?」
作者「だって万能設定なんだから、動いてくれないと。設定がもったいないでしょ」
司「いや、こっちは生きるのに必死なんですけど!? 七歳で帳簿も蕎麦屋も呉服屋もこなすって、労働基準法どこいったの?」
作者「江戸にそんなものはない!」
司「鬼ィ!!(って、あなたが原稿の鬼)」
作者「それはともかく、今回は“無敵”の中にある“ノイズ”――司の人間らしさの芽生えがテーマでした。どうでしたか?」
司「……ぶっちゃけ、自分が“何者”なのか、わからなくなってきたかも」
作者「それでこそヒロイン。さあ、次は“剣”と“愛”がぶつかる第二幕後編だよ!」
司「もうちょっとだけ……子ども扱いしてよ……?(ぐす)」
作者「あらあら、かわい~♡」
司「お、おのれぇぇぇぇっ!! 」