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序章 赫き夜の幕開け

――昔の世界、夢のような日々――




「わぁ……ほんと、時代劇みたい。」


石畳の道に、木造の家並み。どこからか町人たちの声が聞こえ、懐かしい響きを連れて耳に届いてくる。


私は、夢の中を歩いているように感じて、きょろきょろと辺りを見渡した。


――こういうときは、驚いたように目を見開いて、笑うべきなのだ。


私は笑った。きっと、場にふさわしい表情だったと思う。


風に乗って届く醤油と炭の香り。遠くで響く太鼓の音。令和では、もう味わえなかった匂い。けれど、私はその感覚を「心地よい」と形容するべきだと知っていた。



「やっぱり、ここは江戸時代かな? それとも、明治? 新撰組がいた頃だったら、面白いのに。」



胸が高鳴った――ということにしておく。実際のところ、私の心臓がどんな反応を示しているかには、いつも鈍い。



「お嬢ちゃん、それは何してるんだい?」


「え? 火をつけようとしてるの。……こうすれば、簡単なんだよ。」



私は火打石を扱う男の人を見て、手を伸ばした。藁の組み方が悪いことにはすぐ気づいた。正しい配置は記憶していたし、どう動けば効率がいいかもわかっていた。


火がついた。



「おおっ、こりゃすごい!」


「でしょ? 私、こういうの得意なの。」



ここでは、私の知識と技能が「特別」に映るらしい。それに反応して大人たちが目を丸くした。その表情が「賞賛」であると判別した私は、賞賛に対する適切な反応として笑ってみせた。



「その着物、変わってるねぇ」


「え? そうかな? 私がデザインして作ったの。」



浅葱色の羽織。現代の感性を少し混ぜたもの。ここでは珍しく映るだろうと予測していた。



「でざいん…? お姫様みたいだねぇ」


「やめてよ、そんなの。」



頬が熱くなる感覚――これも演技に含まれるのだろう。少し視線を外して、照れたように笑う。正しい反応をなぞるのは得意だった。



「ここなら、私、特別になれるかもしれない。」



そう思った。……というより、そう思っているべきだと理解した。



「ねぇ、お母さん。そろばんって、九九が分かればもっと早く打てるよね?」


「え……なに言ってるの、司? 九九って、算術の?」


「そう、掛け算! ほら、こうやって――」



私は地面に小石で九九表を書いた。一の段から九の段まで、すらすらと。お母さんはぽかんとしていた。



「夢で見たの。きっと、そんな感じ!」



この言葉は便利だった。何か説明できないときに「夢で見た」と言えば、人は納得してくれる。


私の中には、知っているはずのないことが確かにある。それが“前世の記憶”なのかどうか、私は検証していない。けれど、今この場においては、そんなことは重要ではない。



「私、もっと勉強したい!」


「女の子がそんなに勉強してどうするのさ。」


「学者になりたいの! 本、買ってよ!」



私は駄々をこねた。過去の記録から導き出した「子どもらしい振る舞い」として正しいと判断したからだ。



「ほんとに変わってるよね、司は。」


「前からだよ。」



変わっている――それは多くの場面で私に向けられてきた言葉。揶揄とも賞賛とも取れる曖昧な響き。けれど私は、その中にある温度をいつも取りこぼしていた。


夜、星空を見上げながら考えた。


――私は、なんでここに来たんだろう。

――前の私は、何を目指していたんだろう。


けれど、答えは出ない。感情的な問いには、いつも応えられない。



「楽しいから、いいか。」



それがこの時の、最適な結論だった。



「今日は川まで競争! 負けたら罰ゲームだからね!」


「ええ~!? 司ちゃん、それ無理だよぉ!」


「文句言うなら、ぶっ飛ばす!」



私は、笑った。ここでは、そうするのが正解だった。


私は強かった。走れば速く、怪我もなかった。

鬼ごっこも、相撲も、かけっこも、全部私が一番だった。



「だって、私が一番正しいんだから。」



そう言えば、皆が笑った。それに合わせて私も笑った。



「司ちゃん、ほんとに五歳?」


「そうだよ?」


「でも、強いし、賢いし……」


「ふふっ、前の世界で全国模試1位だったんだよ。」



誰も真に受けていない。でも、そう答えるのが面白いと知っていた。



「……私って、ほんと天才だなぁ。」

「面白いけど、きっと飽きる。」

「そう思ってる私を、どうせ誰も止められないし。」



その言葉のどれにも、実感はなかった。


けれど、それを言えば「司ちゃんらしいね」と返ってくると知っていた。


だから、私は笑っていた。


それが、正しい反応なのだと信じていたから。









――知らぬまま、私は笑っていた――



「私に敵う人なんて、いるわけないじゃん!」



夕焼けの中、私は胸を張って、笑った。

両手を腰に当てて、子どもたちの前で威張るように――そうするのが正解の反応だと知っていたから。


だって、それが“事実”だったから。周囲の評価がそうだったから。


走れば誰よりも速く、力比べでも誰にも負けなかった。

勉強も、知らないことはなかった。

みんなが驚く顔を見ると、私は“笑うべき”だと判断して、笑った。


そのたびに、私は自分が“特別”であることを確認できた――ような気がした。


でも、心の奥で、ずっと奇妙なざわつきがあった。


何かが足りない。そう“思うべき”かもしれない。

勝つのは当たり前。褒められるのも当たり前。

でも、それが「喜び」なのかどうか、私はよくわからなかった。


じゃあ、「生きている」って、何?


何をやっても、叶わないことなんてなかった。

努力もしなかった。最初から全部できたから。

だから、何かが抜け落ちているような気がしていた。


私は、ただ存在している“だけ”だった。

勝っても、笑っても、心が震えることなんてなかった。

――ずっと、生きている気がしなかった。


私は、無敵だった。そう言われていた。

速く、強く、賢く、誰にも負けなかった。



「この町で一番強いのは、私! それは、ずっと変わらない!」



誰も異を唱えなかった。私も、それを疑わなかった。


でも、誰も教えてくれなかった。

その「無敵」が、どれほど脆く、儚く、そして恐ろしい運命に繋がっているかを。


私は、まだ知らなかった。

自分の中に、どんな欲望が眠っているのか。

自分が、何を求めて生きているのか。


私は――ただ、笑っていた。


その頃の私は、まったく知らなかった。




――まだ何も知らなかった、幼い私は――

今日も、笑っていた。



「だって、私、無敵なんだから!」


この笑顔が、やがてどんな涙を流すのか――

この無敵が、どんな終わりを迎えるのか――

その時の私は、まだ知らなかった。


ただ、生きることを知らずに、笑っていた。


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