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あくる日の彼女たちは  作者: 酒田青
明地翠
8/14

明地翠 3

 ある日、登校すると教室がわっと湧いていた。翠は不審に思いながらも席に着き、ホームルーム後の授業で行われる小テストの勉強を始めようとした。


 竹本、おめでとう、そんな声が聞こえてきた。ふと顔を上げると、竹本が日焼けした顔を照れたように赤黒くして笑っていた。


 ずっと好きだって言ってたもんな。


 体が一直線に地面に沈むような気がした。


 竹本に恋人ができたらしい。それで、翠は竹本に対する気持ちを、恋だと、初恋だと気づいた。


 竹本は浮かれたような笑顔で、友人たちにもみくちゃにされている。


 そのとき、教室のスライドドアが開いた。美登里だった。ホッとして彼女からの「おはよう」を待った。それを聞いたら、今の心のざわつきも、癒される気がする。


 しかしそこで聞こえてきたのは、竹本の友人の冷やかしの声だった。


「彼女来たぞ、竹本」


 すると、竹本も、美登里も、真っ赤になって黙った。


「もう、竹本君何で言うの」


 美登里が真っ直ぐに竹本の元に行き、竹本を非難した。翠の横を素通りして。


「ごめん。バレちゃって……」

「絶対秘密って言ったじゃん」

「ごめん!」


 竹本が手を合わせて頭を下げる。美登里は泣きそうな表情をしながらも翠を見つけ、急いでやってきた。


「おはよう、みーたん。もう信じられない! 事後報告になるけど、聞いてくれる?」


 翠は、笑った。いや、笑えていたか、わからない。今となってはわからない。


 ホームルームが始まり、それまでの騒動は終わり、水を打ったかのように静かになった。

 起立、礼。礼儀正しく、誰からもはみ出さず。そんな学校の、ちょっとした幸せな出来事。それだけだ。ただそれだけ。




「石ころさんの学校ってどんな感じ?」


 Xで知り合った、静岡県の同い年の高校生だという笑い猫は、翠によく話しかけてくる。最近は東京の大学生の桔梗も混ざり、よくDMでも話をする。


「別によくある低偏差値の普通科高校だよー」

「ふうん。私のところも普通科高校」


 笑い猫の場合、言葉の端々から賢さを感じるから、多分高偏差値高校なのだろう。


「校則が今よく聞くブラック校則ってやつで、色々自由にできなくて窮屈な感じ」

「前髪の長さとか決まってるやつ?」

「そう。髪も染められないし、メイクもちょっとした肌の質感の違いで呼び出される。まあ私には関係ないけど」

「大変だね。野球部とか運動部も全員丸坊主とかなのかな」


 胸がちくっと痛んだ。竹本は美登里とうまくやっている。美登里とうまくいかなくなったのは翠のほうだ。最近は全く話していない。


「そう。てか聞いてくださいよ、笑い猫さん」

「何でしょう」

「私の友達、男嫌いって言ってたのに、爆速で彼氏作っちゃって、前とは全然別人みたいになっちゃって、私友達やめました」

「そうなの? てか、彼氏作って別人になったら、友達をやめられちゃうもん?」


 笑い猫の言葉に、ぐっと胸が詰まる。


 本当は、美登里が変わったのは翠とのつき合いをやめてからだ。美登里は翠に影響を受けて、少し地味に、とにかく明るく、楽しい性格でいてくれたのだ。彼女と自分は、一つの軸に対して対称的な、陰と陽だった。それだけだったのだ。今は竹本の影響を受けて、男慣れした、少し男勝りな彼女になっている。


 もう二学期も終わりだ。美登里とのつき合いをやめてひと月。寂しいと言えば、寂しい。




 教室で見かける美登里は、ポニーテールの位置が少し高くなった。教師に目をつけられるギリギリの位置。化粧だってする。体育の授業のあとは、必ずボディーパウダーの香りが体中からも顔からも香るし、目立たない色のカラーリップクリームを塗っている。友達とのつき合い方も変わり、彼氏持ちの女子とよくつるむようになった。


 竹本ともよく一緒に歩く。もうあのころの男性嫌いの美登里ではなかった。大きな声で話し、竹本に甘え、ポニーテールを竹本に触れられ、照れ臭そうに笑う。


 一方の翠は、地味なグループに入れてもらい、さほど興味のない漫画の話題に参加する。『ぼくらのホリデイ!』は完結し、全三巻として発売され、美登里の部屋の本棚に並んでいる。六谷怜が発表する次の漫画を、笑い猫も桔梗も楽しみにしていた。美登里はどうだろう。少なくとも、翠は大して楽しみではない。全てのきっかけである漫画家の作品を、まっさらな気持ちで楽しみにすることなどできない。


 そんなふうにして日々を過ごした。しかし、三学期の極寒のある日、ラインのメッセージが来たのだ。


「みーたん、話せない?」


 翠は本屋のバイトから帰って部屋でくつろいでいるところだった。小遣いを稼ぐために始めたバイトだが、給料は最近美登里と会わないから使い道がなく、ただ無意味に貯まっていて、専門学校への進学費用に足そうかと思うくらいだった。


 既読スルーにしようか迷った。何も話せることがなかったから。でも、メッセージは矢継ぎ早に来た。


「話したくないなら今はいいよ。でも、明日会ってくれないかな。いつもの駅の南口で待ってるね。朝の十時だよ。絶対に来てね」


 翠は肩で息をし、涙がぽろぽろ落ちてくるのをただ感じていた。スマートフォンの画面は濡れ、涙は傾いたほうへと落ちていく。どうしようもない自分を恥じるしかなかった。


 たかが、恋で。たかが、初恋で。そんなもので失っていい関係ではないのは明らかだと思った。行こう。行こう。絶対に行こう。


 翌日の十時、翠は行かなかった。家のダイニングで動画アプリを見ていた。許す勇気がない自分を責めていた。弱くて、ちっぽけだ。こんな自分と、美登里は友達でいる必要などない。


 あっ、と母の切羽詰まった声がした。振り返ると、掃除機をかけていた母が、つけっぱなしのテレビに釘付けになっていた。


「駅前で通り魔だって! こんな地元で……」


 慌ててリビングに行き、テレビを見ると、騒ぐ人たちの様子が映っていた。テロップには、通り魔事件と書かれていた。場所は、よく行く駅の――。


「三人死傷だって。やだあ、怖い」


 母の言葉が凍りついて聞こえる。テレビに映る、地面に広がる血液の赤黒さが妙に目立って見えた。血は、非日常だった。


 美登里は、死んでいない。今も、死んでいない。


 ただ、あの日長くて鋭い包丁で刺された彼女は、今も目を覚ましていない。

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