明地翠 1
明地翠が通う高校は、坂の上にある。道路に面した校門を通り、暑い日も寒い日も坂を歩いて、校舎に向かって登っていく。大した坂ではないのだが、ここを歩くときはいつも憂鬱だ。社会科教師の古井が、いつも自分たちのスカート丈を見ているからだ。
もちろん卑猥な意味はない。古井はスカート丈だけでなく、靴下は指定の白にワンポイントまでの靴下か、制服は着崩していないか、髪は染めていないか、伸ばしすぎていないか、爪はきちんと切っているかを見ているのだ。
じろりじろりといかにも「見張っているぞ」という目でこちらの全身をチェックする古井を見ると、生きている実感をひとつまたひとつと失っていく気がする。農場で管理された豚か牛の群れ。翠の感覚としてはそれが一番近かった。逆らう生徒がほとんどいないことも、それを助長させた。皆髪は黒いままで、元々茶色い生徒はひと悶着あったが、結局黒染めするに至った。爪の処理をしていない、どちらかといえば不潔でだらしない生徒のほうが見逃されがちで、目立たないようにお洒落をしようとする生徒の、カラーリップクリーム、皮脂を抑えるパウダー、緩く巻いた前髪、ワックスで整えた髪などが注意を受けがちだった。
厳しすぎると保護者からクレームが入っても、古井たち教師は「これが私たちのやり方なので」「我が校の伝統なので」と強く跳ね返すらしい。一度お洒落が好きな女子のグループが、ホームルームで「校則を緩めてくれ」と翠の目の前で泣いて訴えたこともあったが、なあなあで済まされ、結局は黙殺された。
そんな風なので、学校中が淀んだ空気で満たされている。自由のない思春期の学校ほど、発達中の心を摩耗させ、自主性を失わせるものはない。そんな中翠は、校則を気にせずともそれなりに学校生活を平和に送る精神状態を得て、校則に反しない程度に楽しく過ごしていた。
「みーたん、『ぼくらのホリデイ!』最新話読んだ?」
ニコニコ笑いながら、美登里が翠の隣の席に座り、ひざの間に両手を挟みながら聞いて来た。
入学式の日からずっと一緒に過ごしている美登里は、名前が同じ読みだということで仲良くなった。丸顔の、笑顔がかわいらしい子で、艶のあるロングヘアは、後頭部の高すぎない位置でまとめられている。彼女の髪が左右に跳ねるように揺れて翠の元に来る様は、子犬がなついてきているかのようで、見ると嬉しくなった。
「あーっ、面白かったよね。タケが楢崎の彼女に、余計なこと吹き込むの」
翠は明るく返す。共通の話題である六谷怜の漫画『ぼくらのホリデイ!』は、現実とファンタジーの狭間にあるのが特徴の男子高校生の日常もので、よく漫画アプリで読んでは感想を言い合っていた。『ぼくらのホリデイ!』はどちらかというとマイナーな作品で、アプリ内での人気ランキングも中くらいなのだが、二人は妙に気に入っていた。六谷怜の作風は緩くてあっけらかんとして、ファンタジー部分も温かい。そこが二人の共通意見で、美登里はそれに加えて恋愛描写が強くないこともいいのだという。
「ラブコメとか恋愛ものとか、何か虫唾走っちゃってさー。何か向いてないんだよね。その点『ぼくらの』は楢崎に彼女がいてもべたべたしたりしないし、タケは恋愛しないからいい」
美登里はそうやって笑う。でも、翠は気づいている。教室の男子の視線が、たまに美登里に熱心に注がれることを。明るく笑顔の多い美登里はそれだけでも魅力的で、何人かから「いい」と思われているということを。
「みーたんはファンタジー部分が好きなんだもんね。この間のタケが楢崎の耳の中にちっちゃくなって入る話よかったよねー。中に人が住んでるの。誰?ってね」
美登里はけらけらと笑い、翠はそれに対して低い声で作中の台詞を言う。すると美登里はますます笑い、翠は、何て彼女は魅力的なのだろう、と思う。
何て魅力的で、憎たらしいのだろう、と。