仙台行き
東京を出た新幹線は、街を過ぎては田畑の広がる田園地帯を見せる。西塔菫のいる席は、窓際ではなかったのであまり見えていないが、遠くに向かう実感が湧いてきた。子供連れや家族連れの多い車内は、世界の終わりが予告されたと思っている人々がほとんどの時代のものとは思えないくらい穏やかだ。斜め向かいの席の、新幹線の窓を覗いては大騒ぎをする子供。それに注意する落ち着いた様子の母親。娘や息子が成人しているらしい後ろの親子は、これから向かう旅行先が楽しみらしく、駅で買ったらしい軽食をつまんで談笑している。
案外皆、世界が終わるなんて思っていないのかも知れない。そんなことを考えるのは身の回りにいるわからずやだけで、どうにかなるかもしれないと考えて、すぐに希望を失ったりしない、そういう人たちのほうが主流なのかもしれない。
一旦仙台で降りて、旅行も楽しもうと言ったのは笑い猫だった。石ころと二人で計画したらしく、菫はそれに仕方なく乗った格好だ。
衝動的に旅行に参加することにしたはいいが、この旅は不安だらけだ。未成年を連れ、成人は自分一人だけ。東京では叔父が心配しているだろうし、両親も気にしてはいるだろう。何より試験をいくつか落としそうなのが怖い。早く済ませて、すぐに戻りたい。
そこまで考えて、夏哉のことを思い出す。彼のメッセージを思い出す。彼が歌ってくれたラブソングを思い出す。
やはり帰るのは怖い。東京にいて、夏哉のことばかり考えているはめになるよりも、無謀な旅行をしようとしていた二人を守る方がずっといい。手の中のスマートフォンの存在を意識する。朝まで彼からのメッセージは来ていなかったが、もう来ているだろうか? 来ているとしたら何を書いているだろうか。
隣でわっと笑い猫の笑い声がして、やっとスマートフォンから意識が戻る。
人見知りらしい石ころは、ずっと緊張気味だったが、東京を出てしばらくしたあたりから少し慣れてきたようだ。趣味の古着屋巡りの話や、区役所勤めの兄の話をする。どうやら兄妹仲は悪くないらしく、一緒に格闘ゲームをしたり、一緒にコンビニに出かけたりする程度には仲がいいらしい。笑い猫が羨ましそうに言う。
「いいなあ、私一人っ子。いっつもさあ、きょうだいのいる子みたいにお洒落の参考にするお姉ちゃんとか、一緒に遊んでくれる弟とかいなかったからさ、きょうだいのいる子って羨ましいんだよね」
「そんないいものじゃないけどね」
石ころが言うので、思わず同調する。
「そうだよね、喧嘩して憎たらしいことも多いし」
笑い猫が目を輝かせる。
「桔梗さんもきょうだいいるんだ! 上のきょうだい? 下のきょうだい?」
菫は一瞬の沈黙ののち、気づけばこう答えていた。
「妹がいるよ。結構仲いいんだ。服の貸し借りもできるしね。趣味も似るし」
「いいなあ。私も桔梗さんみたいなお姉ちゃんから洋服借りたりしたかった!」
「つっても私ら、あんまり服の趣味似てなくない?」
「確かに!」
笑いながら、自分で唖然としていた。何を言っているのだろう。いつの間にか名前だけでなく姉になりきっている。そもそも自分は何故Xを始めるとき、アカウント名を姉の名前にしたのか。そもそも、自分は知らない人間と関わるようなタイプのSNSをやる人間ではない。もちろん姉も。
思わず自分を黙らせるために、マグボトルの蓋を開いてミネラルウォーターを飲んだ。笑い猫は石ころとの会話に戻ったので、ほっとした。
本当に、姉のせいで、確たるものがあったはずの自分がめちゃめちゃになっているのを感じる。姉を恨んだ。何で死んだの。心の中でそう尋ねると、姉からの返答のように濃厚な血の匂いがした。
「ねーねー桔梗さん。石ころさん本屋さんのバイトやってるんだって。すごくない? 貯めたお金、余ったら進学用に足すんだって」
笑い猫が話しかけてきた。血の匂いは消し飛んだ。
「すごくないって……。バイトなんて誰でもやるし」
石ころが慌てたように言うと、笑い猫は、
「えー、私バイトしたことないからすごいなって思うよ。それにせっかくバイトしたんだからと思って好きなことに使っちゃう」
「……私もバイトしてるよ」
菫が笑って会話に入ると、笑い猫は目を輝かせて聞いてくる。
「えー、何の?」
「焼肉屋。服とか髪とか、匂いがつくけど、夜のバイトって時給いいから何時間も働かなくてよくて、学校の時間を潰さなくていいんだよね」
「へー、参考にしよ」
参考って、何の? そう聞こうとして、やめた。将来のことなんて、考えても仕方ないと思っているんじゃないの? 進学してどうするかなんて、そんな人は考えられるの? そういった質問は、場の空気を悪くするだけで何にもならない。
「笑い猫さんはバイトしたことないんだね。何? バイト禁止の学校?」
「んー、禁止ではないけど、周りはあんまりしてないかな。県立高校だから、私立と違ってお金もかからないしさ、バイトするより勉強って子が多い学校だし」
「ほらあ、やっぱり進学校だ」
何故か石ころが割り込んできた。
「私の学校じゃ、バイトは普通かなあ。許可をちゃんと取らなきゃいけないけど」
「石ころさんのところはそうなんだ。関東は大体そうなのかな」
笑い猫が返す。菫は笑って、
「大体許可は取る必要あるね」
と答える。
笑い猫のことが、不思議でならない。急に富良野に行きたいと言い出したことが、気になって仕方がないのだ。どうして富良野に? ラベンダーをそんなに見たかった? 死ぬ前に? こんなに明るく過ごしているのに、そんな気持ちになるの? ……そもそもこの旅行の旅費は、どうやって工面したの?
色々と考えながら、笑い猫の本当に楽しそうな笑顔を見て、考えすぎないようにしよう、と思う。笑い猫も石ころも、SNSで知り合った二人でしかない。この旅行が終わったらまたXで会話するだけの仲になる。深く考えることでは、ない。
会話は菫を含む三人の表層を撫でるだけで、本質には触れない。菫はそのことをありがたく思う。夏哉とのことを、姉がどんな人物だったかを、自分が本当はどんな人間かを、表さなくて済む。
ふと、後ろの成人した親子連れの息子がこう漏らした。
「世界終わっちゃう前に、ばあちゃんに会えるからよかったよ。死んだらもう会えないからね」
それを聞いて、乗客が全て自殺志願者の群れに見えてきた。