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あくる日の彼女たちは  作者: 酒田青
明地翠
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明地翠 6

 人類みんな死んでしまうのなら、死にたい人は自殺の手間が省けるな、と思った。彼らにとってどんなに嬉しいことだろう、とそこまで考えて、彼らではない、自分たちだ、と訂正する。ずっと死にたかったのは自分も同じだ。


 世界は一変したかのようで、とりあえずはそのままの姿を保っている。通学路の歩道脇に生えた雑草も、生徒たちが一番歩く歩道の真ん中で死んでいるモンシロチョウも、それに群がる蟻の群れも、何もかもいつもと変わりなかった。坂道をひたすら登り、学校に向かうのも同じだ。ただ、社会科教師の古井は立っていなかった。生徒は変わらず大勢歩いているのに、スカート丈を見る古井の姿がないのは、制服を着崩さない翠にとっては単純な違和感でしかなかった。


 蟻の行列は細かく砕いた蝶の胴体を運んでいく。それを一瞬見てから、翠は歩き出した。


 校舎に着き、階段を上がり、ざわざわと小さく騒いでいる隣のクラスが目についた。古井が担任するクラスだ。それを軽く無視して教室に入る。今日は時間に余裕があるので、彼女は注目を集めず、誰もこちらを見ていない。


「古井、死んじゃったんだって」


 ふと耳に入った言葉に、驚く。多くのクラスメイトが噂話をし、不安げな顔をしている。


「えー、まさか自殺?」

「じゃなーい? 昨日の放送見たでしょ。何か自殺した人がたくさんいるみたいよ」


 前のほうの席の、夏希たちを含む人気者だけのグループがそう話していた。少し笑っていた。美登里が刺されて植物状態になったら誰かが泣いてくれるのに、古井の死に関しては皆どこか無関心だった。


 嫌われ者の生活指導教師の古井。髭が濃いのか剃り跡が青々としていて、翠も何とも言えない気持ち悪さを抱いていた。身長は低いのにがっしりした体格で、ずんぐりという表現がふさわしい。何かの信念を持って厳しい指導をしていたのか、それとも学校の方針だとか上位の教師に言われてやっていたのかはわからない。家族がいたのかもわからない。妻子がいたのか、子供がいたとしたら小さいのか、自分たちのような思春期の子供なのかも。両親と暮らしていたのかもしれない。同じマンションには結婚せずに両親と暮らす中年の男女がポツポツいるらしい。両親を介護をしていたのかもしれない。翠の母は週に一回、埼玉に住む自分の両親、つまり翠の祖父母の様子を見に行く。あと五年もすれば、祖父は要介護になると言っていた。そんなことが思い出された。


 でも、古井が本当はどういう人間だったのかなんて、もうわからない。死んでしまって、生きている古井とはもう関わることがないのだ。


 死にたいと思っていたけれど、古井の行動を羨ましく思うことはなかった。結構自殺というのは淡々としている、と思った。


 翠のクラスの担任教師が入ってきて、その若い男性教師は、挨拶をしたあと真顔でこう始めた。


「昨日の放送を見て、ショックを受けた者もいると思う。先生たちはいつでも相談に乗るので、誰でもいい、スクールカウンセラーの先生だとか保健医の先生だとか、誰か信頼できる人に相談してください」


 そのあと担任はいかにもナーバスになっている生徒を慰めるかのような言葉を連ねたけれど、いくら言葉を並べ立てても、誰も泣かなかった。


「あれだけ普段私たちを締め上げといて、今更相談に乗るはないよね」


 夏希があとで笑っていて、そうだろうなと思った。




 笑い猫が『ブルー・ブルー・ブルー』の話をしている。今回の『ブルー・ブルー・ブルー』はジャックと豆の木を模したストーリーで、主人公の青木がつるを辿れば辿るほど様々な並行世界を見て回れるというSF的な展開を見せた。並行世界にはそれぞれ別の道を選んだ青木がいて、お金持ちの家に拾われた青木、今の家で別のことにハマっている青木、別の女の子とつき合っている青木、孤独な青木がいた。どの青木も変わらずのんびりとしていて、ああ、いいなあと思った。どんな環境にも影響を受けないこの主人公のおおらかさは、翠を救ってくれている気がしていた。


 笑い猫も何か特に感じるものがあったらしく、いつもより熱心に語った。本当に六谷先生ってすごい。私も色んな可能性とか、あのときこうしていたらとか考えちゃった。そんなことをつらつらと興奮気味に書き綴る。


「石ころさんはこうなっていたら、こうしていたらってことある?」


 息ができなくなるかと思った。それまで今回の『ブルー・ブルー・ブルー』のストーリーと、美登里のことを結びつけていなかったからだ。あのとき美登里に会いに行っていれば。いや、美登里を避けなければ。ぐるぐると思考が巡って吐きそうになった。


「まあ、ある」

「だよねー。私もたくさんあるよ」


 笑い猫はどうしてこんなにも無邪気なのだろう。昨日地球が滅亡することを告げられたばかりなのに。クラスメイトたちは、大人に相談する気はなくても互いにヒソヒソと話し、少し泣いたりしていた。いつも憂鬱な翠と違って、落差は当然ありそうなものなのに。


「隕石落ちること、どう思った?」


 会話を無視してそう書くと、しばらく沈黙が続いた。言ってはいけないことだったのかもしれない。


「まあ、怖いけど、人生短くなる分頑張って生きようと思った!」


 思ったより早くそう返答が来て、気が抜けた。笑い猫は前向きすぎて翠の考えが及ばないところにいつもいる。


「でさ、富良野の話、まだしたいんだけどいい?」

「いいけど……」

「富良野、行かない?」


 翠はそのメッセージを見て、しばらく考え込んだ。本気だろうか?


「桔梗さんも一緒に! 三人で六谷先生に会いに行こうよ。桔梗さん真面目だから、二人で計画をしっかり練ってから提案してさ」


 どうやら本気らしいと感じた。並べ立てる富良野のホテルの相場や、ルート、旅費の総額など、現実味がある。


 七月中旬に行けばラベンダー畑は最盛期だという。翠の鼻の奥で、嗅いだことのない本当のラベンダーの香りがふわっと香った。


「私たち二人とも三学期制で期末考査は七月上旬だしさ、それが終わったら行こう!」

「桔梗さんは大学生だけど、試験どうなってるのかな」

「大体同じじゃない? まあそこは調整してさ」


 本当に行けそうな気がしてきた。ラベンダー畑の真ん中で、強い香りを浴びながら死ぬ自分を思い浮かべた。そのイメージによる恍惚を、忘れることは難しいだろう。


 七月中旬に四日かけて富良野に行って帰る。久しぶりにわくわくする、友達との計画だった。



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