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あくる日の彼女たちは  作者: 酒田青
はじまり
1/14

ある少女

 ヒキガエルの死骸が仰向けで浮かんでいるのを見て、ハッと意識が明瞭になった。自らが起こした波で、それがゆらゆらと藻に紛れて力なく揺れているのを見ると、自分のやろうとしていることの意味のなさ、馬鹿馬鹿しさ、つまらなさが頭をよぎらざるを得なかった。四月半ばの真夜中のプールは、水が冷たくてぬめっていて、生臭い。このプールで死のうと思っていた。少女の人生最後の一年は、果てしなく長く感じられ、無意味に苦痛を帯びていた。


 死んでも意味がないというのはわかっている。だが、生きていても同じく無意味だと思う。そもそも人間一人の生に意味など考えることこそが無駄なのかもしれない。ここで死んでも周囲の人間関係に波紋を残す程度で、生き残ったとしてもただただ苦痛が自らを苛み続けるだけのような気がしていた。少女はとにかく自分の行動を、完遂までの数歩のうち一歩を進めようとした。


 スマートフォンのライトで照らされたプールは大小の虫や蛙、台風のときにでも飛んで来たらしい大量の葉や枝でいっぱいで、とても清潔には見えない。気持ち悪く思うことは不思議となかった。生命だったものには何となく哀れみを感じた。


 彼女はどうやって死ぬか何も考えていなかったので、とりあえずヒキガエルのようにプールに浮かんでみた。長い二本の三つ編みは横に浮き、制服の長いスカートの裾は下に向かって垂れるように落ちていった。プールの水のせいで芯まで冷えるほど寒いが、空は満天の星空だった。群青の空は星々に彩られているが、結局は彼女にとってそれはただの空の飾りにすぎず、欲しても手の届かない遠くの世界のものでしかないのだった。耳元で水があぶくのような音を立てている。それは人の声のようにも聞こえた。


 少女は口笛を吹いた。「威風堂々」を細い音で奏でると、ふふっと笑った。威風堂々と死を選ぶ者なんて、この世界にはいないだろう。無論、彼女自身もそうだ。未だに体は恐怖して、死ぬまでの時間を引き延ばしている。


 どうすればいいんだろう。少女は今の状況から逃げることを考えた。ここから逃げ出して、どうにか生きていければ、誇りを取り戻し、自分の弱さなど意識せずに済むだろう。けれど、植えつけられてしまった自分へのレッテルは、そう簡単には剥がれたりしない。


 関わりがあるにしろないにしろ、同級生たちが彼女よりも大人びて、処世術に長けている気がしていた。しかしこうなってみると、彼女たちよりも自分は知ってしまった、と思う。しかもそれは彼女たちにも、自分にも知る必要のないことだった。誰一人知っていそうにないことを知ってしまったとき、彼女は死を選ばざるを得ないと思ったのだ。


 水面はちゃぷちゃぷと彼女の耳元を濡らす。とても静かだ。


 突然、胸元に載せていたスマートフォンが不穏な音で鳴った。驚いた彼女は、一瞬水を飲んで溺れかけた。プールの底に立ち、咳込んでいる間、スマートフォンは不気味に鳴り続けていた。いぶかしみながらそれを見ると、首相官邸からの放送だった。いつもよりも緊迫した様子で、長い髪を後ろになでつけた総理大臣が、ゆっくりと、確実な調子で話していた。


「これまで長らく努力を重ねてまいりましたが」「各国の専門家と協議し」「核兵器の使用など検討し」「国民の皆様にはご不便やご心配をおかけしますが」「米国など各国ではすでにシェルターの開発が進み」「不断の努力を重ねつつ」


 言っていることがよくわからないまま、夢見心地で生放送の動画を眺めていた。


「巨大隕石が」「直径三十キロメートルの」「現在の技術では対応が極めて困難」「専門家の予測では来年一月ごろの衝突が確実」「日本国は米国を始めとする全世界の国々と協力し、この事態の解消を」「皆さん、落ち着いて普段通りの生活を」


 マンションや戸建て住宅が立ち並ぶ住宅街である周囲に、次々に明かりが灯って騒がしくなってきた。大声や金切り声が聞こえる。泣いている声も聞こえる。


 彼女はその後も続く放送を、じっと見つめていた。口元には笑みが浮かんでいた。


「つまり来年になったら世界が滅ぶってこと?」


 軽やかな笑い声が喉の奥から漏れてきた。それから急に寒さを感じ、慌ててプールをざぶざぶと歩いて出ようとした。ヒキガエルの死骸がひっくり返って揺れていた。それを見て、彼女は「またね」と微笑んだ。


 プールを出て空を見上げると、星々がきらめくとても美しい群青の空が、彼女を包むように広がっていた。


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