風魔の里①
風御 風を操り、刀、手裏剣等、武器になる物体を自在に動かす技。
ライカと神一郎は、紀州を旅立って六日目に箱根の街に着いていた。ライカが、食事もそこそこに、神一郎の前を黙々と歩いた為、早めの到着になったのである。
「ライカ様、今日は此処で泊まって、明日風魔の里を目指しましょう」
神一郎が言うと、ライカは軽く頷いた。
二人は、山の登り口にあった谷川を、野宿の場所に選んだ。そこは、五メートルほどの様々な形の石が折り重なり合って、別世界のような雰囲気を醸し出していた。
神一郎は、荷物を置くと、辺りを調べてくると言って上流の方へ登っていった。
四半時ほど経って、小魚をいっぱい刺した笹竹を下げた神一郎が帰ってみると、そこに、ライカの姿は無かった。
「ライカ様!」
彼が、大声で彼女を呼んでみると、
「……ここだ。水浴びをしているから、こっちに来るな!」
声は、下流の岩陰から聞こえて来た。神一郎が目で探すと、岩の上に彼女の小袖が置かれているのが見えた。
ライカが腕を伸ばして着物を取ろうとしたその時、強い風が吹いて小袖を攫って行った。
「神一郎、何のつもりだ!」
神一郎の仕業だと思ったライカが、怒りの声を上げた。
「? いえ、私ではありません!」
神一郎が辺りを見回すと、切り立った崖の上に、一人の若者が薄笑いを浮かべて此方を見ていた。
「何者だ!」
神一郎が、曲者を睨みつけた。
「風魔千太郎が一子、億太郎だ! 紀州のサルどもか。お手並み拝見といこう」
億太郎は、言い終わらぬ内に、一尺ほどもある大型の八方手裏剣を投げた。手裏剣はシュルシュルと回転しながら弧を描き、神一郎を襲った。
神一郎が、それを叩き落そうと刀を振り抜いた瞬間、刀を持つ手が痺れた。
「重い!」
風で操られた手裏剣は、旋回して尚も神一郎を襲って来る。
(風御(ふうご―風で物体を操る技)が使えるのか!?)
神一郎は、手裏剣を躱しながら、河原の巨大な石の上を渡り飛んで、ライカの居る方に逃げると、その先に、白い裸体を水に隠している彼女の姿が見えた。
神一郎が、ライカの裸に見とれて動きを止めたその時、億太郎の手裏剣が迫った。
「しまった!」
神一郎が振り向いた刹那、風が唸り、大きな流木が浮き上がって、間一髪で手裏剣を防いだ。ライカが流木を風で操り、助けてくれたのだ。
「馬鹿! どこを見ているんだ。油断するな!」
「ライカ様、申し訳ありません……」
神一郎が目のやり場に困りながら、頭を掻いた。
「ふん、中々やるな。だが、裸のままでは戦う事も出来まい。土下座をするなら小袖を返してやってもいいぜ」
億太郎が、悪戯っぽい笑みを見せた。
「ほざけ!!」
次の瞬間、ライカは裸のまま空中高く飛び上がった。
「ライカ様!」
神一郎も、自分の小袖を脱ぐが早いか、ライカの後を追って飛び上がる。
「何だと!?」
真っ裸のライカが、自分の方に飛び上がって来たのに驚いた億太郎が、目を見張る。それと同時に、空中で追いついた神一郎が、ライカに小袖を纏わりつかせた次の瞬間、彼女は、億太郎を蹴り倒すと、馬乗りになってポカポカと殴り始めた。
ふんどし姿の神一郎が、はだける彼女の小袖を押さえて、懸命に帯を巻こうとしている。
「分かった分かった、降参だ。やめてくれ! お前本当に女か?」
次の瞬間、ライカの止めの一発が億太郎の顔面に炸裂した。
気絶していた億太郎が目覚めると、神一郎が彼の顔を覗き込んでいた。
「彼女は、三日前も盗賊の頭を半殺しにしたばかりです。下手をすれば殺されていましたよ。御父上に、明日ご挨拶に伺うとお伝えください」
「ああ……」
顔にあざを作った億太郎が、神一郎に送られて、すごすごと帰っていった。