7/7 彗星を追う男
かくして。
彗星の尾どころか彗星と併走して、それを捕まえるという前代未聞の異業を成し遂げてなお、おれの借金は、しかして完済されなかった。
捕まえた大彗星は競りにかけられ、おれたちを船に押し込んだ側や諸々のピンハネを差し引いても、おれたちは庶民では到底手にすることのない金額を手にした。
山分けしても人生を100回やり直せるくらいのカネだ。
しかし──それでは、おれの借金の返済には足りなかったのである。
──ウラシマ効果という現象がある。
運動している物体の時間の進み方は、静止している観測者に比べて遅くなる。
そして、借金には利子というシステムがある。
時速5000兆キロメートルとは、即ち、光速の500万倍だ。
宇宙船の時間の流れは、大変、とても、物理法則の限界を超えて、ゆっくりになったのである。
そして、ゆっくりしていっていない外の世界では、いつの間にか借金が膨れ上がった、ということだ。
ふざけやがって。
つまりつまるところ、おれが借金を返済しようと宇宙を素早くかけずり回ると、それに応じて利子が膨れ上がるシステムになっていたのだった。
未来世紀の人類種の寿命はとても長く、貸し倒れは期待できそうにない。
おれはいつの間にか、この悪意ある蜘蛛糸に絡め取られていたのだ。
……という旨の愚痴は、誰に言っても『事前に宇宙船で超長距離航行する旨を申請しないからだ』と同じことを言われる。法に規定されているのであれば、納得はいかないがおれが悪かったのだろう。
法律というものは、弱者ではなく、それを理解しているものの味方なのだ。
もちろん、納得はいかないが。
そうして、おれの借金は、あるだけの分を返済し終えると、奇しくもこの船に乗る前と同額になっていた。
「……はは、ははははは!!」
おれは笑った。
借金の数字は、たったの1も減ってない。増えてすらいない。
では、おれの宇宙航行に、一体何の意味があったのか?
──そんなことをぼんやりと考えていると、おれのBIIが、おれを主題にしたメディアの商品を拾ってきた。
『戸籍も名前も売った男、彗星を掴む 伝説の彗星追いアレクセイ氏同乗のもと』
『彗星男、多重債務者だった!?』
『彗星を追いかける男』
ネタの枯渇したオールド・メディアは、おれのことを、時に銀河大統領のように慇懃に、時にピューリツァー賞のハゲタカのように冷酷に、時に時に頭のおかしな道化師のように面白おかしく取り上げ、ニュー・メディアは無一物で多重債務者で命知らずなおれの──ひいてはオールド・メディアの──非倫理性を武器にオールド・メディアを叩いている。
おれの写真をまったく別の誰かにすり替えたって成立する、まったくいつもの光景だった。
この調子だと、おれの名前は三日かそこらで埋もれてしまうだろう。
ああ、カネもなければ名誉もない。更に言えば、探してるオンナも見つかる気配はまるでない。
どこまでもないない尽くしだ。
──それでもいいと、おれは思う。
──意味はあったと、おれは思うのだ。
拝啓、名前もわからぬ元カノ様。
きみと別れてから、もう何年が経つのか。
正確なところはおれにはわからないし、それはもはや、重要なことでもないとも思う。
きみは、愛は理解することだと言った。
おれには愛がわからない。別れ際のあの言葉に対し、きっと、これからもきみを納得させる返事は返せないと思う。
これまで、その言葉が胸の奥に突き刺さって、だからずっと、きみを探して、追いかけて、もがいていた。
だが、今のおれを、きみは理解することができるか。
星の大海原を越え、彗星を掴み、無事に帰ってきた冒険すべてが徒労に終わってなお、おれの心には爽やかな風が吹いている。
そんなおれの心が、きみにわかるか。おれにもわからない心が、きみにどれだけわかるだろうか。
だいたい全てをなくしたおれは、なくしてから答えを得た。
──わからないものは、わからないのだ。
どんなに深い仲であっても、その心をすべて、まるごと、理解することなどできないと。
そして、理解したと錯覚するのではなく、理解できないものと割り切った上で、なんとか折り合いをつけるべきではないのかと。
おれはそう思うのだが、きみはどうだろうか。
もう一度だけ、話をしたいとおれは思う。
借金のカタに乗せられた宇宙船は、ソファが堅くて臭いことと、自室が若干狭いことと、食糧生産プラントで生成できない蜂蜜の備蓄に怯え続けなければいけないことを除けば、存外快適なものだ。
宇宙の果てで、ヒーリングミュージックでも聴きながら、彗星を眺めるのも悪くはない。
「ママ。だっこ」
『はい。目をつぶってくださいね』
おれは、彗星を追い続ける。
宇宙の果ての、その端の片隅の、世界の中心からは遠く離れたどこかの場所で。
多分これからもうしばらく、この綺麗で心が躍ってくそったれな仕事を続けることになる。
なんとも上等なことだ、とおれは思った。
おれの呼吸が続く限り。
おれの世界の中心とは。
いつも変わらず、おれにあるのだ。