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3/7 スターダスト・ストリーム



 眼前に見える巨大な氷塊。宇宙船が照射する光熱を浴び白く輝く。

 速度が上がる。無音で、無風で、ただ視界を白が埋める割合が大きくなる。白が5、黒が5が、白が6になり、7になり、8になり──速度が緩まない。

 宇宙服の頭部に備えてある、ルドヴィコ視野固定装置によって、おれの目はまばたきを必要としない。目をつぶることを許さない拷問器具は、否が応にでもおれの視界に彗星を納めてくる。


『目を逸らすんじゃねえぞッ!!』


 迫る。迫る!迫る!!

 目前に迫る俺の死。乗務員3名を乗せたおんぼろ宇宙船は、精神薄弱の、しきり屋の、さっきまで涎でミステリーサークルを描いていた老人の指示で加速し続ける。

 こんなもの、老い先短い老人による宇宙心中じゃないか。


『止めろ! 止めろ!』


『ガキがッ!! この程度の距離じゃかき集めたってベッドのシミひとつにもなりゃしねえよッ!! おら、もっと速度上げろ!!』


『製図用品には自己を破壊する権限はなく──』


『ビビってんじゃねえ! てめぇにサオを握らせた俺が馬鹿だったッ! ッたく、揃いも揃って無能揃いか! おら、退け!!』


『三角定規には加速中のマシンのハンドルを手放すという機能はなく製図に用いられることがっ──!』


 短波通信が途絶えた。

 最後の短い悲鳴は、おそらく筆箱が殴られて意識を失ったためだろう。


 つまり、おれたちの命は自殺志願者の老人の掌の上にあるということになる。

 いよいよもって、おれは死を覚悟した。


 近づいてくる。

 氷塊が船に近づいてくる。

 このままでは沈没する。


 さらに近づいてくる。

 視界にはもう白しかない。首をさまざまな角度に動かしても宇宙の黒はもう見えない。それほどに密着している。


 まだ近づいてくる。

 違う、近づいているのはこちら側だった。

 おれたちは時速11万キロメートル──宇宙規模で言えば、亀より鈍い──で逃げる彗星を、それよりもほんの少しだけ速いスピードで追いかけている最中だったはずだった。亀から寄ってきたわけじゃない。


 アキレスが亀に追いつかなかったのは、恐らく、追いつきたくなかったからなのだろう。

 仮に、ほんの少しでも計器が狂うだけで、時速数万キロメートルの速度で氷の塊に追突して、船外にいるおれは潰れて死ぬことになる。


 死がすぐそばまで迫っていた。

 いくら化石とはいえ、小型デブリの対策程度は当然しているだろうが、それでも前時代的なこの船なら、まあ恐らく航行続行不可能になって死ぬだろう。なので、もし操作ミスでおれが宇宙船と彗星からサンドイッチにされた時は、操作を誤った乗組員もそうなるようのろってやろう。


『照射ッ──』


 合図と共に、熱線が放たれた。それを受けた彗星が、形を崩していく。


 ひとつ、

 ふたつ。

 崩れる端から粒子となり、漂い、銀の泡がかぷかぷと輝く。水底から水面へと上る気泡のように、粒は宇宙空間を漂っていく。


 みっつ、

 よっつ。

 銀の泡が増える。増える。増える。


 そうして、氷の表面が、くしゃりと砂糖菓子のように大きく崩れ去り──。



 ──たくさん。


 ──かくして、おれの視界は、白銀の奔流で埋め尽くされた。

 それはまるで、炭酸水の海に落ちたような幻想的な光景だった。


 彗星が溶ける。


 溶けて、

 尾を広げる。


 真空に音は伝わらない。宇宙に音はない。

 しかし、おれの耳は、しゅわしゅわと泡立ち、溶け、光り輝く音を確かに聴いていた。

 臓器を欠いていたお陰で省エネ運転だった心臓が跳ねた。血液をどくどくと作り出した。

 宇宙の果てという黒鉛色の水底で銀の泡はかぷかぷと笑った。愉快な気分だった。おれも釣られて、笑わずにはいられなかった。


 ──それは一瞬か、あるいは永遠か。


 おれは彗星に鼻先をつけたような気がするし、遙か遠くに流されていったような気もした。銀色の光が流れて、そこに一緒に溶けていくようだった。自分という存在がほどけていくような、結合を強めるような。すべてが繋がるような感覚と離れていくような感覚。それが同時にやってきた。

 何億本もの光が、線となって流れてきた。血液だけじゃなかった。言語にして規定した瞬間失われてしまうなにかが、おれの体を流れていた。


 すべてが理解できそうで、何ひとつ理解できなさそうな、極光のスペクタクル。

 ただひとつ言えることは、『これは、おれの死ではない』ということだった。


 おれはもう、彗星から目を逸らそうなんて思わなかった。

 網膜の底の底に、尾から広がる光輝の、ひとつぶひとつぶを、くそったれなほどに灼きつけようと決心した。



『──ンジンの故し──』



 何かがうるさい。おれは今、指示通りに彗星を眺めているのだ。指示を超えて自分の意志で彗星を見つめているのだ。

 おれは彗星とともにあるのだ。白い光の中で、彗星の尾のひとかけとなっているのだ。



 ……ああ、おかしい! 距離が離れていく!

 光の泡は、置いていかれるおれをあざ笑うようにかぷかぷと瞬いている。


 離れていく。

 もっとあの奔流の中に体を横たえていたい!



 離れていく!

 輝きが遠ざかっていく!




 離れていく!!

 ああ! ああ!! おれに、おれにもっと光を!!

 漆黒の暗闇の孤独の果てを切るような、あの真銀の輝きを!




 おれは、手を伸ばした。




「くそったれが……っ!」


 しかし星間距離と比べては短すぎて、

 漆黒の闇の中で無数に浮かぶ銀の泡の、

 たったひとつぶにすら、届かなかった。



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