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1/7 底辺の仕事・ツィオルコフスキー型資源回収船テツヤワタリ



 ──底辺には、底辺の仕事がある。


 煙突掃除、蟹工船、サシミの上にタンポポを乗せる仕事──歴史の針が進み、どれだけ経済活動が発達しても、人間の上と下を決めたがる性質というのは千代に八千代にいつまで変わらず、富める者は更に富み、貧しき者は更に貧する。


 ヒトが母星を棄てて久しい未来世紀3020年においても、その性質はついぞ変わらない。



 3020年1B月2E日、おれはツィオルコフスキー型資源回収船《テツヤワタリ》に乗せられ、アルファケンタウリ星系惑星Bbの衛星軌道上を、時速5000兆メートルでつい今し方通過した。



「三角形の内角の和は180度これは平面幾何学的な見方であり曲面の上で成り立たぬであるからして私は現在三角定規としてのアイデンティティの危機を迎えており──」


「ガッチャ……ガチャ……」


 宇宙船地球号──重度の病人しか収容されていない、頭のテッペンからつま先まで病み切った人工惑星──に住み着いていた重度末期患者たちのように、《テツヤワタリ》のクルー総勢3名もまた、漏れなく全員病んでいた。


 名称を、仮に筆箱としておこう。

 こいつは狂っていた。自分を文房具だと思いこみ、その上、日によってその種類が違っていた。

 自分を三角定規だと思いこんだ野郎が握る今日の操縦桿は、その意味不明な信念から直角にしか曲がらないせいで、乗り心地はひどく最悪だし、ぶつからないかと何度もヒヤヒヤした。

 こいつとは会話が通じない。


 名称を、仮にガチャ廃としておこう。

 こいつは狂っていた。その上、年老いてもいた。俺の隣で歯の抜けた口をぽかんと開け虚空に笑うギャンブル中毒者は、したたる涎を潤滑油にして機材の整備を担当する。

 履歴書を読むと、法的に黙認されている《健全遊戯》にのめり込んで家も臓器も売り払ったらしい。今日も脊髄に栄養剤アンプルを打ち込みながらうわごとを呟いて笑っている。

 こいつとは会話が通じない。


 そして、そんな愛すべきメンバーたちを率いるこの船のキャプテン。

 フられた女のケツを追っかけて、バカみたいな借金を背負って、コワいお兄ちゃんたちに連れられ、彗星船に押し込まれたクソバカ。

 ──すなわち、おれだ。



・・・

・・



 《フラスコ・カレッジ》で出会い、同じ試験管から《創造(デザインド)》されたという縁から付き合い始めた彼女は、キスの時でさえ片耳のイヤホンを外さない女だった。

 その片耳を鬱陶しく思ったことはあれど、結局、一度として、どんな曲を聴いていたのかを訊ねたことはなかった。



「愛って、何だろう」



 由緒正しき宇宙船から払い下げられた航行灯が、青白く照らす部屋にて。

 ベッドの上の彼女は、枕に自分の顎を乗せながら、そんなことを言った。


「つい今し方、ヤったばかりだろ」


「やれやれ。君はわかってないなぁ。女心をわかってない。そうじゃないんだ」


 そう言うと、裸の上半身をずいと縦にした。


「これは陳腐で、精神健常的メンタルヘルシックで、人間存在が起源から考え続け、今なお絶対的な答えが出ない問いだけどね」


「《価値判断命題(ひとそれぞれ)》だからな。答えなんて存在しないだろ」


「だけど、問い続けること自体に意味があると思うんだ」


「おれには、よくわからん」


「私は、デザインドされたパラケルスス・ベイビーを代表して、この難問に挑むことを宣言する。君もそうしてくれない?」


「考えたいやつが考えればいい。答えが用意されていない問いに挑戦するのは、メタ激烈メタ形而上メタ数学者マセマティシャンだけで十分だ」


「宗教家を出さないでよ」


「宗教もまた価値判断命題の最たるものだからな。ヒトは道具なしに一万ヤードの高さから落ちれば死ぬ。これが覆しようがない客観的事実という」


「客観的事実だけを置かれても、人には理解することができないよ。AIese(機械語)は、途中式を開示しない。だからどう頑張っても人間には理解できない。スーパーコンピュータに万物の答えが42だって言われても、人間に得られるものは何もないじゃない?」


「きみは、相変わらず感性的だな」


「そりゃそうだよ。人間を人間たらしめる者は感性でしょ? おなかの中で育っていなくても、それは変わらない」


 彼女は艶やかな腹をさする。


「私はね。愛って、理解することだと思うんだ」


 理解、理解ね……。

 誰かを理解することなんてできるんだろうか。

 自分のことを理解することさえ曖昧だろうに。

 そんなことより、もう日も昇り始めている。

 窓の外で、バイオカラスがゲェーゲェーと呻き始めた。


「そろそろ寝ないか」


「ああ、うん。……そうだね、もう朝だね」



 そうして。

 おれが日暮れに目を覚ました時、彼女の姿は既になかった。



「私を好きになってくれたのは嬉しいよ。すごく嬉しい。でも、一度も理解しようとはしてくれなかったね」


 枕元の電子メモ──イヤホンも含め、とにかく超時代遅れ(アウト・オブ・デート)な女だった──の丸っこい文字が、おれの胸に、一字一句あまさずその文言を刻みつけた。



・・・

・・



 銀河のどこかにいる、たった一人の女を探そうとしたら、カネはいくらあっても足りなかった。

 それはそうだ。未来世紀3000年、人間は銀河系を遙か遠くに越え、どこまででも旅することができるようになった。

 そして、おれは彼女の言うとおり、彼女のことをまるで知らない。


 写真というものがとにかく嫌いで、B(ブレイン・)I(インプラント・)I(インターフェース)に画像データを残すことも許さなかった。

 だから残っているのは、丸っこい、がさつな電子メモの一文だけ。

 名前だって、実のところわからない。ジェーン、アリス、ラクーナ……会う度に、名乗る名前は違っていた。


 そんな相手を、銀河中から捜し当てるなんて──我ながらバカバカしい話だ。

 戸籍管理星系のハッキングだの銀河系探偵だの、由緒正しい機関から眉に唾をべっとり付着させたものまで、繋がりそうなモノにはなんだって飛びついた。

 そんなことをしてれば、カネは当然に底をつく。家財を全部売り払って、臓器なんかも売って、足りなきゃ借りて、財布を空にして、また借りて。それを繰り返せるだけ繰り返す。

 約束された破滅の道を、約束通り通っただけだ。



 ──そしておれは多重債務者になり、《彗星追い(コメット・チェイサー)》なんて、キツくて()危険で()くそったれな()仕事をさせられている。

 規定のノルマを達成しない限り、この船からは降ろしてもらえない。

 これは恐らく多重債務者への罰や、多重債務者予備軍への見せしめ、そして多重債務者とは無縁な存在の娯楽を兼ねているのだろう。

 最高の制度だ。最高にくそったれな制度だ。


 宇宙空間は──厳密に言えば恒星の位置次第で周囲の温度は変わってくるが──概ねマイナス270℃の凍える世界である。

 彗星とは、一言で表すなら氷と岩石の塊だ。太陽なんかの核融合反応を起こす恒星に近づき表面を溶かすことで、恒星に向かう尾を描くほうき星となる。

 氷が崩れることでできる尾っぽは、ガスと塵から構成される。おれたちの仕事は、そんな彗星のすぐそばまで近づいて、秒速6kmで動く星屑スターダストを船体で受けて回収することだ。


 恒星系の周囲200光年の彗星には、おれたちには漁業権がない。

 だから、恒星から離れた、ヒトが所有していない──あるいは、持っていることを忘れたような──辺鄙な、孤独な宇宙空間を漂う彗星のケツが、おれたちの追いかける対象となる。


 追いかけて、追いかけて、全身を塵まみれにするのだ。

 そうすると、塵の構成要素はだいたい水と一酸化炭素とケイ素、だいたいは二束三文にもならんもののうちに、未知のアミノ酸──生物の源なんかが転がっていることがある。

 貴重な彗星塵を競りにかけて、バカみたいに高い値段で売っ払うことができた暁には、おれたちが借り受けたおんぼろ船のレンタル料やら光熱費やらNHKの受信料なんかを諸々さっ引いても──取り分はまだ残るくらい余裕がある。



 逆に、ここで彗星塵を取れなければおれはデブリに仲間入りしてこの漆黒の宇宙を船なしに彷徨うことになるだろう。

 おれは、命を預けることになる同乗者クルーの顔ぶれを再度確認した。


 ──会話にならない自称文房具と、会話ができないガチャ廃人だった。


 ダメだな。

 おれの人生はここで終わりだ。

 おれは遺書の文言を考え始めた。



 未練があるかというと、それほどでもないかもしれない。

 おれはぼうっと生きて、顔も名前もわからん女に振られたことをきっかけに、そいつを追い続けてここまで来た。

 語れるような人生経験なんてない。

 そんなツケを払うときが来たのだろう。……いや、納得できない。


 あいつに会って、メモに書かれた言葉を問い詰めるまでは。

 おれは、死にたくない。


 ──そうだ、考え直せ。おれは素晴らしいチームメイトに恵まれた非常に幸運なキャプテンだ。

 まず、同輩が炭素型二足歩行生物、かつサルの子孫だというだけで、おれは恵まれていると言えるだろう。

 これがもし、爬虫類の子孫だとしたら、おれは暑さ寒さに気をつけてやらないといけなかったし、口から卵を吐き出さないようにケアしてやらないといけないし、種族人間に対する殺意をどうにか業務能率の向上に繋げなければならなかった。

 それに比べれば、こいつらはただちょっと、コミュニケーションに若干の課題を抱えているだけだ。



「そ、そうだ。おれはキャプテンとして、きみたちのことをもっとよく知りたい。対話をしないか」


 おれは筆箱に声を掛ける。



「三角定規は直線や曲線を引くとき,角度をかくとき,直線かどうか直線の程度を調べるとき,直角を調べるとき,または物を立つときに当てがって使う用具である」


 ダメだこりゃ。

 おれはもう一人の愛すべき他人クルーに向き直り、


「ガチャぁ~~~~」


 涎を垂れ流しているガチャ廃を見て即座に方針を転換した。




 ああ、宇宙は広大だ。

 宇宙船の窓の外には、黒洞々とした暗黒が広がっている。無限に広がっているのだろう。


 今のおれの心のようだった。




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