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夜半の月 ~目覚めたら平安時代の姫でした~  作者: 赤川エイア/監修:白木蘭
前篇:夢の通ひ路
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第四十五話 其の一

 ◆◆◆


 苦しい。


 息をするたびに喉が焼けつく。

 身体は軋み、乾ききっているのに、水を飲むことさえままならない。口にしても、大半を吐き戻してしまうのだ。四肢は相変わらず、雪に埋もれた外の石のように固く、冷え切っていた。痺れも、もう感じることはない。


 起きている間は、こうして伏せたまま、ただ天井ばかりを見つめている。女房に聞かなければ、日が変わったのか、朝なのか夕刻なのかも分からない。ひたすら無心で痛みに耐え、息をしながら時間が過ぎ去るのを待つだけ。この数日間は、それだけを繰り返していた。


 琴を奏でたり、書を読んだり、時間を忘れられるような気晴らしができればまだよかった。今の私には、少し前まで当たり前に出来ていたようなことも叶わない。

 せめて小梅がいてくれれば、明るい話題の一つや二つを話してくれただろうに、彼女は物忌みで下がっている。他にも女房は勿論いるが、心を許している存在がいるといないとでは、随分と違った。小梅は私にとって特別だ。彼女の代わりには、誰もなれはしない。


「姫様、白湯をお持ちいたしました。お飲みになりますか」


 声の方に視線をやれば、線のように細い目がこちらを伺っていた。

 見ない顔だった。新顔だろうか。しかし、このような状態の私を、お父様や上臈女房が新参女房に任せるはずはない。それは荷が重すぎる。

 いつも小梅が物忌みの際は、一回り年が上の(くすのき)という女房が私に付くのだが、彼女もいないということは楠までも物忌みなのだろうか。または、調子が優れぬか。


 そこまで考えて、私は思案するのをやめた。

 どうだっていい。この女房が誰かなどさして重要なことではない。以前から居たものの、私が覚えていないだけなのかもしれない。このところは、小梅か楠としか会話をしていないので、それ以外の誰がどうというような情報は、私には必要ないものだったのだから。


「姫様?」

「ええ。身体を、起こしてくれる?」

「はい」


 何日も手入れしていない、泥のような髪が顔に張り付いた。煩わしい、いっそ尼のように切ってしまいたいと思ってしまう。

 根が生えた背中を無理に床から剥がし、私はその女房から白湯を受け取った。飲みたいとは全く思わないが、ずっと何も口にしていない。これくらいは無理にでも身体に流し込んだ方がいいのだろう。死を願っていながらも、一方でこの生を引き延ばすようなことを考えてしまう矛盾に、苦笑いが込み上げてくる。

 とにかく、喉が渇く。少し落ち着いている今ならば、戻す心配もない。私は唇に器を近づけた。



「こちらを、お預かりしております」


 三口ほど飲み終えたところで、そう言って彼女が差し出した。


 花――、白い、花。


 真冬に花など咲くはずがない、一瞬、自分の目を疑った。が、よく見れば、それは紙でできた、あの花を象ったものだった。

 何も言わずに受け取り、花びらを指先で撫でると、ざらりとした感触が残る。誰が贈ったものかなど聞かずとも分かる。お兄様が作ったのだろうか。


 何でもそつなくこなせるので、そうと知る者は少ないが、あの人は手先が器用な方ではない。筆をとれば美しい文字を書き、笛を吹けば素晴らしい音を奏でるが、それ以外の細かい作業はあまり得意ではない。

 こんな繊細なものを作り出すのに、一体どれほどの時間をかけたのか。きっと文や見舞いの代わりになるものをと考えに考えて、紙の花を下さったのだろう。まるで、子どもだましの玩具のようだと笑みがこぼれた。


 なぜこのようなときに、花など下さるのだ。お兄様は、本当に残酷なほど鈍く、色恋に疎い。


 これまで、絶えず送られてきたお兄様の文は、すべて開けずに捨ててきた。この花もそうすればよいだけのこと。私が心を騒がせる必要はない。お兄様の想いごと、燃してしまえばいい。

 そう、思うのに――……


「――お可哀そうな三の君様」

「え?」


 反射的に、顔を上げた。いつの間にか、女房はその女一人だけになっていた。

 他の者はどうしたのだろう? なぜこの女房だけが傍にいる。


 聞き間違いでなければ、熱でおかしくなったのでなければ、この目の前の女は、私のことを可哀そうだと言った。


「お可哀そうな三の君様。何もご存知ではない」

「何のことだ。私が何を知らぬという」


 声と呼んでもいいものか分からない代物だったが、掠れたそれは女に届いたらしい。小さく微笑んだ彼女の細い目が、三日月のような形に変わる。


「有明中将様は今頃、あの方とご一緒ですわ」

「あの方?」

「中将様は長年の想いを遂げられましたの」


 どっと心臓が打つ。全身から汗が噴き出すような感覚が体中を巡っていく。力の抜けた手から、器が転がり落ちた。中に残っていた白湯が水音を立てて零れ、衣に染みていく。それはまるで私の胸に広がっていく、黒い疑念のようだった。

 私はゆっくりと視線をその女房に戻した。


 この女は今、なんと言っただろうか。


「姫様ならば、わたくしが申し上げずともお分かりでしょう。姫様がこのように苦しまれていらっしゃるのに、中将様はあの方に夢中なのですわ」

「……先ほどから、何を申している」


 喉が、胸が、締め付けられる。呼吸をする度に肩が大きく上下する。目の前がぐるぐると回り視界が狭まっていく。滑稽なほど、頭の中で何度も同じことを繰り返していた。


 嘘、嘘、嘘だ。

 そのようなはずはない。あの人はお兄様に見向きもしなかったはずだ。お兄様の恋心に気付いてからは、お兄様を遠ざけていたではないか。この女は偽りを申している。


 睨みつけるように見上げた先で、細いその目が弧を描いていた。


 嫌だ、聞きたくない。

 名前を――その名前を、私の前で呼ばないで。


「――(はぎ)の方様は、中将様を受け入れたのです」


 何かが、ぷつりと切れたような気がした。


 ◆◆◆


しばらく体調優先するため、よりスロー更新になります。

次話との区切りが悪いので、少し短めですが、いったんこちらで更新します。


本日もお付き合いありがとうございましたm(_ _)m



11/7追記

待っていて下さる方には本当に本当に申し訳ないのですが、

放置は一切しておらずしっかり続きを書いています。

書いているのですが、監修担当の多忙と私の遅筆が重なりすぎて、

一話更新するのにとてもお時間をいただいている現状です。

申し訳ないです…


22/10/18追記

体調不良とプライベート多忙でお休みしていました。

再開し次第更新してまいります。

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