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夜半の月 ~目覚めたら平安時代の姫でした~  作者: 赤川エイア/監修:白木蘭
前篇:夢の通ひ路
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第四十四話 其の二

 まずい、全くの言葉足らずだった。

 姫宮が違う方向へ解釈をしている。一瞬で消えてしまった姫宮の笑顔に、心臓がひやりとした。姫宮は、私が突然彼女を突き放したかのように感じているのだろう。そんなつもりは毛頭ない。


「そのようなことはございませんわ。姫宮様が私のためと思い考えて下さったこと、とても嬉しく思っております。ただ、お礼とおっしゃられますと、私もそのような大それたことは、と思ってしまうのです。ですから、姫宮様のご友人の一人として、こちらから数冊お借りする、というのはいかがでしょうか」

「ゆう、じん……?」


 今度は、きょとん、と目を丸くした姫宮。「なんじゃそれは」と顔に描かれている。想像通りの反応だった。私は「はい」と笑顔を浮かべて頷く。



 姫宮と私の関係はというと、「友人」以外のなにものでもないと思う。定期的な訪問と文のやり取りがあり、私は彼女が好きだし、彼女も私を慕ってくれている(はず)。知人よりは親しい間柄――友人に他ならない。

 けれど目の前の不器用な少女は、こうして改めて言葉にしなければ、それが分からないのだ。彼女は今までそういった存在が、おそらくは一人もいなかっただろうから。


「私は、姫宮様が心身共にお健やかになられるようにと院の仰せにより、お仕えしてまいりました。その役目は、本日を以て終えたであろうと思っております」


 近日中に、院からの呼び出しがあり、そのような話が出るのではないだろうか。そして院は、この先も姫宮の傍仕えをするようにと、きっと私に言うだろう。

 そうなる前に、この話をしたかった。

 院や誰かに頼まれたからではなく、私がそう望んでいるから姫宮と居るのだということを、彼女に知って欲しかった。


 病で寝たきりだった生活と家族との行き違いが原因のせいか、姫宮は少し臆病な部分がある。自分が好かれるはずがない、と思い込んでいるのだ。けれど、決してそうではない。


 同じ年頃の女房や乳兄弟が傍にいないことも影響したのだろう。姫宮に友人ができる機会を失わせ、それがまた彼女の孤独を深めることとなった。院が姫宮の傍仕えをさせる者を探し始めた時にはもう手遅れで、姫宮は暗い殻の中に閉じこもってしまっていた。ただ、女房に関して言えば、姫宮の多少のわがままにも動じないよう、年配の者をあえてつけたのだろうとは想像できるが……


「この先は、姫宮様の友人として、ここ五条院へ伺いたいと存じます。もちろん、姫宮様のお許しをいただけるのであれば、でございますが」


 どうか、自信を持ってほしい。


 外見も中身も、彼女は十分魅力がある。

 少なくとも、家族と私には自分が好かれているのだと思うことで、自分の価値を見出し、やがては外の世界にも目を向けてくれれば、と思う。

 姫宮はまだ十三歳だ。今までよりも、これからの方が長い。その時間が少しでも明るくなるように。


 おそらく、これが、私が姫宮にしてあげられるであろう、最後のことだ。


 「私」がいなくなってしまった後のことを考えなかったわけではない。

 母宮を喪い、ようやく立ち直りはじめたのに、私が消失することで、また姫宮の心は元の暗闇へ戻るかもしれないとも思った。「友人」だなどと言って絆を深め、彼女を一人きりにし、余計に傷つけてしまうのではないかと。


 けれど、今回のことで、姫宮を大切に思う人間が周囲に沢山いることに彼女が気付けたのならば、きっと同じことにはならない。私はそう信じている。「私」が消えるまでは精一杯彼女を支えていくつもりだし、後のことは、他力になってしまうが宮に託すしかない。

 どうなるか分からない先のことを心配するよりも、今変わりはじめた姫宮の背中を押すことが、最善である――これが、私が出した答えだった。


「やはりそなたは、おかしな姫じゃの」


 姫宮の唇がつんと上を向いた。


「……そんなの、当たり前によいに決まっておる」

「では、この先も姫宮様の元へ参りますわ。姫宮様の友人として」


 返事はなかったが、こくりと頷いた彼女の耳がかすかに紅く染まっていた。

 何度か目を泳がせ、やがて、居たたまれなくなったのか、姫宮は「こ、これなどどうじゃ!」と唐櫃を指差した。明らかに照れている様子が随分と可愛らしい。どうしてこの女の子は、こんなに可愛い要素だけでできているのだろう。知らず微笑んでしまう私がいる。


「はい、では拝見いたします」


 唐櫃の中には、物語や歌集がきっちりと整頓されて入っていた。状態も随分よく、埃一つないことを見れば、気分屋の姫宮がいつ読んでもいいようにと、女房達が日頃から手入れをしていたのだろう。

 何か珍しいものはないだろうかと数冊手にとっては戻しているうちに、とある一冊が私の目にとまった。


 なぜ、それに手を伸ばしたのかは分からない。


 表紙に文字はなく一つだけ薄汚れているそれは、他の物に比べ異質なもののように見えた。上下左右をそろえずに雑然と閉じたのか随分と不格好な一冊だが、逆にそれがこの書を目立たせた要因だったのかもしれない。胸がざわりとした。書物が呼ぶはずなどないのに、どうしてか、呼ばれているかのように感じるのだ。


 表紙をめくる、何も書かれてはいない。次の頁をめくった。


 “かくて来し方かくかきつ すべてまことのことなれど聞こゆべきかたなし うつつともゆめともおぼえず”


 日記だろうか。

 それにしては、とりとめもないような……けれど、書きなぐったものとも違うようだ。


 また頁をめくった。


 “いとあやしき衣きたるもの にはかに光のうちより出で来にけり”


 鼓動が速まりだした。


 「おかしな着物を着た者が、光の中から出てきた」――出だしがこんな文章から始まる物語など見たことはない。


 私も研究者のはしくれだ。一度目にしたのならば一言一句までは正確に覚えておらずとも、読んだか読んでいないかは分かる。

 同じように頁をめくると、今度は白紙だった――いや、違う、頁が破られ引きちぎられている。私はどこか焦ったような気持ちで、ぱらぱらと頁を飛ばした。

 墨で記された伸びやかな文字が綴る。


 “侍ふ人々 いかなる御もののけならむなど騒ぐに 正身は はかなくし出でたまふことにつけても かどかどしうらうらうじうありがたかりし人の御心ばへなり”


 どういうこと? これは……


 “かの君の のたまはむにしたがひてなむ 御なやみわたりたまふこと おこたりたまひにければ 人々いよいよ尊きものに言ひののしる”


 胸騒ぎと同じような感覚が身体の奥から生まれてくる。

 どこかで聞いた話だ。何枚か破れ、失われたページを飛ばし、先に進んだ。


 “かくて かかる人ありと帝までも聞こしめして 内裏より仰せごとありけり”


 ぶわ、と鳥肌が立った。

 細かいところまでは知らない。けれど、これと似た話を私はよく知っている。


 そう、そうだ。この女と言うのは――……


「――三の君? どうしたのじゃ? ……そなた、何やら、顔色が悪いようじゃが」


 姫宮の声にはっとした。すぐに言葉が浮かばず、私は小さく首を振った。


「いえ、あの……このような冊子を初めて見たものですから、驚きましたの。姫宮様、こちらは院や中宮様からいただいたものでございますか?」

「さあ…… 何分、書物の数も多いのでの。全てがどうとは覚えておらぬが、母上が下さったものではない」

「この、中の帖が破れているのは……」


 姫宮がどれ、と中を覗き込み、何か思い出したのか、「ああ、これか」と呟いた。


「初めからこうだったのじゃ。中を読んでみてもよう分からぬことばかり書いてあるし、つまらぬ。その上破れている帖が多すぎて、書としては成り立たぬものであろ。処分するよう女房に伝えたはずだったのだが」

「あの、姫宮様。差し支えなければ、ご処分される前に、こちらの書をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか」

「はあ、こんなものでよいのか? もっと他にも色々とあろうに」

「いえ、これがよいのです。なんだか……このような書は、見たこともございませんので、気になってしまいまして」

「そなたが望むなら無論構わぬが……その一冊だけでよいのか? そなた、ほんに変わっておるの。そのような、よう分からぬものを所望するなど。先ほど借りると申しておったが、そなたにやる」

「え? あ、ありがとうございます、姫宮様。では、有難くこちらをいただきます」


 凝り固まってしまったような頬を動かした。随分とぎこちない笑顔だと自分でも分かるほどだったが、姫宮はそれを、宴会の疲れのせいだろうと解釈をしてくれたらしい。「我も今日は疲れたわ」、と細く息を吐いた。


「ええ、ではあまり長居もできませんから、そろそろ退出いたします。ごゆっくりお休みください。この頃は肌寒くなって参りましたから、くれぐれも暖かくなさって」

「もう! そなたは心配性なのじゃ、分かっておるわ」

「ふふ、失礼いたしました。それでは、姫宮様」

「うん、また、いつでも参れ。ここの書物も、そなたならば自由に読んでよい」


 返事の代わりに、にこりと、今度はいつも通りに微笑んで、一礼をし、背を向けた時だった。


「三の君っ……」


 強く呼ばれて振り返ると、姫宮は息をのんだ後、視線を落とした。


「姫宮様? どうか、なさいましたか?」

「……」

「姫宮様……?」

「突然、三の君が……どこか遠くへ行ってしまうような気がして。いや、何でもない。気にするな」


 何と返事をするのが正解なのだろう。


 気にするな、という彼女の言葉をそのまま受け取ることはできなかった。私に残された時間が少ないことを、彼女なりに何らかの形で感じたのだろうか。だとすれば、姫宮は随分と勘がいい。


 私は、彼女のその小さく白い手を取り、「ここにおります」とだけ言い、微笑んだ。姫宮が安堵の表情を浮かべる。本当は、「遠くへなどいきません」とはっきり否定してあげたかった。それが、叶うなら。

 またここへ伺うと、果たせるかどうかも分からない先の約束は口にできない。守られなかった約束は、その先、姫宮を苦しめることになる。ようやく呪いのような孤独から解き放たれた彼女を、あの闇にもう一度突き落とすようなことなど、あってはならない。


 あと何度、この部屋へ足を踏み入れることができるのか。それとも、これが最後なのか――私にも分からない。ただ、こうして姫宮といる間は、彼女と向き合い、彼女と過ごす時間を大切にしたい。


「姫宮様」

「なんじゃ?」


 小首をかしげ、向けられたまっすぐな瞳に、やはり嘘はつけないと思った。伝えたいことはたくさんあったけれど、そのどれを選んだとしても不自然になってしまう。姫宮があとで疑念を持たないともいえない。当り障りのないことしか言えなかった。


「……御手が冷えておりますわ。手足を冷やしてはお身体のご調子が崩れますから、夕餉は温かいものを中心にお召し上がりください」

「また、そうやって子ども扱いをする」

「いいえ。子ども扱いではなく、大切な友人の心配をしているのです」

「ではそなたもじゃ。そなたが病になれば、我はそなたと会えなくなってしまう。それは嫌じゃ」

「はい」


 笑顔で頷くと、姫宮も嬉しそうに笑う。

 名残惜しくはあったが、別れの挨拶をして、私は今度こそ背を向けた。


 ようやく見つけた手掛かりをしっかりと掴みながら。


古文原文の部分は、あえて表記ですm(_ _)m

口語訳は次話以降になります。


本日もお付き合いありがとうございましたm(_ _)m



★10/10追記

すみません、治りかけた風邪をこじらせてしばらく休養します。

準備出来次第、次話をアップロードいたします。

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