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夜半の月 ~目覚めたら平安時代の姫でした~  作者: 赤川エイア/監修:白木蘭
前篇:夢の通ひ路
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第三十五話

 “かくて、親王、左大臣の三の君に通ひそめたてまつり給ひにけり”

(このようにして、親王は左大臣の三の君に通いはじめ申し上げなさった)


 宮との出会いを簡素にまとめ、最後にこの一文を付けたところで、小梅の声が掛かった。


「姫様、そろそろ宮様がおいでになられますわ」

「ええ、分かったわ」


 ああ、もうそんな時間か、と思う。

 筆を置いた私に、小梅が小首をかしげた。視線の先には、私が片付けた紙の束がある。


「何かお書き物でもなさっておりましたの?」

「物語でも書こうかと思って、その練習よ」

「はぁ……え? 物語? まあ、姫様が!? 物語でございますの? して、それはどのような?」


 小梅がわくわくした様子で、少し前のめりになりながら問いかけてくる。

 私は苦笑を浮かべ、ちらりと盗み見しようとする小梅を片手で制した。


「だめよ、まだ不出来で恥ずかしいから誰にも見られたくないの。小梅も、こっそり見てはいけないわよ?」

「そのようなこと、いたしませんわ! しかし、誰かにお見せになる時は、この小梅を一番にして下さいませ」

「ええ、分かったわ」


 頷いて、微笑んだ。彼女には悪いけれど、これを私ではない誰かが読むとしたら、それはただ一人、三の君だけだ。

 小梅には物語と言ったが、これは「日記」だ。いや、私から三の君へ向けて書いた手紙といった方が正しいだろうか。



 私がこの世界で三の君として目覚めた時、身体は同じなのに、彼女の記憶は一切なかった。ということは、三の君がこの身体に戻ったとき、私がいた間の記憶はおそらく共有できないだろうと思われる。

 なぜ姫宮の元へ通っているのか、なぜ宮と結婚しているのか――きっと、自分の知らない間に起こった出来事と彼女を取り巻く環境に驚き、戸惑うことになる。何よりも私がそうだった。令和から平安へ、千年近い時を超えてきたのだ。驚く、なんてものじゃない。まあ、三の君と私の場合とでは、飛び越えた時間が大分異なるだろうが……


 とにかく、彼女の負担を軽くしたいと思った時に浮かんだのが、この「日記風物語」だ。これさえ読めば、三の君がこの身体から離れていた間に何があったのかを知ることができるという代物だ。

 小梅に「物語」だと伝えたのは、万が一、誰かに見られた時にそれは空想の話だと言い訳ができるからだ。しかし、ただの日記ではそうはいかない。最近は宮の求婚話で薄らいではいるものの、それでも、三の君()が物の怪に取り憑かれ、記憶を奪われた姫だという噂は依然として残っている。

 その私が、「私は未来から来た貴女の生まれ変わり」だの「鞍馬山の天狗に会っている」だの書き散らし、それを誰かに見られでもしたら、なかなかに大変な騒ぎとなる。一方で、物語は気楽でいい。「そんなの、私の妄想に決まってるでしょ」と適当にあしらっておけばいいのだから。


 本当は、もっと早く書こう、書こうと思っていた。けれど、周りに色々なことがありすぎて、落ち着いて考える時間もなかったのだ。

 何も新婚三日目の、これから宮がくるという時間にそんなことをわざわざしなくてもよいだろう、と私も思うのだが、とにかく時間がない(はず)。

 いつまた猛烈な睡魔と共に夢の世界へさらわれるかもわからないし、宮と結婚した以上、必然的に、今後の夜は宮と過ごすことが多くなる。やれるときにやらなくてはいけないと、こうして筆を手にしていたというわけだ。


 書き終えたのは、ちょうど宮と結婚することになったこの三日間ほどのことである。

 簡潔に言えば、宰相中将に襲われ掛け、助けてくれた宮と心を通じ合わせた、となるのだが、それじゃ三の君のはてなマークの量産をさせるだけだ。宰相中将からは以前から狙われていたこと、宮にはひょんなことで気に入られて文のやり取りをしていたことなど、多少細かいところも書いてある。

 あとは、宮との約束――、一番大事な部分だが、宮は三の君の意志を尊重し、離縁でも出家でも、三の君が望めば自由にできるのだということを書き加えて、この章は終わりだ。


 私が目覚めた頃のことから書くとなると、どれだけの紙と時間が必要になるかも分からない。重要度の高いものから順に書き、それでもまだ時間があれば、足りない部分を加筆していこうと思っている。

 姫宮の件もそうだが、宮との結婚については、三の君にまず一番に伝えなくてはいけないところだろう。



 紙の束を文箱の一番下に隠し、硯や筆をすべて片付け終えて数分ほどしたころに、彼の静かな足音がした。

 御簾のあがる音を聞きながら、宮が来たことを知った。几帳に彼の影が揺れる。


「失礼いたします。姫、お体のご調子はいかがですか」

「宮様のおかげですっかりよくなりましたわ。宮様、どうぞこちらへ」

「ええ」


 今日の宮は、緑の直衣に同じ系統の色合いを重ねていた。気品溢れるその姿に、思わずほう、と息をついてしまう。文献で見る衣の(かさね)よりも、やはり本物はずっと美しいし、趣がある。ふと視線の先に、鳥の刺繍を見つけて目を見張った。


 まさか。――いや、間違いない。

 雲鶴文(うんかくもん)だ!! こんなところで本物を見ることができるなんて!


 瑞雲の中を両翼を広げて飛ぶ鶴の群れを描いた「雲鶴文」は格調の高い文様の一つ。現代でも着物の帯などで見ることはできるが、この時代では親王が用いる(もん)であるため、例えば、兄や宰相中将は着用を許されない。

 宮の衣の鶴はもちろんのこと、雲の一つ一つも見事な刺繍で随分と手の込んだものであることは一目でわかった。私が館長なら、間違いなく博物館に展示したい程、大変に素晴らしい品だ。

 新婚三日目の今日に、この彼だけの特別な文を纏ってここへ来てくれたのだと思うと、とても嬉しい。

 私はよほどまじまじと見つめていたのだろう、宮の不思議そうな声で私を呼んだ。


「姫?」

「あ、その……宮様の衣があまりに美しく、見とれてしまいました」


 正直、自分が今、結構崖っぷちの状況に立っていることなど忘れていた。だって、雲鶴文!! 生の雲鶴文なのだ、我を忘れて当然だ。


 気を抜くと、古典愛がこんな時でも顔を覗かせてしまうから困る。大好きな宮と大好きな古典の組み合わせは、破壊力抜群だ。私の胸のときめきといったらない。

 本当は衣だけではなく、相変わらず隙もなく格好いい宮自身にも見とれていたのだが、それは恥ずかしいので伏せて言うと、宮は一瞬目をぱちりとさせて、それから破顔した。


「姫は衣がお好きなのですか。では、今度、珍しい織物でも持ってきましょうか」

「まあ! それは真ですの!?」


 親王である宮が珍しいというものなのだ、きっと素晴らしいものに違いない! ああ、なんだろう、わくわくする、次は何の文様が見られるのか。

 左大臣家の姫である私の着物だって、刺繍は目を見張るような高価なものだし、小梅をはじめとした女房達の着物だってやはり美しく素晴らしいものが多い。毎日それらを見ていても飽きず、それどころか、研究心というやつはまだ見たこともない出会いに期待して疼いてしまう。宮が持ってくるという付加価値のつい織物に、今日一番胸が躍っている。


「……複雑ですね。姫がそのように目を輝かせていることは、私はもちろん嬉しいですよ。……が、姫の関心が衣や織物に奪われたのでは、私が淋しいではありませんか」


 ね?、と取られた手が熱い。一瞬で、衣のことがぽん、と勢いよく飛んでいってしまった。

 それくらい、どう考えたって私は宮に夢中で、宮だってそれを知っているはずなのに、こんなふうにされては余計逃げ場がない。距離が縮んだ宮を正面から見ることができず、私は夜明け前の件を咄嗟に口に出した。


「み、宮様こそ、夜明けは、どうして起こして下さらなかったのです? 淋しかったのは、私ですわ」


 本当は、もっと可愛く伝えてみようかと考えていたのに、焦って本心そのままを投げてしまった。……台無しだ。


「淋しかった、と。……ふう。姫は、いつになく積極的ですね」

「せっ……!? そ、そんなつもりは」

「あまりにも可愛らしいので、私の腕の中に閉じ込めてしまいたくなる」


 ふわ、と彼の香りがした。気が付いた時にはもう、宮の両腕はすっぽりと私を包んでいた。抱きしめられると、もう何も分からなくなってしまう。宮が好きということ以外、何も。


 ……だ、だめだめだめ。姫宮のことを彼に相談するまでは惚けている場合ではない! なんだってこう、ぽわん、としてしまうのだろう。私の自戒心はどこへ行った。


 一人葛藤している私のことなどつゆ知らず、宮はちゅ、とこめかみや耳のあたりにキスを繰り返してる。もう沸騰しそう、いきなりこの展開はまずすぎる。

 小さく首を振ってなんとか落ち着こうとするのだけれど、全くもってうまくいかない。宮が触れたところから、体が熱くなるような気がした。


「姫は、後朝の文も、随分と早く返してくれたでしょう。私に気遣わず、休んでいてよかったのに」

「わ、私が一刻も早く、お返事したかったのです」

「はい、本当はとても嬉しかったですよ。すぐに姫に会いたくなって困りました。しかし……」

「宮様……?」

「無理をしたのではありませんか? お顔を見れば分かります、まだ本調子ではないでしょう。先ほど、すっかりよくなった、だなんて言いましたが、嘘ですね」


 にっこり。笑っているのに、なぜそれが笑顔に見えないのだろう……

 もう嘘はつかないでくださいね、と私が嘘をついた前提で念押しをしてくるあたり、宮の圧力をひしひしと感じる。確かに、ここで更に元気だと言い張っても全く意味はない。

 私は素直に謝って、こくりと頷いた。昨夜の、あの廂での一件を見られているのに、これ以上心配をかけたくなかったのだ。


「宮様にお会いできたのが嬉しくて、つい…… 確かに、夢見は悪いままです。でも、体調は随分とよくなりましたわ」

「……はぁ」

「あの、宮様? どうなさ……ではなくて、どうしましたの?」

「姫は要所要所で私を操るのが上手いなと感じているだけですよ。嘘の理由が会えて嬉しかった、などと言われて、私が貴女を怒れるはずがないでしょう」

「……だって、本当のことですもの」

「そうやって、ほら、また。可愛らしい言葉を紡ぐのは、この唇ですか?」


 深く口づけられて、もうだめだと悟った。宮が、好きで、大好きすぎて、どうしたらいいのか分からない。

 わーー、わーーと脳内で私が転がりまわって叫んでるような精神状態だ。いつの間にこんなバカップルみたいになってしまったんだろう。私って、こんな性格だったっけ。

 自分にこんな乙女な一面が確かにあったことに驚き、気恥ずかしくもある。


 いや、だからだめだってば!

 そんなことより、とにかく今は姫宮のことだ!


「まま、待って……お待ちになって!」

「はい?」

「み、宮様にお伺いしたいことがあるのです」

「はい、後で必ずお答えしますよ、なんなりと。ですから今は、ね?」

「ね?って……」

「何も(しとね)を共にしようと言っているわけではありません。昨日も言いましたが、貴女に無理はさせたくない。ただ、少しばかり姫が足りないのです。お話はあとでゆっくりと」

「宮様っ!?」

「ね、いいでしょう?」


 だめ、だめ、よくない!

 絶対によくないのだけれど、私の拒否の言葉は宮の唇に塞がれて、代わりに出たのは吐息だけだった。宮のキスはどうしてこんなに上手なんだろう。頭が真っ白に染まっていってしまう。

 キスに、上手下手があるということえさえ、私は知らなかった。そう、古典以外のことは何にも分からない。だから、宮といると知らない世界がどんどん広がっていく。


 ふと、三の君の涙が一瞬だけよぎって、好きな人とこんなふうに想い合って抱き合えることがどれほど幸せなことかと思った。彼女の心に触れた今は、この奇跡をより大切に思う。

 必ず訪れる終わりのことは考えたくない。今だけはいいでしょう?と、三の君になのか自分自身になのか問いかけて、宮の背中に腕を回した。


 ……彼の言うとおりに、少しだけなら。

 流されてみても、いい。


 しかし、「少しだけ」で終わらなかったのが宮である。

 いや、見解の相違というのか…… 私の「少し」と宮の「少し」は、大分ふり幅が異なったことは、大誤算だった。

 宮が私を十分(・・)に堪能し、その腕から解放したのは、実に一時間も後の話である。

お待たせしましたm(_ _)m

本日更新分です。

7月完結できないよーー(;;)間に合わないよー(;;)、と

これでも毎日せっせとやってます。のろのろ更新でお待たせして申し訳ないです。


本日もお付き合いありがとうございましたm(_ _)m

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