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夜半の月 ~目覚めたら平安時代の姫でした~  作者: 赤川エイア/監修:白木蘭
前篇:夢の通ひ路
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第三十三話

「――めさま、姫様っ!」

「……こ、うめ……」


 ひどく心配しているかのような顔が見えた。

 どうしてそんな表情なのかと問う前に、小梅は、はあ、と大きく息を吐いた。


「よかった、姫様…… 何度お声を掛けてもお気づきにならなかったので、御身に何かあったのではと……」

「小梅……?」

「はい、小梅にございます」


 どうやら私は寝ていたところを小梅に起こされたらしい。

 ええと、今は何時だ。周りはまだ暗いことを見るに、夜明け前だろうか。


 起き上がろうとすると、右目の横辺りが鈍器で殴られたように痛んで、思わず動きを止めた。ひどい頭痛だ。チカチカと星のようなものが見える気がする。これも連日の寝不足のせいのなのか。ここまで痛むことなど今までなかったのに。

 それとも、天狗の言う「(ひず)み」とやらのせいなのだろうか。吐き気までするのだから、とにかく辛い。


「宮様から後朝の文が届いておりますわ」

「後朝……? あ、み、宮様はっ!?」


 自分の声がガンと響いて、あまりの痛さに息が止まった。頭痛の時にこれは失態だ、大声を出すバカがいるか、と思わず己を責めたくもなるが、その元気さえない。ぎゅっと目を閉じて、痛みが通り過ぎるのを待っていると、「姫様?」と小梅の控えめな声が様子を伺ってくる。

 彼女のことだ、私の体調が万全ではないことは既に分かっているだろう。身体も起こせそうにないので、私は仕方なく臥せたまま小梅に声をかけた。


「宮様は、夜明け前に行かれたのね……」

「はい、姫様が深くお眠りになっておいでですから、起こさないであげてほしいとおっしゃっておりました。しかし……その、文の返歌はお早めにした方がよろしいのではないかと思い、お声掛けいたしましたわ」


 確かに小梅の言う通り、返歌は早い方がいい。

 後朝の文は、早く届くほど想いも強いとされる。


「随分とお身体のご調子が優れぬようですが、薬師をお呼びいたしましょうか」

「いいえ、平気よ、ありがとう。起こしてくれて助かるわ、文をもらうわね」

「はい、こちらに」


 渡された宮の文の中には、私への思慕の言葉が丁寧に並んでいた。きっと彼は、今日も邸についてすぐにこの文を届けてくれたのだろう。私もすぐに筆を取らねばと思うのだけれど、いかんせん、頭痛が邪魔をして正直文どころではない。

 痛む頭を押さえながら、返歌の内容をなんとか小梅に伝えて代筆を頼んだ。加えてしばらく休むことを告げると「それがよろしいですわ」と小梅も頷く。どうも、私の顔色は真っ青なようなのだ。

 私は御帳台にこもったまま、重い瞼を下ろした。


「最悪……」


 気分も、私の今の状態も。

 思わず口からぽろりと出た。内側から金鎚で規則正しく叩かれるような痛みは、まだ続いていて弱まる気配もない。宮の帰ったことに気付かないほど昏睡していたようなのに、なぜこうも寝起きがひどいのか。三の君の夢も見なかったのに……


 そうだ。昨夜、宮と共に二度目に臥せたあとは、夢を見なかった。私が眠るまでずっと、この手を握っていてくれた宮のおかげだろうか。御帳台を包む彼の残り香に、そう思わずにはいられない。それにしても、彼が帰ろうとする気配に気付かないだなんて、私は自分が思う以上に、疲れていたのだろう。


 宮も宮で、気を遣わずに起こしてくれたらいいのに……

 そう思ったところで、彼が昨日同じセリフを言っていたなと思い出した。私たちは案外似た者同士?

 今夜会ったら、彼にお願いしてみようか。「夫婦なのだから、宮様だって私に気を遣わないで」と。それとも、「声も掛けられずにお帰りになっては淋しいです」と本音を伝えた方がいいのか。

 宮は、どういえば喜んでくれるだろう…… 早く会いたい、夜が待ち遠しくてたまらない。

 通い婚の三日目となる今夜、私はいよいよ宮の妻と言えるようになる。そう思うだけで、胸が高鳴った。


 しかし、現実はそんな余韻にも浸らせてくれない。私は目下、彼がくる夜までに、この頭痛をどうにかしなくてはならないのだ。

 とにかく今は休もう、寝てしまえば少しはよくなるはずだと思うのだけれど、一向に眠くない。どうしても、昨夜の天狗との会話を思い出して色々と考えてしまう。


 数時間経った今でも、天狗との会話はつい先ほど聞いたかのような、そんな感覚だった。

 未だにすべて信じたくない思いと、信じざるを得ない思いとが交錯している。諦める、とも少し違うけれど……、しっかり事実として受け止めなくてはいけないと頭では分かっている。逃げてばかり、嘆いてばかりもいられないのだ。

「私」の存在を、この世界での異端と気付いた天狗の言葉を疑う理由なんて、どこにもなかった。ただ、一つ気になることがあるとすれば、彼がなぜ、ことあるごとに私へ助言してくれるのか、それが分からない。私を気に入っただけというには、少し理由が弱い気がする。


 ああ、頭が痛い。


 私はごろりと寝返りを打って、一番痛み和らぐポイントを探しながら、もう一度思考を巡らせた。膝を折って身体を丸めると、少しだけ楽になる。

 時間がない。どんなに辛くても考えて、考えて、どうにか答えを出せなくては。天狗の言葉通りなら、このままでは「私」も「三の君」も消えてしまうということになる。そんなのはまっぴらごめんだ。三の君は死にたがりなのでそれを望むかもしれないけれど、私には私の人生がある。共倒れなんて絶対になりたくないし、三の君が大人しくこの身体に戻ってくれさえすれば全てが丸く収まるという解決策があるのだから、そうしてもらうより他、選択肢はない。


 そう、三の君のことだ。思わず大きな溜息が漏れ出た。


 ……まさか、自分が彼女と何か関わりがあるだなんて。

 二十数年生きてきた中で、前世というものが存在すると思ったことなど一度もない。「そういうものが実際あるんです」と突然言われたからといって、受容できるほどの余裕も今はなかった。そもそも私は、朝のニュース番組や雑誌の占いコーナーも全く信じない現実主義者で、古典にしか興味がなかったのだから。

 今は、この身に起きた数々のことを思えば、世の中にあるすべてのものの可能性を全く否定できないと言えるけれど……


 私の前世が三の君だったのならば、彼女はなぜ「私」を呼んだのだろう。

 つい最近見た夢の中では、彼女は「苦しい」と叫んで、死んでしまいと強く願っていた。それはどうしてなのだろう。確かに、幼少期に兄を亡くしたり、病弱であったりはしたけれど、左大臣家というこの上ない家柄に産まれ、容姿にも優れ、小梅という乳兄弟にも恵まれた彼女は、どうして死を願う程不幸だったのか。


 天狗は、お互いに呼応したから私がこの世界にくることになったのだという。昨日も思ったけれど、正直私は彼女を呼んだ覚えはない。だけれど、天狗がそういうのだからそうなのだと思う。

 現代のことを思い出そうとすると、時々、もやがかかったように記憶があやふやになることがある。この世界へくる直前のこともそう……まるで切り取られているかのように、記憶がない。きっと、そこに大事な何かがあるはずなのに。


「だめだわ……何も思い出せない」


 京都の交差点まではこんなに鮮明に思い出せるのに、その後のことは真っ白に塗りつぶされて、ただ、ずきずきと頭が痛むだけだ。何度やっても同じ結果で、思わずこめかみを押さえた。頭痛薬がこの時代にないことが本当に恨めしい。


 天狗は色々なことを一度に話したけれど、『答えは夢の中にある』といった。夢の中――私の前世の記憶の中、ということか。そして最後に、「魂に業がある」とも。


「業って一体なんだろう……」


 業……仏教か何かに、確かこういう言葉があったような。とはいえ、私は無宗教で信者ではないので、詳しくは分からない。「魂の業」とは何??

 これまでの私はといえば、古典だけを愛して、それなりに真面目に一生懸命生きてきたし、業とやらがあるようには思えない。

 では、三の君が何かしたのだろうか。それを知るには、彼女の過去に近付かなくてはいけない。


 やはり、答えは夢の中、ということか。


 背に腹は代えられない。三の君の夢を見たくなどないけれど、そうしないといけないというのなら、するしかない。どうせ強制的に見せられるのだから、自分からそこへ飛び込んでみるのもありか。

 三の君がどうして「私」をこの世界へ連れてきたのかも、きっとそこに隠れている気がする。それは、直感だった。

 天狗は、私が私の前世の記憶を見ているだけで、三の君は夢に干渉できないだなんて言っていたけれど、私にはどうしてもそう思えなかった。


 彼女は、きっと夢で何かを伝えようとしているはずだ。

 それが何なのか、私は知る必要があるし、知らなくてはいけない。


「お願い、教えて」


 貴女は、なぜ私を呼んだの?

 貴女は、何にそこまで苦しんでいたの?


 そう願ったのと、夢が私を呼んだのは同時だった。



 ◆◆◆



 誰にも気付かれてはいけない。

 誰にも隠し通さなくてはいけない。


 ずっとそうして、これまで生きてきたのに、この頃はそれがうまくいかない。

 私の中に、私の思い通りにならない想いがある。それを、どうしたら消すことができるのだろう。



「――姫様、今日もお文が沢山届いておりますわ」

「いらないわ」

「そうおっしゃらず、お一つだけでもお読みになってみてはいかがでございますか?」

「……ええ」


 小梅を困らせるのは本意ではない。重い右手を、仕方なく文へと伸ばした。


 小梅が――、私が姉のように思い、慕っている彼女が、お父様に「どうにか縁談がまとまるように尽くせ、姫の考えを変えよ」といったことを常々言われていることは、もう随分前から知っていた。私が(おのこ)に興味を持てないのはあくまで私のせいであって、小梅には何ら関係のないことだが、お父様にはそれが分からないのだろう。お父様は私のことを大切にして下さるが、こと縁談に関しては、どうか何もなさらないで、というのが私の本音である。私が誰かと添い遂げることなどはこの先ないと断言できる。


 口にこそしないが、小梅はお父様からの圧力を一身に受け、肩身の狭い思いをしているのだろう。それについては、申し訳なく思っているのだけれど…… それこそ私が、色恋に興味のある、ただの年頃の(おみな)であったなら、彼女をここまで悩ませることもなかったのだろう。しかし、どれほど「殿方の魅力」とやらを語られても、それはこの耳を通り過ぎるだけだ。


 裳着を終えてからは毎日山のように文が届くが、どれも似たようなものばかり。正直、私はうんざりとしていた。返歌をせずにいたことでその数は半減はしたが、それでもまだ、十分な量がある。


 試しに一つを開いてみると、姿を見たことすらおそらくないであろう私のことを、恋うているのだと書かれている。馬鹿馬鹿しい、と心から思った。この男はきっと、「恋」がどのようなものか知らないのだ。だから、無責任にも、このような軽口を並べられる。

 私に文を送る許可をお父様から貰える程度には、お父様のお眼鏡にかなった身分の相手だ。なるほど歌自体は悪くないのだろうが、私には何一つとして惹かれるものがなかった。


 この男たちが欲しいものは私自身ではなく、左大臣家という後ろ盾に違いない。そう正直に伝えてくれる方がまだいい、その方がまだ信じられる。恋い慕うているなどと嘘偽りを並べるから、途端に陳腐に見えるのだ。


 二つ、三つと文を開けても、やはり同じような文面が続くばかり。

 何の面白味もない文の数々に、自分の心がひどく冷めていくのがよく分かった。世の女はこれで喜ぶというのなら、私とは随分と違う価値観を持っているのだろう。否、あるいは、私だけが異端なのか。おそらく、後者であるだろうとは思うが。

 しかし、人づてに聞く噂だけで好き勝手に私を想像し慕うていると言われても、説得力はどこにもない。私からすれば、世の女達の気が知れない。


 「恋とは何か」――そう問うた時、この文を送った公達の何人が私と同じ答えを持っているだろうか。おそらく一人もいないのではないか。


 恋とは、激しく、辛く、何も手につかなくなるほどの想いがこの身を支配するものだ。清く安らかで美しいものではない。もっと汚く、愚かなものだ。私はそれを身を以て知っている。

 ふいにあの人のことが脳裏に浮かび、文を持つ手が震えて涙が溢れた。たとえ上辺だけの口説き文句でも、あの人がくれるものならば喜べたのに。この文が、あの人からのものならどれほど嬉しかっただろう。そうではないから、そうなることなど決してないから、苦しくて辛い。



 恋文が届き始めた頃は己の未来に絶望し、涙を流した。

 裳着などしたくはなかった。ずっと子どものままでいられれば、あの人以外の他の誰かと結婚なんてしなくてもよかったのだから。だけれど、時間は平等に過ぎる。誰もが子どものままではいられず、それは私もあの人も例外ではない。この身が成長するほど、先が暗く、悲しく思われた。もう、ずっとそのような日々を憂いて過ごしている。


 結婚なんて考えられない。文など欲しくない。好いてもおらぬ男に抱かれるくらいならば、いっそ尼にでもなりたい。でもそれを父母は決して許してくれないだろう。あの人も、私の想いなど知らずに、「考えを改めよ」というのかもしれない。そして、「幸せにおなり」と微笑むのだ。


 ――私は誰のものにもなりたくない。


 涙が顎を伝い落ちて、じわりと紙に染みを作った。突然泣き出した私を見て小梅が驚き、おろおろとしながら背を撫でてくれた。私のこの心の内は彼女にだって話せない。


「姫様…… お、お文に何か気に障るようなことでもございましたか?」

「……髪を、おろしたい……」

「……そのようなこと、おっしゃってはいけませんわ」

「怖いのよ…… いっそ髪をおろして尼になってしまいたい。そうしたら、文など来なくなるでしょう」

「誰もがみな、最初は男というものを知らず恐れをいだくものですわ」

「……」

「どうか、髪をおろすなどおっしゃらないで下さいませ。どうしてもお嫌ならば、これまで通り、返歌は書かずにいればやがて文の数も少なくなるでしょう。ですから……どうか、姫様」


 父の言いつけを破り、私の味方であろうとしてくれている小梅に胸が痛む。きっと、彼女にまた負担をかけてしまう。


 小梅は、私が男たちの文を怖がり泣いていると思っているようだったが、違う。違うのだ。

 私は私が怖い。このまま、激情のようなものが私を支配し、私が私でなくなってしまうことが怖い。こうして泣いているだけならばまだいい。この身を嘆き、辛い苦しいと言えるうちはまだいい。

 けれど、それができなくなってしまったときに私は一体どうなるのだろう。私でなくなった私が何か恐ろしいことをしてしまうような気がしてならない。だから、そうなる前に髪をおろし、祈りだけにこの身の全てを捧げ、煩悩から解き放たれたいと思うのだ。それが願いのまま叶わぬということも分かっていても、願わずにはいられない。


 文は今日も届く。きっと、明日も、明後日も。

 でもその中に、あの人からの文が混じることは決してない。他の女と結婚してしまったあの人は、私の元へ来ることはない。

 そうして私は今日も、消えぬ想いを嘆きながら、生き永らえるしかないのだろう。


「一人にして」


 小梅にそれだけ告げると、彼女は何か言いたげな表情を浮かべ、けれど何をいうこともなく部屋を出て行った。

 この時期に咲く庭の白い小花が目に入る。あの花を摘み、私に差し出してくれたあの人は、もうこの邸にはいない。今頃は他の女と笑い合っているのだろうか。それが私ではないことが、この上なく悲しく、惨めに思われた。


 その目に私だけを映し、優しく頭を撫でてくれた。私の髪を美しいと、琴が上手だと、褒めてくれた。

 私がどのような想いでいるかも知らずに、他の男と結婚して幸せになれという、残酷なあの人――お兄様。



 なぜあの人は私の兄なのだろう。

 なぜ私はあの人の妹なのだろう。


 永遠に答えなど出ぬ問いを、自らに繰り返ししていた。それが意味のないことだと知っていながら、止めることもできなかった。

 兄と妹になど、産まれたくはなかった。



 ――私はお兄様をお慕いしている。

珍しく連日更新してみますm(_ _)m

後半は三の君目線のお話となります。以降たまに目線が変わりますが、都度補足あります。

平安時代は、男-おのこ と 女-おみな というらしいです。

初回だけルビつけましたが、すべてつけたほうがよろしければご指摘くださいm(_ _)m


PCを買い替えたところ、サクサク動くものの、未だ慣れずのろのろ更新で申し訳ないです。←つい最近までwin7使ってました汗

本日もお付き合いありがとうございました。

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