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夜半の月 ~目覚めたら平安時代の姫でした~  作者: 赤川エイア/監修:白木蘭
前篇:夢の通ひ路
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第八話 其の二

「ああ、うん。北山の天狗かい? もちろん知っているさ」


 兄――有明中将のあっさりとした肯定に、ポカン、と口が開いた。

 今の私はきっと、鳩が豆鉄砲を食らった顔とやらをしているに違いない。


 出仕を終えてそのままこちらに向かったという兄は、先に父母へ顔を見せたあと、私の元へまっすぐに来てくれた。仕事後の訪問ということで、今日は束帯(そくたい)に冠姿だ。先日よりも凛々しく、少し印象も違って見える。


 手土産の唐菓子に小梅と雛菊が黄色い声を上げたのは、つい数分前のことである。どの時代でも、お菓子は女子に人気らしい。もちろん、私だって大好きなので有り難くあとでいただくつもりだ。女心をしっかり理解している兄に、なるほどこれはもてるわけだと再認識した。例外はあるけど、やっぱりお菓子とお花は鉄板だよね。大半の女性は喜ぶもん。

 更に言うと、新人女房の雛菊にも声をかけていたので、兄のファンがここにもう一人生まれる瞬間に私はしっかり立ち会ってしまった。こういう細かい気遣いができる男性が人気なのは、現代と変わらなさそうだ。


 話を戻して、一応私も左大臣家の姫らしく、「ようこそおいでくださいました」と挨拶もしたのだが、「そんなものはいらないよ」と一蹴された。兄は堅苦しいことは好きじゃないらしい。

 「私とお前の仲だろう」と柔らかい声音で話し、「して、今日はどうした? 私に何か聞きたいことがあるのであろう」とこれまた優しく聞かれたので単刀直入に切り出したのだ。「お兄様、北山の天狗ってご存知ですか?」と。

 まさか、即答だったとは。


「それにしても、お前、一体どこでそんな話を知ったんだい?」

「え? ええと、それは……」


 言ってもいいものか。

 悩んだが、隠してもどうにかなることでもないし、いいや。


「実は、宰相中将様がお見えになったのです」

「何だって? いつだ?」


 決して大きくはないのに、怒りを含んだ声だ。穏やかな空気が一変する。


 しまった、正直に言わなきゃよかったのか、これは。

 まさかこんなに怒るなんて……うわ、余計なことしたかも。


「答えなさい」

「あの……先日、お兄様がお見えになった夜のことでございますわ」

「なんだと? しかし、お前はあいつを嫌っていたはずだ。無理やり押し入ったというわけか、朝霧のやつ…… お前、何もなかったのだな?」

「もちろんです。あれば今頃、こうしてお兄様とゆっくりお話しなんか出来ませんわ」

「ああ、そうだろうね。やはりあいつには、もう一度私からよく言い聞かせねばならぬようだ。……いや待て。あいつが何もせずに帰ることなどあるわけがなかろう。こんなことは言いたくないが、あれは百戦錬磨の手練れだ。何事もなかったなどと、私が信じると思ったのか。正直に言いなさい」

「何もありませんってば! 指一本たりとも触れられておりません! 宰相中将様は、途中でご気分が優れぬようでしたのでお帰りいただいたのですっ! ね、雛菊?」


 突然会話をふられた雛菊が傍でコクコクと高速で頷く。

 頷いてもお兄様には几帳で見えないのだから、返事をして!

 願いが通じたのか、かろうじて「はいぃぃ」と情けない声が聞こえた。これでも雛菊にしては頑張った方だ。


「そう、か。そうだったのか。それならいいんだ。お前まであれの毒牙にかかったかと思ったら、つい我を忘れてしまって。驚かせてしまってすまない」


 忘れすぎですわ、お兄様……怖いです、事情聴取でもあるまいし。

 あんなに怒るだなんてびっくりだ。まるで人が変わったようだった。もしや無意識のシスコンじゃないのと思いたくもなる。ここまで大事に大事にされていれば、三の君が、兄に許されざる恋をするのは仕方ないようにも思えた(私の中では三の君はブラコン説が濃厚)。


 しかし宰相中将は、どこまで色好みなのだ。兄にまでこんな言われ方をされようとは。

 仮にも二人は友人関係であるはずなのに。いや、友人であるからこそ、夜の話も耳に入るので余計に心配なのかもしれないが。


「お兄様、落ち着いて下さいませ。私は無事ですから。とにかく、その折に北山の天狗のお話を伺ったのですわ。宰相中将様は、私のことをご心配なさって教えて下さったのです。記憶を取り戻せる方法があるかもしれぬと」


 そんないい人キャラじゃなかったが、本当のことを話せば兄が小梅並みに面倒くさくなりそうなので、こういうことでいいだろう。シスコンフラグが立っているのだ、賢明な判断である。それに私は、ここですったもんだして時間を取られたくはない。北山の天狗の話が聞きたいのだ。


「お前は、どこまで聞いたのだい?」

「天狗と呼ばれている男性であることと、彼は彼が気に入った者にしか会わぬこと。それから、その手で触れればどんな物の怪も呪いも消し去ることができること、でしょうか」

「……余計なことを」

「えっ?」

「いや、何でもない」


 いやいやいや。何でもなくないでしょう。今余計なこととか言わなかった?

 宰相中将が私に天狗の話をしたのがよろしくなかったということ?


 ……あれ?

 兄は、どうして天狗のことを知っていたのに、今まで私に教えてくれなかったのだろう。

 もしその噂が真実ならば、自分の妹が記憶を取り戻せる可能性が高いのに。

 なぜその話を知ってすぐに、私へ文の一つでも下さらなかったのか。もしくは父母にでもいい。家族に黙っている必要性があるだろうか?


「随分詳しく聞いたのだね。私が知っていることも(おおむ)ね同じだよ。私もそれ以上は何も知らないんだ」


 嘘だ。

 直感的にそう思った。兄は何かを隠しているのではないか。何故? 私に知られては困る何かがあるのか。

「詳しく聞いた」だなんて、それ以上に詳しい事情を知っている者が言う言葉ではないか。


「しかしそんなものは作り話だよ。そのような者がいればいいと願ってできた妄想とも言える。お前も、そんな話は忘れなさい。記憶を失ったのは、数日も熱にうなされていたからと薬師が言っていたではないか」


 やっぱり、そうだ。兄は、私にこのことを詳しく知られたくないのだ。

 そして確信した。北山の天狗は本当にいるのだ。でなければ、兄がここまで不自然に隠すはずがない。


 兄が今日ここへ来たのは、私に情報を与えるためではない。この話があらぬことだと信じ込ませるため。そして、私がどれだけの情報を持っているかを確認するためだ。


 ここで私は初めて自分の失態に気づいた。私は最初に、自分の持っている情報のすべてを兄に話してしまっている。手の内を見せてしまったのだ。これではもう新しい情報を手に入れることなどできない。たとえ詳細を知っていたとしても、兄はうまく話を合わせて何も教えてはくれないだろう。

 なぜそこまでして私に隠すのか、さっぱり分からない。仲のいい兄妹であるならば、あったならば、余計に兄の行動が不可解だ。

 それでも、ここで引くわけにはいかない。私にだって譲れないものがある。絶対に現代へ帰るのだ。


「ですがお兄様、私には全くの嘘偽りとも思えぬのです。すべてが(まこと)でなくとも構いませんわ。もしも記憶を取り戻せる何かを、そのお方がご存知ならば伺いたいと思うのは当然ではございませぬか」

「ではお前に聞くが、その話が仮に真であったならばどうするのだ? 会いに行くというのか」

「もちろんですわ」

「馬鹿を申せ。その病み上がりの身体でか。父母がどれほど心配するか」

「それは……ですが」

「かの天狗は人嫌いなのだという。お前はこんなに可愛いのだから絶対に好かれるだろうが、相手は男なのだぞ。対価に何を求められるか」


 ん?

 なんか今、シスコン発言出なかったか。

 ……いや、スルーしよう。突っ込む勇気がない。


「この話はこれで終わりにしよう。私は、お前が早まったことをせぬようにと、今日はそのために参ったのだ」


 まずい。これじゃもう天狗の情報を引き出せなくなる。


 何か――なんでもいい、何か、何か、一つだけでも。

 北の山とはどこだ。北、北、北――北の地名、出てきて! 

 ダメだもう初めから思ってたけど、天狗っていったら義経伝説しか浮かばないわ!

 教えてくれないなら、かまをかけるしかない。一か八か。


 天狗って言ったらやっぱりここでしょう!


鞍馬(くらま)の天狗は対価を求めるのですか? それは(はらえ)の代わりにということでしょうか」

「一般的にそうであろうと私が思っただけのことだ。とにかく、お前はここでしっかり養生しなさい。いいね?」

「……はい、お兄様」

「先ほども申したが、天狗話は作り話だ。忘れなさい。お前は今のお前のままでよいではないか」


 これ以上は何を言っても無理だ。しつこく食い下がると、余計家にいろと言われるだけなのは目に見えているので、私は大人しく黙った。

 あとは小梅の情報収集に賭けるしかない。兄という情報網が途絶えたなら、小梅に頼るほかないのだから。


「心配せずとも、朝霧には私から話しておこう。そして、此度の天狗話のように、二度とお前を惑わせる様なことも話さぬようにと伝えおく。小梅と、雛菊と言ったか。そなた達も妹の耳におかしな話が入らぬよう頼む」


 小梅と雛菊が、私に申し訳なさそうな顔で返事をした。


 先手を打たれた。

 これで宰相中将に詳細を聞く道も塞がれた。どうにもならなかったら最悪その手もあるかと思っていたのに、どんどん外堀を固められている気分だ。


 この人、結構頭がいい。小梅や雛菊にも牽制して、完全に私を天狗から隔離しようとしている。几帳越しでなければ、もっと兄のペースに呑まれてやり込められていた。

 これで小梅の情報収集もやりにくくなってしまっただろう。兄にこのように強く言われ、ただの女房が逆らえるはずがない。


「わかりました。お兄様、宰相中将様の件、どうぞお願いいたします」


 短い返事に何か決意のようなものを感じる。

 なぜここまで私を遠ざけようとするのだろう。



 それでも、三つ、収穫があった。それだけでも十分だ。


 一つ目は、北山の天狗の話は噂などではないということ。

 おそらく実在する可能性がかなり高い。兄のあの様子を見るに間違いないだろう。


 二つ目は、「対価」。

 言葉通りでいけば、ただ兄がそう言っただけかもしれないが、もしそうでないなら、天狗は対価を求めるのだろう。それがどういった種類のものなのか、そもそも“もの”なのかも分からない。しかし、何かを要求されるのだ。


 三つ目は、場所。

 「鞍馬の天狗」の言葉を兄は否定しなかった。違うのならばそうというはずだ。

 まさかと思って適当に鞍馬だなんて言ったけれど、案外、天狗は本当に鞍馬山にいるのかもしれない。であれば、鞍馬に行ってみるのもありだ。

 父母や(特に)兄の目が光る中、どのようにしてこのお邸を抜け出すか。これはあとで考えよう。


 遅ければ遅いほど、身動きが取れなくなる。あの様子では、兄はきっと、私をこの邸から出さないよう、何か策を練るに違いない。


 そうなる前に、どうにか鞍馬へ行かなくては。

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