第七話
「ざまあみろですわ」
小梅がぼそりと呟いた。
およそ彼女らしくない言葉だ。普段から「左大臣家の姫君らしく云々」が口癖の彼女は、自分自身も身分の高い姫に仕えているのだという自負が強いので、あまりそういう物言いはしない……というか、私は今初めて聞いた。
珍しい一面を見たものだと目を丸くしていると、無意識だったらしい、はっと我に返った小梅が、「違うのです、今のは」と頬を赤く染めている。
主人の前で本音をこぼしたのは不覚、と顔に思い切り出ていた。別に私は主従関係など気にしていないし、小梅のことは侍女というよりは頼りがいのある友達のように思っているので、変に取り繕わなくてもいいのに。
「構わないわよ、私だってそう思っているの」
「そうでございますか……では、遠慮なく。正直、わたくしはせいせいいたしましたわ!」
「あはは、小梅ったら!」
話題はもちろん、昨夜の一連の出来事についてである。
小梅はよほど私のことが心配だったらしい。
休めと言ったのに、あのあと結局、気になって気になってなかなか寝付けなかったそうなのだ。それでもなんとか無理やり目を閉じたものの、やはり夜中に目が覚めて、布団の中で今か今かと朝を待っていたらしい。
朝方、「姫様!ご無事でございますわね!?」と聞かれ、寝ぼけ眼のままの私がうんと頷いたのと、室内をぐるりと見回し、いつもと何も変わりがないことを確認して、ようやく安心できたのだという。
……心配性すぎやしないか。
もう少し余裕を持たないとまた倒れるぞと思うのだけど、これも彼女の性格の一面で、逆に言えば世話好きで女房にはうってつけなので、長所短所というのは紙一重であるなとつくづく思う。
ところで小梅の体調はすっかりよくなったらしい。実際、体調どころではないメンタルだったらしいが、横になってはいたので身体の疲れはとれたとのこと。彼女の代わりはきかないので、何よりだ。
「昨夜は何があったのです!?」とせっつく小梅をたしなめて、話し始めたのは朝食後のことだ。
ある程度、雛菊から報告はあがっているだろうとは思ったが、私は私の言葉で、私の目線で感じたことを小梅に伝えた。
宰相中将がこの部屋に強引に押し入ったことを聞いたときの小梅は怒り心頭というほどに激怒していたのだが、その後のあまおうのくだりからお腹をかかえて笑いだし、最後の退室までを話し終えたところで、冒頭のセリフをペッと吐いたのだ。
小梅はよほど宰相中将のことが嫌いらしい。元々あまりいい印象は持っていなかったようだが、そこにあれほど毎日のようにしつこく文が来れば更に嫌悪感が増すのも仕方ないのかもしれない。彼女にしたら、文の取り次ぎと代筆という余計な仕事が増えるだけなのだから。それも毎度、「お断りします」という、飽きるほど似たり寄ったりの返事だ。
「女房のわたくしがこのようなことを申し上げることは憚られるのですが、わたくし、宰相中将様は姫様には相応しくないと思っているのですわ。あのような女好き……いえ、色好みの妻になどなれば、姫様の気苦労が増えるだけですもの」
「そうね。結婚するなら、あまり他の女性の元へ通わない方が好ましいわね」
本当は声を大にして言いたいのだが、「あまり」ではなく、「絶対」だ。
一夫多妻制はこの時代当たり前だが、私は浮気は許せない。
古典作品の中には、夫が他の女性の元へ通っていることを知り、妻が苦悩し涙する場面というのは多々あるが、その一つに自分が置き換えられるのはごめんだ。しかも、そのことで男性を責めることはよろしくないという風潮である。女性はひたすら耐え忍んだり、時折ちくっと言ったりする程度なのだが、私にはそんなの無理だ。多分、浮気が分かった時点で口よりも手が出る……うん、ぶん殴ってしまうかも。
平安時代の夫婦関係というのは現代とは全く違っていて、ざっくり説明すると、男性は婿入りして女性側の家にお世話になるという感じなのだが、なんで他の女と浮気して帰ってきた夫の世話をしなきゃいけないのだ。意味が分からない。
夫が家に寄り付かなくなるのは困るので妻は甲斐甲斐しく世話をし、多少の不満(浮気を含む)も我慢して、居心地のよい空間を提供するわけなのだが、だからなんで女性だけが忍耐を求められるのだ。本当意味が分からない。男尊女卑にも程がある。そういう文化なので仕方ないし、それがこの世界の常識でもあるので、異論を唱えることもできないのだけど。
「それにしても姫様、よくそのような機転がききましたわね。ええと、尼の王ですとか、あかい頬ですとか」
若干違うが……まあいい。
昨日の宰相中将もそうだったのかと思うと、思わず笑ってしまいそうだ。
「機転というか、たまたまそういう夢を見ていたの。それを話しただけなのよ。夢とは言わずにね」
「姫様が女人好きなどとあり得ぬことですけれど、それを信じたであろう宰相中将様のお顔を見てみたかったですわ! ああ残念、その場にいられたら!」
ホホホ、と小気味よさげに笑う小梅の機嫌は上々だ。
私自身、なぜあの場で突然あまおうやとちおとめと口走ったのかも、よく分かっていない。
あの時はどうにかしなきゃいけない、この場を切り抜けなければいけない、と夢中だった。そして、宰相中将のしつこさに腹が立ったのもあって、おかしな方向に道を切り開いてしまったのだ。
現代の、こちらでは浸透していない用語など、それこそ余るほどあったのに、なぜ苺ブランドチョイスだったのかと問われると、はて?と首をかしげるしかない。好きなものが浮かんだだけとしか言いようがない。
「ところで、その宰相中将様のことだけれど、どうして邸へ忍び込むことができたのかしら」
「それはわたくしも疑問に思っておりましたの。警備の者もおりましたし、大きな騒ぎを起こさず姫様の元へ現れるだなんて、誰かが手引きしたとしか思えないのですわ」
邸内のことを、兄に聞いていた? もしくは、外から下見をしていたとか。
いずれにしても限度がある。謎は深まるばかりだ。
「とにかく、二度とこのようなことがないよう、警備の者には伝えておりますわ。左大臣家の威信に関わることですもの!! もしこれが賊であったらと思いますと、わたくしは恐ろしくて恐ろしくて」
「ええ、そうね。それにしても……宰相中将様、変な噂を流さないといいのだけれど」
昨夜のことは、結果だけを言えば、宰相中将を追い払えたので文句はない。私にできる最善があれだっただろうと、一晩経っても思う。
しかし、「左大臣家の三の君は女が好きらしい」――そんな噂が広まりでもしたら、もう三の君に何と弁明すればよいのか。
「あまおう」も「とちおとめ」も「紅ほっぺ」も、全部現代では有名な苺ブランドだが、宰相中将の耳にはおそらく奇怪な名前に聞こえただろうし、おかしな妄想をされているのかもしれない(あの時点でしていたと思うが)。それに尾ひれがついて人から人へと伝わっていかなければいいと、心底願う。
ただでさえ私は、物の怪に取り憑かれた「物の怪姫」なのである。宮中では美談に仕立てあげられているようだが、これに女好きが加わろうものなら、いよいよ雲行きが怪しくなってくるだろう。「やはり三の君にはまだ物の怪が取り憑いているのだ」となることは明白だ。
そうなれば、元々少ない三の君への異性からの文も限りなくゼロになるだろうし、恐れおののいた女房達が左大臣家から消えるかも…… 父母の心痛はもれなく倍増、兄も肩身の狭い思いをしなくてはならないかもしれない。考えると胃の辺りがキリキリして思わずそっと腹部を押さえた。
ああ、胃薬が欲しい……
「大丈夫ですわよ、姫様。だって、ほら」
小梅が手をひらひらとさせた。その手に握られているのは文だ。
まさか。いや、でも、え? 本当に?
「宰相中将様からですわ」
「何を考えてるの、あの人は」
やはり理解不能な生き物だ。
昨日の今日で文? 文? あの流れで、文??
「ええと、中身が…… お読みいたしますね」
“物の怪は私たちの恋路をも邪魔するのでしょう
それでも恋しく想う気持ちに代わりはございません
貴女が惑わされ迷っていても、私が必ずや貴女を導いてさしあげます“
「ゴーイングポジティブマイウェイだわ……」
「はい? 姫様、今なんと?」
「いえ。なんというか……宰相中将様というのは、私の想像の斜め上を行くお方なのかしらね」
「姫様、これはただ一言、しつこい、と言うのですわ」
「ええ、ええ、そうね……」
別の意味でまた胃がキリリとする。
胃薬が、本当に胃薬が欲しい……
懲りてもらうどころか、やる気に火をつけてしまったらしい。それもかなりの量の燃料を投下して。
この文を読むに、宰相中将は私を女人好きと勘違いはしたものの、それは物の怪のせいで一時的にそうなっているのだと解釈しているようだ。しかも、そんな私でもいい、むしろ自分が男の良さを教えてやるよ的なことを言っている。今頃、新しい標を立てて轟々と燃えているのか……
恋路を邪魔するってなんだ、そもそも私は貴方に恋なんかしてないでしょう!
もう次に押しかけられては、さすがの私もどうしようもないかも。
宰相中将というのは、こちらが思わず弱気になるくらいの超自分主義なお方のようだ。私がなびかなかったのが、プレイボーイのプライドを傷つけたのか。もう意地でも絶対にモノにしてやる、というような強い意志をひしひしと感じる。そして恐ろしくポジティブだ。
「これなら、私にとってよくない噂はしばらくは流れないでしょうね」
「ええ。宰相中将様も、そこは分かっていらっしゃるかと思いますわ。姫様にとっても、あの方にとっても、何もよいことはございませんもの」
痛み分けということか。
私はもちろんだが、宰相中将だって「(私が女性好きという設定で)女に負ける魅力しかない男」だったり「口説けずおめおめ帰ってきた男」だったり、よろしくない二つ名がつく可能性だってあるのだ。
下手をすれば、私を落とせなかったので腹いせに悪い噂を流しただけの最低野郎に成り下がることもあり得る。この場合、私は無傷なので有り難いが、そこまでのリスクを背負って昨夜のことを噂話として話す気にもならないだろう。
小梅が言っているのは、更に、三の君の後ろには時の左大臣家がどどんと構えている、そこに正面から喧嘩をふっかけるバカなことはしないでしょ、ということだ。私、もとい三の君に何かあれば、彼女を溺愛している父の逆鱗に触れることになる。
「それならそれで助かるわ。小梅、返歌をお願い。そうね……物の怪のせいでしょうか、昨夜は確かに恐ろしい夢を見ていたようです、とか適当に。それとそういう事情があるので、しばらくそっとしておいてって」
「かしこまりました」
宰相中将が都合のいい解釈をしているなら、それを有り難く利用させていただく方が無難だろう。ここで変に否定したり、またあまおうがどうのこうのというと、やはり私は物の怪憑きで女人好きのレッテルを貼られるに違いない。
正直、私はそれでもいいのだが、一方で三の君の人生をめちゃくちゃにしてしまう可能性もあるのだ。ここは判断を見誤ってはいけない。
宰相中将からまた山のように文が届くのかと思うとげんなりとするが、放っておいてくれと言ったのだから、しばらくそっとしてくれるだろう。……そう思いたい。
「ところで、小梅。昨夜、宰相中将様からお聞きしたのだけど、北山の天狗の話を知っている?」
「なんですかそれは? わたくしは存じ上げませんが」
「そう、よねぇ……」
そう簡単には手掛かりは掴めない、か。
天狗のことはずっと気になっていたのだけど、私の情報収集はこの左大臣家の邸内で完結するという、とてつもなく狭い範囲でしかできないので、まずはそれをどうにかしなければ。
「姫様? 一体、宰相中将様と何をお話をなさっていたのです? 天狗だなどと」
クエスチョンマークでいっぱいの小梅が首をかしげている。
そうなるよね、私だって昨日そうだったのだ。突然「天狗」と言われても、「はて?」となるのが普通の反応だろう。
しかも、なぜに天狗なのだろう。そこは陰陽師ではないのか。よくテレビドラマや映画で物の怪退治をするといえば、陰陽師あたりがやるのが王道だ。
天狗と言われたときにしっくりこなかったのはそのせいもある。
「北の山には、天狗と呼ばれている男性が住んでいるそうなの。その者が触れれば、どんな呪いもどんな物の怪も消えてしまうんですって」
「そのような、それこそ夢のようなお話を、まさか信じていらっしゃるのでございますか?」
「私もそうは思うのだけど、でも、気になるのよ」
「確かに姫様の現状をお考えになれば、そうでございましょうね。薬師は病のせいで記憶が失われたとも申しておりましたが、物の怪のせいでないとも言い切れませぬ。しかし、宰相中将様が出所となると、わたくしといたしましては、胡散臭いとしか申し上げられませんわ」
もっと詳しく聞きたければ一晩過ごしてからだ、というようなニュアンスのことを言われたとは、とても言えない。
ここまで宰相中将を嫌悪している小梅のことだ、聞いたら最後、もう手が付けられなくなるかも……
「小梅のいうことも分かるけど…… 宰相中将様は、途中でお帰りになられたでしょう。だから、話は中断されて情報はこれしかないの。私は真偽を確かめたいのだけど、どうしたらいいかしら。嘘なら嘘で、別にいいのよ。でも、真実であったなら記憶を取り戻すきっかけになるのではないかと思うの。ねえ小梅、何かいい方法はない?」
「……わかりました。姫様がそこまでおっしゃるのならば、わたくしも女房仲間にそれとなく聞いてみますわ。交友関係の広い者もおりますし、なにか知っているかもしれません。お邸に出入りする者にも、声を掛けてみます」
「本当!? ありがとう、助かるわ」
「しかし姫様、宰相中将様はどなたからそのお話をお聞きしたのでしょう」
「さあ? さるお方としか聞いてないわ」
「その方を見つけてお話を伺う方が早いのではないですか?」
「いいえ、それは多分無理ね」
宰相中将は社交的なようで、交友関係はとても広い。そこに女性関係を含めれば、膨大な人数になる。その一人一人を探して検証するのは、あまり現実的ではない。というのも、宰相中将と人に言えぬ一夜を過ごした女性、たとえば人妻なんかは、絶対に口を割らないはずだから。自分の不貞が公になってはいけないので、宰相中将とつながりがあることを簡単に露呈したりはしないだろう。
宰相中将の口ぶりだと、さるお方というのは、おそらく女性だと思われる。これは、ただの私の勘だけど。もしその人を突き止めたとしても、その人も誰かから噂を聞いていたとすればキリがない。宰相中将の人間関係を辿るよりも、こちらで別口で探した方が効率がいいというのが、私の考えだった。
一通り聞いた小梅がしばし考えて、「では」と口を開いた。
「有明中将様にお聞きするというのはいかがでしょうか。有明中将様ならば、宰相中将様と同じように出仕しておりますので宮中の噂の類は耳にしていらっしゃるでしょう」
「確かにそうね。小梅、あなたってば本当に頼りになるわ! 早速お兄様に文を書きましょう」
はい!と元気に返事をした小梅の頬が緩んでいる。私の言葉が嬉しかったのかもしれない、そう思うと私も無性に嬉しかった。
最初、目の前でドーンと倒れられたときは驚いたけど、これが小梅の本来の姿なのだと思う。落ち着いていれば、頭の回転も速く、私に助け船を出してくれる。
兄の存在は頭にあったが、兄に聞いてみるという選択肢はなかった。これにたどり着けたのは小梅のおかげだ。やはり一人で調べるのは限界がある。使えるツテがあるなら、最大限有効活用しよう。兄は宰相中将とも友人だというし、もしかしたら何か大きな手がかりを握っているかもしれない。
――北山の天狗。
本当にいるかどうかも分からない、まだ、噂話の中でしか存在していない者。
でも真実なら、きっと見つけ出してみせる。
気に入った者にしか会わないですって?
たとえ私のことが気に入らなくたって、どんな手を使ってでも会ってやるわ。
物の怪でも呪いでも、何でもいい。
私のこのおかしな状況がそれらのせいだっていうなら、絶対に戻してもらう。
元の世界へ帰してもらうんだから。




