05.「剣聖少女との触れ合いと、『情報屋』との接触。そして帝国は動き出す――」
「ハァッ、ハァッ……」
――逃げろ。逃げろ。逃げるんだッ!
この際どこだっていい――あの化け物が居ねえ場所なら!
ゼラスは振り返ることもなく、一心不乱にフロリアの市場を逃走する。
その姿にはもはや、銀級勇者の威厳はどこにもなかった。
まるで森の中で怪物に遭遇した、お伽話の少女のように――ゼラスはなす術なく、目の前の恐怖から逃げ惑う。
しかし、いくら逃げても――己が心の臓へとナイフを突き立てられるような、『突き刺すような恐怖感』は消えることはなかった。
――クソッ! これで済むと思うなよ……! この俺サマに恥をかかせたんだ、あのガキだけは、絶対に殺す……!
負け惜しみとも言える悪態を心の中で呟きながら、銀級勇者のゼラスは路地の裏へと消えたのだった……。
◇
――そして、ゼラスが消えたフロリアの市場では。
響く歓声と拍手、そして口笛……。
それらは全て、気の良い町の人から僕たちに向けられたものだった。
そして女の子が僕たちに向かって駆け寄ると、ペコリと頭を下げる。
「ありがとうございますっ! 皆さんは、私の命の恩人ですっ! もし助けに来てくださらなかったら、私は今頃……ああっ、何とお礼すればいいか……!」
「あはは、どういたしまして。でも、別にお礼なんて要らないですよ。勇者を志す者として、勇者の横暴は見過ごせなかった――それだけですから」
僕が彼女を助けたのは、別にお礼が欲しかったとかじゃなくて……あのゼラスという勇者が許せなかったからだ。
勇者を目指す者として、当然の事をしたまで。
別にお礼が無くても同じ事をしただろうし、それはリゼもレオも同じだろう。
しかし商人の女の子は、ブンブンと首を横に振る。
「いえいえ、それでは私の方が収まりません! 絶対に受け取って貰います!」
そして一旦お店の中に入ると、すぐに何かを抱えて戻って来たのだった。
少女は持ってきた袋の中から、『白い何か』を取り出す。
これは……石鹸だろうか? すごく良い香りがする。
「リゼさんはとっても綺麗な人だから――これなんてどうでしょう! 『翡翠ノ国』から取り寄せた、高級石鹸です! 今回は特別に、タダであげちゃいます!」
そう言って、少女は石鹸の入った袋をリゼに手渡す。
「……ありがとう、大事に使うわ」
リゼは心なしか嬉しそうに受け取ると、優しくお礼を言う。
そして――少女はコッソリとリゼに耳打ちするのだった。
「……それと、袋の底には『イイもの』を入れて置いたので……是非、彼氏さんと楽しんで下さいね♪」
「……?」
少女の言葉に、首を傾げるリゼ。
そして少女は、去ってゆく僕たちに向けて手を振ってくれたのだった。
――そして再び、市場を見て回る僕たちだったのだが……。
ぐいっ、ぐいっ。
隣を歩くリゼが、何やら僕の方にピッタリと体を寄せてくる。
そんな背伸びした感じが、すごく可愛いのだけれど……僕は小声でリゼに訊ねる。
「……あのー、リゼさん、少し近すぎやしないでしょうか……?」
「……興味のない男に言い寄られるのって、凄く嫌なの。だから……こうやって歩けば、トーヤ君と私の関係が一目瞭然でしょう?」
そう言ってリゼは僕の手を取ると、腕を絡ませてくる。
……そして僕は、さっきのリゼの言葉を思い出すのだった。
――『私はトーヤくんの『女』だから。あなたには興味ないわ』
…………。
そして僕は、考え込む。
よくよく考えてみれば、僕はリゼと二回もキスをしているんだよな……
殆ど勢い任せだったけれども、これって実はとんでもないことなのでは……?
リゼはレジェンド級の【剣聖】の異能を持つ、"救世の勇者"。とんでもなく凄い人で――そんなリゼに、僕は自分の『女』だとか言わせてしまったのだ……!
もしかしなくても、とんでもないことなのは間違いない。
……ごくり。僕は再びリゼを見つめる。
――とにかく、『無責任な男』にだけはならないようにしないと……!
リゼと一緒に歩きながら、僕は固く決意するのだった……。
◇
それから僕はリゼとレオ、そしてギブリールと共に、市場を散策したのだった。
さっきの騒動の影響か、市場の人たちはみんな僕たちが来ると、凄く歓迎して迎え入れてくれる。
そんなこんなで、色々買いつつ、市場を見て回った僕たちだったのだが……。
「…………」
僕の視界を、見覚えのある『赤い帽子』が通り過ぎる。
僕も一旦は通り過ぎたのだったが……次のお店に入ると、リゼが買い物に夢中になっている隙に、僕は再び例の場所へと戻って来たのだった。
『あれっ、トーヤくん、どこに行くの?』
(……うん、ちょっとね。昔の知り合いを見かけたから、挨拶をしようと思って)
僕はギブリールに答えると、市場のある店の前で立ち止まる。
その男は目立つ真っ赤なつば広の帽子を被り、市場の商人としてゴザの上で道行く人々を眺めていた。
『ふぅん、この人がトーヤくんの昔の友達かぁ……』
ギブリールは僕の隣で、興味深げに男の様子を見つめていた。
銀髪のシュッとした美青年だが、どこか濁った目をしている。
男は僕に気づいたのか、見上げると僕に声を掛けてくるのだった。
「……久しぶりだな」
「キースさん……あなたが連絡員だったんですね」
「ああ。暇だったんでな。お前の顔を見に来た」
――彼の名はキース。僕が所属していた『アサシンズ・ギルド』の一員で、前線に立つのでは無く、影で動くいわゆる凄腕の『情報屋』だ。
彼は僕たち暗殺者には直接接触しては来ない。目印である赤い帽子を被り、ただ近くをうろつくだけだ。
情報を必要としているなら、僕たちから声を掛ける。それがルールだった。
彼が僕の前に現れたということは、何か新しい情報が出てきたのだろう。
そして僕が彼の前に座ると、キースは単刀直入に切り出すのだった。
「お前の仕事について、一つ気がかりな情報が出て来た。どうやらこの件、『帝国』が絡んでいるらしい。……帝国は知っているな?」
「もちろんですよっ! このシドアニア王国と並び立つ、『二大列強』の一つ……ゼルネシア帝国のことでしょう?」
「ああ、その通りだ。……で、その帝国だが……どうやらこのシドアニアで、良からぬ動きをしているらしい」
女神教を信仰するシドアニア王国に対し、ゼルネシア帝国は女神教を否定し、人為的な奇跡である『魔導』こそが人類の救いであると標榜している。
この二国は女神教を巡り、常に対立関係にあるのだが……どうやらいよいよ帝国が動き出したらしい。
「――それで、具体的な動きは?」
「……複数の貴族に『裏金』が流れた。"洗浄"されていたが、間違いなく出所は帝国だ。王都にも"工作員"が潜り込んでいたようだが、残念ながらソイツは何も吐かずに自害した」
……なるほど。かなり危険な兆候だ。
そしてキースは、急に真剣な顔になると、僕に忠告する。
「気をつけろよ。帝国を相手にする事ほど面倒なことはないからな。……まあ、お前のことだ。何とかするだろうが」
そしてキースは、これで情報は終わりだという風に、両手を上げる。
「……それはそれとして、何を売ってるんですか?」
「……自作の絵だ。売り物がなければ商人に偽装できないからな」
ゴザの上に並んでいるのは、なんとも言えない絵の数々だった。
ギブリールも、『変な絵だねー』と不思議そうに眺めている。
変というか、何というか……この人は昔から芸術が趣味なのだが、どうも僕には理解出来ない絵を描くのだ。
こういうのが『抽象的』という言うらしいのだが……僕を含め、ギルドの皆はサッパリ理解できず。しかしキース本人は気にしていない様子だった。
「それで、どうです? 売り上げの方は」
「……さっぱりだ。どうやら俺に、商人の才能はないらしい」
キースはため息をつく。
そして僕はキースの店を出ると、コッソリとリゼの隣に合流する。
――そろそろ、夕方になってきた頃だろうか。
そして僕たちは、今日購入した商品を抱え、宿へと戻るのだった……。
◇
――そして、その日の夜。
ひと気のない路地裏では、銀級勇者のゼラスが荒れに荒れていたのだった。
月も差さない、薄暗い路地裏……。
――ドンッ! ゼラスは路地裏で何かにぶつかる。
どうやら向かいから歩いて来た男とぶつかったらしい。
「チッ、前見て歩けよッ! 目ェついてんのか!」
最悪に機嫌が悪いゼラスは、目の前の男に向かって罵声を上げるのだった。
「…………」
顔を上げると、そこには色白の大男が立っている。
陰の関係で表情は見えないが、男は一言も言葉を発さず、無言を貫いていた。
ゼラスには、その態度が気に食わなかった。
――てめえも俺を馬鹿にしてんのか!? ああん!?
そしてゼラスは右腕の聖痕を前に出すと、男に見せつける。
「てめえ、俺を誰だと思ってる! "銀級勇者"のゼラス様だぞッ! この勇者の証が見えねえのか!」
「――私に汚らわしいものを見せるなッ!」
その瞬間、ゼラスの身体に衝撃が走ると――次の瞬間、路地裏の向こうまで吹き飛んでいたのだった。
「っ――――!?!?」
恐ろしい激痛に顔をしかめながら、しかし、ゼラスは混乱していた。
一体、何が起こりやがった? 腕の一振りで、この俺がここまで吹っ飛ばされただと……!? 俺の【剛力】よりも強い力……!?
――そして男は、路地裏からゆっくりとこちらに近づいてくる。
悪魔のように白い肌に、黒衣に身を包んだ、まるで"死神"のような男だった。
そしてゼラスの顔に、恐怖の表情が浮かぶ。
為す術なく襟首を掴まれると、万力のような力で体を持ち上げられていた。
「クソッ! 離しやがれ……!」
「ほう、私の拳を受けて生きているとは……肉体は頑強のようだな。どれ、その『穢れた悪魔の証』を切り落とし――貴様に『神なる御業』を与えよう」
そして次の瞬間、右手の焼けるような痛みにゼラスは絶叫する。
「――ぐわああぁ!!!!!!」
「安心しろ、じきに痛みは無くなる。その時には、自我も消えているだろうがな。……ハハハハハ!」
男は足下でのたうち回るゼラスを見下しながら、吐き捨てるように言う。
そして大男は天を見上げると、両腕を天に差し出すようにして、まるで悪魔のように嗤うのだった。
「クックック、今宵、この街は戦場になるであろう――!」




