07.「久しぶりに、本気を出してもいいですか?」
――〈カルネアデスの塔〉第四階層。通称『森林エリア』。
僕たち二人は、森の中にいて、ワーウルフの大群に囲まれていた。
なぜそうなったのか……それは、運が悪かったとしか言いようがない。
第三階層までは、サクサクと進んでいたんだ。
リゼの異能【剣聖】は、まさに敵なしだった。代わりに協調性というものがまるでなく、勝手に先に進んでしまうのは困ったけれど……。
とにかく、苦戦することはなかったと言っていい。
それが、第四階層に入り、『森林エリア』に突入した時である。
この〈カルネアデスの塔〉は、三階層ごとに、エリアの環境がガラリと変わる。
それはまあいいとして、問題はその『森林エリア』で起こったことだ。
単刀直入に言おう。僕たちは、『ワーウルフの大群暴走』に遭遇したのだ。
『ワーウルフの大群暴走』。
それは〈カルネアデスの塔〉にいくつか存在する、突発イベントの一つだ。
それが一体何かと聞かれれば、こう答えるしかない。――災害、と。
遭遇したら、運が悪かったねと諦める。そういった類のもの。
この手の突発イベントに遭遇したら、帰還門に逃げ込んでやり過ごすというのが、この塔における定石なんだけれども……。
リゼは逃げようとはせず、それどころか真っ向からワーウルフの大群を相手に戦い始めたのである。
一応、逃げた方がいいって、僕も言ったんだけどね……。
こうなったら仕方ない。リゼを見捨てて、僕一人逃げるわけにもいかないし。
そうして僕たち二人は、ワーウルフの大群と戦い始めた、というわけだ。
「――グワオォォン!」
鬱蒼と生い茂る森の中、ワーウルフの断末魔がこだまする。
きらめく剣刃。リゼが一太刀加えるごとに、一匹づつ魔物が減っていく。
まるで勝負になっていない。これでは一方的な虐殺だ。
凄いな……これが、【剣聖】の異能か……。
そんなリゼを横目で見つつ、僕は僕で、ワーウルフと剣を交えていた。
ワーウルフとは、『人狼』とも呼ばれる人型の魔物だ。狼の顔に、二足歩行の銀色の毛深い身体をしている。
むき出しの牙と爪。そして何より厄介なのは、その身体能力だ。
ワーウルフの筋肉繊維は、人間の数倍以上の密度を誇る。魔物特有の化け物じみた身体能力だ。それに、硬い――。
硬すぎる筋肉が邪魔をして、全く刃が通らないのだ。
"花月"で斬りつけても、表面が少し抉れるだけ。これでも、鉄の鎧すら切断する切れ味なんだけどな……。
人間の常識が、まるで通用しない。
リゼは、こんな化け物相手に一撃で屠っているのか……。
けれど、僕だって負けてはいられない。
少し賭けになるが、常識外れの相手には、常識外れの戦いをすればいいだけだ。
まずはその、右腕を頂く……!
僕は"花月"を翻し、ワーウルフの右腕に斬撃を加える。
しかし、ヤツはびくともしない。体の表面に浅い傷が出来たが、それだけだ。
だが、これも計算のうち。
返す刀でもう一撃!
その白刃は、初撃で加えた傷と、寸分違わず同じ場所を抉り取った。
そしてそれを繰り返す。何度も、何度も。
一撃、二撃、三撃、四撃……。
そして、これが最後だッ!
五撃目は、渾身の全力で、ワーウルフの右腕を大きく斬り上げる。
斬ッ! ヤツの右腕は、体から切り離されて、クルクルと宙を舞った。
よしっ、狙い通りだ!
「グオォォォ!」
右腕を失ったワーウルフは、醜い叫び声を上げる。その目は、まるで信じられないものを見るかのように大きく見開かれていた。
一つの傷を広げ続け、ついに鋼鉄を誇るワーウルフの肉体を抉り切ったのだ。
筋線維の単位で寸分違わぬ斬撃が、実に五度も繰り返される。
少しでも剣がずれたりすれば、こうは上手くいかないだろう。
その技は、まさに神業。まさに超絶技巧。
剣術に対する天性の才能、そしてたゆまぬ努力がそれを可能にしたのだ――。
――けど、これで終わりじゃない。今度は、その胴体を頂く!
再び"花月"を構えると、疾風の如く剣を走らせる。
魔物の心臓に当たる心核を目がけて、五度の連続斬撃を食らわせた。
五月雨斬り――。ふと、そんな名前が浮かんだ。
そうだ。これからは、この技を五月雨斬りと呼ぼう。
ワーウルフの胴体は五月雨斬りに耐えきれず、上と下に見事に両断される。
そして光の粒子となって消えてしまった。
ふう……これで、ようやく一匹。しかし、大きな一匹だ。
刀身を確認すると、"花月"に刃こぼれは一切無かった。
さすが国宝級の大業物といったところだ。普通の剣で同じことをしたら、一発でボロボロになって駄目になるだろう。
よく、僕の全身全霊に耐えてくれた。ありがとう、"花月"。
それにしても、ワーウルフを自力で倒したのは、これが初めてだっけ。
これが、自力で魔物を倒す感覚ってやつなのか……。
一応、ゴブリンも倒してはいるんだけれども。やっぱり慣れないというか、少し不思議な気分だ。
思えば今までの僕は、どうやって班に貢献できるかばかり考えて戦ってきた。
【盾】の力を最大限生かせるように、守りの立ち回りを心がけてきた。
けど……今は違う。
なんたって、唯一の班のメンバーは、あのリゼなのだから。
今の僕たちは、各々が『勝手』に戦っているだけだ。
確かに集団行動は、全体から見ればより大きな成果をもたらすかもしれない。
けれど一方で、全体を優先するあまり、役割を決めつけ、自分の可能性を狭めることにも繋がる。
かつての僕と、同じように……。
今の僕たちは、連携なんて何もない。ただ個々人が勝手に戦っているだけだ。
ある意味、お粗末ですらある。けれど……。
チームプレイも何もないこの戦いが、かえって僕に可能性を与えてくれた。
自分のことだけに集中する。自分の実力全てを発揮するためには、どうすればいいのかを考える。
この学院に来て、どうやら僕は行儀よくなり過ぎたみたいだ。
憧れの勇者候補生になれたということもあって、チームプレーだったりと、少し形に拘り過ぎてたのかもしれない。
そのせいで、本来の自分を見失ってしまっていた。
けど、リゼと一緒に戦ったおかげで、久しぶりに思い出せた気がする。
まあ、リゼ本人は、勝手に戦っているだけかもしれないけれど……。
さて、ワーウルフはまだまだ残っている。この"花月"には、もうひと働きしてもらうとしよう。
そして僕は再び剣を構えると、今度は近くのワーウルフへと突撃するのだった。
◇
そして、数分後。
山ほどいたワーウルフの群れは、ものの見事に全滅していた。
僕の呼吸は荒い。けれど、久しぶりに本気を出せたことに満足感を感じていた。
一方で、ふと隣を見ると、リゼは顔色一つ変えていない余裕ぶりだ。
第四階層の突発イベント、『ワーウルフの大量発生』は結構な高難度なはずなんだけれど……【剣聖】のリゼにとっては、まるで脅威にもならないらしい。
第二階層の番人――ナーガ。
第三階層の番人――ミノタウロス。
そしてたった今、第四階層の番人、エルダートレントを倒したというのに、リゼは汗ひとつ流していなかった。
この様子だと、本当に頂上に辿りついてしまいそうだ。
それほどまでに、リゼの見せた実力は桁外れに凄まじかった。
レジェンド級異能――【剣聖】。
これまでの歴史上で、レジェンド級の異能が確認されたのは、ただ一例だけ。
"始祖"ウィルが持っていたとされる、【勇者】の異能、ただそれだけである。
そんな唯一無二のレジェンド級の異能の【剣聖】であるが、どうやらまだ実力の全てを出しているわけではないようだった。
今のところ彼女が見せた能力は、『聖剣』を実体化する能力だけ。
第四階層に到達時点で、いまだに剣技らしい剣技は繰り出していないのだ。
彼女はただ、聖剣を一振りするだけで、全ての敵を葬り去っている。
確かにその一分も無駄のない剣さばきは、それだけで一種の剣技と言えなくもないけれど……僕の目には、実力の一割も出していないように見えるのだ。
そんな彼女が本気を出したら、一体どうなってしまうのだろう。
僕の【盾】で防ぎ切れるのだろうか……。
そんな風に、気になっている自分がいた。
それで、リゼとの関係だけど、実は少しだけ進展があった。
他のことに一切興味を示さないリゼが、上の階層についての話だけは興味を示してくれたのだ。興味を引ける話が出来て、その時はちょっと嬉しかった。
だから僕は、自分が知っている限りの情報をリゼに教えた。僕が行ったのは十一階層までなので、それより上は伝聞の話になるけれども……。
「ふうん、なるほどね……色々参考になったわ。それにしても……。あなた、この塔に詳しいのね」
「まあね。こう見えて、情報収集は得意なんだ」
「……ありがとう。礼を言っておくわ」
どうやらリゼは、この〈カルネアデスの塔〉の頂上に用がある様子だった。
確かに僕たち学院の生徒は、勇者候補生として評価を受けるために、この塔の上層部を目指している。
けれどもリゼは、どうやらそういう目的で登っているわけではないらしい。
あくまで用があるのは塔の頂上だけ。
そんなに頂上に拘る理由は、僕にはわからなかった。
そういえば僕は、この塔の頂上に何があるのか知らなかった。
いや、そもそもこの塔は、学院始まって以来、誰も頂上にたどり着いたことがないわけで……頂上に何があるのか知っている人間なんてどこにもいない、と言ったほうがいいかもしれない。
ただの好奇心だろうか? ……いや、その割には確固とした目的があって、頂上を目指しているようにリゼは見える。
彼女の様子を見るに……どうやらこの塔の頂上には、誰も知らない『何か』が存在しているらしい。
普通のダンジョンなら、最奥には魔物の親玉がいるものなんだけれど、これは神様が作ったダンジョンだし……。
案外、神様が居たりして。……なーんて、そんなはずはないか。
「……もしかして、リゼさんは頂上に何があるのか知ってるんですか?」
「さあね。そんなに気になるなら、ついて来ればいい。……ついて来れれば、だけど」
そう言って、リゼは僕を残して第五階層へと続く転移門の中へ入ってしまった。
あれ? このパターン、どこかで見た記憶が……。
ちょっと前に、第ゼロ階層でリゼが一人で先に進んでしまったことを思い出す。
そんな、まさかね。僕は一縷の望みを抱きつつ、転移門をくぐる。
そして――。
第五階層に到着した僕は、ぐるりと周りを見渡すが……。
そこに、リゼの姿はなかった。
それどころか――僕を待っていたのは、二頭のケンタウロスだった。
上半身が人で下半身が馬という屈強なその魔物は、どうやら誰かさんに仲間を殺されてお怒りの様子で。
僕の姿を見つけると――『ミツケタゾ』と言わんばかりに、憎悪の視線を向けてきたのである!
えっ? まさか、もしかして、またこのパターン……?
マズい――そう思った時には、もう手遅れだった。
二頭のケンタウロスは、キリキリと限界まで引いた弓を、一斉に僕へ向かって射って来たのだ!
「いやいや、どうしてこうなるんですかっ! 斃したのは僕じゃないですって!」
確かにリゼの勝手には救われたが、これは話が違う。聞いてない。
僕は何とか身を躱しながら、二頭のケンタウロスに向けて、必死に無実を叫ぶ。
しかし、魔物に人の言葉が通じるなんて奇跡が起きるわけもなく。
ただ少年の悲痛な叫びだけが、むなしく森の中にこだまするのだった……。