19.「出発前。誰もいない寮のロビーで、リゼと二人で。一方レオは……」
ソフィアさんは僕にとって、"憧れのお姉さん"のような存在だった。
慣れない学院生活で戸惑う僕に、真っ先に手を差し伸べてくれたのが、他でもないソフィアさんだった――。
裏庭の白いベンチに並んで一緒にご飯を食べながら、僕の他愛の無い悩み事に熱心に耳を傾けてくれたこともあったっけ……。
ソフィアさんの優しさは、ささくれ立った僕の心に染み渡ったものだ。
なにせ昔から弟達の面倒ばかりを見て、人を頼ることを知らなかった。
生きるために自分を殺して、死んだ様に生きてきた僕だ。
学院の入学式、当日――。
僕が、勇者を目指して自分の脚で自分の人生を踏み出した、特別な日……。
そんな僕が、初めて頼ることを知った人――それがソフィアさんだった。
ソフィアさんは、皆んなに人気で、魅力のある人だった。
美人だし、優しいし、それに、胸も大きいし……
別に、僕だけに優しくしてくれる訳じゃない。そんなことは、分かってる。
――それでも、僕にとって憧れの人だった。
そんなソフィアさんに抱きしめられて、むにゅっとゆがむ、母性の塊のような大きな胸に包まれて……僕は思わず、夢心地な気分に包まれていた。
……しかしそんな時間も、永遠には続かない。
そして――僕達は廊下に出ると、ソフィアさんにお別れを言うのだった。
◇
そして僕は今、学院寮のロビーにいた。
学院では昨日のパーティーの後始末として、朝から大掃除が行われているということもあり……学院寮は生徒たちも出払い、薄暗くひっそりとしている。
そんな学院寮のロビーの真ん中で、僕はいまだ夢心地で立ち尽くしていた。
ソフィアさんと別れてからずっと、僕はこんな調子だった。
何というか、全てにおいて現実感がないというか……。
ソフィアさんが、僕のファンだって言ってくれて、純粋に嬉しい気持ちもある。
けどそれ以上に、母さんが亡くなって以来、初めて女の人に甘えるという経験に、どうしても戸惑ってしまうのだった。
そして、何より――
あのむにむにとした、柔らかい感触。夢のような心地だった……。
しかし……そんな夢うつつな僕を、リゼはジト目で見つめていた。
「……トーヤくん……?」
「えっと、な、何かなっ?」
「おっきなおっぱいを押し付けられて、そんなに気持ちよかった……?」
「あれはっ、そのっ……不可抗力というか……ソフィアさんが、急に抱きしめてきて――」
「正直に答えて」
「……はい、気持ち良かった、です……」
「むっ……」
リゼに問い詰められて、思わず僕は正直に告白する。
それを聞いたリゼは何やらムッとした様子で、黙りこくっていた。
――そして流れる、恐ろしい沈黙……。
ひょっとして、リゼを怒らせてしまったのだろうか……。リゼは胸が小さいことを、すごく気にしていた。
よりにもよってそんなリゼの前で、あのソフィアさんの巨乳に鼻の下を伸ばしてしまったのだ。
リゼの最もデリケートなコンプレックス。それを、踏みにじってしまった……。
きっと、リゼに嫌な思いをさせてしまったに違いないっ……!
「…………」
マズいことをしてしまったと後悔する僕を前に、リゼは静かに僕に近づく。
そして――
ぐりぐりっ……。
リゼは僕のことを抱きしめると、そのまま僕の顔を、リゼの小さな胸に押し付けたのだった……!
「えっと、リゼさんっ!? さすがにマズいですって……」
「……じっとしてて」
今は無人とはいえ、ここは学院寮のロビー。誰が来てもおかしくない。
慌てて離れようとする僕に対し、しかしリゼは、ガッシリと僕の後頭部を掴んで離そうとしない。そしてなおも僕に、自らの胸を押し付けるのだった。
「ん……! んん……!」
「んっ……逃げようとしても、無駄……。それで、どう? ソフィアさんの胸の方がいい……?」
僕に胸を押し付けながら、リゼは僕に問い掛ける。
――ソフィアさんとはまた違った心地よさが、そこにはあった。
リゼの体はソフィアさんに比べてフラットな分、より僕の体に密着してくる。
ドクン、ドクン……その密着ぶりは、お互いの心臓の音が聞こえるほど。
女の子の、甘い匂い。そして……。
小ぶりながらも、制服越しにハッキリと分かる、二つのぷっくりとした膨らみ。
こんな場所で、こんな破廉恥な行為に走るなんて……。しかしリゼはそんなことはお構いなしといった風に、大胆に体を密着させてくるのだった。
まるで、さっきのソフィアさんに対抗しようとしているかのように……。
そして、その時がやって来た。
僕の男の子の部分が、反応しつつあったのだ。
マズいっ……! 僕は、慌てて腰を引こうとする。しかしその瞬間、リゼは腰に回した手で、抑えつけるかのように体を密着させる。
ぐりぐりっ……。
リゼは、しばらく感触を確かめるように、じりじりと体を押し付ける。
僕は恥ずかしさと気持ちよさで、頭の中が真っ白になっていた。
終わった……。
こういう時、男は無力だ。どんなに威張っても、女の子の前になれば、こうやって『気持ち良くなっている証』を情けなく晒すしかないのだから……。
そしてリゼが、耳元で小声で囁く。
「これ……そういうこと、だよね……トーヤくんが、私の小さい胸で興奮してくれてる……良かった……これで、安心……」
リゼは人形のように無表情な顔で、嬉しそうに呟く。
そしてさらにダメ押しと言ったように僕の体をギュッと抱きしめると……しばらくして、満足したように体を離すのだった。
そしてようやく僕は、リゼから解放される。
お互い運動をした訳でもないのに、少しだけ息が上がっていた。
とにかくリゼが安心してくれたようで、なにより――なのだけれど。
僕はなんとなくリゼの尻に敷かれているような気がして、どことなく先が思いやられるような、そんな気がしたのだった……。
◇
一方、その頃……。
――すらりとした長身に、赤みがかった茶髪。
――そして、中性的な見目麗しい顔立ち。
"麗しの貴公子"とも呼ばれているが、その実、『男装の麗人』であることは、学院でも極少人数を除き、誰も知らない……。
そんなレオ・アークフォルテは、一人、薄暗い部室棟の廊下を歩いていた。
……別に、特に用があって来た訳ではない。
トーヤ・アーモンドとリゼ・トワイライト――あの二人に同行して王都へ旅立つ前に、一度部隊室に足を運んでおこうと思った……ただ、それだけの話だった。
言うなれば、ただの気まぐれ……その場に立ち会ったのも、偶然だった。
アークフォルテ班の部隊室の前までやって来たレオは、半分空いたドアの隙間から、光が漏れていることに気づく。
本来ならばパーティの後始末で、誰もいないはずの部室棟……。
どうやら、班のメンバーが掃除をサボって、部隊室にたむろしているらしい。
耳を澄ますと、中から話し声が聞こえて来た。
「……御曹司か何か知らねぇけどよ、塔の頂上に拘るのはウンザリだぜ」
レオは思わずドアの陰に隠れて、その会話を立ち聞きしていた。
その声は紛れもなく、班の仲間たちの声……。
「全く、御機嫌取りする俺たちの身にもなって貰いたいもんだな。親の命令で付き合ってやってるだけなのによ」
「もう塔の上層に到達して卒業確定してるっていうのに、アイツの身勝手に付き合わされて危ない橋を渡らされるなんて……ホンッット、やってられないわよねぇ」
「今日から王都だっけ? 全く、いい御身分だな」
「いなくなってせいせいするぜ」「それな」
……紛れもなく、全てレオに対して向けられた言葉だった。
レオの顔が、みるみる曇っていく。
そうか……私は、そういう風に思われていたんだな……。
元々アークフォルテ班は、レオを中心として結成されたチームだった。
班のメンバーは皆、貴族の子息であったが、今の会話を見るに、彼らは侯爵家である『アークフォルテ家』にすり寄るためにレオに近づいてきたのだろう。
王家とのコネクションを持つ、アークフォルテ家……。
末端の貴族たちにとっては、是が非でも――それこそ息子たちを使ってでも近づきたい、それほどの力があるのだ……。
元々、仲間なんかじゃなかったという訳だ。
欲しかったのは『アークフォルテ家の御曹司』という身分、ただそれだけ……。
彼らの本性を知って、レオの内にあった僅かばかり心残りが、霧散する。
――そしてレオは勢いよく、ドアを開けるのだった。




