03.「えっと……これが貴族同士の決闘ですか?」
あれから僕は、ゴルギース伯爵が散らかした『魔物図鑑』を順番通りに整理した後(地味に大変だった)、〈カルネアデスの塔〉に登るため、学院の中を移動していたのだが――。
……何かおかしい。
僕は若干の居心地の悪さを感じながら、学院の通路を歩いていた。
学院のあちこちから、こちらの様子を窺うような視線を感じる。
ざわざわ、ざわざわ……。
まさに、針のむしろといった感じだった。どこにいても見られている気がして、そわそわと落ち着かない気分になる。
僕はただ、一人で学院の敷地を歩いているだけなんだけれど……。僕が近くを通ると、学院の生徒たちは僕を見て、ひそひそ話を始めるのだ。
それに、なんだか露骨に避けられてる気が……。
試しに少し近づいてみると、彼らは慌てて遠くに逃げていく。
やっぱり、何かおかしい。
そもそも僕は、元々ここまで目立つような人間じゃない。見た目だって、どちらかというと地味な感じで。どこにでもいる平凡な学生にしか見えないはずだ。
少なくとも、そう擬態している。
だから、絶対に何かあったはず。
こっそりと聞き耳を立ててみると――原因は、すぐに分かった。
『あの落ちこぼれが……』『あのゴルギース伯爵に……?』『目を付けられてるらしいぜ……』『とばっちりはゴメンだわ……』『関わらない方がいい……』
ゴルギース伯爵……!
ここで、ようやく僕は去り際のあの言葉の意味を理解することになった。
『もはや、貴様と組もうなどとのたまう輩は皆無なのだから……』
それは要するに、こういうこと。
ゴルギース伯爵が僕が班に入れないようにと、既に手を回していたという訳だ。
ただでさえ僕の異能は最低クラスのコモン級。その上、あの悪名高いゴルギース伯爵に目をつけられているという噂が立てば、敬遠されるのも当然だ。
嫌がらせとして、これほど効果的なものはないだろう。
いや……ひょっとすると、僕たちの班に甲鉄虫の討伐任務が下されたところから、既にゴルギース伯爵によって仕組まれたことだったのかもしれない。
あのゴルギース伯爵のことだから、あり得ない話じゃない。よくよく考えてみれば、甲鉄虫の魔物ランクは『B-3』で、僕たちの実力からすると、ランクが二つも上の強敵。本来ならば僕たちに回されるような任務じゃないはずじゃないか。
「はぁ……厄介なことになったなぁ。こんなんじゃ、新しい班なんて見つかりっこないし……」
僕はため息をつく。ひょっとすると、今までのゴルギース伯爵の嫌がらせの中で一番えげつないかもしれない……。
この様子だと、やっぱり塔にはソロで挑戦するしかなさそうだ。
しかし、そんな僕の行く手を遮るかのように、一人の青年が現れる。
「フン、一体何の騒ぎか来てみれば……落ちこぼれクンじゃあないか」
ざわざわと、周りのざわめきが大きくなる。そんなことはお構いなしという風に、その青年は僕に向かって近づいてくる。
貴公子然とした見た目の、見目麗しい青年がそこにいた。
やや長めの茶髪に、整ってはいるがいかにもプライドが高そうな顔立ち。
知っている顔だ。……悪い意味でだけど。
どうやら今日の僕は人気者らしい。ゴルギース伯爵に続いて、呼んでもいないのに次から次に厄介ごとが舞い込んでくるのだから。
彼の名前はレオ。有力貴族である『アークフォルテ公爵家』の御曹司だ。
王家とも血の繋がりがあるという、由緒正しい家柄の生まれである。
天は二物を与えずと言うが、彼は格の高い家系に生まれ育ったというだけでなく、異能にも恵まれていた。彼の異能の【雷撃】はなんとエピック級。
……まるで僕とは正反対の存在だな、と僕は苦笑する。
そんなレオであるが、いつも強い言葉を使い、その上で結果を残すものだから、一種のカリスマとして彼を崇める人間も多い。その上学院一の美丈夫で、見る者を魅了する華やかな容姿だというのだから尚更だろう。
目立つ分敵も多いが、それも実力でねじ伏せてきた……それが貴公子『レオナルド・アークフォルテ』という人物である。
そんな人間が、わざわざ僕の前にやって来るとは。
これは面倒なことになりそうだ。
……とりあえずその前に、挨拶だけはしておこう。
「おはよう、レオナルド君」
「フッ、この私を前にして朝の挨拶か。……余裕だな。そういう所が、やはり気に入らん……」
えっ? ただ挨拶しただけなのに。なんという理不尽。
しかしこの学院にはこういった理不尽が山のように存在するので、気にしたら負けだ。という訳で、会話を続行する。
「それで、僕に何か用? これから用事があるんだけど」
「用事だと? 班を追い出された貴様が、一体この学院に何の用があるというのだ。荷物を纏めて田舎に帰るのか? それにしては荷物が少ないが」
「ソロで塔に挑戦するんだ。別に班で行かなきゃいけない決まりはないからね」
「ハッ、貴様がソロで挑戦だと? ……聞いたか皆! この落ちこぼれが、あのカルネアデスの塔にソロで挑戦するそうだ!」
――ワハハハハ!
レオだけじゃなく、周りからも笑いが巻き起きる。この場は、完全に僕を馬鹿にする雰囲気が出来上がっていた。
「くっくっく……全く、身の程知らずもここまでくるとお笑いだな。大けがをする前に帰った方がいいんじゃないか?」
レオが笑いをかみ殺しながら言う。
一方で、僕は困惑していた。
困ったな、僕はこんなところで道草を食っている時間は無いんだけれど……。
「えっと、言いたいことはそれだけかな。用事がないなら僕は行くけど」
「むっ……この私の忠告を無視する気か?」
隣を通り抜けようとした僕を、レオは僕の右腕をがっちりと掴む。
決して振り払えない強さじゃない。けれど、強引に振り払う訳にもいかない。
なにしろ向こうはあの名門アークフォルテ家の御曹司なのだ。暴力をふるえば不利になるのはこっちだ。
「あの……放してくれないと行けないんですけど」
「成程。貴様にはどうやら、身の程というものを思い知らせる必要がありそうだ。……『決闘』だ! ついてくるがいい!」
――うおおおおお!!!
レオの宣言に、周りは一層盛り上がる。
決闘を勝手に決められて、置いてけぼりな僕一人を除いて……。
◇
そして、僕が連れてこられたのは決闘場。
学院内の施設の一つで、主に学生同士の摸擬戦が行われる場所だ。
広々とした円形のフィールドに、僕とレオが正面に向き合っている。
フィールドの周りには、沢山の野次馬が集まっていた。
なにしろ、あの【雷撃】のレオの決闘である。その実力を一目みようと、決闘場にはいつも以上の観客が集まっていた。
唸るような人々の熱気。
その中にあって、一人だけ冷めた感情の人間がいた。
――レオの決闘の相手である僕、トーヤ・アーモンドである。
……どうしてこうなった。僕はただ、ソロで塔に登ろうとしただけなのに。
僕は決闘に同意すらしていないのに、無理やり連れてこられて、そしてここに立たされている。
「ハハッ、あいつ、剣を持ってやがるぜ! 異能を使えよ、異能を!」
「やれー、レオ! 落ちこぼれに身の程を教えてやれーッ!」
どうやら僕に拒否権は無いようだ。
フィールドを囲む野次馬から、ヤジが飛んでくる。
さすがは弱肉強食のカルネアデス。落ちこぼれには容赦がない。
けど、困ったな。僕は目立つのがあんまり好きじゃないんだけど……。
こうなったら、『貴族同士の決闘』とやらをさっさと済ませて、早く塔に登りに行くしかないか。ちゃんと決闘に参加すれば、解放してもらえるだろうし。
落ちこぼれとして侮られているというのも、僕としてはやりやすくて良い。
「……決着は、この聖痕が刻まれた右腕を切り落とされた方が負けとする。その他の、相手の命を奪うような攻撃は禁止だ。勝者は名誉を手にし、敗者は落とされた右腕を抱えて、みじめに医務棟へ駆け込むことになる」
なるほど、大体理解できた。
このルールなら、お互い命を落とすこともなく、五体満足で帰れそうだ。
というのも、うちの学院の医務棟はかなりの凄腕で、落とされた腕一本など簡単にくっつけてしまうぐらいなのだ。
その上やり過ぎないようにと、きちんとルールが決められている。
さすがは名門、といったところだ。
「そうだな……せめてものハンデとして、貴様から仕掛けることを許そう」
レオは、尊大な態度で僕に告げる。
なるほど、僕に先手を取らせるか。かなりの自信家らしい。
しかし……僕は当然、その場から動こうとはしなかった。
「フッ、どうした? 怖気づいたか?」
「いえ、僕の異能は【盾】なので、どう攻めればいいものかと……」
僕は頭を掻きながら言う。それを聞いて、レオは盛大にずっこけてしまった。
「そ、そうか……この私としたことが、うっかり忘れていたようだ。【盾】の君に先手を与えた所で無駄だったな、これは失礼した」
野次馬たちもケラケラと大笑いしている。
よし、なかなかいい雰囲気だ。
僕の望み通り、戦場が動いている。
「ならば、正々堂々、同時に動くとしよう。……さあ、構えたまえ」
レオに言われた通り、僕は剣を抜く。
そして、決戦の火蓋が切られたのだった……。
◇
レオは完全に油断していた。異能者同士の戦いは、『速さ』がモノを言う。
そして私の【雷撃】は最速の異能……!
この最速の異能で、これまで勝ち続けてきたのだ。
ましてや相手は自分より数段劣るコモン級の異能。
この私が万に一にも負けるはずがない。その、はずだった。
開幕の合図とともに【雷撃】を発動。地を這う雷が相手に襲い掛かる。
人間が雷を躱すなんて到底不可能な話。
勝った……!
私が勝利を確信したその時、野次馬の一人が大声で叫ぶ。
「あいつ、防ぎやがった!」
防がれた!? 私の雷が!?
ありえない事態に混乱した私は、落ちこぼれの少年を見失っていた。
しまった、雷の光に乗じたか!
【雷撃】の異能は、敵に着弾すると強い光を放ち爆散する。
今までの敵はほぼ全員一撃で倒せたし、この異能が一撃で倒せない敵なんて、大型の魔物ぐらいだった。
そのせいで、【雷撃】の光に乗じて敵を見失うという可能性も、頭の中からすっぽりと抜け落ちていた……。
くっ、失態だ! だが、まだ負けたわけではない。
急いであいつを見つけなければ!
どこだ……どこにいる……!
私はフィールドをくまなく見渡す。しかしその瞬間、勝負は終わった。
――ポンポン、と肩を叩かれる感覚。
そして、首筋に冷たい感覚が伝う。聖痕がある右腕じゃなく、首筋にだ。
視界の端には、あいつが持っていた剣の刃が見えた。
間違いない。あいつは背後にいる。
背後にいて、私の首に、剣を突き付けている……!
だらだらと、冷や汗が流れるのを感じる。
ざわざわと野次馬たちが何かを叫んでいるが、それも頭に入らない。
そして、トーヤ・アーモンドの第一声。それは……。
「えっと……どうしたんですか?」という、至極不思議そうな声だった。
「駄目ですよ。初撃を防がれたんだから、次の手に動かないと。……どうします? もう一度仕切り直して再戦しますか?」
そう言って、トーヤ・アーモンドは首筋に当てていた剣を下ろすと、静かに鞘に納めた。ようやく緊張から解放された私は、大きく息を吐くと、後ろを振り返る。
しかし、再戦だと……?
この少年はさっきまで、私の生殺与奪の権利を握っていたはずだ。
それを手放してまで、なぜ私に選ばせる……!
これはまるで――
「お前ならいつでも殺せる」と言われているようなものではないか……!
ぞくり、と悪寒が走る。
「おいおい、落ちこぼれごときに怖気づくなんて、らしくねーぞレオ!」
客席の野次馬からヤジが飛ぶ。
ええい、安全圏から見ているだけの傍観者どもめ。こっちは腕が飛ぶか飛ばないかの勝負なんだぞ!
……今まで私は、最強ともいえる異能を与えられて、絶対に勝てる勝負しかしてこなかった。魔物と戦っても、人と戦っても、一度も傷を負ったことすらない。
そんな私が、腕を切り落とされる……!?
その痛みに、耐えられるとは思えない。
そして、私が何も答えられずにしばらく黙っていると……トーヤ・アーモンドは私に耳打ちをしてきた。
その言葉を聞いて、私は顔がカッと赤くなる。
いつ気付かれた!? まさか、背後に回ったときにか!?
今まで、完璧に隠し通していたはずなのに……。
この秘密を知られてしまった以上、もはや私に勝ち目はない。
「いや、君が勇者に相応しい実力の持ち主だということは、よーくわかった……」
私が取れる選択肢は、彼に協力すること。ただそれだけだ。
ならば私は大人しく敗北を認めて、道化を演じるとしよう。
私は、「あー、えへん」と、喉の調子を整える。
そして観客席にいる野次馬たちに向かって、大声で声を張り上げる。
「いいか君たち! 彼のことをコモン級だからといって『落ちこぼれ』と言って軽んじているようだが……そんなことは、この私が許さないッ!」
ざわざわ……
案の定、観客席の野次馬たちは、ざわざわとざわめき始める。
「何言ってんだ! 『落ちこぼれ』って、お前が一番連呼してたじゃねーかッ!」
野次馬から一斉にツッコミが入る。
そんな風にヤジが飛んできたが、売り言葉に買い言葉、私も大声で言い返す。
「ええい、うるさいぞ、君たちッ! 細かいことを気にするんじゃないっ!」
ざわざわ……
余計にざわめきが大きくなった。
そうだ、それでいい。いい感じに頭に血が上ったおかげで、この場から一人、人が居なくなったことにも気づいていない。
きっと彼は今頃決闘場から抜け出して、一人で塔に向かっているのだろう。
それにしても、コモン異能の人間にも、これほどの使い手が存在したとは。
あの男、ただ者ではなさそうだ。
……ふっ、トーヤ・アーモンドか。改めて、名前を覚えておこう。
そしてレオは、喧騒の中、踵を返して決闘場の外に出る。
さてと。こうなったら私もこんな場所には用はない。さっさと寮の自室に帰ってシャワーでも浴びるとしよう。
この私がこれほどの冷や汗をかかされるとは……恐ろしい男だよ、全く。
そして、レオ・アークライト。本名、エレオノーラ・アークフォルテは、一人決闘場を後にするのだった……。