15.「月夜の影法師。そして始まる、暗殺者同士の闘い」
……そして僕は一人、カルネアデス会館の薄暗い廊下を歩いていた。
古めかしい洋館特有の、広く長い廊下には、人っ子一人いない。
華やかなパーティ会場から打って変わって、シンと静まり返っていた。
立ち並ぶ大窓からは、薄カーテン越しに月の光が差し込んでいる。
そして遠く壁越しに、会場の賑やかな喧騒が小さく聞こえてくるのだった。
……この先に、ヤツがいる。
その痕跡は同類である僕だけに分かるように、巧妙に隠されていた。
まるで僕を誘い出そうとしているかのように……。
これは、僕への挑戦状だろうか?
そうでもなければ、こんな挑発的な行動を取るはずがない。
そういうことなら――いいさ、だったら僕も、誘いに乗ってやる。
僕は極限まで気配を消すと、"影"となって隠密態勢に移行する。
何より、学院の皆を巻き込みたくない。
リゼも、そして、みんなも……。
ここから向こうのパーティ会場まで、ヤツを通させる訳にはいかないのだ。
――しかし、なぜ暗殺者が、このタイミングで……?
暗殺者が出てくるということは、それ相応の理由があるはずなのだ。
暗殺は……"ビジネス"だ。どう取り繕っても、その事実は変わらない。
利がなければ、暗殺者は動かない。
リスクと見合う報酬があって、初めて"ビジネス"が成立するのだ。
標的は――僕か、それとも、リゼか?
僕を恨む相手なんて、心当たりがあり過ぎて、絞り切れないな……。
しかし誰が相手にしろ、とんでもない暗殺者を雇ってきたものだ。
この学院に、容易く忍び込むようなヤツだ。相当の手練れと考えていいだろう。
その分、報酬は跳ね上がるはずなんだけれども……。
一体、誰なんだ? そんな、凄腕の暗殺者を送り込んできた人間って……。
とりあえず誰が相手にしろ、油断は禁物。気を引き締めて掛からないと……。
そして僕は、カルネアデス会館の玄関ホールにたどり着いた。
……こっちだ。暗殺者としての嗅覚が、僅かに香る血の匂いを嗅ぎ分けていた。
人気のない閑散とした会館の入り口を抜け、僕は正面の大扉から外に出る。
そこはカルネアデス会館の前に広がる、円形の広場だった。
――肌が、ひやりとした外気に触れる。
――月夜の晩。月明かりが照らす夜に、黒装束の人物が待ち受けていた。
「…………」
僕が目の前に現れたにも関わらず、その人物は無言を貫いている。
――その姿は、まさに"影法師"。
小柄で細身。頭巾を頭から被り、白い仮面で顔を隠している。
そして何より、存在感が希薄だった。
存在そのものが曖昧というか、確かに目の前にいるはずなのに、ふとしたきっかけで直ぐに見失ってしまいそうな……。
超級の隠密術と言わざるを得ない。
そしてその佇まいには、一分の隙も見当たらなかった。
間違いない――彼は、一流の暗殺者だ!
僕は警戒心を強める。しかし一瞬、暗殺者がフッと笑ったような気がした。
そしてその刹那、暗殺者の姿が消える。これは――【縮地】!?
迫りくる白刃。くっ、間に合えっ……!
――キンッッッ!!
僕は既の所で【盾】を展開し、暗殺者の黒塗りの短剣の一撃を、辛うじて防ぐ。
恐ろしい一撃だった……。唸るような剣戟。そして何より、あの【縮地】……!
見事な【縮地】だった。【縮地】の使い手なんて、そういないはずなのに。
少しでも反応が遅ければ、僕も危ないところだった……。
だが、これでハッキリした。間違いなく、コイツは僕の"敵"――!
僕は【盾】で敵の刃を押さえ込みながら、暗殺者に向けて宣言する。
「どこの誰かは知らないけれど……今度は、こちらから行かせてもらいますっ!」
そして僕は、右手で腰に下げた護身用の"慈悲の短剣"を抜く。
苦痛を与えず、"慈悲の死"を与えることからそう名付けられたその短剣で――
僕は暗殺者の懐に踏み込み、勢いよく刺突するっ!
悪いけどこの命、タダでくれてやるわけにはいかないんで――ねっ!
瞬時に反撃に転じた僕だったが……右手に、手応えはない。
外したか……それにしても、まるで霞でも斬ったかのような感覚だっ……!
「ふふっ、相変わらず、甘いですね……!」
暗殺者は何やら呟くと、仮面の下で口角を吊り上げる。
そして後ろに跳ぶと、まるで蜃気楼のように姿を消したのだった。
――そして同時に現れる、複数の気配。
なるほど……。死角を狙って、仕掛けてくるつもりって訳か……!
上等、それなら暗殺者同士の根比べといこうじゃないか……!
僕は気配を追いかけて、闇の中へ。
そうしてここに、暗殺者同士の闘いの幕が、切って落とされたのだった――。




