08.「リゼの、ちょっとした"異変《ゆらぎ》"」
――学院長室の、応接スペースにて。
会話の合間の一瞬、僕とニトラ学院長の視線が交錯する。
明らかに、互いに相手の様子を窺っているような、そんな視線。
(ふむ……やはりこの小僧、只者ではないのう。"異能殺し"の件、あながち間違いではなさそうじゃ)
(ジル・ニトラ学院長……! 見た目がちびっ子みたいで油断してたけど……やっぱりこの人、ただのロリっ娘じゃない……!)
僕から見て、ニトラ学院長はどこまでも底が知れなかった。
悔しいけど……心理的には、こっちの劣勢であると言わざるを得ない。
ジル・ニトラ学院長か……。
信用できる相手かどうかは、とりあえず保留だな。
とにかく――警戒しておくに、越したことはない、か。
そしてそれから僕たちは、ソファーに腰掛けて、しばらく腹の探り合い――もとい、楽しいお喋りを繰り広げていたのだが……。
突然ニトラ学院長は、何か大事なことに気付いたらしく、ハッとする。
その視線は、目の前のテーブルに向けられていた。
「ムムッ、何か足りぬとは思っていたが……茶がないではないかっ! これはいかん……。儂としたことが、これではエルフの名折れじゃ。済まぬな、二人とも。せっかくの客人というのに、茶の一つも出さずとは。全く、とんだ失態じゃ」
と、ニトラ学院長はそう言って、ポンと自分のおでこを叩く。
そしてすぐさま、レオに言いつけるのだった。
「これレオ坊よ、皆の分の茶を用意するのじゃ。茶菓子も忘れるでないぞー」
「くっ……まさかこの私が、小間使いのような真似をさせられるとは……」
レオはそう言って、不服そうに呟く。が、それでも渋々といった様子で席を立つと、お茶を用意するために学院長室の奥へと向うのだった。
お茶か……確かに僕も結構喋ったから、喉が渇いた気がする。
けど、それはともかくとして……。
どうやらレオは、『師匠』であるニトラ学院長には逆らえない立場らしい。
二人の間には、はっきりとした上下関係が構築されているようだ。
うーむ、これがスパルタ……。
それにしても、あのレオがお茶汲み係をしているのは、少し新鮮だった。
まるで、執事みたいだ。
僕はつい脳内で、レオの執事服姿を想像してしまう。
脳裏に思い浮かんだのは、白黒の衣装に身を包む、男装の麗人の姿だった。
全身黒のパリッとした燕尾服に、首元には黒いタイを締めている。
そして中に着込んだ白のシャツ、同じく白色の手袋というコントラスト。
……確かに、様になっている。
足もスラっとして長いし、それにレオの美形なら……案外似合うかもしれない。
うん。これはこれで、アリかもしれないな……。レオにはちょっと悪いけど。
という風に、僕は脳内で、取り留めのない妄想を繰り広げていたのだが。
そういえば、リゼはどうしたんだろう?
そして、ふと気になった僕は、リゼの方を見るのだった。
「……」
リゼは僕の隣で、どこか物憂げな様子で黙りこくっていた。
そういえばリゼは、ここに座ってからずっと、一言も喋っていない。
そんなリゼの横顔は、なんだか思い詰めた様子のようにも見える……気がする。
一体、どうしたんだろう……? ひょっとして、緊張してるのだろうか?
今までリゼと接してきて、分かったことがある。
リゼは一見、強気なように見えるけれど、一方で人見知りというか、あまり人と馴染むのが得意でないタイプなのだ。
どこか、人と接するのを怖がっているというか……
上手く言えないけど、そんな感じがする。
どうにかして、リゼの気分を和ませられないものか……!
そして僕は思い切って、リゼの手を握る。
「~~~~っ!」
すぐに、可愛らしい反応が返って来た。
リゼはびっくりした様子で、何が起こったか理解すると、顔を赤らめる。
「ひゃんっ……な、何っ?」
「リゼが全然喋らないから、どうしたのかなって思って。……ごめん、嫌だった?」
僕はリゼの手を握ったまま、コソコソ話をするように、小声で囁く。
しかしリゼは、ドキドキしながら黙り込むのだった。
リゼの心には、様々な感情が渦巻いていた。
(なんだか今日のトーヤくん、すごく大胆……)
(どうしてだろう、すごくドキドキする……)
(あ、あのキスの時も……多分、私を助けようとして、してくれたのだけれど……わ、私はキスなんて初めてだったのに、すごく良かった……)
(この手……優しくて、暖かい……)
リゼはトーヤのことを、異性として強く意識し始めたことを自覚する。
生まれて初めての感情に、戸惑うリゼ。
今までリゼは、誰かを意識することなんてなかった。全てに対して無感情で、世界に対して心を閉ざしていたようなものだった。
しかし、今は違う。トーヤくんがいるって、知ってしまったから……。
そしてリゼは、慌てたように言う。
「べ、別に、嫌じゃないわ! ただ、こんな風に手を握られたことがないから、ビックリしただけ……。こう言うのって、その、恋人同士でするものだと思ってたから……」
「……そうかな? でも、リゼだって結構大胆な所あると思うけどな……」
僕はリゼの態度を微笑ましく思いながら、同時にリゼの急変を不思議に思うのだった。
リゼだって、すごく大胆な所があると思うし……。例えば、食堂でリゼにおでこをピッタリとくっ付けられた時とか。
あの時は、本当にドキドキさせられた。
けど……本当に良かった。
リゼの様子がおかしいと思ったけれど、大したことなかったみたいだし。
リゼも肩の力が抜けたみたいだし、どうやら上手くいったみたいだ。
僕も小さい頃、不安になった時とかに、お母さんに手を握ってもらったものだ。
小さい頃の僕はすごい怖がりで、夜の風にすら怯え出すほどだった。
けどそんなとき、お母さんは決まって僕の手を握ってくれた。
だから僕も、何か不安があるのならと、リゼの手を握ったのだけれど……。
効果覿面。暗い顔をしていたリゼも、すぐに元気になってしまった。
ただ、リゼが何か言いたげな表情で、少しモジモジしている気がするのは……ちょっと気になるところだけど。
そしてリゼは、恥ずかしさに少し顔を背けながら、僕に言うのだった。
「とにかく……別に、なんでもないわ。会話の内容に、興味が湧かないってだけ。……退屈な会話は、あなたに任せるわ」
けれどもそう言うリゼは、なんだか少し、強がってるような気がする。
やっぱり何か、リゼの心の中で突っかかっているものがあるみたいだった。
これは……もうちょっとだけ、時間が必要かな?
そして僕は、黙ってリゼの手を握り続けるのだった。
「それで、その手は、いつまでこうしているつもり……?」
「うーん……とりあえず、レオが戻ってくるまで、かな?」
「っ……!」
僕の言葉に、リゼは言葉にならない声を上げる。
そしてしばらくすると、リゼは顔を赤らめながら、一心に床の一点を見つめ、黙り込むのだった……。




