01.「そして、僕の新しい日常が始まる」
そして、翌日の早朝――。
習慣とは、やはり恐ろしいもので。
いつも決まった時間、決まった通りに起きていると、体が覚えてしまう。
バサッ。
目覚めた僕は、ベッドの上で体を起こす。
寝ぼけた眼に映るのは、カーテンの閉め切った、薄暗い、寮の自室だった。
……なんだか、すごく懐かしい夢を見ていた気がする。
僕はふと、横を見る。
隣のベッドには、リゼが枕を抱きしめながら、すやすやと眠っていた。
……そっか。昨日から僕は、リゼと相部屋になったんだっけ。
昨日のことも、何もかも、夢じゃなかったんだ。
そして、あの、女神さまの神託のことも……。
僕はベッドから降りると、くたくたな寝間着を脱ぎ、ベッドの上に放り投げる。
そして、昨日丸テーブルの上に畳んでおいた学院の制服を手に取ると、ピシッとした学院の制服に着替えるのだった。
そして窓際の椅子に腰かけると、僕は一人、物思いに耽る。
カーテンの隙間から、かすかな光が差し込み、薄っすらと僕の姿を照らし出す。
女神さまから授かった神託。それがずっと、頭から離れずにいた。
僕はずっと、勇者に憧れていた。
魔王を倒して、セカイを救った勇者の物語。
いつか僕も、魔王を倒す勇者になるんだ。そう思って、努力を続けてきた。
それなのに――
『魔王を守れ』
それが、女神さまから授けられた神託だった。
皮肉なものだ。魔王を倒す勇者に憧れていた、はずなのに……
女神さまから授かった神託が、よりにもよって、『魔王を守れ』だなんて。
幼い頃からずっと、勇者の物語に慣れ親しんできた僕にとって、魔王とは、打ち倒すべき『最大の敵』だった。
幾度となく勇者の前に立ちはだかり、勇者を苦しめる。
最凶の存在、それが魔王だったはずである。
決して、勇者が守るべき存在なんかじゃないはず。それなのに、どうして……?
女神さまは、こうも言っていた。
『……世界は今、破滅の危機に瀕しています。そして、その破滅を防ぐためには、魔王の力が必要なのです』
うーむ。全く、訳が分からない。
世界を破滅させるのは、魔王じゃないのか?
そもそも魔王は、初代勇者の手によって、封印されたはず……。
そのことについて、女神さまに訊ねてみたのだが、答えは返ってこなかった。
『わたし、神託モードに入ると記憶がなくなっちゃうんですよねー。今のわたしと別の人格と入れ替わっちゃう、というか……。二重人格? みたいな?』
『……つまり、神託についても何も分からない、と』
『ですねー。ちなみに、なんて言ってたんですか? わたし』
『そうですね……確か、魔王を守れ、って言ってました。世界の破滅を防ぐために、魔王の力が必要なんだそうです』
『ええーっ!? 世界って、崩壊しちゃうんですか!? これから!?』
女神さまは、目を丸くして驚いていた。神託を下した本人なのに……。
結局、女神さまからは、それ以上の情報は得られずじまい。
魔王の居場所も分からず、それどころか、魔王が復活してるのかすらも不明。
これで、どうやって魔王を守れって言うんだ……。
「はぁ……考えても仕方がない、か」
結局僕はいつも通り、朝の鍛錬を始める。
悩んだところで、答えが見つかるわけでもないし。だったらその時間を、体を鍛えるために使った方が、よっぽど有意義というものだ。
「三百九十一っ、三百九十二っ、三百九十三っ……」
リゼを起こさないように、数える声もボリュームを下げつつ。
僕は腕立てと腹筋、五百回をこなしていく。
なんだか最近、この朝の鍛錬も、物足りなくなってきた気がする。
そろそろもう一段階、ノルマを増やしてみてもいいかもしれないな……。
腕立てと腹筋のノルマを終えた僕は、静かにドアノブに手を掛ける。
さて、一走りしに行くとしようか。そして僕は寮を出ると、東の空から明け白んだ朝焼け空の下、ランニングを始めるのだった。
◇
「んっ……」
リゼはベッドの上で、しばらくもぞもぞしていたが……やがて重い瞼をゆっくりと開くと、布団を押しのけて体を起こした。
部屋の中は薄暗い。どうやら、朝早くに目覚めてしまったらしい。
まだ、眠い。二度寝、するかな……。でも、その前に。
喉が渇いていたリゼは、ベッドの脇の小テーブルの水差しに手を伸ばす。
えっと、こっちが私のグラスだっけ……。どっちでもいいや。
ぼんやりとした頭で、リゼは手近なグラスを手に取ると、そこに水を注ぎ、ごくっごくっと水を飲む。
ふと、隣のベッドを見ると、そこにはトーヤの姿はなく、代わりに脱ぎ捨てられた寝間着が無造作に置かれていた。
どうやら私より先に起きて、どこかに出かけてしまったようだ。
トーヤくんって、ずいぶん早起きなのね……。
私も別に、寝坊助ってわけじゃ、ないはずなんだけど。
……早朝の用事? こんなに朝早く起きて、一体何をしてるんだろうか。
私は寝間着姿のまま、窓際まで移動し、カーテンを開いた。
そして、窓ガラスに手を掛けると、そこから、外の様子を見下ろす。
外はまだ、薄暗い。しかしそんな窓の外に、リゼは一人、人影を見つける。
そして、そこには――。
トーヤが、寮の建物を出て、走りに行く様子がはっきりと見えたのだった。
◇
「はぁ、はぁ、はぁ……」
学院の敷地をぐるりと周回する、いつものランニングルートを僕は走っていた。
今日は、いつにも増して呼吸が荒くなっている。それもそのはず、今日は普段の五周に加えて、三周も余計に走っているのだから。
しかもペースを落とすどころか、普段の三割増しのスピードで僕は走っていた。
それでいて、苦しさよりも心地よさを感じているという……。
体が軽い。なんだか、もっと速く走れる気がする。
僕はふと、上を見上げた。
視線の先、木々の梢の向こうに、巨大な〈カルネアデスの塔〉の姿が見える。
もしかしたら。
僕はあの塔を登り切ったおかげで、また一つ成長できたのかもしれないな。
一つ壁を乗り越えた、というか。一皮むけた、というような……。
そして僕は、朝の鍛錬のメニューを全て終えて、寮の前までやってきた。
前庭を走り抜けて、寮の入り口の扉が見えてくると、僕は走る足を緩める。
ようやく、ゴールに到着だ。
「ふぅ……ちょっと、張り切り過ぎちゃったかな」
僕は呼吸を整えると、タオルで汗を拭き、寮の中へ入る。
それにしても、喉が渇いたな。早く部屋に戻って、水でも飲もう。
そう思った僕だったのだが……。
「……はい、これ」
無人のエントランスホールに一人、リゼが立っていた。
初めて見る、制服姿のリゼ。
……可愛い。こうして見ると、リゼも普通の女の子なんだなって、実感する。
そしてリゼから、水筒が手渡される。
これは、僕の水筒だ……。『塔』に挑戦するときに、携行する用の物。
「ありがとう、リゼ! わざわざ持ってきてくれたんだね」
僕がお礼を言うと、リゼは照れくさそうに視線を逸らす。
「別に、お礼なんか要らないわ。それより、早く汗を流してきて」
「……?」
「……朝ご飯。お腹が、空いたから」
……なるほど。言われてみれば確かに、僕もお腹が空いてきた気がする。
いくら女神さまの家で、お菓子を沢山食べたとはいえ、お菓子はお菓子。
そろそろ普通の食事が食べたくなった頃、というわけだ。
そう言うことなら、早く部屋に戻ってシャワーを浴びることにしよう。
僕は急いで部屋に戻ると、浴室で汗を洗い流し。
大急ぎで着替えて、エントランスホールで待つ、リゼの元へ。
そして寮を出ると、リゼを連れて、二人で食堂へと向かったのだった。




