19.「女神さまの神託、そして、長い一日の終わり」
「これこれ、ボクの大好物なんだ。二人も食べてみてよ」
そう言ってギブリールが勧めてきたのは、白くてふわふわした小粒のお菓子だった。"マシュマロ"という名前らしい。それが、透明なボウルに沢山入っている。
……見たことないお菓子だ。甘いお菓子だろうか?
「マシュマロ、だって。リゼは知ってる?」
「……見たことないわ」
どうやら、リゼも知らないらしい。
リゼはその中から一つ摘まむと、一口、口に運んだ。
「……んっ、美味しい……」
「本当だ。美味しい……!」
リゼと同時にマシュマロを口にした僕は、その味を堪能する。
ふわふわと弾力のある食感と、溶けるような、甘い舌触り。
世の中には、こんなお菓子もあったのか……!
思わず病みつきになる食感に、僕もハマってしまいそうだった。
その後もギブリールは、「チョコと一緒に食べると美味しいんだよ」とか、僕たちの知らない、色々なお菓子のことを教えてくれた。
そして……
女神さまのお茶会は、まったりとした、和やかな雰囲気で終わりを迎える。
あれだけあったお菓子も全て平らげてしまい、空っぽの皿だけが残っていた。
エリクシールの副作用(?)も治まって、僕は幸せな満腹感に包まれていた。
それにしても、美味しいものばかりだった。途中からはカモフラージュとか抜きにして、夢中で食べていた気がする。
今日一日だけで、一生分のお菓子を食べてしまった感じだった。
最初はこれ全部食べるなんて無理だろう、なんて思っていたけれど……意外とペロリとイケてしまった。
意外だったのは、リゼが割と食べる方だったこと。
あれだけ、スリムな体型をしているのに。特に……胸とか。胸とか。
一体、どこに栄養が行っているのか、不思議なくらいの食べっぷりだった。
女神さまも大変ご満足の様子で、食べ終わって満足そうにしている僕たちを、ニコニコの笑顔で見つめている。
「これで、お茶会はお開きですねー。それじゃあ外まで、見送りましょうかー」
「待ってください女神さまっ、神託を忘れてますっ」
そう言って立ち上がろうとした女神さまを、ギブリールが慌てて呼び止める。
女神さまはギブリールの言葉に、口元に手を当てて、「いけない、忘れてましたっ」と言った表情を見せる。
「あ、そうでした。勇者が女神に会ったときは、神託を下すのが決まりでしたね」
そう言って女神さまは、居ずまいを正すと、まさに「出来る女性」と言った感じの、真面目な表情に、一瞬で様変わりした。
神託……!
その言葉を耳にした瞬間、僕は背筋をピンと伸ばす。
それもそのはず、神託というのは、それだけ大事なものなのだ。
初めて地上に神託が下ったのは、今からおよそ、千年前のこと。
かつて始祖ウィルが異能の力を授けられたとき、神様の御言葉を賜ったという。
『人の子よ。汝はこの瞬間より、人類の希望と成り、地上を救う"定め"を得た』
『救世の道を歩まんとする者に、救いを――』
神様から賜った、その三十四行に渡る御言葉は、シドアニア王国の国紀を始め、様々な歴史的文献に記され、現代に語り継がれている。
今から僕たちが臨むのは、そんな壮大な出来事なのだ。
これから僕は、歴史の立会人になる。そう思うと、胸がドキドキしてきた。
「えー、えへん。これより二人に神託を授けます。よーく聞いていて下さいね?」
そう言って女神さまは、僕たちに真っすぐな視線を向ける。
僕たちも真剣な表情で、女神さまの言葉に耳を澄ます。
そして神託は、厳かに下されたのだった……。
◇
夕日に照らされた、塔の上にて。
女神さまとギブリールは、二人で家の前に並んでいた。
地上へと帰る二人を見送るために、家の外まで出てきたのだ。
「今日は、色々ありがとうございました、女神さま!」
「ふふっ、いいんですよー。道に迷った時は、いつでも相談しに来てくださいね。トーヤ、そして、リーゼロッテ」
そう言って、女神さまは二人に向かってウインクする。
トーヤとリゼは、塔の屋上に刻まれた、巨大な魔法陣の上に入った。それは、塔の第ゼロ階層に繋がる魔法陣。
女神さまは二人して手を振りながら、魔法陣に消えていくトーヤたちを見送る。
そして……トーヤとリゼの姿は、塔の上から消えてしまったのだった。
「行っちゃいましたね、女神さま……」
無人の魔法陣を見つめて、ギブリールは呟く。
そんなギブリールの隣で、女神さまはどこか遠い目をしていた。
「そうですねー。でも、あの二人なら……どんな苦難の道でも、乗り越えてくれると信じています」
女神さまは、静かにそう呟くのだった……。
◇
「あっ、お帰りー、二人とも。それで、どうだった? 初めての塔挑戦は。五階層ぐらいまでは行けたかなー?」
僕たちのことを見つけたソフィアさんが、親し気に声を掛けてきた。
場所は、学院の事務棟。あれから、塔を後にした僕たちは、今日のことを報告するために、事務棟を訪れたというわけだった。もちろん、リゼも一緒だ。
やはりというべきか、ソフィアさんは僕たちが塔の最上階まで到達したなんて、露にも思っていない様子だった。
まあ、それも当然かもしれない。それほどまでに、たった二人で塔を最後まで攻略しきるなんて、想定外もいいところなのだから。
むしろ、ソフィアさんが言った五階層ですら、普通ならば高評価と受け取っていい部類である。
これ言ったら、ソフィアさん驚くだろうな……。なんて考えながら、僕はソフィアさんに向かって答える。
「……えっと、完全攻略です。最終階層まで突破してきました」
「へ?」
そう言って、一瞬、ソフィアさんが固まる。
しかし、すぐに気を取り直すと、ソフィアさんは笑い始めたのだった。
「またまたー、お姉さんをからかうんじゃありませんよー」
どうやらソフィアさんは、僕の冗談だと思ったらしい。
やっぱり、こんな荒唐無稽なこと、口だけじゃ信じてもらえないよな……。
だったら、証拠を見せるしかない。僕は懐から、入場証を取り出した。
「ほ、本当だ……『踏破:二十一階層』って書いてある……!」
僕の入場証を受け取ったソフィアさんが、ぷるぷると震え出す。
信じられないものを見た――そんな、リアクションだった。
「と、と、と、トーヤくん!? どうしたら良いのかなっ!?」
ソフィアさんは、かなり動揺した様子だった。
ぷるん。マシュマロのような大きなお胸が、ぷるぷると震え出す。
何という、誘惑。しかしリゼの手前、凝視するわけにはいかないっ……!
「とりあえず、その入場証だけ預かっておくけど……あと、王都に連絡……?」
そして、手続きに追われたソフィアさんは、事務棟の奥へと消え。
そこには、僕とリゼの二人が残されたのだった。
◇
そして、一時間後。
ようやく解放された僕は、学園寮に帰ることが出来たのだった。
既に日も落ちて、辺りは暗くなっている。途中、食堂へと向かう同級生たちとすれ違った。そうか、そう言えば、今はちょうどご飯時か。
それにしては、お腹があまり空いていない。むしろ、お腹いっぱいという感じで……きっと女神さまの家で、お菓子を食べ過ぎたからだろう。
今日は、ご飯はいいかな……。僕は、真っすぐ自室に戻ることにする。
学園寮の薄暗い廊下を進んだ先、突き当りの自室の前で、僕は立ち止まった。
ガチャリ。自室のドアを開けると、僕は勢いよくベッドの上に飛び込む。
「今日は、色々なことがあったな……」
ベッドの上で大の字になりながら、僕は今日のことを思い返していた。
早朝、朝の鍛錬から帰って来た僕を待ち受けていた、ゴルギース伯爵の来訪。
ゴルギース伯爵から目を付けられている、なんて噂も流されたりしたっけ。
その後なぜか、御曹司レオ・アークフォルテから決闘を挑まれたんだよな。
そして――僕は、リゼ・トワイライトと出会った。
もしかしたらそれは、運命だったのかもしれない。
もし、僕が班をクビにならなかったら。
もし、僕がゴルギース伯爵に噂を流されなかったら。
もし、レオから決闘を挑まれなかったら。
きっと、リゼと僕はすれ違ったまま、一生、出会わなかったかもしれない。
けれど……何の運命のいたずらか、僕とリゼは出会ってしまった。
……きっとそれは、運命だったんだ。
コンコン。その時、僕の耳に、ドアをノックする音が聞こえてきた。
こんな時間に、一体誰だろう。
「トーヤくん、起きてますかー?」
「はいはい、今出ます」
聞こえてきたのは、ソフィアさんの声だった。
僕はベッドから起き上がると、ドアの前まで早足で駆けつける。
ガチャリ。僕は再びドアを開ける。そして、ドアを開けた先には――
ソフィアさんと、もう一人、リゼが、僕の部屋の前で立っていたのだった。
◇
「それで、どうなりました?」
立ち話もなんだからと、リゼとソフィアさんには、部屋の中に入ってもらい。
さっそく僕は、ソフィアさんに手続きのことを訊ねたのだった。
「とりあえず、王都には電報を送ったんだけど……あはは、私、非常時用の回線なんて使うの初めてだから、手間取っちゃって」
ソフィアさんは、そう言って笑う。
「それで、次に学院の先生方にも連絡しました。職員室は、大騒ぎでしたよ? 遂にあの塔に踏破者が出たのかーって」
そんなことになっていたのか……。僕は、少しだけ驚く。
けれど、やはり、それだけの大事件だったのだろう。
何しろ、学院が創立してから今まで――否、始祖さまが没してから今まで、誰一人としてあの塔の最上階までたどり着いた人間はいなかったのだから。
それはいいとして、なぜ二人は、僕の部屋までやってきたんだろう。
「突然だけど、トーヤくんって、今、一人部屋でしたよね?」
「え? まあ、そうですけど……」
「うんうん、ですよねー」
唐突に話題が変わり、僕は戸惑いを隠せなかった。
一人部屋? それが一体、何の関係が……。
「……それが、どうしたんですか?」
僕が、恐る恐る訊ねる。
するとソフィアさんは、とんでもないことを言い出したのだった。
「リゼさんが、トーヤくんと相部屋になることになりました」
「……!? 僕が、リゼと、相部屋、ですか……!?」
「そうそう。今、空いているのが、トーヤくんの部屋だけだったんですよねー」
一瞬、ソフィアさんが言っていることが理解できなかった。
しかしすぐに、真っ白だった僕の頭が回り始める。
つまり、僕とリゼが、同じ部屋で生活する、ということ……?
「でも、それってマズいんじゃ……男と、女の子ですし……!」
一応、ベッドは二つあるから、相部屋も可能だ。けれど……
年頃の男女が、同じ屋根の下生活するなんて、学院が認めるものなのだろうか。
僕は、リゼを見る。
どこまでも完璧な、可憐な美少女がそこにいた。
リゼと、相部屋で生活する……。リゼ本人は、承知しているんだろうか。
しかしそんな疑問も、ソフィアさんはバッサリと切り捨てる。
「その点は問題ありませんっ。なんてったって、トーヤくんは真面目ですから。……それに、これはリゼさんの希望でもありますし」
リゼ本人の……希望。そんな爆弾発言を投下され、僕はフリーズする。
そして、しばらくして。
仕事を終えたソフィアさんを見送ると、僕は、ガチャリとドアを閉める。
そして――僕は、リゼと二人っきりになってしまった。
しばらく、無言の時間が続く。
やっぱり、気まずいな……。けど、黙ったままじゃ、何も始まらない。
「えっと……改めてよろしく、リゼ」
「……別に、知らない赤の他人と、同じ部屋になりたくなかっただけ、だから」
しかし、そんな言葉の割に、リゼの視線は泳いでいて。
結局その夜は、ベッドに入るまで、ずっと無言で過ごしたのだった。
「……」
「……おやすみ、リゼ」
「……おやすみ」
そう言って、布団の中に潜るリゼ。
僕も、布団をかぶると目を閉じる。
しかし……
寝よう寝ようと思えば思うほど、余計に目が冴えてしまうという有様だった。
ざらり……。
横から衣擦れの音が聞こえる度に、リゼの存在を強く意識してしまう。
参ったな……。もしかしたら、『初仕事』の時なんかより、よっぽど緊張してるかもしれない。
別に、同じベッドで寝ているわけじゃないのに……。
リゼと過ごす、共同生活一日目。
その日僕は、久々に眠れない夜を過ごしたのだった……。




