00.「プロローグ」
◇
少し唐突だけど、ここで一つ質問をしてみたいと思う。
『暗殺』って、一体何なのだろう――
もし誰かにそう尋ねられたとして、あなたは答えられるだろうか?
…………。
「裏で人を殺すこと」。うん、確かにそれも正しくはある。
けれど僕の場合……殺す対象は、別に人間に限った話じゃない。
――誘い出されたゴブリンの首筋をなぞる様に、白銀の刃が走る。
――致命的な一撃。頭部が胴体から切り離され、青い鮮血を撒き散らしながら洞穴の中を転がっていき――やがて、瘴気となって消滅する。
『自分が死ぬ』という事実を悟られる間もなく、速やかに敵の生命を断つ。
それが僕なりの【暗殺】の定義……だと思っている。
――闇に乗じ。音を立てず。そして静かに、着実に実行する。
身構える余裕なんて与えない。
……その戦いは、決して華やかな物ではない。
例えば、伝承の中で連綿と語り継がれるような、勇者と怪物の一騎打ち――
そんな、ヒロイックさとは無縁の世界に存在する。
ただただ、地道で泥臭く――そして、血生臭い戦いである。
◇
――薄暗い洞穴の中。
壁面には真紅の魔紅石が露出し、唯一の光源として発光していた。
そして照らし出されるのは、狭い空間の中、藁の寝床で雑魚寝するゴブリン達。
壁には人里から掠奪した鎧と剣が、使い古した姿で立て掛けてあった。
そこはゴブリン達が巣食う、迷路のように入り組んだ"大規模巣穴"の一画――いわゆる、『タコ部屋』の一つだった。
朝夜常に活動しているゴブリンであっても、短いながら睡眠を取る必要はある。
その為だけの『タコ部屋』――このような部屋は巣穴の中に幾つも存在しており、これだけ規模の大きい巣穴だと、『タコ部屋』の数は優に百を超えてくる。
ゴブリンというだけあって、衛生状態はとても良い物とは言えない……のだが、当のゴブリン達は全く気にする素振りを見せない。
流石はゴブリン、『どんな場所にもいて、どんな環境でも生息できる』と評されるだけはある――と言ったところか。
そしてその部屋には、丁度6体のゴブリンが押し込められるように寝泊まりしていたのだが――
――ドゴンッ!
突然の轟音。そして、巣穴内の空気が振動するかのような衝撃――!
すぐさまゴブリン達は一斉に目を覚ますのだった。
異常事態の発生――ゴブリン達は慌てて起き上がると、一斉に武器を取る。
「ゴブッ……!」「ゴブゴブッ!」
そして巣穴の通路を、音がした方向に向かって進んで行くゴブリン達。
自分達のテリトリーを荒らされたゴブリン達は、明らかに殺気立っていた。
しかしそのせいで、彼らは重大な違和感を見逃してしまっていた。
彼らのテリトリーである巣穴が、いつもより血生臭いということを――
「ゴヴ……!?」
それは突然の出来事だった。前を走るゴブリンの首が、まるで『見えない何か』によって刎ねられたのである――!
地面をゴロゴロと転がる、ゴブリンの首。
そこには断末魔の表情はなく――『困惑』と『戸惑い』だけがそこにあった。
ゴブリン達は慌てて足を止めると、拙い円陣を組み、周囲を警戒する。
「ゴッ……!?」「ゴブゴブッ!?」
確かにそこにある、目に見えない脅威。
やがてゴブリン達の内に、ある筈のない恐怖の感情が芽生え始めるのだった。
――『ツヨイテキ、コワクナイ。デモ、ミエナイテキ、オソロシイッ……!』
ゴブリン達は、武器を構えて必死に周囲を見回す。しかしその間にも、一匹、また一匹と仲間が首を刎ねられ、地面に倒れていく。
そして、最後の一匹が武器を捨て、その場から逃げようとした、その時――
「……!」
ブツリ、と唐突に意識が途切れる。
そして残る最後の一匹のゴブリンの体も、前のめりに倒れたのだった……。
◇
「……ふう、これで大体片付いたかな」
そして一人の少年が、スタッと地面に着地する。
――癖のある金髪と童顔、そして線の細い少し頼りなさそうな風貌。
一見すると、育ちの良い貴族の子息のようにも見えなくもない。
しかし彼こそが、このゴブリンを倒してのけた張本人であり――『元』"異能殺しの暗殺者"、トーヤ・アーモンドなのだった。
「リゼとエレナが派手に暴れてくれたお陰で、こっちも随分仕事がやり易くなったかな。……で、大事な本命の居場所だけど……」
今回の本命は、あくまでこれらのゴブリンの親玉の討伐である。
――藪で巧妙に隠された、巣穴の入口。
――そして対侵入者用の、巧妙に張り巡らされた罠の数々。
それらを全て突破したのも、『人類の脅威たり得る存在』の排除の為。
――とりあえず、取り巻きは排除した。後はその本命を倒すだけだ。
「トーヤくんっ、こっちにボスが居るみたいだよ!」
どこからか、ギブリールの透き通るような声が聞こえてくる。
……どうやらギブリールがやってくれたらしい。
振り返ると向かいの分かれ道の所で、見慣れた少女がフワフワと宙に浮かびながら、「こっち、こっち!」と手招きしている。
そして僕は、急いでギブリールの元へ駆け寄るのだった。
◇
――そして、それから少しして。
別行動していたリゼとエレナの二人と合流した僕たちは、ギブリールに案内されて『ボス』のいる部屋へと向かっていた。
無人の洞穴を走る、僕たち四人。
これからボスを倒しに行こうというのに、道中の通路にゴブリンの姿は一匹も見当たらない。
つまりそれは、この巣穴のゴブリンを全て狩り尽くしたということだった。
「流石はトーヤだな……あの短時間で、あれだけのゴブリンを倒してしまうとは……」
洞窟内を見渡しながら、エレナが感心したように呟く。
そして一方のリゼはと言えば、いつもと同じ人形のような無表情で、エレナに向かって言うのだった。
「……トーヤ君なら、これくらい当然」
そして僕たちは、巣穴の最奥――『ボス』部屋の前までやって来たのだった。
明らかに雰囲気がこれまでとは違う。何というか、張り詰めたような――そんな雰囲気がこの奥から漂ってくるのを、僕は感じていた。
……なるほど。この先にゴブリンの親玉がいるって訳か。
そして僕は、隣にいるリゼとエレナに視線でアイコンタクトを送る。
二人とも、コクリと無言で頷く。……準備は万端。なら――
「――行こう、みんな」
そして僕たち四人は、『ボス』部屋に乗り込むのだった。
「こんなところに、ゴブリンエンペラーだと……!?」
――通常のゴブリンの10倍はあろうかという程の、巨大な体躯。
――数百歳は優に越えているであろう、威風堂々とした風格。
僕たちの目の前に現れたのは、まさにゴブリンの皇帝とも言うべき怪物だった。
「ゴブリンエンペラーと言えば、【王侯級】の魔族じゃないか……! それが、こんな人里に近いところまで……このままだと、戦争になるぞっ!?」
「……任せて」
動揺した様子で立ち尽くすエレナを後ろに、リゼが一歩前に出る。
【王侯級】と言えば、単騎で一国を滅ぼし得る力を持つとも言われている。
しかし……リゼの立ち振る舞いには、全く動じる素振りは見当たらなかった。
「GAHAHAHaha……!」
ゴブリンエンペラーの巨体が、抜刀するリゼを嘲笑うかのように見下ろす。
それは、自分の力に『絶対的な自信』を持っているが故の余裕だった。
『このちっこいの、まさかこの俺様に立ち向かうつもりじゃないだろうな――』
……とでも言いたげな顔の、ゴブリンエンペラーだったが――
「GAh――?」
――まさに、一瞬だった。
ゴブリンエンペラーの顔面、そして胴体にかけて一筋の線が走る。
それは紛れもなく、『切断面』に他ならなかった。
――ドスン! 左右に一刀両断されたゴブリンエンペラーの巨体が、大きな音を立てて地面に崩れ落ちる。
圧倒的、瞬殺劇――!
その様子を僕は、後方から目の当たりにしたのだった。
(流石に強いな、剣聖は……)
その力はまさに、規格外。
――王国で最強の勇者であり、現在世界で唯一の、レジェンド級異能持ち。
それが彼女、『リゼ・トワイライト』なのである。
……ちなみに、僕の異能はコモン級。階級で言うと一番下だ。
自分でも正直、よく彼女と一緒にパーティを組めているなと思う。
それだけ、この勇者の世界は『異能のランク』が全てなのだ。
コモン級の異能を授かった者は、良くて傭兵――大半の人間が、裏社会で使い捨ての道具として使い潰されるというのが、この世界ではよく見る光景だった。
――全ては一年前の春。
勇者候補生を育成する、カルネアデス王立異能学院から物語は始まる……。